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魔王が運ぶはフェアリーレン  作者: 和水ゆわら
二章 竜人の国 ドラテア
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九十七話 時間稼ぎ

 幽夜に、二つ。埒外の相反する魔力が吹き荒れていた。

 光の魔竜が解き放つ、眩く輝く光の魔力は異常なほどに冷たく、恐怖心を掻き立てる。逆に、人に仇なす厄災であるはずの少女が纏う魔力は、なぜだかとても暖かい。


「ここまで敵意のある厄災と相対するのは、随分と久方ぶりだ」


 セレスティアがそう呟く通り、彼女の目線の先に立つ一人の人猫族(ケットシー)は獣のように体勢を低く下げ、桃色の瞳をギラギラと輝かせていた。


「その割には、随分と余裕そうね……!」

「そう言う貴殿には余裕が無さそうに見える。身の丈に合わぬ力を与えられてはそうもなる、と言うものか? 厄災をその身に降ろすだけでも負担が酷いようだな」


 流石の洞察力と言うべきだろうか。隠してはいるものの、僅かな呼吸の乱れと視線の揺らぎから、セレスティアはギムレットの消耗を見抜いていた。


「殺しはせぬ。無為に苦しみたくは無かろう? 投降することを推奨するが」


 剣を腰に刺したまま、相変わらず敵意の見えない穏やかな声で魔竜は告げる。きっと、彼女の言うことは全て嘘ではないのだろう。降伏すれば、確かに傷つけられることは無いはずだ。ただ、()()()()()保証されていない。


「……歌え、色欲の厄災(アスモデウス)


 無論、ギムレットのとった選択は反骨である。荒々しい魔力と共に解き放たれたのは、思わず心に染み渡っていくような透き通る歌声。腰に刺した剣を抜くよりも先に、反射的にセレスティアは自身の耳を両腕で覆った。


「数音、聞いたでしょ!」


 彼女が音を遮断するよりも早く、その耳に届いた福音の歌、その始まりの数小節。常人ならば意識を飲まれ、魅了に落ちる色欲の呪い。


「っぐ……」


 セレスティアとて、その影響を避けることはできない。魅了(チャーム)を受ける事はなくとも、彼女の姿勢を防御に切り替えさせた上で、数秒の間完全にその動きを縛り上げた。


「ーー我 色欲の厄災なり」


 魔力の奔流の中で生まれた、空白。そこに響いた、ギムレットの小さな一言。


「光なき世界に生まれ、七つの罪が一角、色欲を背負いし滅びの獣なり」


 彼女の声が、ぽつりぽつりと空間に産み落とされる度に、纏う魔力が高まっていく。その力は、決して魔竜に劣ってなどいない。寧ろ、明確に上回っていると言って良い。


「太陽は黒く染まり 月が光を放たぬ時――」


 セレスティアに生まれた隙にギムレットが取った行動は、詠唱だった。自身の指を空間に走らせ、複雑にして精密な魔法陣を描きあげていく。


「星は空より落ち 天体は揺り動かされん」


 ――本来、一流の魔法師にとって詠唱とは不必要なものである。

 魔法の成立には、大きく分けて詠唱・陣の展開・射出の三つの段階に分けられる。魔力を解き放つ射出以外の、前段階の二つは威力を犠牲に省略することができる。それを行った上で魔法の出力を完璧に近づける事こそが、戦闘における魔法を極めること。


「壊れゆく世界に 我は滅びの花を手向けよう」


 だが今は、戦闘開始直後に生まれた決定的な隙がある。故に、ギムレットは一切を省略する事はない。最初の一撃を、十割以上の出力で撃ち込む。


厄災(ディザスター)降誕(・ドレッド) 滅びを告げる大罪の(ジ・アポカリプスビー)獣・色欲(スト・ラスト)


 彼女の体躯の倍は優に超える精巧な魔法陣から解き放たれたギムレットの魔力が、姿を変える。それが形作るは、至大なる黒山羊。色欲をその身に受けし獣は、自身の頭に持つ鋭い角を宿敵(魔竜)へ向け、過剰すぎる体躯の持つ力を、主人の魔力を乗せて一度、激しい頭突きを叩き込んだ。


終末の黒天(エスカトンルクスリア)!」


 それに伴って引き起こされた、黒き魔力の炸裂が広場を平等に飲み込んだ。丁寧に舗装された石畳みも、夜を照らす街灯も、何もかもを無慈悲に。


 破壊の波動が収まった頃、その場に立っていたのはギムレットだけだった。爆心地となった地点……つい先程までセレスティアが立っていたはずの場所はあんぐりと口を開けた、深い深い穴へと変わっていた。


「……まだ、終わってないはず。でも、一発目は貰った……勝てる……!」


 底はどれほどのものなのか、分からない。ただ彼女は、その中に確かに存在する魔力が小さくなっていることから勝利という希望が見えていた。自身の方が明確に魔力は上回っており、それに加えて厄災の最大出力を乗せた一撃を、防御もなしにモロに受けた以上、戦局は大きく傾いただろう、と。実際、それは間違いでは無い。


「できれば、この姿で終わらせたかったが……っ……流石は、厄災だな……舐めてかかってはいかんな……」


 深い穴の底で壁に体重を預けて、破壊された鎧の腹部を――その下、溢れんばかりに血を流す抉れた傷跡を左手で抑え、息を切らしながらセレスティアはそう呟く。纏う魔力も、それに呼応して小さく、不安定になっていた。


