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魔王が運ぶはフェアリーレン  作者: 和水ゆわら
二章 竜人の国 ドラテア
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八十六話 遅れて来た狼

「速く、もっと速く……!」


 美しく輝く月を反射する、広い広い大海原。その水面を凍てつかせながら、漆黒の毛並みを持つ一匹の巨狼が駆けていた。


「リリム様、約束が違うではありませんか……!」


 巨狼の胸の内に満ちていたのは、主への心配と、それを失ってしまうことへの恐怖。彼女はこの世の誰よりも強く、同時に薄氷よりも脆い。それをキアレは知っている。故に、ただ彼女は一心不乱に駆けていた――傍に、小さな青い鳥を連れて。


「狼よ、止まりなさい」


 大洋の中、彼女の耳に聞こえた声。進行方向の先の空に、浮かぶ影があった。その数、およそ三十。その全てが重厚な鎧を身につけ、キアレへの敵意を見せる人竜族(ドラゴノイド)のもの。先頭に立つ騎士だけが兜で顔を隠しており、その鎧の胸部には、どういうわけか風穴が空いていた。


「……止まらなければ?」


 そう問いながら、彼女は足を止めない。一歩一歩、闇に染まった海を凍らせて走り続ける。


「残念ながら、貴女を殺すことになってしまいます」

「そうですか、遺言はそれで十分でしょうか?」


 刹那、巨狼が大きく跳んだ。空中でその姿を、麗しきメイドのものへと変える。手に構えるは、漆黒の大剣――ではなく、彼女が最も得意とする獲物。長い銃身を持つ、彼女の高い背丈を超える大きさを誇る魔銃。彼女の肉体が跳躍の頂に達したと同時に、狙撃型魔銃(スナイパーライフル)の引き金が引かれた。


発射(ファイア)


 激しい衝撃を伴って、キアレの握る兵器から放たれたのは、一発の魔力弾。ただそれは一発の()()というよりは、()()――いや、もはや凍結という事象そのものが放たれていると言っても過言ではなかった。


「……総員、かいーー」


 騎士達がその脅威を認識した頃には、もう遅かった。彼らが動くよりも先に、彼女の力が空間そのものを白銀の世界に閉ざしていく。ものの数秒で、三十の竜騎士は一方的に、物言わぬ氷像へと変わってしまっていた。


「いけませんね、まだ少し魔力を御しきれていない……」


 反動で後方に吹き飛びかけた体を空に造った氷で支え、銃身についた結晶を払いながら、彼女はそう呟いた。長い銃身が折りたたまれた黒鉄の兵器を背負うと、氷の大地へと舞い降りる。


「まぁ良いです、今は」


 分厚い氷を踏み砕く程の力を込めて、キアレは再び駆け出した。速度を上げ、姿を狼に変えると同時に、彼女の背後で氷像が粉々に砕け散る。月の光を反射してキラキラと輝く命だったものの結晶が闇に舞い、何処か幻想的な雰囲気を作り出す――尤も、その光景を作り出した存在は、それに一瞥もくれないのだが。


 キアレがドラテアにたどり着くのには、そう時間はかからなかった。元々人狼族(ウェアウルフ)という、身体能力が高い種族であることに加えて、彼女の生まれ持った魔力は強大なもの。そこに更にダメ押しするかのように、主より賜った、覚醒した自身の力……彼女はこの世界において、指折りの速度をその体に有していた。


「……静かすぎる」


 すっかりと眠りについた街を歩きながら、一人静かにキアレは呟いた。


「同感だ。不自然としか思えない」


 乾いた足音と共に、彼女の独り言に返答する者がいた。鍛え上げられた長身に深緑の衣を身に纏った、銀髪の男。左耳につけられた六芒星の耳飾りは、その実力を示していた。


「……動くな」


 薔薇の意匠が刻まれた、漆黒の大剣を握り締め、彼を睨みつけながら威嚇するように冷たい声で、そう告げる。


「落ち着け」


 相手は足を止めることなく、キアレの元へと歩み寄ろうとしてくる。


「動くな!」


 彼女が拒絶するかのように叫ぶと同時に、街一帯が凍りつく。その時には既に、キアレの姿はアルの眼前まで迫っていた。全身の体重を乗せ、漆黒の大剣を振り下ろす。


「そう逸るな」


 その凶刃を、彼は右腕で――錬金術で造ったのか、機械的な金属を纏った大きな腕で、受け止めていた。


「主人が消え、不審な状況の街での無傷の存在との遭遇。疑うのは分かるが一旦落ち着け」

「落ち着いて、など……!」


 大剣に込められた力を更に強めながら、キアレが言う。その声は、不安に満ちていた。


「本気でリリムを救いたいのなら、落ち着けと言っているんだ。救えるものも救えなくなるだろう」

「……リリム様を、ご存知なんですね」


 キアレの、大剣を握る手の力が抜けた。そのままその刃を虚空に収め、深々と腰を曲げる。


「失礼いたしました。少々気が動転しておりまして」

「構わない。お前の状況を察するに、無理もないとしか言えん」


 殺意の満ちた攻撃を仕掛けられたと言うのにアルは言葉の通りに気にしていないようだった。


「俺はアル・プライマル。錬金大国(アルケミア)の国王で、リリムの友人だ。たまたま彼女の魔力が途切れたのを察知したが故に、この国に来た。信用するには情報が不十分かもしれないが、信用してもらえると嬉しい」


