七十八話 友達
「……随分と人数が増えたものね」
柔らかなソファに腰掛けながら、リリムはそんなことを呟いていた。その視線の先には、妹が一人、魔竜が二人、鬼人族が一人、錬金術師が二人に、精霊術師とその精霊が一人ずつ。綺麗に整理された広い部屋で、彼女の仲間が思い思いにくつろいでいた。
「みんな、気に入ってくれたみたいでなによりだよ」
扉の開く音とともに、その部屋に聞こえてきたのは、ここを提供してくれた若い人狼族の青年、ガルムだった。
「急に頼んだのに、悪いわね」
「構わないよ、空き部屋だらけだし。個室ももう少しで準備ができるから、待っててくれよ」
彼に一度頭を下げ、リリムは静かに窓の傍に寄り、外を眺める。視界の端に、部屋の隅で何やら話しているギムレットとメレフを捕らえつつ、たくさんの人が行き交うドラテアの港町を、ただぼんやりと。
「……外、行ってくるかい?」
「良いの……?」
振り返り、目を輝かせるリリムを見て、ガルムは思わず笑みを零す。
「そもそも、別に俺の許可は要らないだろ? 好きに過ごしておいでよ」
「……分かったわ!」
満面の笑みを浮かべて、リリムは軽やかな足取りで部屋を飛び出した。その顔は、『魔王 リリム=ロワ=エガリテ』では無く、一人の『リリム』という十六歳の少女のものだった。
……というわけで、リリムは今、束の間の休息を楽しんでいた。人でごった返す、広い路地を、ただ一人歩いて行く。
「……やっぱり好きだな。活気のある街」
小さく笑みを零しながら、リリムはそんなことを呟いていた。もう戻れない、記憶の中に残る自分の国に、少しだけ想いを馳せつつ、特にあてもなく歩いて行く。人混みに揉まれる感覚も、耳に届くたくさんの声や足音も、彼女の心を揺らしていた。
「昨日は雨だったのかしら」
街中に植えられた木や、道端のベンチの上には、雫が乗っている。それが、沈みだした日の光を反射して、キラキラと光っていた。
「押さないで、押さないで! 宝石は逃げて行ったりしませんから!」
ふと、そんな声が彼女の耳に飛び込んできた。声の主に目を向けると、自分と変わらない年頃――に見える少女が、何やら露店を開き、客を捌いているようだった。その様子は余りにも手馴れており、職人と称するのが正しいかもしれない。
「宝石、か」
彼女が売っているらしい商品は、少しだけリリムの興味をそそった。その露店に向かってずらっと並ぶ長蛇の列に、足を運ぶ。一つくらい、お土産にいいだろうと彼女は考えていた。
読みかけの小説を開き、静かに頁をめくりながら、彼女は列が進むのを待った。彼女の番が回ってきたのは、ちょうどその小説が読み終わったころのことだった。それを虚空にしまって、少女へと向き直る。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ、本日はどんな宝石……」
流れるように商売を始めようとして、少女の動きが止まった。その瑠璃色の瞳は、リリムの首元の宝石を見つめ、動かない。まるで石にでもなってしまったかのように、ほんの少しも。
「えぇっと、どうかしました……?」
そんな反応をされては、リリムのような者は当然心配するというもの。彼女の顔を覗き込んだり、視線の先に手を振ってみたり……色々な行動をとってみていた。それでも、彼女は微動だにしない。
「……はっ」
彼女が反応を取り戻したのは、時間にして二分程が経過した頃だった。
「……どう、しました?」
当然、心配そうにリリムが少女に声をかける。
「し、失礼しました! あんまり綺麗な宝石を持っているものでしてつい……!」
キラキラと目を輝かせて、少女は言う。その中に秘められた意志は、単純。
「……も、もっとよく見ます?」
「良いんですか!」
少女はリリムの右手を両手で掴むと同時に、より一層目を輝かせていた。一瞬、彼女の視線がリリムから外れたかと思うと、直ぐに戻ってくる。どうやら、他の客を気にしているようだった――幸い、と言うべきか、列の最後尾は、リリムだった。
「も、もしよろしければ、少しお話しませんこと?」
ふっと、少女の纏う雰囲気が変わった。手慣れた宝石商から、純粋無垢な少女のものへと。彼女がリリムに向けていたのは、興味と尊敬……そして好意。
「良いですよ、ちょうど暇してましたし」
全く躊躇うことなく、リリムはその提案を了承した。彼女に敵意が無かったから……などという理性的な理由ではなく、ただ『この子とは仲良くなれそう』という、感情からの行動だった。
「少々お待ちくださいね!」
リリムにそう告げると、少女は手早く自分の露店を片付ける。カウンターや棚に並べられた宝石を回収し、大きなリュックサックに入れると同時に、露店の屋根にかけられた札を裏返す。『使用中』から、『ご自由にどうぞ』へ。
「この国の、自由商業スペースでのルールなんですの。自由に商売をしていい代わりに、空いたスペースは譲ること」
