16話 VSヴェロニカ②
仇敵であるヴェロニカとの再会と対峙。
なるべく動揺は出さずに、平静を務めようとしたものの、膝が震えているのが自分でもわかる。
当たり前だ。
目の前にいるのは魔王軍最高幹部の一人にして、最強の竜人ヴェロニカ。
一方でこちらは勇者としての力をほとんど失った元勇者。持っているのは並の冒険者よりもそれなりにたつ剣の腕、そしてロクに使いこなせていない付け焼刃の四属性の魔力だ。
正直、勝率は0に近い。
でも、既に覚悟は決まっていた。
そうだ。
あの時、決めていた事じゃないか。
もう自分を誤魔化さない。逃げないって。
いずれ戦うであろう相手と一足早く戦う羽目になっただけの話だ。
だからだろうか、僕の中で沸き立つような何かがあった。
気付けば、体の震えが少しだけ消えていた。
「まずはこちらからだ。参る!」
直後、当の相手であるヴェロニカは僕の高揚を一瞬でかき消すほどの強烈な一撃を振り下ろしてきやがった。
空気が読めない女である。読んでも仕方ないが。
「――うおおおおおおおおおおおっ⁉」
振り下ろす、と言ってもソレは遠くからの素振りであったはずだ。
……だというのに、素振りの衝撃はまだ距離があるはずのこちらにも届き、瞬間僕の視界が天井やら壁とコロコロと移り変わる。
最後にはダンジョンの何層もの天井……彼女が突き破った穴から青天が垣間見えた。
本日は快晴ナリ。
僕が彼女の放った一薙ぎに羽毛の様に吹き飛ばされたと理解したのは、そのままダンジョンの壁に叩きつけられた直後の事だった。
「ふむ。少し力を入れ過ぎたか……まあ原形を保っているだけ恩の字だな」
まともに受け身も取れずに、地面に無様に不時着して悶えている僕を尻目にヴェロニカは自分の薙刀を見ながら、ブツブツと呟いていた。
攻撃したつもりですらないだろう。無造作に彼女は薙刀を一振り……素振りしただけなのにこの有様だ。
早速こちらの心が折れそうだった。
「よし。次はもっと威力を上げるぞ。頑張れよ!」
そんなこちらの心情を無視しての彼女の一言。
ふざけんな、トカゲ女。
準備体操気分で紙飛行機みたいに飛ばされてたまるか!
「そらっ!」
「ぐううううううううううっ!」
言うや否や、さらに彼女は一振り……風圧を飛ばしてくるが、僕は剣を地面に突き立て耐え忍ぶ。
取り込んだばかりの土属性を全開にして大地と一体化する。
やがて轟風が止んだ。
どうにかしのぎ切ったらしい。
その直後、ドッと疲労感と眩暈に襲われる。
当たり前だ。
まだロクに適応できていない属性魔力を強引にフルに使ったのだ。拒絶反応が出てもおかしくない。
なんとか意識を保とうと、歯を食いしばる。
そうだ。彼女の攻撃がこんな所で終わる訳がない。
「どうした? 休憩するのはまだ早いぞ?」
案の定、前を向くと、既にヴェロニカが目の前まで迫っていた。
「避けろよ?」
「あぁああああ……!」
真上から振るわれる風圧ではない本物の斬撃。
本気ではないものの、これで死ねばそれまで、と確実に殺りに来ている一太刀。
それを僕は身をひねって、ギリギリの所でよけきる。
そのはずなのに、剣圧だけで頬にわずかに切り傷ができる。
なんとか避けることはできたようだ。――が
「遅い!」
「ご……ぼぉ」
斬撃をフェイントにした鳩尾へのヴェロニカの膝蹴りに、モロにそれを喰らった僕はそのままくの字の状態で真横に飛ばされて、再び壁に激突。
受け身もロクに取れずに衝撃を背中にまともに受けた僕は地面を無様に転がる。
「っ。おぼろろろろろろ……げほっごほっ」
そのまま胃に入っていたモノを吐き出した。
……これ絶対骨にもヒビ入ったぞ。
一方でヴェロニカはというと、静かにこちらの様子を観察していた。
「やはり反射神経や直観といった培った基礎は健在のようだ。うむ。やはりまだお前にはまだ見込みはあるな」
本当に何言ってんだこの女、冷静に分析してんじゃねえ!
お前のやってる事はただの弱い者いじめなんだよ!
世界中の教職の人や道場の師範たちに土下座して詫びて来い!
