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魔王が運ぶはフェアリーレン  作者: 和水ゆわら
二章 竜人の国 ドラテア
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八十一話 古の詩

「お嬢様をありがとうございますっ……」

「いえいえ、このくらいなんて事ありませんから。それでは」


 気を失ったジュエリアを彼女の泊まる宿に送り届けて、リリムは一人、街を歩いていた。月明かりに照らされた人通りの無い大通りは、彼女の心に若干の寂しさを連れてくる。


「……早く帰ろう。もしかしたら心配かけてるかもしれないし」


 寂しさを誤魔化すように鼻歌を歌いつつ、彼女は少しだけ足の動きを速めた。音の無い眠った街に、彼女の軽い足音だけが響いていく。


 少し、時間が経ったときのこと。皆の元に戻るまで止まるつもりの無かった彼女の足を止めたのは、透き通るような可憐な歌声だった。通りから少し外れた、小さな公園からそれは聞こえてくる。


「綺麗、だけど……寂しそうな声」


 誘われるように、導かれるように、リリムは自然と声の元へ歩き出していた。何故かと問われれば、彼女は答えられないだろう。強いて言えば、興味と若干のお節介か。公園に足を踏み入れたとき、その歌声の主がリリムの視界に映った。


『――舞い奏でるは 別れの歌』


 幼い少女が、そこに居た。


『愛別離苦を見下ろして』


 地面につきそうな程に長い黒髪を持つリリムの友人が、軽やかに何かの舞踏を演じていた。


『親愛なる人よ 私は進む』


 小さな体が創り出す舞は、余りにも可憐で、リリムが思わず目を奪われるほどに美しい。ただ、その歌声や表情は、切なさを多大に含んでいるように思えた。


『さらば 私の愛する人よ』


 その一節と共に、彼女の舞は締め括られる。それと同時に、大きなため息がその口から漏れていた。


「……覗き見とは感心せんな、リリム」


 公園の入り口に立っていたリリムに、腕を組んだメレフが一言。


「確かに、返す言葉も無いわね」


 わざとらしく肩をすくめ、メレフの元へと歩み寄る。


「踊り、上手ね」


 近くのベンチに座り、リリムは言った。当たり前だろう、とでも言わんばかりに得意げな顔をしながら、その隣にメレフが座る。その顔を、リリムはじっと見つめていた。優しく、温かい目で。


「……余の顔に、何かついておるか?」

「いや……だけど、とても寂しそうだったから」


 一瞬焦るような顔をして、直後にメレフは小さく呟いた。


「寂しそう、か……」


 彼女に似つかわしく無い弱々しい笑みを浮かべて、リリムの顔を見上げていた。


「なぁ、リリム」


 声に、覇気がなかった。


「なぁに、メレフ」


 優しい声で、リリムが答える。きっと、何か話したいことがあるのだ。それならちゃんと聞いてあげよう、と。


「少し、昔話を聞いてくれ。まだ余が、人間だった頃の話を」


 もちろん、と言うようにリリムは微笑んだ。そんな彼女に軽く頭を下げると、メレフは星空に手を伸ばし、記憶を少しずつ掘り出すように、彼女は話し始めた。


「余には、たった一人だけ家族が居たのだ」

「……一人?」

「余が物心ついた頃には、両親はもう居なくてな。姉上だけが、余の家族だったのだ。名前を誰かから貰える程良い身分では無かったが……小さな村で、余と姉上は静かに暮らしておった」