なるほど、と言葉を返そうとしたリリムの体は、少女に半ば引きずられる形でそこから消える。自分の手を引く彼女の力が、想定よりも遥かに強かったからだった。
「魔力での肉体強化も無しにこの膂力……凄いわね……」
少女の先導に特に逆らうことなく、人ごみの中を走りながら、リリムはそんなことを考えていた。
「……よし、ようやく落ち着けますわ」
――広場のベンチに座り、少女はそう口を開いた。その隣には、微笑みを浮かべるリリムが居る。
「えーっと……名乗っていませんわよね? でしたら名乗らせていただきますわ!」
ぴょんと立ち上がり、少女がリリムへ視線を向ける。その度に、彼女の華やかでありながらも身軽な服装がふわりと揺れる。その揺れは、まるで彼女の内面を映し出しているかのようにも思えた。
「私はジュエリア。ここより遥か南の商人一家、ラピスラズリ家の跡継ぎ。ジュエリア・ラピスラズリと申しますわ。以後お見知りおきを!」
短いスカートの上に羽織ったオーバーサイズのパーカーの裾を掴み、一礼。その所作の一切の淀みなさからも、やはり彼女の身分はそう低いものでは無い。
「……では、こちらも」
リリムも同じように立ち上がり、同じようにコートの裾を掴んで、一礼。このくらいは、礼儀としてしみついている。
「亡国 エガリテ四代目女王にて、新生エガリテ王国の初代国王。リリム=ロワ=エガリテです。よろしくお願いします」
彼女の名乗りに合わせて、自身の名を告げる。誰も知らない、知る理由もない、自分への戒めと、決意を込めて。
「リリム様、ですね! 是非よろしくお願いしますわ!」
リリムの右手をまたしても奪い、上下にぶんぶんと振り回す。リリムの見立て通り、随分と彼女は活気に満ち溢れている。
「エガリテ……って、あのエガリテですわよね?」
その言葉を口にすると同時に、ジュエリアの瞳の色が、変わる。
「あの、とは?」
「共存を掲げた、平和の国。私のイメージは、そんな国ですわ……その……」
今まではきはきと言葉を繋げていた彼女が、急に口ごもる。必死に、言葉を選んでいるように見えた。
「……月並みな言葉しか出せず、申し訳ございませんけれど、その……辛い、ですわよね……」
知っているんだ、とリリムは思った……彼女が今、ジュエリアから向けられている感情を受け取るのは、もう何度目になるか。憐れみと形容されるその感情を向けられる度に、彼女の心のどこかが、チクリと痛む。
「えぇ、とっても……だけど、もう良いんです。過ぎた時に立ち返ることはできない。それなら、もっと素晴らしい時間を創っていけばいいんですから、大丈夫ですよ」
その痛みを隠すように、淡々と、綺麗な言葉を並べて静かに微笑む。噓で取り繕った、完璧な笑顔。それはとても美しく、そして、とても儚い。
「……どこが大丈夫なんですの!」
「……え?」
次の瞬間、リリムは抱き留められていた。自分より少し背の高い、強い肉体に。何が起こっているのか、理解ができずにいた。
「そんな痛そうな顔して……大丈夫なんて、大噓じゃありませんの……!」
「な、何を……言って……」
一瞬、リリムの心が揺らいだ。今まで誰も踏み込めなかった場所に、ジュエリアは全く臆することなく、踏み込んでいたのだ。
「だい……じょうぶ……で……」
そう、思いたかった。
「だったらどうして泣いてるんですの!」
ジュエリアの腕の中で、リリムは一筋、涙を零していた。
「な、んで……」
一度決壊してしまった彼女の涙腺は、とめどなく涙をあふれさせ続けた。ずっと抑えていた痛みが、雫の形となって、リリムに襲い掛かる。
「……私は、リリム様の過去なんて、これっぽっちも知りません」
彼女の瞳から溢れる感情を拭いながら、ジュエリアはぽつりと呟いた。
「だからこそ、その涙を受け止められます。どうぞ気の済むまで、落ち着くまで、たくさん泣くと良いですわ。全て受け入れて立ち上がれ、なんて酷な事は言いません。自分を、大丈夫だと奮い立たせる事が悪だとも」
リリムを抱きしめたまま、彼女は言葉を紡ぎ続ける。
「ただ、辛いときには辛いと、言おうではありませんか。そうでなければ、必要な時に助けてが言えませんことよ」
そう告げるジュエリアの顔もまた、迷っていた。感情のままに言葉をぶつけてしまったが、果たしてこれで良かったのかと。
「……どうして、ここ、まで……私に」
少し、時間をおいての事。涙で言葉を詰まらせながら、リリムは尋ねた。何故、初対面の自分なんかに、ここまでやってくれるのか、と。
「……簡単ですわよ?」
簡単。言っている意味が分からず、リリムはジュエリアの顔を見上げていた。
「友達、ですから!」
「……友達」
その言葉を何度も反復し、嬉しそうに、リリムは笑っていた。もうすっかり日の沈んでしまった空には、いくつかの星が、静かに瞬いていた。