そう怒鳴り散らしたいのに。
まだ内臓がシェイクされてるようで上手く息ができない。
「さて、そろそろお前の方からも攻撃をしてくれたら嬉しいのだが?」
「……」
ヴェロニカの要望に、僕は無言でゆっくりと立ち上がり構えを取った。
それを見たヴェロニカは満足そうに拍手する。
――馬鹿にしやがって。
やがてそれはきた。
上の方で、破裂したような爆音と共に、天井が崩れる。
「ほう、本命はこっちか」
冒険者に支給される火の魔力が込められたオーブ……つまりは爆弾だ。
さっき吹き飛ばされた時、バラまいていた風魔法で浮遊設置しておいたものだ。
破壊力も小規模のものだが、大穴が空き、亀裂だらけとなった天井には効果はあるだろう。
狙い通り、大きく穴の開いた天井がさらに大きく広がる。
その欠片は瓦礫の雨となってヴェロニカの上へと降り注いだ。
「……それで、これがどうした?」
薙刀どころか。武器を持っていない。腕の方で虫を払う様に瓦礫がさらに粉々に飛び散っていった。
「――だろうね」
その隙をついて、今度は僕がヴェロニカのすぐ前まで飛び込んでいた。
わかっていた。この程度で彼女は倒せない、と。
「小癪な」
言葉とは裏腹に愉快そうに笑いながら、彼女は大きく口を開く。
竜人の固有技、焔の吐息を吐く気だ。
そうだ。これを待ってた。
伊達に何度も戦ってはいない。僕らは彼女の戦闘のクセを概ね把握している。
例えば、彼女は突然の距離をつめられれば、この女は吐息を吐いて、威嚇しようとしてくる。
何度もやられた手だ。
そこを僕は彼女の口に向けて水魔法……凍結を放つ。
「モガァーー!」
苦しみもがくヴェロニカ。
残念ながら、今の僕に彼女の防御を突破できる攻撃は持っていない。
竜人族は元々魔力に耐性のある亜人族だ。特に竜の因子を色濃く受け継いでいる彼女は防御もとい皮膚自体、竜の鱗並みに頑強なのだ。
だが、体の内部ならばどうだ。
普通の竜であるなら、これくらいの少量の攻撃魔法ではダメージが通らないだろう。だが、彼女の……人間とほとんど変わらぬ体格ならば十分に目はあると考えた。
「さすがに驚いたぞ」
……え?
直後、炎……いや、吹雪の吐息が至近距離から僕を襲う。
「ぐわあぁあ!」
体中に凍傷を負いながらも、僕は懐から回復ポーションを取り出して飲む。
「まったく。腹が冷えたらどうしてくれる?」
一方でヴェロニカは口から煙を上げながら、ブツクサと文句を垂れる。
……マジか、この女。
腹の中まで鋼鉄でできてるのか。
「さて次はまた私の番かな?」
「……う、うわぁ!」
おもむろに手を伸ばす彼女に、僕は距離を取ろうと彼女の手を振りほどこうとする。
ペチン。
手の甲が彼女の頬に当たる。
これは結果的に彼女を殴りつけた形となったのだろうか。
予想だにしてなかったのか、ヴェロニカはポカンとしている。
「……そういえば、殴り合いはまだしていなかったなぁ」
直後、竜の戦姫は相も変わらず凄絶に笑う。
「あ……ぐぁ!」
次の瞬間、僕は顔面に彼女のストレートをまともにくらい吹き飛ばされる。
鼻が痛い。絶対砕けた。血が出てる……。
「痛うぅっ……!」
「どうした。立てよ勇者。こちらは拳だけで相手をしてやろう。まさか素手の喧嘩はしたことがないというまいな?」
クイックイッと手招きするヴェロニカ。
でも、これは幸運かもしれない。
魔力を使わずに拳だけなら、僕にも分が……。
「ほらほらほらぁ!」
「ぐわぁああああああああ!」
結論。
無理でした。
基礎魔力による身体強化も、土魔法による防御力向上もほとんど役に立たない。
そのまま僕はひたすらに殴られ続けた。
「おいおい。もう終わりか?」
つまらなさそうに問うてくるトカゲ女。
くそっ。こっちは必死でやってんだよ!
一方的に殴っているくせに退屈そうに言うな。さっき弱い者いじめって言ったが、近所のいじめっ子だってまだ良心があるぞ!
