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魔王が運ぶはフェアリーレン  作者: 和水ゆわら
二章 竜人の国 ドラテア
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七十五話 地下通路にて

 試合を終え、リリムとフリートは闘技場の広い通路を、観客席に向けて歩いていた。フリートに刻まれた無数の傷は、傷つけた本人(リリム)の手によって、既に治療は終わっていた。


「はぁ……一方的にやられすぎて自信無くしちまうな」


 リリムの数歩先を歩きながら、フリートはそうため息を吐いた。とは言え、その顔は悔しがっているのではなく、爽やかな笑みを浮かべているのだが。


「さて、リリムちゃんよ」


 両手を頭の後ろに回し、彼はリリムの方へと向き直り、見下ろす。足は止めず、後ろ向きに歩いたまま。


「その指輪、詳しく見ても良いか?」

「はい、どうぞ……」


 リリムの右手、細い人差し指から空色の指輪が外され、フリートに手渡される。彼は大きな手でつまむように受け取ると、まじまじと、真紅の視線をそれに向けた。そのまま彼は何も言わず、二人の乾いた足音だけが、通路に響いていた。


「あぁ、やっぱりな。懐かしい物、持ってんな……」


 しばらくして、リリムに指輪を投げ返すと共に、フリートがそう言った。


「懐かしい、ですか」


 片手でキャッチしたそれを、元の指に塡めながら、リリムはその続きを促すような視線を、フリートに向けた。先の試合で、『後で話してやる』と言われたから。


「その馬鹿げた剣は、俺の友達が造ったものだな」


 そう言って笑うフリートの目は、どこか懐かしさを秘めていた。


「七大魔竜が一角、光の魔竜セレスティア・クローリー。それがその剣を造った奴の名前だ。そんな奴が作った剣だから、邪を断つ剣らしくてよ、だから俺みたいな魔竜にはあんまり効果が無かったんだな。あいつは頭が良くて、生真面目な女の子でさ。昔はよく、怒られてたっけな」


 そう語る彼の頬は、緩み切っていた。それを見て、リリムはあることを思った。


「その人のこと、とても好きなんですね」

「ははっ分かっちゃうか!」


 リリムの言葉に対して、フリートは豪快に笑って見せた。恥じることなど、一切なく。


「腐れ縁って言うのかな。魔竜の中でも社交的なやつだったから、皆に好かれてたんだよ。最後に会ったのは随分と前だし、今は、世界の覇権も移り変わっちまったから、どこで何やってるのか知らないけどさ……」


 彼の横顔に、僅かに籠った感情。『会いたい』と、その表情は訴えていた。酷く、寂しそうに。


「えっと……」


 リリムには、何も言えなかった。何を言ったら良いのか、その答えを見つけるには、余りにも彼女は若く、未熟だった。故に、彼女がとった行動は――


「……い、いきなりどうした……?」


 フリートの前に出ると、彼を優しく抱きしめていた。身長は大きく差があるので、若干浮かんで。ただ彼が……誰かが、あんな顔をしているのが嫌で、反射的に体が動いていたのだった。


「ありがとよ。優しいな、リリムちゃんは」


 そう呟いた彼の声は、風一つない水面のように、とても穏やかだった。それに静かな笑顔を返し、彼の側から離れる。


「無責任な言葉は嫌いですが……そのうち、きっと会えますよ」

「……そうだな」


 彼の顔が笑っていたのを、澄んだ青色の双眸でしっかり見て、彼女は振り返り、また歩き始めた。最初とは順番が入れ替わり、リリムが前を歩いていく。その後ろを、炎の魔竜は追従していた。


 あと二十秒もあれば、皆の居る観客席に戻ることができる……そんな場所で、リリムは先程まで軽快に動いていた足を止めた……とはいえ、それはマイナスな理由からでは無かった。


「――それにしても、まさか君のような人がこんな所に居るとはね」

「どこに居ようが俺の勝手だろう? むしろメルディラール、お前がこの場所に居る方が意外だが」


 知っている名前が聞こえたからだった。


「ふむ、確かに僕のイメージとはかけ離れた場所だろうね……と、リリムちゃんじゃないか。お疲れ様」


 その声の主――メルディラールが、リリムに視線を向けていた。作り物のような整った顔で、にこりと微笑みながら。


「……何だ、この小さな化け物は」


 小さく呟いたのは、先程メルディラールと話していた人物。鍛え上げられた肉体の上に深緑の皮のジャンパーを羽織った、銀髪の男。背丈はリリムよりも四十センチほど高く、彼女を見下ろすように、視線を向けていた。


「さっき話しただろう、今は面白い子に手を貸すことにしていると。それが彼女だ」


 それだ言うと、メルディラールはリリムに視線を向け、口を閉じた。自己紹介でもやっておけ……とでも言いたいのだろうか。


「……初めまして。リリム=ロワ=エガリテと申します」


 名乗ると同時に、丁寧な所作で一礼。


「……エガリテ?」


 彼女の名前を聞くなり、男の視線がわずかに揺れた。そのまま腕を組み、リリムのことをじっと見つめる。彼の視線の先は、彼女の首にかけられた、深紅の水晶……赫翡翠(ジェイドル)の首飾りだった。