「憤怒、暴食に、比べれば……遥かに弱いが……潰すなら、全力しかあるまい……」


 右手で、ゆっくりと純白の剣を抜き放つ。刹那、先程まで弱っていたのが嘘のように魔力が吹き荒れる。


原始の鼓動(プライマル・コラソン)始祖(テオス)降誕(ケセドース)……」


 等身から溢れる魔力は彼女を包み、その姿を変えていく。

 砕け、ヒビの入った鎧はドレスのように。腰から伸びた尾は太く、しなやかに。背には竜のものとは別に、白鳥のような羽毛の羽を生やし、頭部には気高さと威圧感を放つ渦巻く角を。そして頭頂部には天使のような光輪を浮かべたその姿は神のようだった。彼女の本気の姿故に、纏う魔力は跳ね上がる。


 ――当然、穴の外でギムレットはその力を感じていた。世界の抑止力の本気を、今まで自身が感じていた勝利への希望はあまりにも脆く、儚いものだったと。


「……あは、は……本気で言ってる……?」


 喉の奥からこぼれたのは、乾いた笑い。冗談であって欲しいと、彼女は切に願っていた。ただ、大穴から溢れる魔力はそれが事実であることを無慈悲にも突きつける。

 逃げたい、勝てっこないと告げる震える足を拳で何度も叩き、砕けかけた戦意を取り戻し怯えを押し殺す。


「勝てない、うん。それならそれで良い。私は私の役目を果たすんだ」


 わざと声に出し、自分の中で先の言葉を反芻する。誰に聞かせるわけでもなく、ただただ自分を納得させるために。今からの自分の行動に、納得できるように。


「……おや、我の力をその身で感じて逃げていなかったのか。匹夫の勇か、はたまた勝算があるのか? 色欲の厄災よ」


 闇を照らしながら、セレスティアは大穴から舞い上がった。桃色の瞳を輝かせる敵を見据え、その一挙一投足を具に観察する。


「勝算なんて私には無いよ。だけど私は逃げたりしない。だって逃げたら、貴女はトニアちゃんのところに行くじゃない」


 両腕を地につくほどに下げ、四足の獣のような臨戦体勢をギムレットはとる。せめて一撃で終わる事が無いように。今の自分にできる精一杯の役目をーートニアが逃げる時間を稼ぐために。


「ふむ、存外に冷静らしい。しかも我との力の差に怯む事なく戦意を向けるその姿に敬意を示そう。本来は貴殿など番外の駒に過ぎぬ故、無視してしまっても良いが……」


 言葉の途中で、セレスティアは静かに純白の剣を抜き放った。それを引き金に、重力が増したかのようにギムレットの体に圧力がのしかかる。


「見せてやろう。我の力を」


 彼女がそう告げた瞬間、セレスティアの握る刃が煌めく。その時には既に、その姿はギムレットの間合いの内側に入り込んでいた。


「は、っや……!」


 腰に刺した二本のナイフを抜き、交差させて自身に振り下ろされる純白の刃を受け止める。ミシミシと音を立てながらも凶刃を防いだと思ったのも束の間、ギムレットの横腹を大きくしならせた魔竜の靭尾が撃ち抜く。


「かぐっ……!」


 体の中の空気と、僅かな量の血を吐き人猫族の体は打ち上げられていた。彼女が体勢を変え、抵抗するよりも早く、その頭を濃密な魔力が纏われたセレスティアの左腕が掴む。


「っく……猫葉(アイビ)――」

「堕ちろ」


 魔力の乗ったギムレットの爪が振り抜かれる前に、セレスティアは翼をはためかせ、速度を上げながら急降下――そのまま、彼女はギムレットの体を大地に叩きつけた。夥しい程の魔力と共に。


「ぅ、あ……ぐ……」


 戦闘が再開された時点では、ギムレットは大きく消耗していた。だがそれを考えても、彼女が受けた攻撃は僅かに二発。それだけで、体は言うことを効かなくなっていた。どれだけ力を込めようと、全身を走る激痛に邪魔され四肢に運動は起こらない。それだけの力の差が、両者には存在した。


「……やはり、色欲は厄災の中では最弱か。魔竜は基本的に厄災より強いが故に抑止力であることを鑑みても、弱い」


 純白の刃を両手で逆手に持ち、トドメを刺さんと振りかぶる。指先をピクピクと揺らし、抵抗の意思を見せるギムレットの瞳は、元の翡翠色に戻っていた。


「殺すのが惜しい程の、美しい心の持ち主だったぞ。輪廻の巡り合いがあれば――」

金輪槍(ブリューナク)っ……!」


 セレスティアの言葉を遮り、彼女の正面から襲い来る()()()()()()。自身と同質の魔力を纏ったそれを飛び退いて躱していた。既にギムレットは戦闘不能……つまりそれが意味するのは、部外者の乱入である。


「セレスティアの魔力とギムレットちゃんの衰弱を感じて来てみれば……間に合ったな!」


 褐色肌に、真紅の槍を握った青年が、ギムレットを守るように戦場に降り立った。


「ふり、ぃとさん……ごぇ……」

「無理すんな。怪我人の回収はアガレスがやってる。お疲れ様」


 その言葉に安心したように、彼女は目を閉じた。少しずつその体が光の粒となり、消えていく。


「……さてと。なんのつもりだ、セレスティア」


 フリートのそんな質問に、帰ってくる言葉は無かった。

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