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魔王が運ぶはフェアリーレン  作者: 和水ゆわら
二章 竜人の国 ドラテア
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六十八話 世間知らず

 椅子に座り、ページを捲る。途中だった小説を読み進めていたリリムの耳に、がやがやとした声と、足音が聞こえてきた。


「……やっと来たみたいね」


 控え室の扉が開くと共に、第三ブロックに参加するであろう選手達がなだれ込んでくる。つい先ほどまで、リリムが本を読む音しかなかった控え室は、瞬く間に喧騒に包まれた。

 数人で気合を入れるような掛け声を上げる者が居るかと思えば、何かを言い争っているのか、罵声を投げ合う者も居る……そんな中、リリムは全く姿勢を変えず、手元の本に目を落としていた。


「んっ……」


 そんなリリムの顔を撫でるように、風が吹いた――室内だというのに。思わず小さな声を上げ、目を伏せた彼女の、綺麗な銀色の前髪が幾本にも分かれて散り、下を向いた彼女の頬を、控え室の弱い明かりが照らしていた。


「おい、お前」


 風に閉じてしまった本を開き直し、先刻まで読んでいた場所を探すリリムの側に一人、歩み寄る者がいた。リリムと同じ銀の髪を持ち、いかにも魔法使いらしい丈の長いローブを身に纏った、赤い目の、人間の少年。リリムと同世代であろう彼が、彼女に言葉をかけていた……まぁリリムは、彼の言葉が自分に向けられたものだとは思って居なかったのだが。


「そこの本を読んでる銀髪のお前! 聞こえていないのか?」


 そこまで具体的に言われてようやく、リリムは彼が自分のことを呼んでんいるのだと気がついた。


「はい、なんでしょう?」


 読みかけの本を閉じ、リリムが彼に視線を向ける。にやりと、怪しく笑ったかと思うと、その少年は無造作に、彼女の首筋辺りに右手を伸ばしていた。反射的に、リリムは本を持ったままの手で、少年の腕を振り払っていた――当然、出来るだけ手加減はして。


「綺麗な顔の割に、随分と強気だな。気に入った」


 払われた手をひらひらと振りつつ、少年はそんなことを言った。


「一体、貴方誰ですか? 初対面だというのに……失礼だと思いますが」


 不快感を露わにしつつ、リリムは彼に言った。初対面だろうと、そうで無かろうと、彼女の反応は至極当然のものではあった。


「俺を知らない、か。余程世間を知らないようだな。まぁ見たところどこかのお嬢様っぽい雰囲気あるし、そんなものか?」


 なんだか軽く馬鹿にしているような気がするその言葉に、思わずリリムはため息を吐いてしまった。あぁ、面倒な人に絡まれたな、と。


「俺はエフロス・ヴラーク。あの『ヘルメス魔法学院』の主席と言えば分かるか?」

「……魔法学院の、主席?」


 リリムの知識では、ヘルメス魔法学院は遥か西の国、魔法大国(メギストス)に存在する魔法の学び舎である。まぁいわゆる名門校というもので、お母様はそこで魔法を修めていたと、お父様が言っていたな。なんてことを彼女は思い出していた。


「へぇ……」


 確かに、彼の纏う魔力は良く鍛錬されたものであり、リリムの憶測にはなるが、その総量は、彼女の妹(キャロル)に若干劣るくらいか。主席、という言葉は嘘では無さそうだ。


「驚いて言葉が出ないようだな。それでなんだが、お前を俺の許嫁にすることにした」

「は?」


 あまりに突拍子もない彼の言葉に、リリムの落ち着いていた表情が崩れた。


「俺の魔力に揺れた髪の隙間から見えたお前の顔があまりにも美しくてな。俺の許嫁として迎えてやろうというわけだ。光栄に思えよ?」


 彼の言っている言葉の意味が、リリムには理解出来なかった。ひとまず、彼女の言えた言葉は一つ。


「お断りします。私、好きな人が居ますので」

「へっ……?」


 まるで断られることが想定外であったかのように、エフロスはそんな声を上げていた。


「おい、お前正気か?」


 彼の口から出たその言葉を、リリムはそっくりそのまま返したかった。


「正気です。ごめんなさい。貴方の許嫁にはなれません」


 毅然とした態度で、リリムはエフロスの言葉を拒絶する。凛とした表情で真っ直ぐと、彼の目を見て。


「良いのか? 受け入れれば将来の、魔法大国の妃の座が約束されるんだぞ? それに……」

「結構です。そもそも私は一国の王になる立場ですので、その座は必要ありませんし……もう良いですか?」


 食い下がるエフロスに対し、リリムは軽く恐怖を抱いていた。原因は、彼女には分からない。ただ体の内から、ぞわっとした不快感が押し寄せているのだった。


「そうかよ……」


 小さく呟いたフロストの声は、少し震えていた。あまりに気まずい空気になったそこから離れようと立ち上がり、彼に背を向けたリリムに向けて、エフロスは何か吹っ切れたように、言葉を投げつけた。


