九十話 敵陣突入
とある姉弟の命の奪い合いが繰り広げられた、東の古びた時計塔。とある魔竜が無慈悲なる蹂躙を見せた、西の小さな教会。その二点を地図上で結んだ直線の、ちょうど真ん中。ドラテア王国、王都クラクオンの中央に、荘厳に構えた石造りの王城がある。
「まったく……失礼な連中だとは思わないかい? こんなにひ弱そうな学者を寄ってたかって襲うなんて」
それを守るように作られた城壁――を更に強固にするように展開された結界の外に、そんな声を漏らす者が、一人。
「……お前が座っているそれが無ければ、多少は同意したかもしれないな」
言葉の主を見上げながら、アルは先の言葉を告げた白衣の錬金術師に――メルディラールという男に対して意見する。
「あぁ……これかい?」
彼が座っていたのは、鎧を纏った無数の人竜族が折り重なり形成された、山の上。その数は軽く百を超えているように見える。
「襲ってきたから返り討ち……正当防衛という奴だと思うのだが」
「俺達の中で先陣を切って、嬉々として戦い始めただろう? その言い訳は少々苦しいと思える」
アルとメルディラール、そこにアガレスとフリートを合わせた四人は、メレフの立てた計画通りに王城前で待機していた――未だに強く輝く結界が消失するのを。
「数は多かったですが、大した輩ではありませんでしたな……」
そう告げながら、アガレスは、自身の大剣に着いた血を丁寧に拭き取っていた。その命の主は既に事切れ、彼の足元に転がっている。
王城という本拠地の防衛を敵が怠っているはずなどなく、当然そこには人竜族の兵士たちが配備されていた。しかし、それらは無慈悲に、かつ一方的に、実力者四人に蹂躙されていた。
「……もう一度だけ聞くぞ? お前らの大将について、知ってることを洗いざらい吐け」
息抜きの談笑といった雰囲気の三人から少し離れた場所で、真っ黒に焦げた大地の中で立つ魔竜が一人。伸ばした右手の先に掴むは、溶けた鎧を身に纏う若い兵士の首。四肢は黒く焼け焦げ、既に原型は留めていない。
「……知らない、知ら……ないっ」
「知らないはずが無いよな? お前らはそいつが造った存在だろ?」
「っ……なぜ、それを」
彼の反応は、フリートの問いを肯定するものだった。その瞬間、一体の空気が燃え上がる。
「もう聞きたいことは無い。じゃあな」
その言葉と共に、フリートの腕が兵士の体を軽く放り投げた。一瞬の浮遊感の後、重力が彼の体を真下に引き寄せる。その先に突き出されていたのは、煌々と燃え盛る炎を纏った竜の爪。それは誰にも名を知られなかった一人の兵士の胸を、まるで紙切れに研がれた刃を通したかのように貫いた。
「焔葬」
そのまま、フリートは小さく魔力を解放した。刹那、彼の爪を起点に、紅蓮の火柱が吹き上がる。太く、熱く燃え盛る高濃度の魔力の塊は、解き放った主であるフリートさえも飲み込み、彼の周囲数メートルの領域を瞬く間に燃やし尽くしていた。
「派手にやりますなぁ……あれが、魔竜の力ですか」
「……同感だ。魔力に鳥肌が立つ感覚は初めてだな」
暗闇を穿ち、闇を照らし出す極太の火柱を見上げながら、アルとアガレスの二人はは静かに呟いた。彼の魔竜の炸裂した魔力は、範囲こそ大した広さではなかったものの、威力が桁違いと称する他無かった。もしあの炎に巻き込まれようものなら、瞬きする間もなく焦がされ、文字通り消し炭と化してしまうだろう。
「随分派手でイカれているというのには同意するが……アルはともかく、アガレス卿とメレフちゃんは闘技大会で一度手合わせしているだろう? 何なら勝利さえしていたはずだし、そんなに驚くものかな。それともやはり、貴方もあの時は全力ではなかったと思うかい?」
相も変わらず無数の骸の山に座したまま、アガレスの呟きにメルディラールが問う。
「正にその通りですな。彼女は確かに本気で闘いを演じて下さいましたが、それはあくまでメレフ・アペレースという者としての本気でした。魔竜としての力は見せてもらっておりませぬ故……」
「なるほど、やはりか」
あっさりとした言葉を返し、メルディラールは彼らから視線を外す。その目線の先は、少しずつ勢いを落としていく火柱。
「彼女の性格的に魔竜の力は出さなかったと言うよりは出せなかったというべきだろうね。あの子は力を認めている相手には手加減などをしないことが敬意だと言うだろうし……だとすれば一体どうして――」
いや、その視線の先には何も写っていないかもしれない。ただ自分の中に浮かんだ疑問と仮説を、誰に聞かせるでもなく呪文のように呟き続ける。抑えきれない学者としての探求心に突き動かされていた。