 そこで一旦言葉を止めて、メレフが小さく、空に魔法陣をさらさらと描き出す。巨大で複雑なそれは、見る者が見れば不安を掻き立てるような、不気味な魔力で創られていた。


「……知らないわね、この魔法」

「対象の欲望を、力として顕現させる術式……既に、失われた術式だ」


 メレフは心底不快そうに、リリムの疑問に答えていた。どうやらこの魔法に対し、彼女は相当な怒りを抱いているようだ。


「ある日、村に『魔法を研究している者』を名乗る女がやって来たのだ。そして村長に一つの取引を求めた」

「……それは?」

「貧しかった村に対して、資金の援助をする代わりに、魔術の素養がある子供を差し出せ、とな」


 無意識のうちに、リリムは拳を握りしめていた。彼女にとって、気持ちの良い話ではなかったから。


「最初は、村長の娘が行くはずだったのだ。当時、素養があったのは彼女と余、姉上だけだったし。ところが、行きたくない、と言い出してな。まぁ当然だな……」

「それで、メレフのお姉さんが……?」


 リリムの問いに、深くメレフは頷いた。


「正確には、余と姉上だな。女の目的は、端的に言えば先の術式の実験台だ。それなら多い方が良いと、二人まとめて異国送りと言うわけだ」


 そこまで話して、彼女は一旦言葉を止め、深く息を吸った。辛い記憶なのだろう。


「……最初に術式を刻まれたのは、姉上だった――いや、姉上にしか術式は刻まれなかった、だな」


 覚悟を決めたように、はっきりとメレフが再び言葉を続ける。リリムには静かに聴くことしかできなかった。


「姉上が引き出された欲望は、『食欲』だった。渇望にも近いそれは……それはっ……姉上を、余の目の前で……!」


 小さな手で自身の胸を抑え、メレフは悲痛な声を上げていた。リリムはそんな彼女の背にそっと触れ、目をじっと見つめていた。


「ゆっくりで良いから。落ち着いて、少しずつ」


 彼女の昂った感情を抑えるように、声をかける。澄んだ声で、優しく……ただひたすらに、優しく。


「……姉上は、怪物になっていた。研究所と、そこに居た命を全て喰らい尽くして、どこかへ消えてしまった。ただ一人、余だけを残して」


 メレフが再び話し始めた声は、先程までとは一転、悲しげではあるものの、落ち着いていた。


「茫然自失、というものをその時初めて経験してな。どのくらいだったかは分からないが、余は更地で一人、気力なく座り込んでいたのだ」


 目の前で唯一の家族が怪物にされ、その上で全てを壊し、失踪した……彼女のように、何もできなくなるのは不自然なことではなかった。それを理解しているが故に、リリムは敢えて励ますこともせず、ただ彼女の手を握っていた。


「転機は、ある晴れた日だった。何日も飲まず食わずで、余はおそらく、限界だったのだろうな。その日はひどく意識が朦朧としていてな。そんな余の前に、一人の騎士の女が現れたのだ」


 メレフが、自身の手を握る、細くしなやかな指に目を落とす――正確には、その指に嵌められた空色の指輪に対して。


「セレスティア・クローリー。竜だ、とその騎士は余に名乗った。幻覚だと思ったさ。そやつは余の肩に手を置き、言ったのだ……姉を、止める気はないかと」


 ふぅ、と、メレフはこの会話で何度目になるか分からない深いため息を吐いた。


「セレスティアが言うにはな、姉上はその頃にはもう、全てを喰らう厄災に……暴食の厄災(ベルゼブブ)と呼ばれるようになっていたらしいのだ。そして、余にはそれを止める力がある、ともな」


 相も変わらず、リリムは静かに話を聞いていた。メレフは、自身の反応などは求めていない。ただ聞いて欲しいだけだから、と。口から出かけた言葉を飲み込んで、聞き手に徹していた。


「たとえ幻覚だとしても姉上を止められるのなら、そう思って余は彼女の言葉に頷いた……あとは、おそらくお前の知る通りさ」

「……闇の魔竜 暴食の厄災を退け わたりに救世主と崇められき」


 七大魔竜の伝承の、一節。何も知らぬ者からすれば、厄災を打ち倒した英雄。ただ、その実は大切な姉を討たねばならなかった、哀しき少女。


「すまぬな、こんな退屈な話をして」

「……構わないよ、大丈夫」


 それ以上、リリムは言葉を見つけられなかった。何を言っても、それはメレフが求めているものでは無いと思えて。


「り、りむ……?」


 代わりにと、優しく抱きしめることにした。


「……辛いなら、泣いても良いんだよ」


 これが、正しいのかはリリムには分からない。それでも、きっとこうすべきだろうと思っていた。


「……リリム、余は」


 言葉の途中で、メレフが声を詰まらせた。リリムの腕の中で小さな体を震わせ、丸く綺麗な瞳から、大粒の涙をボロボロと流し初める。


「なぁに、メレフ」


 それをしっかりと受け止めながら、続きを促す。リリムが言葉を引き出すのでは無く、メレフの真意を、待っていた。


「余は、寂しい……! リリムやトニアのような友が、フリートや他の魔竜のように、家族に近しい存在が居ても、姉上が、足りんのだ……」


 まるで幼い妹をあやすように、優しく背中をさすりつつ、その声に耳を傾ける。


「姉上は、余がこの手で封印したのだ……()()()()()()のだ……生きているからこそ、余計に苦しい……!」


 大切な者が死んでしまう、それはもちろん悲しいこと。ただ、それと同等かそれ以上に『二度と会えない』ということは心を抉る。


「折り入って、頼みがあるっ……」


 潤んだ瞳でリリムを見上げ、しっかりとした声で、メレフが言った。


「投げやりで、無責任な願いなのは分かっている、が……」

「良いよ、言ってみて」


 言葉を詰まらせていた彼女の背中を、軽く押してあげる。自分の意思を、押し殺そうとしているのがリリムには見えたから。


「いくら時間をかけても良い。余の姉上を、救って欲しい……余は、姉上の笑顔がもう一度見たい……! できぬ、だろうか。最強の魔王なら……」


 どうすれば厄災に堕ちた彼女の姉を救えるのか……そもそもの話、救うことなどできるのだろうか。疑問は尽きない。ただ、()()()()()()だが、そんなことはリリムの意思決定に何の影響も及ぼさない。


「任せなさい。もう一度、貴女達が笑えるようにする、約束するわ」


 大切な友人が泣いている。それだけで、十分だった。


「感謝、する……ありがとう……!」


 安心したような穏やかな笑みを浮かべて、溢れ出すほどの感謝をリリムに告げていた。そんな彼女を、リリムは優しく包み込む。とこしえの時を生きる彼女にとって必要であろう、支えのように。

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