六十一話 ドラテアでの邂逅
道中、思わぬ人物と再会し、彼女を追う謎の騎士を撃退したリリムは、ちょうど日が沈む頃にドラテアの王都『クラクオン』に辿り着いた。
「ここまでありがとうございます、それと、道中あんなことに巻き込んでごめんなさい……」
小舟の運転席に座り込み、疲れを示すかのようにぐったりとした、犬人族の少年に、リリムはそう礼を告げた。
「いえいえ、お気になさらず。あ、お代は結構です。既にマルシャン君から受け取ってますので……」
そう言ってひらひらと手を振る彼にぺこりと一礼をし、リリムは船から降りた。その後ろに、トニアとメレフが続く。
「おお……人がいっぱい……」
そんな声を漏らす妹に微笑ましい気持ちになりつつ、リリムもそれに共感する。確かに、彼女らがいる港だけでもかなりの人がいた――パシフィストと同程度か、それよりも少し少ないくらいだろうか――少し気を抜けば、はぐれてしまいそうなほどに。
「二人とも、勝手に動き回らないでね。この人の量なら、絶対にはぐれちゃう」
その言葉に、既にリリムの側から離れかけていたメレフが、慌てて彼女の元へと戻る。そのまま、はぐれないようにとリリムの手を、ぎゅっと握った。
「それじゃ行こうか。トニアも気をつけてよ」
「はーい、お姉ちゃんったら私のことバカにしすぎだよ」
「バカにしてる訳じゃないわよ、気をつけてって言ってるだけ」
そんな会話を交わした後、リリム達は港に走る大通りを進んでいく。
「リリム、どこにいくんだ?」
そう尋ねるメレフに、リリムは懐から一枚の紙を取り出し、手渡した。そこには、大通り沿いのある建物にバツの印の付けられた地図が描かれていた。
「一先ずはここ。私達がここに来た目的のために、情報を仕入れようと思って」
説明しているうちに、三人は目的の建物の前までやって来ていた。この港にある建物の中でも、一際巨大なその姿に、リリムは感心していた。
「それじゃ、入るわよ」
その建物の大きな扉に手をかけ、ゆっくりと開く。
「待ってたよ、リリムちゃん!」
「え、あ……はい……」
開いた途端に飛んできた言葉に、リリムはそう返すしか無かった。言葉の主は、人間の体に狼のような耳と紅い尾を持つ、黒髪の青年。髪色とは対照的な、白い布で両目を隠し、少し不思議な雰囲気を纏っていた。リリムは、彼を何故か知っているような気がした。
「反応イマイチだな……もしかして俺のこと忘れちゃった?」
尻尾をしゅんと下げ、耳をぺたりと倒し、明らかに落ち込んでいるのが見てとれた。
「す、すみません。絶対会ったことはあるのは分かるんですけど……」
「まぁ十年も前のことだもんな。リリムちゃん小さかったし……どう? キアレ姉ちゃんは元気?」
十年前という言葉に、リリムの従者の名前が出たことで、リリムは一人、記憶の底からある人物を思い出した。
「もしかして、ガルムかしら……?」
「お、思い出してくれたか。そうだよ。久しぶりだね」
「ええ、随分と久しぶりね! あれから元気にやってたかしら?」
リリムの顔が綻ぶ。人でごった返す建物の中に案内されながら、過去の友人との会話に花を咲かせていた。
「トニア……余には良く話が見えんぞ」
「安心してメレフさん。私も良く分からないから」
笑顔で話をする二人を見守りながら、メレフとトニアはそんな会話を交わす。リリムの過去を知らぬ二人にとっては、至極真っ当な反応だろう。そんな彼女らの様子に、リリムはすぐに気がついた。
「置いていってごめんね、紹介するわ。この狼のお兄さんはガルム。とある国の元軍人さんで、私のお友達よ。詳しく話すとびっくりするくらい長くなるからその辺はまた今度ね」
「ここ、『ドラテア王国なんでも協会』の管理人代理兼用心棒のガルムだよ。よろしく頼むよ、可愛いらしいお二人さん」
ガルムがトニア達へとそう挨拶したところで、一向は、空いていたテーブルへとたどり着いた。そこに備え付けられた椅子に座ると同時に、ガルムが口を開いた。
「リリムちゃん、全部マルシャン君から聞いたよ……災難だったね……」
災難、というのは恐らくエガリテ滅亡の話だろう。目を隠した状態でも、ガルムの表情が曇っていたのが見てとれた。
「ガルムがそんな顔しないでよ。私としては、それに関しての気持ちの整理は、もうとっくの前についてるんだから」
「……強いなぁ」
そんな言葉と共に、細く綺麗な手でリリムの頭を数度撫でる。もう、これでこの話は終わりとでも言わんばかりに、ガルムはまた別の言葉を口にする。
「君達がリリムちゃんの妹達かな? 二人居るってあの子から聞いたけど……」
それに対し、リリムとトニアは苦笑。メレフはぽかんとした表情を浮かべていた。思っていたものとは違う反応に、ガルムは困惑していた。
