七十四話 本戦 第二試合
闘技大会のステージに、二人は立っていた。自身の背丈ほどの長槍を構え、フリートは相対する少女を、見つめていた。
『準決勝第二試合! リリム選手とフリート選手はどんな戦いを見せてくれるのか!』
放送が、響く。それに呼応して、観客席から声が鳴る。そんなことを一切意に介することはなく、リリムは静かに、佇んでいた。ぺらりぺらりと、小説のページを捲りながら。その様子は、戦いを間近に控えているとは思えなかった。
『それでは、試合――開始!』
ゴングの音が激しく鳴り響いた時、ようやくリリムは小説を閉じた。彼女がそれを虚空に放り込んだ時、既にフリートは、手を伸ばせば届くほどの距離にまで、肉薄していた。
「唸れ、金輪槍!」
フリートは最初から、全力だった。彼の手に握られた槍は煌々と輝く炎を纏い、周りの空気は、比喩ではなく肺が燃えるほどに熱い。目で追うことなど到底叶わない速度で、フリートは五回、長槍を突き出した。
「流石ね、良い業だわ」
さも当然かのように、リリムはそれを捌き切っていた。一発目から四発目は単純に避け、胸に向けて突き出された最後の一発は、左腕で掴み、止めていた。それで尚、余裕の笑みを浮かべている。その笑みに恐怖を感じ、フリートは数歩飛び退いた。彼女に握られた槍は、一旦虚空に隠して。
僅か十秒にも満たないその攻撃で、フリートは確信した――自分じゃ、この魔王には到底勝てない――と。
「原始の鼓動……完全解放……!」
同時に、彼はリリムに全力をぶつけたいとも、思った。七大魔竜としての、理不尽な力を。彼の肉体が、姿を変える。それは、予選で見せた恐竜の姿では無い。四肢に竜の鱗を持ち、太く長い尻尾が生えた、竜でも人でもある存在が、そこには居た。
「大馬鹿者っ……」
観客席でそう呟いたのは、メレフだった。呆れたような、怒ってもいるような、そんな声だった。
「……何を今更」
聞こえていたのか、フリートはそんな言葉を漏らす。直後、その体が姿を消した。リリムの真後ろに回り込み、魔力を纏った脚で、薙ぎ払う。
「せっかく終わるまで待ってたのに。不意打ちなんて、感心しませんね」
「どうせ効かないだろうがっ……」
彼の言葉の通り、その一蹴は当然のように、リリムが打ちつけた竜の尾とぶつかり合い、威力を消されていた。
「明らかに魔力の総量が先程よりも跳ね上がってますけれど、それが魔竜の本気の姿ってことですか?」
その質問に対する答えの代わりに、もう一度踏み込んだ。一度目と同じく、長槍による突きを、五閃放たんと、大きく飛び込む。先よりも数倍速いその攻撃は――
「っ……」
様子見していたリリムを、『戦闘』に引き込むには十分なものだった。
「導くは天に近き世界!」
曇りなき純白の大剣を手に、薙ぎ払う。それを見て、反射的にフリートは数歩飛び退いた。
「……マジかよ」
その判断は、正しかったと言えるだろう。つい先ほどまで彼が立っていた場所は、直接状に抉られていたのだから。
「……違う」
しかし、その破壊を放った当の本人は、何か納得がいかない様子だった。その違和感を確かめるつもりか、もう一度リリムは神聖剣を振りぬく。
「……危ねぇ……!」
その衝撃を、槍をぶつけて相殺しつつ、フリートは更に大きく飛び退いた。
「魔力が乗らない……」
そんな彼には目もくれず、リリムは一人、ぶつぶつと何かを呟いていた。彼女の言う通り、さっきの二振りには、微塵も彼女の魔力は乗っていない。ただの、質量だけの攻撃になっていたのだった。それに、彼女は違和感を抱いていたのだった。
「……もしかして」
全く見当違いの方向にに、剣を振りぬく。するとその刀身から、純白の魔力が放たれる。これが、通常のはずなのだ。フリートには、これが起こらない。新たに浮かんだ疑問は、それだ。
「……まぁいいわ」
ただ、リリムはそんな疑問にこだわるつもりは一切無かった。武器が使えないのなら、別のものを使うのみ。巨大な剣を霧散させると、彼女は虚空から一本の造花を取り出した。花弁だけでなく、茎や葉まで深紅に染まった、薔薇の花を。
「我が武器と成れ! 武装 着命!」
リリムの手から、魔力が注ぎ込まれる。みるみるうちに、その赤薔薇は、姿を変えた。柄に薔薇の装飾をあしらった、紅一色の剣に。
「……うん、悪くないわ」
ひゅんひゅんと、数度その獲物を振ると、リリムはそう呟いた。その言葉は即ち、いつでも戦える――そんな意味も、乗っていた。
「竜装、展開……!」
リリムが動くよりも先に、フリートが仕掛けた。さっきとは打って変わって、赤黒く焦げた槍をその手に握りしめて。全身の勢いを乗せて突き出されたその一撃と、リリムの刃が交差した。正しいタイミングの攻撃。もし少しでも遅れていれば、リリムが彼に斬りかかっていただろう。
