五十一話 決戦 Ⅴ
「で? 俺と戦うの? ついこの間戦ったばかりだと思うけど。しかもその時は俺が圧勝だった気がするけどな」
ニタニタと、そんな形容がぴったりな笑みを浮かべるリーデルは、キャロルのことをじっと見ていた。
「……だからなんですか。あの時勝ったからって、今回も一緒だと?」
「そんなの当たり前じゃん。あの時からたかだか二日かそこらだよ。その程度で急に力関係が変わるはずないでしょ」
さも当然、そんなことも分からないのかとリーデルが嘲笑する。その態度から、キャロルは一つ確信した。この男は、自分のことを舐めていると。確かに、彼の言う通りではあるのだ。たとえあの迷宮で見せたあの爆発的な魔力があったところで、真正面からは勝てるか怪しい。
「さっきの言葉、後悔しないでくださいね」
リーデルへの沸々と湧き上がる怒りを引き金として、キャロルが魔力を爆発させる。一瞬、リーデルの顔が驚愕に染まった。彼が何かをする前に、その懐にキャロルは飛び込んだ。彼女が纏っていた鎧はいつの間にか消えていた。どこかの軍の制服のような、いつもの姿で、少しの隙も見せぬように猛攻を仕掛ける。
「待った待った、強くなり過ぎだろ!」
油断と、自分の方が強いと言う驕りが、リーデルの対応を遅らせた。キャロルの魔力で形成された鋭い爪が、リーデルの命を刈り取らんと振られる。余裕だったはずの彼の表情に、焦りが見え始めていた。
「まだまだっ……」
反撃する間もなく、リーデルを防戦一方にさせたその攻撃が、更に加速する。空間に、攻撃の残光が見えるほどに。
「あぁ、うぜぇ!」
リーデルの苛立ちが、限界に達した。解き放たれた強烈な魔力が、周囲に衝撃波を引き起こす。
「ぐぅっ……」
至近距離での衝撃波に耐えきれず、キャロルは大きく距離を取った。それと同時に、一瞬視界が激しく瞬く。
「頑張れ吾輩、大丈夫だから」
限界が近づくサインを無視して、体をぐっと屈める。多少の無理は許容しなければ、この男には勝てないと、一つの覚悟を決めて。
「来いよ、ちゃんと相手してやる」
キャロルを敵として認めたのか、リーデルには嘲笑の雰囲気が消えていた。右手には燃える炎の剣を握り、すぐそばに蛇の尾を持つ狼の精霊が召喚されていた。
「お願い、獄炎の精霊!」
それに対して、キャロルは炎の魔人を呼ぶ。狼の相手を彼に任せて、もう一度リーデルの懐に飛び込んだ。それを止めるように振るわれた刃を左の爪で受け止め、反撃として右の爪を繰り出す。
伸ばされた右腕は、リーデルの胸に触れる直前に止まった。魔力による防御が、そこには厳重に重ねられていた。急所なので当然といえば当然ではある。
「これならどうだっ……!」
そこで攻撃を止めることなく、右の手のひらを真上に突き上げる。それはリーデルの顎を正確に打ち抜き、その体を軽く宙へ浮かせた。痛烈な衝撃によって生まれた隙に、さっきの攻撃よりも集中して魔力を乗せた右爪の一撃を叩き込んだ。
肉を引き裂く感覚に不快感を覚えながら、その爪を振り抜く。胸に深い傷跡を刻まれたリーデルは、その振り抜く勢いに振られて吹き飛び、玉座へと続く扉を突き抜けた。
「はぁっ……はぁっ……」
肩で息をしながら、玉座の間へとキャロルは足を踏み入れた。確実に致命傷ではあるだろうが、それでリーデルを倒せたのかというと不安が残る。それにまだ、この戦いの目的は終わっていない。
「くっそ……痛ぇよ……」
ふらふらと、玉座の前にリーデルは立っていた。その後ろの荘厳な玉座には、リリムと同程度の背丈の、小人の男がぐったりと座っていた。彼こそが、アナトとテリスの父親だろう。今回の戦いの最大の目的は『双子の父を洗脳から解放する』ということ。リーデルを倒すことではない。すでに限界の近づいていたキャロルは、どうにかしてそれを達成する方法を考えていた。
「帰ってこい、影人形」
リーデルが、その小人に手を触れる。そこから漆黒の魔力が流れ出し、彼の胸に空いた傷を修復していく。
「続きと行こうか、猫ちゃん」
色々考えてはみたものの、やはり目の前の男を倒さなければ目的の達成は難しいだろうと踏み、キャロルは構え直す。
速戦即決と、キャロルが踏み込もうとした時、それを上回るスピードで、リーデルの剣がキャロルの腹部に突き刺さっていた。さっきまでとは明確に速度が違う。同じならば、反応できないはずがないのだ。
「がぁっ……」
身体を内から焦がすような痛みを感じながらも、すぐ傍に居たリーデルの腕を掴んだ。自身の背後から急速に迫る魔力のために。
「お願いします!」
そのタイミングを見計らったかのように、大きな人影が、二人のすぐ傍に跳ぶ。その影の主が、その巨体に似合う大きな鎚を、キャロルに掴まれた悪魔目掛けて振りぬいた。激しい衝撃にリーデルは吹き飛ぶ。テクニがそこに大きな岩を創り出し、彼を埋めた。
