02話 そして勇者はざまぁされる
僕……ラッシュは十歳の頃、女神の啓示を受けて勇者となった。
勇者とは、代々人類と世界のために戦う使命を帯びた光の戦士だ。
時代ごとに現れ世界を脅かす闇の王……魔王とは戦う宿命にある。
そんな凄い存在に孤児院育ちの僕が選ばれたのだ。
孤児院を経営していたシスターのおばあちゃんや院の兄弟たちは我が事のように喜んでくれた。
数日後、身の内に聞こえる声……神の啓示を受けた僕は信託を受けたと言って迎えに来た教会の人たちに連れられ、王国に召し抱えられることとなった。
そこで僕は城住まいで五年間の血の滲むような修行を受けた。
騎士や冒険者と共にダンジョン探索。聡明な魔法使いたちからの授業。城での日々は辛くも充実した日々であったけど、僕を一人前の戦士……いや勇者にするには十分なものだった。
こうして僕は魔王軍と戦う為に前線へと送られることとなった。
送られる初めての戦場は聞いていた以上に苛烈なものだった。
怪我人や心に傷を負い怯える兵士。端では避難した難民たちが祈りを捧げていた。
それだけ今代の魔王は今までと比べて強大で、その分被害の規模も大きいのだ。
そもそも魔王ひいては魔王軍とは何か。
勇者が戦う魔王という存在は強力な闇の魔力を持った存在の総称であり、それは屈強な魔獣だったり、偶発的に大量の魔力を取り込み魔人という異形となってしまった人間、と時代によって様々な個体が存在したという。
共通しているのは彼らは理性の無い魔物を闇の魔力で操り群れとして率いて、古くから人類に仇なす存在だという事。
だが、今代の魔王は異端だった。
まず、一部の国から迫害を受けていた亜人種や闇魔法の使い手を引き込み、操る魔物群と併せて魔王軍という組織を結成。
そして、人間のような戦略や戦術を用いて勝利する。
今までの魔王の様に、強大な闇の魔力に頼り、力任せで暴れ回るのではなく、狡猾な知性が感じられる行動だった。
そんな魔王軍と人類連合の戦争に僕は投入されることになったのだ。
僕は人類軍の旗頭として、前線の正規軍から入ってきた冒険者あがりのジャック……そして当時は教会所属の聖騎士だったシスカ、雇われの傭兵……としてはまだ見習いだったガンズと共に人類軍を率いて戦った。
そうして二年にもわたる奮戦の末、遂に僕らは魔王軍を撤退まで追い込めた。
だが、一度侵攻を退けたと言っても話はそこで終わりではない。
魔王は手負いにしたといっても、まだ生きており、傷を癒してまたいつ進撃を開始するかわからないのだ。
この泥沼の戦いに終止符を打たなければならなかった。
僕らは魔法学院で天才と呼ばれていた魔法使いアンジュを加えて、現在は少数精鋭のパーティで魔王を討伐する任務を請け、いまだ魔族の影響が強い西へ向けて魔王討伐の旅路を続けていた。
旅が始まって約1年が経過した。
撤退した魔王の所在こそいまだにわからないものの、襲い来る屈強な魔物や魔王軍の精鋭たちをも退け、ステータスも順調に上がっていき、次に魔王が現れれば今度こそ確実に倒すことができる、そんな自信に満ちていた。
……そのはずだったんだ。
「いったいどうなっているんだ……」
魔物との戦闘で死にかけ、ようやく安全な場所まで逃げてきた僕は思わず呟く。
そう。
ジャックがパーティーから離脱した後、ステータスに不調が見られて、旅を一旦切り上げて王国領まで戻ってきた僕らは辺境での魔物との戦いで、あわや全滅というところで命からがら逃げてきた所だった。
元々、僕らはとある村の近辺を魔物……キラーベアーが出没したので退治してほしいという依頼を受けて、討伐しに来ていた。
これはこの前、追い出してしまった仲間……ジャックが抜けた穴を埋めるため、改めてパーティそれぞれの長所短所の把握もといチームワークの調整という目的もあった。
……結果は惨敗。まったく歯が立たなかったのだ、ベテランの冒険者なら十分に倒せるレベルの辺境の魔物に。
そして、それは敵が強かったのではなく、むしろ僕たちに問題があった。