直後巻き起こったのは、ステージ全体を焼き尽くすほどの激しい爆発。その爆炎の中で、二人は猛攻を交わしていた。フリートが仕掛け、リリムが捌く。二人の刃が交差する度に、その爆炎は激しさを増していく。
「くっそ……!」
フリートは、そんな声を上げていた。彼の頬から滴った汗が床に落ちる度に、それは音を立てて霧散する。一度槍を突き出す度に、十の斬撃が返ってくる。理不尽で、残酷なまでの力の差が、そこには存在していた。
「これでも、少しも届かないって言うのか……!」
苛立ったように、フリートはそう呟いた……が、その思考は、一週回って澄み切っていた。どれだけ激しい攻撃を仕掛けようとも、リリムの間合いには入らない。槍と、片手剣のリーチの差を、的確に活かしていた。
「……行きます」
ただしその差が活きていたのは、リリムが攻めなかった場合のみ。次にフリートが槍を突き出した瞬間に、彼女の体勢が、地を這うほどにガクンと下がる。彼の一撃を交わすと共に、その首元に、リリムの手に握られた直剣が振るわれる。
「……ぐっ」
辛うじて躱したフリートの体勢は、当然大きく崩れる。もちろんその一瞬が隙にならないはずもなく、リリムはもう一度、深紅の剣光を閃かせた。
「……咲け!」
竜の尻尾で地面を蹴り、フリートがその斬撃を躱そうとした時、彼の耳にそんな言葉が聞こえていた。当然、言葉の主はリリムしか居ない。直後、彼の視界を、紅が塗りつぶした。
「……吸血鬼の、力……?」
フリートの眼に映っていたのは、一試合前に老兵が見せた、深紅の刃。彼のものを上回る量の、血の刃がステージの至る所から展開されていた。その全てが容赦なく、フリートに向かって襲い掛かる。
「無理だろっ……!」
まだ互角に……攻撃が届いていたかだけを見れば間違いなくそう言える戦いが、一気にリリムに傾く。フリートが完璧にその刃を迎撃しても、圧倒的な数量の斬撃が彼を襲い続ける。リリムは、何もしなかった。ただ、その様子を見ていた。
「……さぁ、どうする?」
自身の造った血の刃の猛攻が終わる時を、静かに待っていた。フリートのことを、試すように。
「はぁっ……く、そ……!」
時間にして、数十秒。その時間の後に、フリートを襲う血の刃が全て、彼の手によって破壊されていた。全身に深い傷を刻まれ、リリムとの圧倒的な力の差を見せられて……それでも尚、彼の瞳には、闘志がまだ宿っていた。
「……勝てねぇ。けど……!」
静かに、フリートが言葉を零す。
「……せめて、一撃だけでも!」
一瞬、フリートの纏う魔力が跳ね上がった。最後の一撃を繰り出そうとしているのだと、リリムは悟った。
「来なさい」
リリムはそれを、真正面から受け止めることにした。それが彼への礼儀であると、そう判断したから。
「行くぞ、魔王!」
最後の、最強の一撃を放たんとする彼の背後に、無数の魔法陣が浮かんだ。その一つ一つから、激しい炎を纏った巨大な槍が顔を覗かせる。
それに対して、リリムは直剣を一本の薔薇に戻すと、それを自身の目の前に浮かべた。それを中心に、一つの黒い魔法陣を創り出す。
「赤き王の槍!」
「深紅の魔弾!」
フリートからは無数の槍が、リリムからは、一発の魔力弾が、それぞれ放たれた。双方の、奇しくも同じ色の攻撃がぶつかり合う。
最初の数秒は、せめぎあっていた。ただそれも、最初の数秒のみ。圧倒的なまでの魔力で、リリムがフリートの攻撃を飲み込んでいく。紅い槍を全て飲み、破壊を纏った深紅の魔弾はフリートの眼前で、止まった。
「……くそ、完敗じゃねぇか!」
そう言い放つと、大の字にフリートは寝転がる。ステージを埋め尽くしていた爆炎は、既に消え、澄み切っていた。
「リリムちゃん強すぎだろ……」
紅い薔薇の造花を髪飾りに変え、自分の頭に付けているリリムに対して、フリートは苦笑しながらそう言った。自分と彼女の差を実感し、嚙み締めるように。
「最強の魔王なもので」
その隣に座り込み、リリムは柔らかな笑みを返した。
「そっか、最強か……」
その言葉を反芻し、フリートは体を起こした。
「それなら、あの剣も嬉しいだろうよ」
何かを、知っているような口ぶりだった。あの剣、とはセレスティアの事だろうか。
「あ、あのっ……」
「それについて聞きたいなら、後で話してやるさ」
そう言うと、フリートは観客席の一角に向けて手を振った。すると、開戦時と同じくゴングが鳴り響く。闘技大会、本戦第二試合は、結果だけ見ればリリムの圧勝で終わっていた。




