四十四話 新たなる友
「……余は、生きているのか?」
広い空間に、小さな声が鳴った。近くで軽く眠っていたリリムが、その声に目を覚ます。声の主……メレフの体にはリリムが普段着ているコートが掛けられていた。
「目、覚めましたか」
自身の体に掛けられたコートをリリムに返そうと立ち上がろうとした瞬間、メレフの頭を激しい痛みが襲った。
「まだ急に動いちゃダメです、肉体のダメージは治しましたけど、全身を流れる魔力の脈……魔力脈がかなり傷つけられてますから……」
リリムに言われたままに、メレフは今度はゆっくりと上体を起こした。頭痛は走るものの、軽い。
「何も覚えておらぬ……客人、一体何があったのだ? 余は、余は……貴様を傷つけてはおらぬか……?」
どこか不安そうな声をメレフは漏らしていた。自分よりもリリムのことを心配するその様子に、どこかキャロルと同じような底抜けの優しさをリリムは感じていた。きっと話せば、二人は良い友人になるだろうなと。
「大丈夫です、貴方は誰も傷つけてませんよ」
「そうか、良かった……」
安堵の声と共に、メレフの体がまた倒れる。
「すまぬな、どうしても力が入らぬ。客人相手に礼を欠く姿勢を許してほしい」
そんなことは気にしないのにと思ったが、恐らく彼女自身が許さないのだろう。構わないとだけ、リリムは答えることにした。
「客人よ、名を何と申す? もしも一度名乗っているのならすまぬ……」
「リリム=ロワ=エガリテ。あの状況だったんです、しょうがないですよ。えっと……メレフさんと呼んでも?」
「好きに呼ぶと言い。リリム……か。良い響きの名前だな」
良い響きと言われ、どこかむずむずするかのような喜びをリリムは感じていた。
「リリムよ、少し気になるのだが、余の造った迷宮に一体何のために?」
メレフの言葉から察するに、やはりこの迷宮はプラドーラからはまた離れた場所に存在するのだろう。
「えーっと、とある方を救出しに来たんですよ」
「ほうほう……?」
話そうとしたリリムのことを、メレフはキラキラとした瞳で見つめていた。わくわくとした、期待のようなものが籠った瞳で。リリムが少し話すたびに、どうしてそうなったのかと質問を投げかけてくる。気がつけば、話すつもりのなかったことまで全て、メレフに話していた……あの、エガリテを襲った惨劇の事まで。
「――以上が大体、ここに来ることになったあらましと言った感じですかね」
「……すまぬ、嫌な事を話させてしまったな」
「大丈夫です、もう何度も話してきましたし、辛くありませんよ。本当に、優しいですね」
「な……余が優しいなど……」
褒められ慣れていないのか、急に優しいと言われ照れたのか……あるいはその両方かは分からないが、メレフは顔を赤くして黙り込んでしまった。様子に、リリムから思わず笑みがこぼれる。
「リリムよ、折り入って頼みがある」
何か真面目な事を話そうとしているのか、自身の顔のほとぼりを冷まし、メレフがリリムの前へ座る。こういうちょっと張りつめた雰囲気苦手なんだけどな、と胸の中で呟きつつ、リリムは彼女の発する言葉を待っていた。
「リリム、余の友になって欲しいのだが……駄目か?」
「え……」
真っ直ぐにリリムを見つめる瞳と、丁寧な態度。そこから発されたのはとても純粋な願い。態度と願いの差に、リリムの思考が一瞬止まる。その空白を挟み、メレフの願いを理解したリリムは、自然と笑い出していた。
「ど、どうした?」
「いえ、突然だったのと……その、もう友達だと思っていたもので……」
リリムのその言葉に、メレフの顔がほころぶ。
「そうか、もう友だと思われていたか……少し照れるな。リリム、余はメレフと呼ぶが良い。良ければでいいが、敬語も使わないでいてくれると嬉しいのだが、良いか?」
「そっか、分かった。メレフ、よろしくね」
「友……友達か、ふふ……」
長い黒髪を揺らしながら、メレフは抑えられない喜びで笑顔になっていた。
「ねえメレフ、一つ聞いても良いかしら?」
「構わぬぞ?」
メレフの答えを聞くと、リリムは虚空から紙と羽ペンを取り出す。そこに、この国の騒動の黒幕であるあの悪魔の姿をさらさらと描く。
「戦う前に少し話したけれど、メレフのことを嵌めたとか言う男ってこいつで合ってる?」
「あ、そうである! こいつだ……リリム、絵上手いな」
「まぁ念写魔法だし……」
紙に描かれたリーデルの姿を見るや否や、メレフは不満そうな声を上げた。
「この男、余のことを知っていたのである。最近、余や他の七大魔竜が生きていることを知っている者って少なくてな? だからとても嬉しくて、もてなしてやろうと思ったのだ。そしたらこの男、余の配下になりたいと言って来たのだ。余の元に来た者など、五百年は現れておらぬ。配下に、などと言ったのは初めてだしな。それで信用したらあのザマだ……」