「猫嬢、大丈夫か? よく気付いてくれたな」
「大丈夫です、刺された瞬間に治療もしていたので……トニクさんは?」
自身に刺さったままの刃を引き抜き、その傷を治しながらキャロルは尋ねる。
「あいつは一旦拾ってあの精霊ちゃんの所に預けてきたから大丈夫だ。それより、あいつ何者だ?」
トニクが無事だと言う報告に、キャロルの頬は自然と緩む。そして同時に、アナト達の父親を救う手立ても閃いた。
「黒幕です。詳しい説明は後で。テクニさん、あの小人の男性を連れて逃げられますか? 恐らく、アナト君達のお父様で、洗脳も解けていると思うので。ついでに戦闘中の皆さんにも撤退を」
「全然構わないけど……あいつ相手に逃げ切れるのか?」
その問いに、一度の深呼吸と、頷き。言葉ではなく動きで答える。
「猫嬢がそう言うなら任せる。死ぬんじゃねぇぞ」
埋められたリーデルが出てくる前に、テクニはぐったりとした小人の王を片腕で抱え、走り出した。それをちょうど見届けた頃に、大岩が砕ける音がした。
「あのクソ野郎が、裏切りやがって……壊しにくいっての……」
裏切りなどと的外れな恨み言を口にしつつ、そこからリーデルが出てきた。ダメージを受けている様子は無い。
「あれ? あいつもう逃げちゃったの?」
辺りを見渡した後に、リーデルが聞く。別に答える義理は無いのだが、自然とキャロルは答えていた。
「えぇ、貴方を止めるなんて、吾輩一人で十分ですので」
その言葉と同時に、彼女の中から乾いた笑いが出る。変に昂る気持ちを抑えるために深呼吸し、魔力を纏いなおす。
「それとも吾輩一人に負けるのが怖いのですか?」
「は?」
キャロルがそう言っただけで、リーデルの額に青筋が走った。彼女の予想通りである。この男は、煽りに致命的に弱い。簡単に、その意識を自分だけに集めることができる。それこそがキャロルの狙いだった。もしも無理なら、すぐにでも逃げるつもりだった。
「怖くないなら、この技も避けませんよね?」
リーデルの怒りに、更に油を注いでいく。キャロルの質問に、リーデルは確実に苛立ちながらも答えた。
「当たり前だろうが、お前程度の技なんか、全部弾いてやるよ」
キャロルからすれば満点の回答をしたリーデルに、彼女は一度微笑んだ。
「天地に宿りし五つの御霊――」
受ける気満々に魔力を高めるリーデルに対し、キャロルは静かに詠唱を始める。彼女が詠唱を始めると共に、五属性の大精霊が顕現し、その魔力を分け与える。
「全てを照らすは聖なる光 全てを呑むは不浄の闇――」
五つの属性は大精霊に任せ、自分が使用できる光と闇の魔力を両腕に宿す。
「相反せし力の器――」
その二つの魔力を混ぜ合わせ、一つの、澱んだ魔力球を創り出す。そこへ目掛けて、五体の精霊がそれぞれの魔力を注ぎ込んでいた。膨大な魔力量がキャロルへと集中し、彼女の足元にヒビを入れる。それでも彼女は詠唱を続けた。
「特異の澱みが生み出すは 無慈悲なる破壊の一撃」
自身の元へと集めた魔力を両腕で圧縮する。それは、眩く輝く光の球へと成った。
「精霊究極魔法 全てを統べる光・精霊式」
炎・水・風・土・雷・光・闇の七つの、相容れない魔力を無理やり混ぜ合わせる事で絶大な破壊力を放つ魔法。キャロルが切り札として選んだのは、奇しくも自身の姉が得意とする魔法であった――彼女はそんなこと、少しも知らないのだが。
「来いよ、お前の攻撃なんざ痛くねえ!」
リーデルの宣言に合わせて、キャロルが地を蹴る。想定外の動きに、リーデルの反応は遅れた。彼の腹部、零距離まで近づいて、キャロルは混沌の魔力を解き放った。視界を塗りつぶし、奪い去るほどの激しい光が、辺り一帯に広がり、全てを飲み込んでいく。
それはもちろん、大口を叩いていたリーデルとて例外では無い。彼の纏っていた防御魔法ごと、無慈悲に光は塗りつぶす。
光が薄れ、完全に消えた後にはもう、白亜の城も、それを守るように建っていた漆黒の壁も消えていた。
「はぁっ……くぁ……」
全てが消えた平地の中、キャロルは立っていた。凄まじい量の魔力を消費したことによる反動を感じながらも、倒れずに。
「勝った……?」
いまいち勝利の実感が、彼女には無かった。いつもなら肯定してくれるはずの、羽衣の魔人は現れない。今のキャロルには、彼女を顕現させるのに十分な魔力が残っていないという、単純な理由である。
「疲れたぁ……!」
極度の疲労感に、キャロルは思わずその場に寝転がった。荒れたままの呼吸を整えるために何度も深呼吸し、少し高鳴っている鼓動を落ち着かせる。この戦いは、キャロルの勝利といって間違いないだろう――少なくとも今は。




