五十八話 次は何処へ
エガリテへと移ってきた者たちが、それぞれの開拓を進める中、指示をキアレに任せて、リリムはそこから少し離れていた。勿論、誰よりもエガリテに対する想いの強い彼女がサボっている筈がない。
「まだ深く潜らないとダメか」
彼女が居たのは、とある森の中に存在する、光の決して届かない暗い洞窟。ひんやりとした空気を肌で感じながら、深層へと下っていた。彼女のお目当ては、エガリテ近辺の洞窟でのみ採取できる、濃い魔力を帯びた鉱石――通称『魔鉱結晶』だった。
「もっと浅い所で採れれば、交易の商品として出せそうなんだけどなぁ」
目的はそれだった。魔鉱結晶は加工がしやすいうえに頑丈という、素材としては百点満点の特徴を持っているが、採取場所が少なすぎる。それが故に、市場での流通価格はなかなかのものであり、うまく確保できるのならエガリテ復興への大きな足掛かりになる……という犬人族の商人、マルシャンからの提案からである。一人の寂しさを紛らせるように鼻歌を歌いながら、彼女は更に地下深くへと歩みを進めていた。見逃さないようだねに、魔力を敏感に張り巡らせて。
しばらくの時間が経った。リリムの感覚が正しければ、恐らく外は夜の帳にすっかり包まれているだろう。洞窟に入ったのは、まだ日が空の日が傾き始めた頃だった。
「ようやく見つけた……」
それほどの時間をかけて、ようやくリリムはお目当ての物へとたどり着いた。そこは洞窟の最深部。月の光のように、青白く輝く花が群生している幻想的な場所だった。その一輪一輪が、癒しの魔力を宿している。こんな場所がすぐ近くにあるものなんだな、なんて考えつつ、花畑の中にゴロゴロと転がっている真っ白な石を拾い上げる。
「見た目の割に重いな……」
握り拳程の大きさにも関わらず、その結晶はかなりの重さを持っていた。
「これもなんかに使えるでしょ」
ついでに、名の分からない綺麗な花を数本摘み、魔鉱結晶と共に虚空へと放り込む。目的を達成し、満足そうな笑みを浮かべたリリムは、地上へと戻ることにした。
洞窟から地上へと出たリリムの耳に届いたのは、小さな歌声だった。夜風が木々を揺らす音に混じって、それは聴こえてくる。誘われるように、リリムは森の中を歩きはじめた。
「相変わらず上手ね」
一本の巨木の前で足を止めると、それを見上げ、リリムは声をかけた。その視線の先には、夜空を見つめて歌う、彼女の忠臣が居た。
「……聴いてたんですか」
リリムの隣に、キアレが木の上から飛び降りた。少し俯き加減な顔は、自分の歌を聴かれていたことへの恥ずかしさからだろうか。
「まぁ良いです……探し物は見つかりましたか?」
「ええ。十分すぎるくらいにね」
リリムの返しに微笑むと、キアレはその姿を黒狼へと変える。その背にリリムが跨ると同時に、逞しい四肢が地を蹴った。吹き抜ける風よりも速く、その体は走り出した。
「あの人達、仕事が早いわね……!」
森を抜け、旧エガリテ跡地に差し掛かった頃、リリムはそんな言葉を零した。彼女が驚いていたのは、洞窟に潜る前には何も無かったはずのそこに、数棟の、石造りの家ができていたからだった。
「内装はもう少しかかるからのんびり待っててくれ、だそうですよ」
流石はパシフィスト一の技術屋といったところか。跡地を抜け、妖精の森に入るまでの間、リリムはテクニ達に感心していた。そして同時に、この国に来てくれたことへの感謝も。そうしているうちに、二人は森の中心に聳え立つ、巨木の前へと辿り着いた。
「乗せてくれてありがと」
「いえ、大したことでは」
そんな応答をしながら、リリムが巨木に手を触れる。二人を迎える扉のように、その幹が開いた。中は垂直な空洞。そこに少しも躊躇することなく、彼女達は飛び込んだ。
「よいしょっと……もう少し浅くならないものかしら」
「構造的にしょうがないと思いますよ」
彼女たちが降り立った先には、木材の壁に囲まれた空間が広がっており、そこでエガリテ開拓の面々がくつろいでいた。この巨木は、妖精たちの手によって造られた、王国でいうところの城のようなものだった。
「あ、お姉ちゃんにキアレさん。お疲れ様」
一番にリリムを出迎えたのは、新たな装いに身を包んだトニアだった。大まかなデザインはキャロルとリリム、二人のものと同じ。ただ、陽だまりのような暖かな色を基調としていた。それに対する反応が欲しいのか、どこかそわそわとしているようにリリムには感じられた。
「うん、よく似合ってるわよ」
「えへへ、そうでしょ?」
くるくると回り喜びを表現する彼女に、どこか愛おしさをリリムは感じていた。
「マルシャン君は居るかしら?」
「うん、ついて来て」