「気に入らねぇな。お前、国を継ぐんだろ? それならその国、消してやる。あの猫共の国みたいに……!」


 よりにもよって、彼女にとっての地雷を踏み抜くような、そんな言葉を。一つは、『国を消す』という、彼女にとってのトラウマを再起させるもの。そしてもう一つは――


「猫共の、国……?」


 言葉の断片を捕まえて、リリムは思わず振り返った。その国に、心当たりがあったから。


「そうさ。ちょうど一年くらい前にな、人猫族(ケットシー)の国をぶっ壊したことがあるんだよ。楽しかったなぁ、国を動かせない獣を狩るのは。確か一匹逃しちまったけど、まぁ良いもんだったわ」


 話を聞くに、間違いない。今彼女の目の前に居るのは、愛妹(キャロル)から、国も、姉も、何もかもを奪った男だったのだ。ふつふつと彼女の中に沸き立つ感情が、一つあった。


「……どんな理由があって、そんなことを?」


 凍てつくように冷たい、抑揚のないリリムの一言。感情が見えない声だからこそ、彼女が怒っているのを感じられた。


「別に大した理由なんて無いけど? 強いて言えば楽しそうだったから、かな」


 そんな彼女の心など知らず、あっけらかんとエフロスは言い放った。

 理由が、あって欲しかった。リリムは、キャロルが独りだったのを知っている。彼女の涙を知っている。全てを奪われる悲しみを知っている……だからこそ、理由がなければ抑えることなどできないだろうから。その証拠に、彼女の蒼い瞳が、紅く染まっていた。


「そう、大した理由なんて……か……」


 ぽつりと鳴った声と共に、リリムが踏み込まんとした時、彼女らの間に割り込む影があった。

 

「まぁ落ち着いてください。試合以外での私闘は厳禁、ルールですよ」


 二人の間に立っていたのは、長い青髪を結い上げた、水色の、少し魔力の籠った服を纏う……外見に魔族的特徴はない、人間の青年。整った顔を伏せて、リリムには透き通るような水の刃を、エフロスには発動準備のできた魔法陣をそれぞれ向け、殺し合い……というよりはリリムの一方的な蹂躙か。それに発展しかねなかった二人を、静止していた。


「試合で俺の方が上ってこと、分からせてやるよ」


 そんな捨て台詞と共に、彼は控え室の人の中へと消えていった。リリムはというと、目を伏せて深呼吸を繰り返している。


「仲裁してくれて、ありがとう……ございます……」


 彼の仲裁のおかげで、リリムは冷静さを取り戻していた。煌々と輝いていた彼女の瞳は、元の綺麗な蒼色を取り戻していた。


「いえ、ルールに従ったまでですので」


 もうリリムに戦闘の意思が無いことを確認し、彼は水流でできた剣を消滅させる。その顔は、にこやかに笑っていた。


「初めまして、トーヤと申します」

「こちらこそ初めまして、リリム=ロワ=エガリテです……」


 少し沈んだ声で、リリムは自分の名を告げる。

 今のリリムの中にあったのは、短絡的すぎたな、という反省だった。怒っていたとはいえ、トーヤの静止が無ければ、彼女は絶対にエフロスの命を奪っていた。


「そんなこと、キャロルが喜ぶわけないじゃない……」


 きっとキャロルは、彼が首謀者であると教えられても、弾劾こそすれ、殺しはしない。罪の償いを求めるだろう。

 エフロスには必ず大罪を償わせると誓って、彼に向けた怒りと共に、一旦心の奥に封じ込める。


「落ち着きましたか?」

「あ、はい……ありがとうございます」


 リリムの礼に、トーヤはひらひらと手を振る。気にする必要はない、とでも言わんばかりに。


「全く、面倒な相手に絡まれましたね」


 同情したような声をかけるトーヤに、思わずリリムは苦笑いを浮かべていた。


「それにしても、リリムさんはお強いお方ですね。正直、さっき割り込むのには死を覚悟しましたよ」


 そう言いながらも、彼の顔に張り付いた笑顔には、どことなく余裕が含まれているように、リリムには感じられた。


「魔力数値、いくらでしたか?」


 おそらく、トーヤが尋ねた魔力数値というのは、あの水晶で量られた数値のことだろうか。それなら――


「0でした……」


 それに特に驚くようなそぶりも見せず、むしろ納得したような顔を、トーヤは浮かべていた。


「おそらく、数値が許容限界(オーバーフロー)してしまったのでしょう。あの水晶は七桁までしか示すことができませんからね、その数値を越えてしまった……それだけの話でしょう。何せさっきのあの男でさえ、あれで量れば四百万を超えるでしょうから。リリムさんの魔力など、量りきれないと私は感じますが」


 そう絶賛されて、リリムの背筋に何かむずがゆいものが走る。確かに、彼の理屈をそのまま信じれば、リリムの魔力が表記されたなかったことは、納得できる。


「あなたのような強者とお手合わせできること、光栄に思いますよ。それではまた、試合で」


 大人びた余裕を纏ったまま、トーヤは控え室のどこかへ、霧のように姿を消していた。


「退屈はしなくて済みそうね……」


 第三ブロックの開戦は、すぐ近くまで迫ってきていた。

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