五十三話 決戦 終結
荒野の中、アンジュは一度腕を振った。そこに握られた瑠璃色の剣に付着した赤黒い液体が、それによって払われる。
「さて、どこに行ったかな……」
紅い髪を揺らしながら、アンジュは辺りを見渡す。彼女が探していたのは、ついさっき切ったはずのリーデル。もう少し詳しく言うならば、彼の頭部だった。アンジュのすぐそばに、頭の無い彼の体は倒れていた。その頭部だけが、辺りに見当たらなかったのだ。
「アンジュ……さん……っ」
空耳と間違うほどに小さな声が、アンジュの耳に届いた。振り返った彼女のその視線の先には、黒い魔力に縛られたキャロルが居た。
「助け……んぅっ……」
助けを求めるその口にまで、どす黒い魔力がまとわりつく。四肢を縛る魔力が締め付けを強める度に、彼女の声にならない呻き声が漏れる。
「せっかく手に入れた精霊使いの体を壊しやがって……代わりにこいつを貰っていくからな、こいつが消えるのはお前のせいだ! 紅い錬金術師!」
キャロルを縛る魔力は、彼女の頭上に浮かぶ生首から放たれていた。目を限界まで見開き、興奮した表情で彼は叫んでいた。
「まだ生きてるのか……」
アンジュは呆れたように呟く。生首だけで生存しているリーデルの姿が、あまりにも不自然なものでしかなかったから。恐らく彼にとって、あの悪魔族の少年の姿は誰かの肉体を奪っていたものであり、リーデルの本体はこの不気味な魔力である――そうアンジュは自分の中で結論づけた。そんなことをする種族は居たかと考えてみるも、咄嗟には思考は纏まらない。
アンジュが軽く地を蹴り、キャロルの元へと走り出す。この魔力の源である生首を破壊するため。彼女の握る刃がそこへ届く寸前に、リーデルを守るように激しい火柱が立った。
「あつっ……」
その炎の勢いに、アンジュは思わず距離を取った。体勢を立て直した彼女に見えたのは、苦悶の表情を浮かべながらそこに立つ、炎を纏った魔人。リーデルが、キャロルの精霊を強制的に顕現させていた。
「早くしないといけないってのに……」
アンジュがそう悪態をつく。苦しそうに呻き声を上げていたキャロルが、ちょうど獄炎の精霊を召喚したあたりから全く声を発さなくなっていたことが、今の彼女を焦らせていた。
「全力でやる……のはまずいだろうな……」
今顕現している獄炎の精霊は、リーデルの魔力を媒体として、キャロルの肉体の精霊術を介して降誕している。それが故に、アンジュは攻撃するのを躊躇っていた。
「よし、行くか」
高らかに宣言し、アンジュが手で印を組む。彼女の足元のから、土色の鎖が五本、伸びる。
「大地の鎖!」
アンジュがそう叫ぶと同時に、右手を大きく動かす。その動きに呼応するように、五本の鎖が束となり、その足元から限りなく伸び続ける。その伸びる先は、獄炎の精霊。
「ぐぅっ……」
獣のような唸り声を上げ、獄炎の精霊はその鎖に突っ込んだ。真正面からそれを撃ち落とさんとすべく。それこそが、アンジュの狙いだった。
「やっぱ理性はないんだね……少しだけ縛らせてもらうよ。大地の檻」
獄炎の精霊が、鎖の束に自らの拳を突き出した瞬間、それは解けた。元の五本の鎖となり、彼の胴体と四肢にそれぞれ巻き付き、一瞬の動きを奪う。その隙に、アンジュが魔力を込め地に触れる。直後、周囲の地面が隆起し、獄炎の精霊を岩のドームが閉じ込めた。
「まじか、そんなアッサリと」
少し離れた所でリーデルがそんな声を漏らすほどに、一連の動きは手早く、そしてとても鮮やかなものだった。
「次はお前だよ」
冷たく言い放ち、アンジュが剣を振り上げる。それを悪魔の首へ振り下ろした瞬間、その口角が怪しく上がったのを、アンジュは見逃さなかった。彼女の剣の切っ先が生首を切ると同時に、一つの魔力が強烈に弾けた。
アンジュがその姿を目にしたのは、魔力の炸裂により巻き上げられた土煙が収まったころだった。
「……いい精霊術を持ってる体だ。これならちゃんと計画に使える」
自身の腕を触れながら、そう呟く緑の髪の猫人族の少女。キャロルの姿をした者が、そこには立っていた。纏う魔力の性質だけが、それがキャロルでないことを示していた――同時に、リーデルが彼女の肉体を奪ったことも。
「まぁ、よく頑張ったと思うよ? もしほんの少しでも早く斬られてたら間に合わずに俺は死んでたわけだしさ」
そう言うと、リーデルは高らかに笑い出した。
「マジでこの体強いんだよ。さっきまでのとは大違い。精霊も沢山契約してるし、その一体一体が強い。そして……」
彼が言葉を途中で止め、その魔力を解き放つ。
「俺の魔力に耐えられる。つまり魔王の素質があるって訳だ」
