六十二話 役者は既に
「はい、申し込みできたから。これ持って闘技場に行っておいで。受付で俺の名前を出せば大丈夫なはず。この国で一番大きな建物だからすぐ分かると思うよ」
ガルムが三枚の紙を手に、リリム達の元へと戻ってきた。それを受け取ると共に、気になったことを一つ、リリムが口にする。
「これの優勝と王様に会うのってどういう関係なの?」
さっき、ガルムはこの国の王に会うための手段の一つとして、闘技大会での優勝を挙げた。彼女はその詳細が気になっていたのだった。
「最近、毎回優勝者が王城に招待されてるんだ。なんでも王様は強い人を探しているらしくて」
「つまり勝てば招待が貰えると。単純で分かりやすいのは良いわ」
その言葉を口にすると共に、リリムは椅子から立ち上がる。背筋をグッと伸ばす仕草に、トニアとメレフの二人は、彼女が次に言うであろう言葉を察した。
「それじゃあ行くわよ、二人とも」
予想通りの言葉に、トニアはぴょんと立ち上がった。
「情報ありがとう、ガルム。来たくなったら、うちの国いつでも来て良いからね」
「ああ、近いうちに多分行くよ。闘技大会頑張って」
リリムがガルムにぺこりと頭を下げて謝意を述べる。その後、数度彼に手を振ると、彼女は入口の方へと歩き始めた。同じように礼をして、トニアがその後ろに続く。
「ガルム、ちょっと良いか?」
二人が視界から消えると同時に、残っていたメレフがガルムに尋ねた。
「ん、どうした?」
このタイミングまで待ったということは、リリムに聞かれたくない話なのだろうと、少し声を絞りつつガルムは聞き返す。
「お前には、見えているのか?」
「え、何が?」
困惑の表情を浮かべ、首をかしげるガルムの目を、メレフはじっと見据える。彼と同じく――色だけは彼と違って黒だが――宝石のようにキラキラと輝く瞳で。彼女の眼には、何かが見えているようだ。
「……見えていないのなら別に良い」
そう言うと、メレフは椅子から立ち上がる。状況を理解できていないガルムを、そこに置いたまま。
「一つだけ。赤髪の少女に気をつけておけ。お前、死ぬ未来が見える」
それだけ言い残すと、彼女は先に行ってしまったリリムとトニアに追いつくように駆け出した。その幼い少女の姿に似合う可憐な足取りで。一人残されたガルムは、腕を組み、彼女の先の言葉を胸の内で反芻していた。
「死ぬ未来……もう少し詳しく教えてくれてもいいじゃん」
「どうしたの、浮かない顔して」
ため息を吐いたガルムにそう声をかけたのは、赤い長髪を後ろで束ねた、少年にも少女にも見える存在。リリムと同じか、それよりも少し年下の、人竜族。その黒い瞳が、どこか心配そうに彼を見つめていた。その瞳に、笑顔でガルムは言葉を返す。
「別になんでも。キャナ、あれは?」
「もう全部終わってる。あとはきっかけを待つだけ」
キャナと呼ばれた少年は、ガルムに釣られたように笑顔を浮かべながらそう答えた。
「そっか。じゃあ待つとしようか。ちょうど良い役者も揃ってる」
騒々しい建物の中、ガルムはそう呟いた。目隠しの下、誰にも見せない翠緑の瞳に、煌々と燃え盛る意志の炎を宿して。そんな彼を見守るように、キャナはすぐそばに佇んでいた。彼とは違い、静かに、穏やかな眼で、どこか遠くを見つめながら。
この国にたどり着いた時よりは人の減った、丁寧な石畳で舗装された港の大通りを、リリムとトニアは歩いていた。念のため、はぐれないように手を繋いで。そんな彼女らのすぐ後ろに一瞬影ができたかと思うと、そこにメレフの姿が現れる。
「あ、やっと来た」
彼女の姿を認めると、リリムはそう言った。何故遅れていたのか、なんて事は追求せず、彼女は歩みを進める。
それ以降は特筆することの無い、他愛もない話をしながら進んでいくうちに三人は港を抜け、クラクオンの中でも一際大きな、円形の建物の前へとたどり着いた。その周りは、人の多いこの街の中でも、特に人でごった返していた。
「これ、全員参加者か……?」
そう感嘆の声を漏らしたのは、メレフ。それに共感しながら、リリムはその人の波を掻き分けて行く。もちろん、トニア達も一緒に。彼女らはなんとか、円形闘技場へと足を踏み入れることができた。
「こちら、闘技大会受付です。予約ですか、それとも当日参加ですか?」
三人にそう声をかけたのは、入口に備え付けられたカウンターの中に立つ、人竜族の男。がっしりとした体躯に似合う、太い声だった。
「ガルムさんを通して予約しているはずです」
リリムの言葉を聞き、男がカウンターに置かれた手帳をパラパラとめくる。
「……はい、リリムさんにトニアさんにメレフさんですね。何か書類を受け取っていませんか?」
そう問われ、ガルムから受け取った三枚の紙を、リリムは男に手渡した。