まずスキル……この世界に生まれし者なら誰もが持つ、肉体に刻み込まれた体質や魔法。
勇者というジョブを与えられた僕はそれにふさわしい固有スキルという特殊な魔法や加護を複数所持していたが、それが全て使えなくなっていた。
そして、その異変は僕だけではない。
「ふざけないでよ。なんで魔法が使えないのよ。どうなってるのよぉ!」
ようやく安全な所まで逃げたところで、ランジュが涙目でヒステリックに叫ぶ。
彼女の身の内に迸っていた大量の魔力はほとんど残っておらず、必殺としていた火炎魔法を始めとした多種多様の魔法も全て使えなくなっていた。
「俺も同じだ。敵の攻撃を察知できず、まともに受けきることができない。こんな事は初めてだ……」
愕然とするガンズ。
魔物すらも素手で組伏せる体術。
さらには自身や彼の仲間の危機を一早く察して、守るため頭で理解するより体を動かすことができる本能スキル堅陣も失われていた。
二人とも魔法使い、騎士として神童・期待の新鋭と呼ばれる者たちだったが、それでも、その才能に驕らずにこの齢でそう呼ばれるに見合うだけの、努力と鍛錬を重ねてきたのだ。
そうやって培ってきたもの全てが一瞬で失われたのだ。ショックも大きいだろう。
「神よ……。いったいコレはどういうことなのですか……」
シスカが絶望の表情で憔悴しながらも、空に向けて問いかけている。
彼女もアンジュ同様光の魔力をほとんど失い、まだ初等の回復魔法もいくつか使えているが、蘇生や再生といった高位の回復魔法は完全に使えなくなっていた。
僕は彼らにかける言葉も見つからなかった。
いや、それどころか僕が一番ひどい状態なのだが。
僕はふと手を宙にかざして念じてみる。
「……駄目だ。聖剣が来ない」
僕は勇者たる証にして最大の武器である聖剣をいつでも呼び出すことができた。
だが、今はどれだけ呼ぼうとしても聖剣は答えてくれない。
さらには、勇者として戦い培ってきた力、速さ、技術……ステータスが下がりきっており、凡人とほぼ変わらない状態になっていた。
これはどうしたことだろうか。
もしかして以前戦ったダンジョンの魔物か、魔王軍の刺客から呪いでも受けたのかもしれない。
「とにかく、このままでは危険だ。大きな教会が建ってるか、騎士団が駐在している町まで戻ろう。そこで理由を話して保護してもらって……話はそれからだよ」
そこまで言った後、僕の耳にガシャガシャと複数の重い足音が聞こえてくる。
見ると、騎士団がそこまで来ていた。あの紋章と鎧は僕を勇者に取り立ててくれたファルノア王国の騎士団のものだ。
助かった、と僕は思わず手を上げて叫ぶ。
「……丁度よかったです、助けてください! どうやらタチの悪い呪いにかかってしまったらしく……」
「大罪人ラッシュ、勇者の名を騙り数多の犯罪に手を染めた罪により貴殿を王都まで連行する!」
「え?」
こちらの言葉を遮り、騎士団の団長は無表情かつ重苦しい声でそう宣告した。
「……何を言っているんですか?」
僕はそ目の前の人物が言っていることがよくわからず、思わず聞き返してしまった。
よく見ると、その騎士団長は先の魔王軍との戦いでも一緒に戦った人だった。
その団長は改めて、懐から令状を取り出して高らかに読み上げる。
耳を傾けると、彼が話すその罪状の内容は俺たちが勇者パーティーの名の下に行く街々で略奪と暴行を繰り返し、それを何度も諫めようとしたジャックをも不当な言いがかりで追放した、とのことだ。
……なんだよ。そのデタラメな内容は。
「ふざけないでよ! 私たちはそんな事やっていない。というか、それ全部ジャックがやったことじゃない!」
「そうだぜ。つまらない冗談はよせよ、団長さん。アンタずっと戦争で俺たちと戦ってきたじゃないか。俺たちが偽物じゃないってアンタらが一番わかっているだろう?」
全てを聞き終えた後、アンジュとガンズが反論する。だが、騎士団長は取り付くしまもなく、言葉を続ける。
「――これは真の勇者、ジャック様からの勅命でもあります」
その言葉に僕らは固まった。
ジャックだって?