 右の頬に人差し指を当て、キアレは何かを考えているようだった。


「もしも信用できない、敵だと判断するのなら、お前の手に持ったその剣で俺を斬ると良い。お前の判断だ、誰も文句は言わないだろう」

「……いえ、アル様が噓をついていないのはなんとなくですが分かりました。リリム様を気に掛けて下さって、感謝致します」


 腕を組み、アルは頷いていた。


「名前を聞いても良いか? リリムの忠臣」

「……失礼、名乗りが遅れてしまいました。私はキアレ・ウルフェリル。旧エガリテ国王アンプル様の懐刀にして、リリム=ロワ=エガリテ様の忠犬にございます」


 丁寧な所作で、お辞儀を一礼。最強の魔王の忠犬という自称に恥じぬ、完璧な動作だった。それを見届け、アルが街を歩き出す。キアレはその隣を共に歩んでいた。


「お前が、アンプルの言っていた狼か」


 足を止めずに、アルが小さく呟いた。独り言とも、キアレに対して尋ねているともとれる声で。


「アンプル様のご友人でしょうか……?」

「……ああ、昔同じ学舎で学びを修めた仲だ……それでだが、九尾隊(ナインテイルズ)出身なのは本当か?」


 アルからの問いに、キアレの動きが止まった。困惑と驚愕の入り混じった表情を、彼女は浮かべていた。


「北の国で行なわれていた、古代の獣の力を宿した兵を造る――九尾の落とし子計画、そう呼ばれた計画の末に生み出された九人の兵士によって結成された特殊部隊、それが九尾隊。俺の知っている情報だとこれだが、間違いがあるなら――」


 そこで彼は言葉を止めた。目の前のメイドが、視線を伏せていたことに気が付いたのだ。


「……あまり聞いていい内容ではなかったようだな。無神経すぎた。すまない」

「いえ……ただあまりいい思い出ではない、と言うだけです。先の質問にお答えすると、確かに私は九尾隊出身の……元隊長でした」

「嫌なら答えなくても構わないが、そんな立場のお前が何故彼の懐刀になったのか、聞いても?」

「作戦の一環でエガリテを滅ぼそうとした時に、リリム様に負けた上に絆されてしまった……単純ですよ。軍人としては失格です」


 彼女は控えめな所作で笑顔を零していた。まるでそうされて良かったと、安堵しているかのように。


「だが人としては堕ちずに済んだかもしれないな……他の八人は今何を?」

「他の者もアンプル様とリリム様に負けた後、九尾隊から脱退したはずです……確かに今、何をしてるんですかね……」


 アルの問いにどこか寂し気な声でキアレは答えた。


「……行くか」

「そうですね」


 少し気まずくなった雰囲気を壊すためか、それとも聞きたいことが全て聞き終わったからか――アルの性格的に雰囲気を気にするとは思えないが――彼はそう告げ、歩き出した。


「どこか宛があるのですか?」

「俺たちと同じように、この眠った街の中で目覚めている存在が数名いるようでな。ひとまずはそこに向かおうと思っているが……異論は?」

「……そこが私たちと目的を共にしているという保証があるのなら、特にありませんが」

「そこに関しては問題ない。昼の間にリリムと行動を共にしていた者たちが集まっているようだからな」


 キアレの疑念を払うように、アルは答えた。


「その中には、俺の後輩もいる……信用できる男かは些か微妙と評価せざるを得ないが、あいつはリリムを面白い子だと言っていた。故に、こちら陣営であることは信頼できるだろう」

「……場所は?」


 一刻も早く向かおうとでも言わんばかりに、キアレはその姿を巨狼に変えていた。太い尻尾をゆらゆらと動かし、自身の背を指し示す。目の前の男に、何かを伝えるように。


「乗れと言っているのか?」

「はい。歩きで向かうより速いでしょうから」

「……話せるなら最初から口で言えばいいものを」


 苦笑交じりに、アルはキアレの背に飛び乗った。


「良い毛並みだな。よく手入れされている」

「リリム様が、『私の忠臣だって言うなら身だしなみも大事だからね』などと口を酸っぱくして仰るものですから」


 他愛もないそんな会話を交わして、キアレは夜の街を駆けだした。確かに彼女の言う通り、歩くよりもはるかに早く、彼女らは目的地――港で一番大きな建物の前にたどり着いていた。


「……ようやく来たか」


 その建物の前で、彼女たちを待っていたかのようにそう呟く少女が居た。


「……貴女は?」

「自己紹介は後だ。お前ら二人共、リリムの味方だと思っていいのだな?」


 彼女が腕を組み、二人に尋ねる。


「はい、もち――」

「何を以って味方と定義するかによるが?」


 キアレの即答を遮るように、アルがそう発言した。本当に味方かを、彼も疑っているのだ。


「単純だ。リリムを救いたいか、そうじゃないか。その二択でしかない」

「ふむ、その二択なら俺たちはお前の仲間だと言っていいだろう」


 軽く鼻を鳴らし、少女が酒場の扉を押し開ける。どうやら、お眼鏡にかなったらしい。夜明けの決戦が、刻一刻と迫っていた。

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