九十三話 裏切り者と乱入者
「任せるって言われちゃったね」
光の魔竜の立ち去った、暗闇の中でそう話す声がした。
「……リルフィンちゃん」
すやすやと穏やかな寝息を立てる小さな魔王を抱えたまま、その声にフードを目深に被った少女は――エウレカは反応を示していた。
「いやぁ、まさか寝室から飛び出してくるとは思わなかったな。明らかにヤバい魔力が解き放たれたもんだからびっくりしてしばらく動けなかったや」
何かを考んでいるかのように静かな親友の隣に彼女は立った。少しだけ、何かに戸惑うように安定しない足取りで進むエウレカの隣で、彼女を先導するようにリルフィンはのんびりと歩いて行く。
「こーんな可愛い顔してるのに、マジで強いんだからなぁ、人は見た目によらないって言葉、初めて実例を見た気がする。エウレカもそうでしょ?」
自身の背丈と同等の大きさを誇る深紅の鋏をくるくると回しながら、相手の反応などお構いなしに一方的にリルフィンは話し続ける。エウレカは、特に何かを答えるわけでもない。それが彼女たちにとっては日常なのだろう。リルフィンはそれを特に気する様子は無かった。
「綺麗、本当に彫刻みたい……」
エウレカの腕の中、リリムの頬に手を伸ばす――ただ、その腕は彼女に触れる前に虚空から伸びた魔力の縄に縛られ、止まる。
「危ないと、思うよ……今は落ち着いてるみたいだけど、いつ急に荒れるか分からないし、そうなったら私は止められない……」
「そっか、じゃあやめとく」
彼女の答えを確認し、エウレカは縄を解く。
「……そんな爆弾を、『任せる』ね」
それ以上、二人の間に会話は起こらなかった。気まずい空気の中で、乾いた足音を響かせながら二人は暗闇を歩いて行く。
「――ねぇ、エウレカ」
思わぬ乱入者によって軽く壊された、リリムの為に造られた寝室の扉の前に辿り着いたころ。唐突に、リルフィンは静寂を破った。
「なぁに……?」
相も変わらず何かを考えこんでいるのか、どこかうわ言のような声でエウレカは答える。
「今、何を考えているのか当ててあげようか?」
「……なんだと思う?」
突拍子のない事を言い出した親友に対し、少し溜息の混じった声で答えを促す。
「このまま、逃げちゃおうかなって思ってるでしょ」
「……え?」
予想外の答えに、思わずエウレカは足を止めた。
「……あれ、違った? 違ったなら今のは――」
「ううん、違くないよ。リルフィンちゃんの言ってることは間違えてない。だけどどうして……?」
考えている仕草は見せていたものの、先程リルフィンが告げた考えを感じさせるような行動を、彼女は取っていない。だというのに、正確に思考を見抜かれた事に対して、困惑を見せていた。
「えっとね、勘かな?」
「……なに、それ」
「まぁ、あとは私がそう思ってるしエウレカも一緒だったら嬉しいなぁ、的な?」
彼女の答えに、思わずエウレカは笑みを零していた。先程までの少し曇った――思いつめていたかのような表情とは打って変わって、穏やかな笑顔を浮かべながら。エウレカはその場に立ち止まった。
「……私は、この世界が大嫌いなの」
「昔から言ってるよね。理由は聞いたことないけどさ」
抱きかかえたリリムを背負い直し、深く被ったフードを脱ぐ。その下から現れた綺麗な黒髪に手を触れ、魔力を注ぐ――正確には、そこにかかっていた魔力を解く。
「それって……」
髪色と同じく、黒い毛並みの長い獣の――兎の耳がそこには生えていた。
「人兎族、だったんだ」
「見たことない、でしょ? 今までずっと隠してたから……本当はこの先も見せるつもりは無かったんだけどね」
リルフィンの視線は、当然エウレカの兎耳へと注がれていた。
「……リルフィンはこれ、どう思う?」
「どうって? 可愛いなとは思うけれど……多分そういうことじゃないよね?」
真剣な空気を壊すリルフィンの答えに、安心したような笑顔をエウレカは見せた。
「人兎族は、不吉の象徴なんだって。誰が最初に言ったんだろうね? 存在するだけで不運を運ぶからって、長い時の中で差別されて、虐げられてきた」
抑揚のない声で、彼女は静かに話し始めた。纏う魔力が僅かに乱れているのが、彼女の内心が穏やかでないことを示していた。
「私たち人兎族は何もしていないのに、どうせ大した理由だってないんだよ。ただ不安の、恐怖のはけ口作って安心したかっただけに決まってる。意味わかんないよね。された側がどう感じるかなんてお構いなしに、みんながそう言うからって、誰も疑わないんだよ。それで、それで……!」
その証拠に、少しずつエウレカの感情が露わになっていく。そこに宿っていたのは、深い憎悪と激しい怒り。
「エウレカ」
感情を爆発させかけた親友の首筋に、人差し指をナイフのようにピタリと合わせる。
「辛かったね。そんなことがあったから、エウレカはこの世界が嫌いなんだね」
「……うん、ごめん。ちょっと抑えられなくなっちゃった」