アンジュが、構えていた剣を降ろした。それを見るや否や、リーデルは数度大きく頷く。
「そうそう、降伏するのが正しいよ。この体さえあれば、俺の邪魔をしたアイツにもきっと勝てる……」
そんなことを言う彼に、アンジュは一度だけため息をついた。憐れむような顔をして。
「君は一番怒らせちゃいけない存在を怒らせたんだよ。死なないといいね」
「あ? 何言ってんだお前?」
少し苛立ち交じりにリーデルは問う。アンジュは何も答えない。
「今に分かるよ? もう君の後ろに居るもん」
そこでようやく、リーデルは自身の背後に立つ魔王に気が付いたようだった。空間を歪ませるほどの魔力を纏いながら、若き魔王はそこに立っていた。
「私の妹の体、返して?」
リーデルの肩に手を置き、リリムは柔らかな笑顔でそう告げた。全てを許す聖母かのような優しい声で。
「返すわけないだろ? まさかもう会えるとは思わなかったなぁ!」
肩に置かれたリリムの手を振り払い、どす黒い魔力をキャロルの体から吹き出しながら、振り返る。それが、リリムに残っていた理性を吹き飛ばした。
「うるさい」
一瞬だけ、リリムの魔力が弾けた。全てを吹き飛ばす魔力の衝撃が周囲一帯を襲う。アンジュは反射的にその場を離れ、リーデルは反応できずにその魔力によって消し飛んでいた。
「マジか……あんな巻き込むようなことするとか正気か?」
キャロルの姿は、プラドーラ跡地から遥か遠くの山奥にあった。そこまで、リリムの魔力波によって飛ばされていたのだった。クレーターが形成されるほどの勢いを纏って。先の言葉は、そこから体制を立て直しながら発されたものだった。
「ええ、正気よ」
彼の頭上。空を背負い、リリムは羽ばたいていた。表情は穏やかで、語気も落ち着いている。それにも関わらず、リーデルには一つの感情が感じ取れていた。
「至って冷静。貴方にはそうは見えないかしら?」
彼女はそう言う。ただその背後の空は、荒れ狂っていた。時間はまだ日が高く昇る頃だと言うのに、空の色は夜かのように暗く、辺りの雲が竜巻のように渦巻いていた。
「滅茶苦茶にキレてんじゃねーか……」
ため息をつきながらも、リーデルは逃げる素振りを全く見せていなかった。
「ま、これお前の妹の体だからさ。殴れないだ――」
ケラケラと笑いながらそう言葉を発していたキャロルの頭部を、リリムの拳が一切躊躇することなく打ち抜いた。姿を残すことすらないほどの速度で、周囲の森林を破壊しながらその体は飛んでいく。
「はぁっ……噓だろ!?」
体勢を立て直そうとしたリーデルに、リリムは一瞬の内に追い付き、その片足の形がブレる。直後、小さな肉体が大地にめり込み、軽い地割れが引き起こされていた。
「これ、お前の妹だぞ……!?」
「えぇ、知ってる。だからダメージを受けているのは貴方だけよ?」
そう言うリリムの全身には、純白の魔力が纏われていた。それは強大な魔力を持つはずのリーデルでさえも、その全容を感じ取れないほどの大きさだった。
「なんだその魔力……」
「貴方みたいな、人に寄生するような魔術に対抗する魔力よ。今の私の攻撃で傷つくのは貴方だけ」
さっきまでの自信を捨て、即座に逃げの姿勢へと切り替えようとしたキャロルの肉体を無理矢理起こし、その頭部を蹴る。その足と頭が触れる直前にキャロルの肉体が防護魔法に包まれ、その直後に蹴りが命中する。その中に宿るリーデルの精神だけが激しい衝撃を受けていた。
「あぁクソ! お前そんなことまでできんのかよ……次あった時こそ、絶対に殺してやるからな!」
そう悪態をついた直後、猫人族の少女の身体が、糸の切れた操り人形かのように膝から崩れ落ちる。それを優しく、リリムは受け止めていた。彼女の腕の中で目を閉じるキャロルの身体にはすでに、リーデルは居ない。敵わないと理解したからか、それともこれ以上傷つきたくないという我が身可愛さからか――その真意は分からないが、確かにそこにはあの悪魔は存在していなかった。
「追う……のはやめておきましょうか。この子も居るし、逃げ足だけはしっかりしてるし。しぶといというか、何というか」
目を閉じ、静かに息をするキャロルの頭を優しく撫でつつ、癒しの魔力をその身に施す。その姿は先までの、全てを狩り尽くす者ではなかった。
「お姉様……ごめん、ちょっと失敗しちゃって……」
薄く目を開いたキャロルが、そんなことを言う。彼女を、リリムは一度しっかりと抱きしめた。
「ううん、キャロルは十分よくやったわ。それより私の方こそごめんね、遅くなって。いくらダメージを受けないとはいえ、何度も傷つけて……」
「大丈夫だよ、お姉様……」
弱々しくはにかむ猫人族の少女を抱きかかえ、リリムは青空へと飛び立った。