「……なるほど。お前がアンプルの娘か」

「お父様の……お知り合いですか?」


 名前を知らない彼に、リリムは尋ねる。それは、若干の好奇心から。


「あぁ。昔、学術を共に修めた仲だ。彼が王になった後、顔を合わせるたびにお前の話をされたな。彼は元気か?」

「その……お父様は……」


 先程の言葉を投げかけるならば、絶対に想定できていたはずの質問に胸の奥を貫かれたような痛みがして、リリムは思わず顔を伏せた。彼はその様子に、どこか思うところがあったのだろうか。


「……聞いてはいけないことだったか。すまない」


 その言葉と共に長身を腰から折り曲げて、頭を下げていた。


「いえ、大丈夫です」


 そう笑い返すリリムの瞳は、僅かに揺れていた。そこにいた誰にも気づかれない程、僅かに。


「そう言えば、お名前は……」

「あぁ、名乗っていなかったな。俺はアルだ。アル・プライマル。錬金術師だ。よろしく頼む」


 そう言うと、彼は手を差し出した。先程、一瞬ザラついた心を落ち着かせるように深呼吸し、リリムはその手を握る。どこか不思議な雰囲気を、彼女はその手から感じた。


「……そうか」


 リリムの小さな手を握ったまま、アルはぽつりと呟いた。その真意が分からずリリムが言葉を探していると、彼女の小さな体は、アルのがっしりとした肉体に抱き留められていた。


「な、え……?」


 完全に予想の外からの行動に、リリムの思考が止まる。一つ確かなことがあるとすれば、彼女にとってアルの腕の中は、とても暖かかった。


「……なぜ才のある者に限って、ここまでの目に合う必要があると言うのだ」


 リリムを抱きしめたまま零れた、彼の言葉。それはリリムに向けられたものでは無かった。おそらく、はっきりと『何か』に向けられたものでは無いのだろう。少し、怒りが籠っているようでもあった。


「勝手にではあるが、お前の過去を覗いた。悪い」


 リリムには、その言葉だけで彼の真意を伝えるには十分だった――きっと彼は、リリムのことを慰めようとしてくれているのだ。その気持ちが、彼女にとっては何よりも嬉しかった。


「俺は生憎、気の利いた言葉をかけてはやれん。経験が無くてな」


 リリムを腕の中から解放し、言葉通りの慣れない手つきで彼女の頭を撫でながらアルはそう言った。余りにも正直なその言葉に、リリムは思わず笑みを零していた。


「アルさん、とても良い人なんですね」

「良い人、俺がか?」


 リリムの言葉に虚を突かれたのか、ここまで一切表情を変えなかった彼が、初めて困惑を顔に浮かべていた。


「……まあ、そう言われる気分は悪くない」


 少し口角を上げながら、彼はリリムの頭から手を離した。


「アンプルの娘なら、手を貸さなければな。彼の友として」


 もう一度、アルはリリムへ、右手を差しだした。彼女がそれを拒む理由も、意味も無い。当然、リリムはその手を握り返していた。


「何か俺の力が必要になったら呼べ。俺が暇な時なら手を貸す」


 そう言った彼の左耳には、小さな六芒星の飾りが付いていた。星の装飾は、錬金術の象徴。故に、おかしくはない。おかしくは無いのだが……


「六芒星って……」


 錬金術師には爵位がある。それは門外漢のリリムも知っている。そしてその爵位は、分かりやすく六芒星が満ちるかどうかで表されているのだ。見習いなら中心の六角形のみ、そして爵位が上がれば、一つづつ角が増え、星が満ちていく。つまり六芒星が完成しているということは――


「大公の爵位なんですか……?」

「それがどうかしたか?」


 当然、というようにアルはそう答えた。いくつか言いたいことはあるが、リリムは諦めることにした。おそらく、特にやっても意味がないと判断したからだった。


「じゃあな、リリム。また会おう」


 言いたいことは全て言い切ったのか、アルはリリムから視線を外し、通路へと歩き出した。


「あ、アルさん!」


 リリムは思わず、その背中に言葉を投げていた。


「……どうかしたか?」


 それにアルは足を止め、首だけで軽く振り返る。


「その、ありがとうございます!」


 決して長くはなかった会話だが、リリムは限りない感謝を彼に抱いていた。


「そうか」


 手だけを軽く振り、彼はまた歩き始めた。こつんこつんと、ブーツの足音を響かせながら。


「……どうやら気に入られたようだね。良かったよ」


 二人の会話を見守っていたメルディラールが、口を開いた。


「そうですか?」

「あぁ、そうだとも。彼は気に入った相手しか名前で呼んでくれないからね」


 気に入ってもらえた……その事実がとても嬉しくて、リリムの顔がぱぁっと輝く。


「そうそう、彼との繋がりは大切にしておくと良い」


 そう言うと、メルディラールはクククと笑う。最初からそのつもりだが一体何故だろうかと、若干困惑の表情をリリムは浮かべていた。


「なぁに、彼がただ錬金術大国(アルケミア)の王というだけさ」


 それだけ言うと、彼は観客席へと向かった。リリムはというと、突然飛び出た情報を受け入れられず、通路の真ん中で立ち尽くしていた……

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