メレフの横顔には、寂しさが含まれていた。リーデルの言葉が、本当に嬉しかったのだろう、故に、裏切られたことで相当なショックを受けているようにリリムには見えた。
「そんなことがあって、私のこと信用できるの?」
質問した後で、少し意地悪だったかなとリリムは思った。しかしメレフは、少しの間も置くことなく、真っ直ぐに頷いた。
「リリムは余を止めてくれたから。リリムは強いからよかったものの、死ぬかもしれなかったのだぞ? そんな中で止める判断をしてくれた相手も信用に値しないというのなら、もう余は誰も信じられぬよ」
個人的なお節介がそこまでメレフの中で信頼される元になるとは思わなかったな、などと考えつつ、同時に信頼できる相手に――彼女の拠り所になれているのなら良かった、とリリムは不思議と安心していた。
「……ねぇメレフ、さっきリーデルが初めて配下になるのを望んだって言ってたわよね?」
「うむ、それがどうかしたか?」
なにかおかしいことを言ったか? とでも言いたげな様子でメレフはリリムを見ていた。リリムの脳内に浮かんでいたのは、自身を一度殺すまで至ったあの機械人形と、この空間への門を守っていたアルテアの二人。
「もしや、あの迷宮に居た奴らのことを考えているのか?」
そんなメレフの言葉を肯定するようにリリムが頷く。リーデルが初めて配下になるのを望んだと言うのなら、彼らは一体何者なのだろうかと。それと、配下であるはずの機械人形の命を奪ってしまったことへの負い目も、同時に彼女の中に渦巻いていた。
「あれは余が創り出した存在だ……余は人と仲良くなったりというのが昔から苦手で、ずっと一人でな、それが寂しくて奴らを創り出したという訳だ。もし戦って殺してしまったとか思ってるんだったら安心するが良いぞ。あいつらは余が生きている限り時間さえあれば蘇る。そもそも少し調子に乗っている節があったし、良い薬になったであろう」
何というか、やはりリリムとは少し価値基準が違うというか。長い時を生きているが故の視点だろうか。リリムが気にしていたのは命を奪ったことではなく――正確にはそれも気にはしていたが――メレフがそれに対して何か思うところがあるのではないか、といったことだった。まぁ実際は、先の言葉から察するに大して気にはしていないようなのだが。
「そういえば、リリムよ、ここに居て良いのか? 妹達を追わなくて良いのか?」
暴走直前の微かな記憶を思い出したかのようにメレフが言う。確かに、彼女の言う通りリリムはメレフを戦闘不能にさせた後に追いかけるから、とキャロルに伝えた。ただ、リリムの本意はそうではない。
「私はゆっくり追いかけるわ。正直、私がいなくてもどうにかできて欲しいから。他のみんなはともかく、私の自慢の妹は凄く強いのよ? もしかしたら魔王にだってなれちゃうかもね」
随分と妹のことを高く評価しているなとメレフは感じていた。それと同時に妹のことが大好きなんだなということも。
「是非一度、しっかりと会って話してみたいものだな。リリムの妹なら、きっと面白い娘なのだろうな。妹は二人なのだろう? そちらにも会ってみたいし……」
興味津々なその様子を見て、リリムはずっと心の底で思っていたことを言葉にする。
「ねぇ、私と一緒に来ない? 私としてはメレフみたいな仲間ができるのはすごく心強いし、メレフからしてみても、あんまり悪い話じゃ無いと思うのだけど……」
リリムのその提案に、メレフが腕を組み考え込む。何か引っかかっている事があるようだった。
「余もリリムと共に行きたいところなのだが、少しやらねばならぬことが残っているのだ。ただ、それさえ終わればすぐに会いに行くと約束するぞ。だから少しだけ待っていてくれ」
そう言うと、メレフは小指を立ててリリムの方へと差し出す。一体どうすれば良いのかと、リリムは動けずにいた。
「もしかして知らぬか? 古代からの契りなのだが……小指と小指をぎゅっと絡ませるのだ。起源は……忘れてしまったな」
そう言って微笑むメレフの小指に、リリムが自身の小指を絡める。二人の間を、淡い光が包み込む。とても、暖かな光だった。
「じゃあ、私はキャロル達を追うことにするわ。まぁ、もしもの時のためね。きっと必要ないでしょうけど」
「そうか、分かった。ここに来るときに通った門をくぐればすぐに外だから、向かうといいぞ……リリム、すぐに会いに行くからな! 楽しみに待っていてくれ!」
寂しそうな顔を一瞬浮かべつつ、すぐにまた会えるからと真っ直ぐな笑顔をメレフは浮かべる。そんな彼女に数度手を振り、リリムは歩き出した。