……それでも、彼女の言う通り、既に自分にできる攻撃手段は全て使い切ってしまったのも事実だ。
これはもう万事休すだ。
通常ならば。
「うおおおおおっ!」
「ぬぅ⁉」
苦し紛れに放った僕の一撃。それが彼女の拳が激突した時、バチンと火花が散った。
突然、拳を弾かれたヴェロニカは一度僕から距離を取って、不思議そうな顔をして自分の腕を見つめている。
「……なんだ。やればできるじゃないか。やはり、まだ手があったのだな!」
「正直これだけは使いたくなかったけどね」
さっきのは技ともいえない。ただのバグだ。
相反する属性魔力を意図的に暴走させる。
勇者としての授業を受けていた時、アンジュのような複数属性持ちの魔法使いに度々起こる事故。
彼女自身からも散々聞かされた魔法の研究などで時たま起こる暴走事件。
僕自身もそれに覚えがあった。
勇者として取り立ててもらったばかりの頃に、もっと強くなろうと焦り、目には目を、と僕は強引に闇魔法を習得しようとした。
勇者に選ばれて、今の自分なら何でもできると調子に乗ってしまっていたのもあるだろう。
結果、僕は失敗して辺り一帯を吹き飛ばしてしまった。
あまり人には言えないし一人でやろう、と近くに村や人がいない場所で行おうとしたのが、かえって幸いだった。
僕自身も勇者でなかったら、死んでいたであろうというその事故。
それを意図的に起こして、あの時の爆発的なエネルギーを持続させる。
「ほう?」
感心したような顔をするヴェロニカ。そんな余裕ぶっているのも今の内だ。
この女の身勝手さにはいい加減腹が立っていた所なのだ。こんなに怒っているのは勇者になって以来だ。
風の魔力で体中が裂ける。土の魔力で骨が砕ける。水の魔力で血の流れが荒れ狂う。火の魔力で体の中が焼かれる。
破裂しそうになるが、僕はなんとか維持する。
「ずあっ!」
「ぐおぉ⁉」
こちらから横薙ぎに一閃繰り出す。
ヴェロニカは柄で受けるも予想外に力があったのか、勢いを殺し切れず足をよろけさせる。
やった。いけるぞ。
そう思った次の瞬間、凄まじい激痛が僕を襲った。
「ぐがああああああああああああああ‼」
体の内側からブチブチと嫌な音を立てて、軋みを上げていくような感覚に苛まれる。
これは長期戦はまずいな。できる限り早く終わらせよう。
「いくぞ、ヴェロニカ……!」
「ふふっ。そうだ。その意気だ。」
その声を合図に、僕はヴェロニカと斬り合いを始める。
「うおおおおおおおおお!」
「はははははははははは!」
血反吐を吐きながら剣を振るう僕と、笑いながら薙刀を振るうヴェロニカ。
数秒の間に、何十もの剣戟が果たされる。
打ち合う度に、手の中にある剣が火花を散らしながら、その刀身がバキバキとひび割れていく。
クソ、まだだ。
このままでは、いずれ押し負ける。
彼女を倒すにはまだ足りないんだ。
(だったら、さらに光の魔力を注ぎ込む!)
なけなしの残り滓とはいえ、これで五属性。
軋みと痛みはさらに酷くなるが、体が壊れようと知った事か。
何もかも吹き飛ばせ!
「いいぞラッシュ! やはりお前は最高だよ!」
一方でヴェロニカも呼応するように体内の魔力を跳ね上げさせる。
……コイツまだ底を見せてなかったのか!
気付けば僕らを中心に巨大な力場が形成されていた。
ようやく彼女も本気を出す気なのだろう。
この一撃で終わりにしてやる。
◆□◆
ヴェロニカは感動していた。
不安定こそあれど荒れ狂う力の奔流。
これこそが覚醒の証だろう。
与えられた力を理解して、使いこなそうとするならまだしも、その力を見せつけるように振るい、あまつさえ溺れてしまう者に英雄の資格などありはしまい。
大きな力には相応の器が必要なのだ。
かつての全盛期の魔王陛下のように。
そして彼女は今勇者ラッシュの真価を目の当たりにしている。
ヴェロニカは涙を流す。
ああ、自分の眼に狂いはなかった。
だからこそ、彼女は今度こそ全力を出す。目の前の壁を乗り越えるために。
「全力を出せ勇者……いやさラッシュ! 私はそれをねじ伏せてさらに上を行く!」
宣言と共に、バキバキと彼女の身体が変質していく。
頬や腕にまで鱗が生えて、背から翼が大きく生え広がり、尾てい骨の部分からは尾が伸び、瞳は完全に竜のそれとなる。
竜人族が竜と人の比重をさらに竜へと近付けた戦闘形態。
ヴェロニカは底上げされた魔力と身体能力を薙刀へと注ぎ込む。
手加減など無粋にして侮辱。
この一瞬だけに全てを出し切る。
◆□◆
このぶつけ合いが最後の勝負。
僕(私)はありったけの力を振り絞る。
そうだ。
魔力でも生命力でも全部持って行け。
「があああああああああああああ――!」
「づあああああああああ――!」
その日、二つの巨大な力が激突し、一つのダンジョンが街ごと消滅――
「いいいぃいかげんにしろおおおおおおおおおおおおっ!」
する寸前、全てを台無しにする一人の少女の怒声が響いた。