そうリリムに伝えると、トニアは空間から文字通り枝のように伸びる通路へと、とことこ走り出した。彼女に導かれるがままに、その後ろをリリムもついて行った。もちろん、キアレもそれに続く。
「マルシャンさん、お姉ちゃんが用があるって」
通路の最奥にある扉を叩きながら、トニアがその向こうへと告げる。
「はい、少々お待ちを」
返答と共に、扉の先でなにやらガタガタと音が鳴る。
「すみません、お待たせしました……とりあえずお座りください」
音が止むと同時に、扉が開く。犬人族の少年がそこから顔を出し、リリムを中へと招いた。そこは無数の紙が山積みにされており、いくつかの大きな袋がそのすぐ近くに並べられていた。そんな部屋の中央に置かれた木製のソファにリリムは腰掛ける。その向かい側にマルシャンも座った。
「散らかってて申し訳ないです……ちょっと色んな場所との交易準備をしていたものでして」
「こんな状態の国でも交易できるものなの?」
リリムのその言葉に、マルシャンが得意気に胸を張る。
「まぁ、そこは僕の手腕ですね! ……なんて冗談は置いといて。この森で採れる農作物や動物は特殊な魔力を帯びていまして、価値があるものなんです。それだけでも交易するうえでは武器になります。加えて、妖精の皆さんが作ってくれる装飾品も、他の国では特別な物ですしね。その証拠に、既に幾つかのルートと交易の契約を結べていますよ」
「なるほどね……マルシャン君、流石よ」
「となると、この紙の山はその契約書と交易品のリスト、という訳ですか……」
紙の山から一枚を拾い上げ、キアレが呟く。それを肯定するように、マルシャンは頷いた。
「さてと、本題に入ってもいいかしら?」
「そう言えば用があると仰ってましたね。僕にということは、商いに関することでしょうか?」
マルシャンからの問いにリリムは頷き、虚空から幾つかの重い鉱石を取り出す。それを見るや否や、彼の瞳が少年のものから、商人のものへと変わる。鉱石の一つを拾い上げ、それをじっと見つめる。
「……素晴らしいの一言ですよ。これが安定供給できるなら、この国の特産品として売り出せます! まさかここまで上質なものが取れるとは思いませんでしたね。他に何かありますか?」
彼に促され、ついでに摘んできた名の知らぬ花を取り出す。
「鉱石と同じ場所で採れたのだけど……こっちは何か使い道あるかしら?」
「どこかで見た覚えがありますが……」
「月光の花じゃないですか」
そう告げたのは、どこからか取り出した眼鏡を掛け、書類を丁寧に整理していたキアレ。
「月光の花?」
「ええと、確か治癒の霊薬の素材になる花だったはずです。ちなみに、最上位の完治の霊薬の必須素材でもありますよ」
「となると、その技術を仕入れられれば交易品にもできると……」
思いついたように、小さな手帳に何かを書き込む。恐らくどこかで仕入れられるルートを探すつもりなのだろう。
「とりあえず私からの用はこのくらいかしら。魔鉱結晶の見定め、ありがとね」
「いえいえ、この程度でお礼など」
リリムの礼に対して、マルシャンはにこやかに笑って見せる。ふと、彼は何かを思い出したように立ち上がり、トレードマークの大きなカバンから一枚の地図を机の上に広げる。
「この国、ご存知ですか?」
その地図に記された一つの国を、マルシャンは指差す。
「ドラテアだったかしら……確か人竜の国よね。そこがどうかしたかしら?」
「この国の王が没して、その息子が王政を継いだのはご存知でしょうか?」
それに関しては、リリムの記憶の片隅に残っている。竜人にしては若すぎる死だったらしく、少し前に一時期話題になっていたはずだ。
「その王政がですね、言うなればリリム様の目指す政治そのものらしいんです。なんでも全ての種族が共存できるように国を変えようとしているだとか……」
マルシャンの口から零れたその情報に、リリムは思わず音を立てて立ち上がる。
「ねぇ、その情報の信憑性に関してはどのくらいのものかしら?」
それ次第では、リリムはそこに向かうつもりである。新たな王の目指す王政が本当ならば、リリムが協力を求めるならこれ以上ない相手だろう。
「信憑性に関しては、かなり高いはずです。このことを話していた商人は、評価の高い方でしたので……商人は信用が命なので、こういった情報を流すときはどこかで裏付けを取ってからやるものです」
胸を張ってマルシャンは答える。
「なるほど……確かにその通りね。となると、一度ドラテアの王に会いに行ってみるとしようかな。貴重な情報、ありがとう」
マルシャンに礼を告げ、リリムはその部屋を後にした。自身の夢、全てが共存できる世界を作るための次の目的地を人竜の国『ドラテア』へと定めて。