「確かに御本人ですね。それではこちらから、一枚お取り下さい」
男がその言葉と共に差し出したのは、小さな木箱。その中には無数の札が入っていた。その中から、三人それぞれ、一枚ずつ取り出す。リリムの札には三、メレフの札には二、トニアの札には一、とそれぞれ数字が割り振られていた。
「御三方、それぞれ別ブロックですね。運が良いです」
「別ブロック……?」
きょとんとした顔で、メレフがそんな声を漏らす。
「この大会のルールで、予選が四つのブロックに分かれています。そこで勝ち残った四人が決勝で戦う、といったものです」
「そうか、説明感謝する」
説明の後、男は三人に、奥に進むように促した。それに従って、リリム達は入口から、少し暗い通路を進んでいく。やはり相当な参加者がいるのか、至る所から話す声が聞こえていた。
「ほほう、こんな可憐なお嬢さん達も参戦するのか……」
歩くリリム達にそんな声をかけたのは、黒と茶をベースにしたスーツに身を包み、白い短髪を綺麗に整えた、人間ならば五十から六十代に差し掛かった辺りの風貌の男。紳士然としたその容姿に似合う、柔らかな雰囲気を纏っていた。
「もし良ければお名前を教えて頂けますかな、お嬢様方」
穏やかな言葉で、彼はそう言った。敵意は全く無い。が、相当な手練れであることを、彼の纏う重苦しい魔力と気迫が示していた。
「……人に名前を聞くのなら、先に名乗るのが礼儀というものでは?」
「失礼。私はアガレス。訳あって主を探す老兵でございます」
アガレスと名乗った男は、視線をリリムに向ける。次はそちらとでも言わんばかりに。
「リリム=ロワ=エガリテです。こちらは……」
「妹のトニア=グラトニーだよ! それでこの子がメレフ・アペレースって言うの」
「アガレスとやら、よろしく頼むぞ」
リリムは初対面ということで丁寧に、トニアはいつもの人を選ばぬ明るさで、メレフは相変わらずの、言葉だけは尊大な態度で、それぞれの言葉を口にした。それを聞き、数度頷いたアガレスは自身の魔力をぐっと、抑え込んだ。それに合わせて、リリムは彼に抱いていた警戒心を解いた。
「お三方、試すような真似を申し訳ありませぬ。いやはや、少しも怯まないとは、やはりお強い」
「いやぁ、内心とても怖かったですよ?」
言葉を返したリリムに対し、アガレスは微笑む。
「ご冗談を。警戒こそすれ、恐怖はしていなかったでしょうに」
「あはは、バレてましたか」
正確に彼女の感情を言い当てたその慧眼に感心しつつ、リリムは笑った。
「アガレスさん、ここにいるって事は参加するんでしょ? ブロックどこなの?」
笑顔のリリムの後ろから、トニアがそう尋ねる。リリムもそれをちょうど聞こうと思っていたところだった。
「第四ブロックですな。できれば皆様とは決勝でお手合わせをしたいところですが、そちらはどうですか?」
「それなら、望み通りになりそうですよ。私たち、全員バラバラですから」
リリムの言葉を聞き、アガレスの口角がキュッと上がる。その雰囲気に、自身の忠臣と同じものを覚えつつ、一つ気まぐれで尋ねてみる。
「アガレスさん、もし良ければこの大会の後、私達と一緒に来ませんか?」
「……というと?」
流石に、アガレスは困惑しているようだった。
「さっき主を探していると言っていたじゃないですか、それで、私を主にするのはどうですか?」
「……ふむ、案外悪く無いかも知れませんな……前向きに考えておきます」
断られると思っていただけに、彼の答えにリリムは驚いていた。表情に出さないように気をつけてはみたものの、恐らくうまくいっていないだろう。
「それに魔竜とも交友を結べるなど、並の方ではできませぬ。実際にどうするかは、お手合わせしてから決めるとしましょう。決勝で待っていますぞ、リリム殿」
そう言うと、アガレスは腰から体を曲げ丁寧に礼をすると、通路の横道へと去って行ってしまった。
「……ふむ。余の正体に気付くとは、奴は面白い男だな。」
「優しいおじいちゃんだったねぇ」
そんな感想を言う二人を横目に、リリムは何処か、疲れを感じていた。イマイチ掴みどころの無い彼に、短い時間の会話で随分と翻弄されたように感じて。
『第一ブロック参加者の皆様、通路の突き当たりにあります、控え室にお集まり下さい』
そんな放送が、建物の中に鳴り響く。
「トニア、呼ばれてるぞ」
「分かってるよ、メレフさん」
少しむっとした顔で言い返したトニアは、ぱたぱたと通路の奥へ走って行く。
「手加減無しで、全員倒してきちゃいなさい」
リリムの言葉にトニアは一度振り返ると、元気よく手を振って、また走り出した。それを見届けると、リリムとトニアもまた、別の方へと歩き始めた。