「へーき、こんな風になったのは別に今回が初めてって訳じゃないし慣れっこだよ」
少しだけ大人びた、落ち着いた表情を見せつつエウレカを宥める彼女のその仕草は、言葉に相違なく手慣れたものだった。
「……そう思ってた私の前に、あの人はやってきたの。世界を壊して作り直すって、私にはそれをやれるだけの力があるって。だから私はセレスティア様の下に就いたの」
エウレカの話を遮る事無く、うんうんと頷きながらリルフィンは彼女の迷いを聞き続ける。
「……今考えたら、それっぽい事を言って手駒を集めようとしていただけかもしれないけれどさ、私にとっては救世主みたいなものだったの。だから私は、あの人にずっと忠誠を誓っていたの。だけど――」
深呼吸し、感情を落ち着かせると共に背負ったリリムにちらりと視線を向ける。
「さっき、この魔王様の心を覗いちゃったの……この魔王様も、世界を創り変えようとしてるみたいなんだ。結果はあの人がやろうとしていることと近いよね、新しい世界を創ろうって」
「……言い方的に過程が違う訳?」
大きな鋏を椅子替わりに体を預け、エウレカにリルフィンが問う。
「あの人がやろうとしてるのは、壊して創り直すこと。この魔王様がやろうとしてるのは、世界はそのままに人々の心を変えようとしてる。平等で、幸せな世界を創ろうって。できるわけないって、私も思うよ。でも、さ」
「できるなら、そっちの方が良いよね。特にエウレカみたいな優しい子は世界の敵になるなんて向いてない」
親友の言葉の続きを、自信満々で紡いでいく。胸を張り、眩しい笑顔を見せるその姿はリルフィンの容姿に良く似合うものだった。
「……だから私は、逃げたい。この魔王様の目指す世界を、私も一緒に創りたい」
「分かった。エウレカがそうするなら私もそうするよ! セレスティアのことは怖いけど、エウレカと一緒に居たいか――」
リルフィンの言葉を遮るように、乾いた破裂音が一発、響いた。同時に、一輪の鮮血の花が暗い廊下に咲く。
「……リルフィンちゃん?」
血だまりを造るほどの血を頭から流し倒れる少女の名を呼ぶも、帰ってくる声は無い。ほぼ途切れているかのような微かな呼吸だけが、彼女がまだ辛うじて生きていることを証明していた。
「魔力の察知をすり抜ける。純粋な火器も案外悪いものでは無いな」
廊下の奥から聞こえた声の主は、硝煙を漏らす兵器を握りしめた魔力仕掛けの絡繰り人形。
「イチナナ、さん……」
その姿を認めた直後のエウレカの動きは速かった。虫の息の親友を抱きかかえ応急処置を施しながら、リリムを背負ったまま床を蹴る。風の魔力を纏い、軽やかな身のこなしで殺戮兵器を振り切ろうと速度を上げていく。新たな敵を警戒するように、魔力の探知も広げながら。
「裏切り者は始末する。逃がすはずがないだろう」
その宣言と共に、イチナナの頭部に備え付けられた水晶が数度瞬き、怪しい波動を炸裂させる。
「っがぅ」
圧倒的な速度を誇るその波動がエウレカに追いついたその瞬間、彼女の体が何かに引っかかったかのように転がった。
「はぁっ……なんでっ……?」
リリムも、治療途中のリルフィンも投げ出して、受け身も取れずにエウレカは派手に転がった。起き上がろうと床に手を着くも、一切力が入らない。
「伊達に殺戮兵器を名乗っていないのでな、周囲一帯の魔法を禁じた。身動きが取れなくなる程に弱体化するとは、身体能力のほとんどを魔力の強化に依存している魔術師の宿命だな」
動けない彼女の元へ、一歩一歩イチナナは距離を詰めていく。
「名前をくれたのは嬉しかったのだが、こんな形で別れになるとは残念だ」
転がる彼女に、イチナナは無慈悲に銃口を突きつける。後頭部にひんやりとした金属の硬さを感じながら、エウレカは目線だけで彼を睨みつけていた。まだその視線は諦めておらず、何かしらの硬い決意は宿ったまま。
「何故この状況でその目ができるのか、是非私が殺す前に教えてもらえないだろうか?」
引き金に指をかけ、イチナナは問う。
「……私にツキが回ってきているからです!」
勝ち誇ったような笑顔と共に、大きな声でそう宣言する。直後、イチナナの背後で壁が砕ける大きな音が鳴り響いた。吹き飛ぶ瓦礫と共に現れたのは、戦場に似合わぬ白衣を纏う一人の錬金術師。
「リリムちゃんの魔力を感じて楽しそうだと来てみれば元同僚が……どういう状況かな?」
「説明は後でお願いします、メルディラールさん! 私達もこの人と一緒に戦いたい!」
彼の魔力を感じていたエウレカとは違い、完全に予想外の乱入者に、イチナナの動きは止まった。その一瞬の隙に、メルディラールの錬金術が弾ける。床が波打ちイチナナの動きを縛ると共にエウレカ達を自身のすぐ傍に運ぶ。
「エウレカちゃんを信じるかどうかは後で考えるとしよう。それよりも是非君とは手合わせしたいと思っていてね。お手柔らかに頼むよ」
生命の錬金術師はそう告げ、妖しい笑顔を浮かべていた。




