四十九話 決戦 Ⅲ
時は少々遡り、キャロル達が王城へと突入した頃。なるべく足音を立てないようにしつつ、キャロルとトニクは走っていた。近くの騎士は全員が外での戦いに向かっているが、念には念を、というものだ。
「……あんだけいた奴らが全員行くもんなのか」
「多分、あれは造られた者だと思います。単純な命令しか聞けない、傀儡のような何か……吾輩は、そう感じました」
キャロルが言うのならなら間違いは無いだろうと、トニクはそれ以上何も言わない。静寂の満ちた城の中に、微かな足音だけが響く。敵の居ない王城は、ただただ広いだけ。恐らくアナト達の父がいるであろう玉座の間までは、すぐに辿り着けるはずだった。
「……止まって下さい」
不意に、キャロルが呟いた。長い廊下の先に、不必要なほどに大きな階段が見えていた。そして陽光の差し込むその空間佇む、フードで顔を隠した一人の少女も、二人の視界に入っていた。彼女に気づかれぬよう、二人は一旦物陰に身を隠す。
「別の道を探すか?」
「いえ、恐らくここを通るしかないと思いますよ」
陰から少女を覗きつつ、ひそひそと会話を進める。二人の目には、少女が真っ赤な長髪を揺らしながら、こくりこくりと居眠りをしているかのように見えた。しかし同時に、その横を通り抜けていくことなどできないようにも感じられた。全くと言って良い程に、隙がないのだ。
「キャロルちゃん、俺が止めれば抜けられるか?」
その質問に、キャロルは答えない。少女の纏う魔力は、決して強大なわけでは無い。しかしどこか異質で、飲み込まれてしまうような不気味さがある。そんな彼女を止められるのかと、不安に思っていた。
ただ、彼が無謀な事を言うような性格では無い事もキャロルは理解していた。きっと何か手があるのだろうと。それなら、不必要なことは何も言う必要は無い。
「死なないで下さいね」
「ああ、任せとけ」
一度の深呼吸の後、二人同時に、物陰から飛び出る。そのまま真っ直ぐに、階段へと走る。もしも少女が気が付かないのなら、それで良い。
「止まりなさい」
重い声が、響いた。魔力ではなく、声と同時に発された少女の圧力に、キャロルの足は、枷が付いたように動かなくなっていた。
「止まるな、走れ!」
キャロルのすぐ後ろで、トニクが叫ぶ。その短い言葉が、彼女を枷から解き放つ。
「また後で、会いましょう」
そう呟き、キャロルは速度を上げた。彼女を追うように、赤髪の少女が地を蹴る。重力に縛られていないかのようにふわりと浮き上がった肉体は、トニクを意に介することもなく動き出そうとしていた。その行手を遮るように、トニクが剣を振り抜く。
「っ……邪魔立てしますか」
ようやく、彼のことを一人の敵だとみなしたようだった。
「それが今回の俺の役目みたいだからな。あの子の元には行かせない」
その言葉に、いつもの気楽な様子は無い。ただ真っ直ぐに、少女の姿を見つめていた。キャロルと出会う前の彼ならば、戦う選択などしなかっただろう。何かと理由を探して、逃げていたはずだ。
「良いでしょう。あの子はこの先には進めませんし。力の差というものを見せてあげます」
少女がフードを外し、その顔を見せる。左目は開いておらず、そこには蛇のような、アザとも刺青ともつかない模様が刻まれていた。開いている右目の視線は鋭く、睨まれたトニクが思わず身震いしてしまう程。
「我が名はリルス。世界の破壊者を愛す者なり」
少女が――リルスがその宣言と共に魔力を解き放つ。周囲の窓を粉々に砕くほどに吹き荒れる魔力の奔流に、少しも臆することなくトニクは立っていた。瞳の闘志は消えることなく、直剣を握り、構える。
「私の魔力に、折れませんか……」
「……お前、そんな偉そうだけど大したことないだろ。魔王様どころか、キャロルちゃんの方が、よっぽど強いな」
トニクが答える。実際、リルスの纏う魔力は不気味でこそあれ、大きくは無い。ただその言葉を聞き、一瞬だけ彼女の魔力は揺らいだ。
「違う。私が一番強い! あの人はそう言ってた!」
駄々をこねる子供のように、金切り声でリルスが叫ぶ。それと同時に、彼女の纏う魔力が吹き荒れる。それにつられて、階段を飾るように設置されていた花や、周囲に散らばる窓の破片が宙を舞い、鋭い刃となってトニクを貫かんと飛来した。
「ヒステリックかよ……」
呆れたように一度ため息をつきつつ、剣を振るう。キャロルが『強い』とまで評した剣技はさすがのもので、その全てを自身の間合いに入った瞬間に斬っていく。彼自身も、この才能を知らなかった。昨日の戦いで初めて、この戦闘の才に気づいたのだから。
「違う、違う! 私より強い人なんて居ない!」