「えっと、私は妹だよ。トニア=グラトニーって言うの。よろしくねガルムさん」
そんな彼に助け舟を出しつつ、今まで伝えるタイミングの無かった、自分の名を告げる。ふむふむ、と頷くと共に、ガルムはメレフの方を見る。
「えっと……それじゃあ君は? リリムちゃんの妹じゃないならなんだろ……」
「余はメレフ。原初の七大魔竜が一角。闇魔竜メレフ・アペレースだ。よろしく頼むぞ、ガルム」
メレフは、リリム達が話している間にどこからか持ってきていたマグカップに注がれたミルクをこくこくと飲みながら、ガルムにそう答える。
「えっと……? 言っちゃあなんだけど、君みたいなのが?」
「なんだその言い方。ちゃんと余は正真正銘、メレフ本人だぞ? そんなに気になるなら、その『龍脈の眼』で見れば良いではないか。飾りというわけでもあるまいし」
メレフの少し不満そうな声を聴き、ガルムは自身の眼を隠していた布を外す。その下から現れたのは、宝石のようにキラキラと輝く、翠緑の瞳。それを彼女の方へ向け、彼女のことをじっと観察していた。
「うわ本物じゃん……疑ってごめんよ」
あっけらかんと、ガルムが流れるように謝罪する。
「別にかまわぬ……ただ、眼を隠しておかないと見えすぎてしまうようでは、まだまだ未熟と言ったところよ」
かまわぬ、という言葉とは裏腹に、メレフの言葉には棘が立っていた。疑われたことがそんなに嫌だったのだろうか。表情も、どこか怒っていた。
「へえ、言ってくれるじゃん……」
和やかに終わりそうだったのに、メレフの言い方を引き金として、二人の間の空気に緊張が走る。どちらかがまた、何か不用意なことを口走れば殴り合いにまで発展しかねないその空気に、うんざりといった感じでリリムはため息をついた。
「お姉ちゃん、龍脈の眼って何?」
その雰囲気を破壊したのは、トニアのその一言。あまりにも純粋なその言葉に、さっきまでにらみ合っていた二人も思わず笑ってしまっていた。
「ガルムさんが持ってる特異体質のことよ。稀に、見えすぎる瞳を持って生まれてきちゃう人が居るのよ。その特殊な眼の事を『龍脈の眼』と呼称しているの」
険悪な雰囲気を消してくれてたトニアに感謝しつつ、リリムは簡単に、それについての説明をした。
「魔力の流れ、その性質。鍛えれば心や未来も見える。そんな感じの眼だよ。俺はその子の言う通り、まだ未熟だからさ。目を隠しとかないと制御できなくて、勝手に読みたくもない心を読んだりしちゃうんだよね。ちなみに、目隠ししても世界はばっちり見えてるよ」
本人からの、説明の補足も入る。それをトニアは、ふんふんと頷きながら聞いていた。まるで授業を受ける子どもかのように。一転、バツの悪そうな顔を浮かべていたのはメレフだった。
「その、未熟と言ったのはすまぬ。ついカッとなってしまって……疑われたのが心底嫌でな……許してほしい」
さっきまでとは打って変わって、メレフの態度がしゅんと小さくなる。
「別に良いよ。不用意に疑った俺も悪いし、今回はお互い様ってことでね」
そう言って、ガルムは右手をメレフへと伸ばす。仲直りの握手、と言った感じだろうか。メレフはその手を、力強く握り返した。
「さてと、そう言えばリリムちゃん達は何でここに? エガリテ再興のためでは当然あるんだろうけど、具体的な目的が分かんなくてさ」
そう言って、ガルムは小首を傾げる。
「私、この国の新しい王様に会いたくて来たのよ。王が変わって政治が変わろうとしてるって聞いてね。エガリテが目指す姿と近いから、繋がっておけば色々都合が良いかと思って」
「なるほどね。王様に会いたいか……」
目隠しを戻しながら、ガルムがそう呟く。歯切れの悪いその言い方に、何かあるんだということを、リリムは察した。
「ちょっと厳しいかもね。一応方法は二つあるけど、聞く?」
その問いに、リリムは当然というように頷く。
「一つ目はちゃんと連絡入れて会うこと。できなくはないけど、最近忙しそうだからかなり時間がかかると思う。もう一つは、この国にある闘技大会で優勝すること」
「闘技大会! そんなものがあるのか?」
食いついたのは、リリムではなくメレフ。大きな瞳をまん丸に輝かせていた。行きたいという四文字が、顔に浮かんでいた。
「だけどこれは……いや、リリムちゃん達の強さなら大丈夫か。怪我とかしないように気をつけてね。三人分の参加申請してくるから少し待ってて」
そう言うと、ガルムは建物の奥の方へと消えていった。
「マルシャン君、お手柄ね……こんなに話が楽に進むとは思わなかったわ。帰ったらお礼言っとかないとね」
メレフからもらったミルクをゆっくりと飲みつつ、そんな独り言を、リリムは呟いていた。