彼が真の勇者?
目の前の人はさっきから何を言っているんだ?
「本来勇者に選ばれるはずだったジャック殿の功績を貴殿らは奪い自分の手柄とし続けた。先ほどの狼藉も含めて、ジャック様は身の危険を感じて、追放されたという形で逃げてきた。話ではそういう事になっておりますな」
そんな馬鹿な話があってたまるか!
だが、騎士団の人たちは聞く耳を持ってくれないようだ。
「なお、抵抗するなら殺しても構わない、そう言われてもおります。お覚悟ください」
言いながら剣の柄に手を当てて、臨戦態勢をとる団長や騎士団の人たちの目はどこまでも冷たかった。
今まで信じていたものが裏返り、足元が崩れていくような錯覚を覚える。
ふと、この光景をどこかで見た気がした。
そうだ。
僕らがジャックを追い出した時の構図。それと似ていたのだ。
彼の合図で槍を突きつけてくる騎士たちを前に、僕の中で因果応報という言葉が浮かぶ。
これも仲間を追い出した罰なのかもしれない、このまま罰を甘んじて受けるのが筋ではないのか。
そんな考えが一瞬だけ頭をよぎる。
「いやいや。そう、ハイわかりましたっていくかよ!」
そんな僕の考えを打ち消すようにガンズが怒声と共に懐に隠していた煙幕玉を魔物を投げつけた。
一瞬で辺り一面に煙が巻き起こる。
「逃げるぞお前等ぁ!」
「はい!」
叫んでガンズは僕とアンジュの手を引っ張り、森の方向へと走る。
シスカは彼の言葉に一早く反応して、捕えようと追いかけてきた騎士を聖杖を振り回して威嚇しながら後に続いた。
本来は戦闘の際に、魔物を攪乱するために用意した煙幕だが、こんな形で使うとは思わなかった。
「逃がすな、追え!」
後ろから団長の声が聞こえる。
だが、既に森の中に逃げ込んだ僕らはどこをどう走ったのか、わからなくなるくらいとにかく出鱈目に走った。
やがて僕らは大きな茂みを見つけると、そこに4人で一斉に飛び込む。
「どこに消えた」
「陛下からの厳命だ。なんとしてでも……うわぁ!」
「魔物だ! 戦闘態勢!」
息を潜めてしばらくすると、遠くから獣の咆哮と騎士の怒号が聞こえてくる。おそらく、さっき僕らが返り討ちにあいかけたキラーベアーと出くわして戦っているのだろう。
しばらくの間、剣と爪による戟音や、魔法による爆音が聞こえていたが、やがてキラーベアーの断末魔と共にそれも止む。
そして、すぐ近くから鎧を付けた足音が聞こえてきた。
緊張が走る僕ら。
それは段々と近づいてきて、やがてふと、その足音が止まる。
僕らが隠れてる茂みのすぐそこだった。
アンジュは涙目で自分の口を押えて、シスカは杖を握りしめ、ガンズは懐からまた何かを取り出そうとする。
しばらくして、ほぼ真上から声が聞こえてきた。
「隊の被害はどうだ」
「ハ! 魔物はすぐに討伐しました。団の損害は極めて軽微であります、捜索に支障はありません!」
それはあの騎士団長の声だった。
すぐ近くで他の騎士の足音もする。このままでは見つかるのも時間の問題だ。
やるしかないのか?