「……何を一人でぶつぶつ喋ってんだ?」
その言葉と共に、烈焔の中からフリートが姿を現した。当然のことだが、その手には何も握られていない。
「おや、終わったのかい? 私はただ君たちの力に何かしらの制限がかかっているのだろうなと考察をしていたのだよ」
「……あぁ、力の制限は確かにあるぞ。魔竜としての執行対象――まぁ簡単に言えば世界の敵となる相手だと俺達が判断した相手にしかこの力は出せない。余りにもオーバースペックだし、迂闊に使ってると世界を滅ぼしかねないんだ」
疲労ではなく、どこかやるせない思いを感じさせる溜息と共に、簡潔に彼の疑問を解消する。
「とは言えその基準は俺達の主観だ。世界に危険をもたらしかねないと自分を納得させられたらいつでも出せるんだけどな」
そんな情報をオマケとばかりに追加して。
「火葬にしては随分派手だったね。魔力が怒っているように見えたが私の気のせいかな」
一度、メレフという魔竜の、怒りを含んだ圧をその身で感じていたからだろうか。趣味の悪い椅子から飛び降り、目線を他の三人と合わせながらメルディラールは問う。
「そうだな。それについて少し話すことがある」
少しだけ真面目な声色で、フリートが話を切り出す。それと共に彼の手から差し出されたのは眩しく光り輝く小さな宝玉。そこに宿っていたのは全ての闇を祓うかのような神聖な魔力。光という概念がそのまま物体になったかのようだった。
「簡潔に言おう。まず俺達が殲滅した人竜族の兵士は全て、創られた命だ。輪廻の元に生まれた命じゃない」
「……馬鹿を言わないでくれるかな」
メルディラールがフリートの言葉を、強い語気で否定する。命を創るという行為について、生命の錬金術たる彼はその特異性を良く知っていた。
「私達が相手した兵の数は、容易に千を超えていた。命を創るという行為には相応の代償を伴う……例えば、恐らく創られた命として最も有名であろうディアナちゃんは、アンジュちゃんが自分の魔法と精霊術の才能を代償として完成させたものだ。だというのにこの数の命が創られただって? 敵に規格外の存在が居る話はしたが、そんなことができる存在なんて、君たち魔竜のような神話の存在でしか――」
珍しく感情を露わにし、早口で捲し立てていた彼の言葉は、そこで止まった。フリートが告げようとした事実を悟ったかのように。
「敵にも魔竜が居ると、そう言いたいのか?」
口を噤んでしまった彼の代わりにアルが言葉の続きを紡ぐ。彼自身もまた、有り得ないと言いたげな表情を浮かべて。
「あぁ。さっきの宝玉はあいつの――光の魔竜、セレスティア・クローリーの魔力が込められた疑似的な命だ。それを代償にすることで命を創りだす。あいつの十八番だ」
「ただ魔力を込めるだけで命の素材になってしまうと……凄まじい」
アガレスも、感嘆の声をあげていた。同時に、彼の中にある戦闘狂の血が騒ぐのか僅かな笑みをその顔に貼り付けて。
「……世界を守るための魔竜が、世界を滅ぼしかねない作戦に加担しているって訳だ。理由は俺にも分からない。あいつは俺達の中でも特に世界のために生きてきた奴だしな」
「世界のために、か。文献などから見るにそれを疑うつもりはない。厄災討滅を含む世界の危機に対しては、セレスティアという名は必ずと言っても良いほど残っていた覚えがある」
アルが相槌を打ちながら彼の情報を肯定する。終始明るいとは言えない表情を浮かべたままだったフリートが自身の頬を数度叩き、いつもの爽やかな笑みを見せる。
「ひとまず、セレスティアとの戦いがこの先には待っているってことだ。アンタ達は逃げの判断とかは言わなくても平気だろうし……まぁ気を少しだけ引き締めてくれ。アイツは魔竜の中でも強い。言いたかったのはそれだけだ」
彼の発言に、三人は静かに頷いた。大公錬金術師二人に、幾度の戦場を越えた老兵、一柱の魔竜――彼らの相手としては申し分ないと言えるだろう。
フリートの告げたいことの全てが終わるのを待っていたかのように、大きな音を立てて城を守る結界が砕け散った。城門が大きく口を開け、彼らを迎え入れる。
「行くぞ。俺達の勝利条件は敵の撃滅とリリムちゃんの救出だ。行くぞ」
炎の魔竜を先頭に、四人は敵の本城へと足を踏み入れる。中に満ちていたのは、背筋を撫でるような気味の悪い魔力。
「……理由次第では許さねえぞ、母さん。ぶん殴ってでも正気を取り戻させてやる」
ぽつりと呟かれた、フリートの小さな言葉。誰かに聞かせるのではなく、ただ自分に決心させるように、言い聞かせる。
ドラテア王国・厄災騒乱――後にそう呼ばれるようになる、長い一夜の決戦が幕を開けた。