感情を叩きつけるように、叫ぶ。リルスの足元の影が歪み、形を変える。主である彼女から離れ、巨大な槍へと姿を変える。
「私は影を統べる者。影は全てのものに存在するから……私は最強なの」
宣言するよりも、自分に言い聞かせるようにリルスは言う。頭上に掲げた漆黒の槍は、彼女の腕の動きに合わせて、空間を裂きながら動く。
「黒影槍」
リルスが力任せに、右腕を振り下ろす。それに連動して、頭上に掲げられた黒槍はまっすぐと床へ突き刺さった。直後、そこを起点に漆黒の影が周囲を飲み込まんと広がっていく。移動での回避は不可能なほどの広範囲を、決して遅くはない速度で飲み込んでいくその影に向けて、トニクは一度戸惑いながらも真っ直ぐに駆けだした。
影の波動とすれ違う瞬間に、トニクは真っ直ぐに剣を振った。円状に広がっていた影の一部が裂かれ、その中心、黒槍の隣に立つリルスへの元へ道が開く。
「開け、次元の扉」
小さく剣を振り、空間に裂け目を創り出す。もちろん出口はリルスのすぐ目の前。少しの迷いもなく、トニクはそこへと飛び込んだ。それは即ち、ほぼゼロ距離の近接戦――トニクの全力が出せる距離での戦いになることを意味していた。
空間の裂け目の中、一時的に形成された異空間から飛び出した瞬間に、全身の勢いと重みを乗せて剣を振り下ろす。
「来るな、私の傍に来ないで!」
怯えた声で叫びながらも、リルスの中で戦闘の意思が消えたわけでは無かった。むしろさっきまでよりも、トニクへの敵意は増しているのではなかろうか。彼女の足元の影が無数の腕へと変わる。それらは、リルス目の前で、今まさに彼女を斬らんとするトニクを弾き飛ばそうと延びていく。
「……そりゃ一筋縄じゃいかないか」
上段に構えた剣を一度構え直し、横へと大きく振り抜く。彼の元へと襲い掛かる無数の影は、その一振りに飲まれ、両断されていた。裂かれた影は拡散し、周囲を黒く塗りつぶしていく。
「許さない、私を否定したこと、絶対に!」
先の斬撃の後の、僅かな隙を狙ってか、辺りに残留する影に紛れてトニクのすぐ傍へと踏み込んできていた。彼女の髪と同じ、曇りなき深紅の瞳は、ギラギラと輝いていた。ひどく興奮していることが、その瞳から見て取れるほどに――正気を失っているのではないかと思わせるほどに。
手が届くほどの距離まで近づいた二人は、激しい剣戟を繰り広げていた。トニクは自分の剣を、リルスは影で創り出した漆黒の剣を、交える。もうその時点で、リルスは負けていた。先程から卓越した剣技を見せるトニクに対して、彼の得意とする戦場へ踏み込んだ時点で。それでも、彼女はやらずにいられなかった。
「私が、最強なんだ……!」
最強と言う立場への、原因の分からぬ執着が、目の前の蛇人族を叩き潰さなければと、彼女を突き動かしていた。最強ならば、例え相手の得意な場所でも負けるはずがないと。
ただ、現実は違う。二人の剣戟は、何も知らない者が見てもすぐにわかるほどに、一方的にトニクが押していた。リルスの攻撃はすべて彼に弾かれ、その度に彼女の鼻先を掠める反撃が切り込まれる。
「宵闇の魔剣・模倣品」
勝負を決めるつもりか、リルスが周囲の影をその刀身へと集めていく。それに合わせて、トニクも自身の刃に魔力を纏わせていく。一方は、トニクの背丈と変わらないほどの巨大な影の剣を、もう一方は周囲の空間を歪ませる魔力を纏った剣を構える。
「影に、飲まれろ!」
先に動いたのはリルスだった。巨大な剣を両手でしかと握りしめ、上段から振り下ろす。それをトニクは、自身の刃を掠めて受け流す。流石に受け止めるのは分が悪いだろう。影の剣は、彼のすぐ隣の床へと命中した。
「最強……最強ねぇ。その称号、お前には重いんじゃないか?」」
既に、トニクはリルスへと肉薄していた。
「最強ってのは、あの魔王様みたいな化け物のことを言うんだろうよ」
すれ違いざまに、一度だけ剣を振る。リルスの右肩から左の腰へ、真っ直ぐに斬撃が走る。最強を名乗る少女は、膝から崩れ落ち、その場に倒れた。
「悪く思うなよ、ここは戦場なんだから……」
床に血だまりを形成するリルスから目を離し、トニクは走りだそうとしていた。先へと進んだキャロルに追いつくために。剣を腰に差し、地を蹴ろうとしたところで、彼は違和感を抱いた。足が、動かないのだ。床と足が接着されたかのように、びくともしない。
「……まったく、私ったら弱すぎ」
背後から声が聞こえた瞬間に、足が床から離れた。嫌な予感を抱きつつ振り返った刹那、彼の視界を、一点の光もない闇が包み込んだ。
「こんな奴に負けるとか、信じられない」
闇に力を奪われているのか、薄れていく意識の中でトニクが最後に聞いたのは、そんな言葉だった。