僕は意識を集中して、既に出涸らし寸前となった体内の光の魔力をかき集める。
「……埒があかんな」
ふと騎士団長はそんな事を呟いた。
「……は?」
「どうやら我々は完全に見失ってしまったようだな。魔物によって損害を被った隊の立て直しもある。どちらにせよ、ここらで一旦引き上げた方が良いだろう」
「だ、団長、よろしいのですか?」
「我々は見失ったのだ」
断言するような団長の一言に、彼の意図を察した騎士は共に捜索をしている騎士たちを一瞥しながら、コクリと頷いた。
「……はい」
「とりあえず、先回りして急いで国境に見張りを置いた方が確実だろう。此度はあくまで密命だ。秘密裏に彼らを罪人として追っているのは我々王国だけ、勇者として新しく現れたばかりのジャック様の名声による影響は他の国にまでまだ浸透しておらんからな。このまま他国に逃げられてしまっては我々ではどうにもならん。私が奴らの立場なら、包囲網が完成する前に急いで国外に逃亡している所だ」
ベラベラとこちらにも聞こえるように語る騎士団長。
そこで団長の足音が少しだけ止まる。
一瞬こちらに向けて視線のようなものを感じた気がしたが、やがて再び聞こえる足音と共に消えていった。
どれくらい時間が経っただろうか。
彼らが去った判断した僕らは、ゆっくりと草むらからゆっくりと顔を出す。
「王国の手が回らないうちにさっさと国を出ろってよ」
ガンズの言葉に僕は納得する。
やっぱり、さっきのはそういう意味だったのか。
「それにしてもニセ勇者か……」
これもジャックを追い出した罰なのだろうか。
「そんなわけないでしょ! むしろアイツの仕業に決まってるわ。何が真の勇者よ、ふざけないでよ。なんでアタシたちがお尋ね者なのよぉ! ううぅ!」
鬱憤を吐き出すだけ吐き出したアンジュはついに泣き出した。それをシスカが黙って抱き締め、ガンズが頭を撫でる。
「私たちはこれからどうなるのでしょうか」
「そうだね。さすがにこのまま罪人として捕まるわけにはいかない」
冤罪を晴らすにしても、情報を集めるにしても、ひとまずはここから離れた方がよさそうだ。
まだ他国ならば影響を受けていない、と騎士団長さんは言っていた。
パッと思いついたのは東の自由都市ヤンタタだった。商人たちの手で作られた都市国家であるあそこならば王国の影響もないはずだ。
「だが、どうやってそこまで逃げるんだ」
「いや、逃げるのは君たちだけだよ」
僕の言葉に三人は何を言っているのか理解できない様子だった。
「どうやら彼らが一番に狙っているのは僕だけのようだ。だったら囮にでもなって王国軍を引き付けるよ」
「ラッシュ何言っているのですか⁉」
シスカが悲鳴交じりに反対する。
でも、これは僕が一番の適任だと思うんだ。
一番顔が知れている僕が至る場所に顔を出して、少しでも僕らがこの国に留まっていると見せかける。
そうやって包囲網ができるのを少しでも遅らせる。
「そうだぜ。お前を囮にしろなんてタチの悪い冗談だ」
冗談じゃないさ。これぐらいのリスクを負わせてくれ。
「ア、アンタのせいじゃない! アタシそんなつもりで言ったんじゃない!」
アンジュの声が震えていた。
違うよ。これはこのパーティーのリーダーである僕の責任なんだ。
「大丈夫。わざと捕まろうなんて考えてないから」
流石にそこまで自暴自棄になってはいない。
他でもない君たちが救ってくれた命だ。
でも、僕一人の方が動きやすいし、融通が利くんだよ。わかってくれ。
そう根気強く説得してようやく彼らは折れてくれた。
「……無理するなよ」
「絶対連絡するから」
「これで最後じゃありませんわ」
「ああ、また会おう」
そう言って、僕らは袂を分かった。
僕はできる限り笑顔を作って見せたけど、シスカたちの顔を見る限り、やはりちゃんと笑えていなかったのだろう。
彼女らが去っていくのを見送り、僕も近くの町に向けて歩き始める。
「……さて。もう少し頑張ってみるか」
こうして力も、称号も、名誉も、何もかも無くなった僕のあてのない旅が始まった。




