四十三話 伝説を越えて
「魔族の娘よ、余の柱を止めることが出来た者は……貴様らで言うところの片の指で数えられるぞ」
高笑いしながら、黒竜はリリムへの警戒心を一段階引き上げていた。とは言っても、先程までの『意に介する必要もない下級魔族』から、『まだ戦いを楽しむことのできる玩具』程度の変化だが。二人の間は、どこか和やかな雰囲気で、束の間の対話の時間だった。
「そうかしら? だとしたらあまり強い人と戦ってこなかったのね」
「……は、ははは! 面白い事を言うな、娘よ! まるで貴様は余が戦った者の誰よりも強いと、まるでそう言うかのようだな、気に入ったぞ」
黒竜がリリムの言葉に、態度に高笑いする度に周囲の大気が震える。それを合図に、周囲の雰囲気が百八十度逆転する。対話から、命のやり取りへと。
「黒咆哮」
黒竜が一声、叫び声を上げる。漆黒の魔力の波動が、咆哮が響くと共に周囲へ走る。その魔力が触れた地面の色が明らかに不自然な、紫を含む黒色へ変わったことを確認し、リリムも魔力を放つ。黒竜の魔力とは相反する、純白の魔力を。二つの魔力の波動は二人の間でぶつかり合い、混ざり合い、何も残すことなく消えた。
間髪入れることなく、リリムが黒竜へと距離を詰める。巨大な肉体では、遠くで戦うよりも距離を詰めるほうが有利だろうという考えの元での行動。
「その程度、余が気付いてないはずがなかろう」
黒竜が一度飛び上がり、そのまま真っ直ぐと地面へとその体を叩きつける。単純な質量攻撃ではあるものの、その巨大な肉体で……しかも魔力を纏った上で行ったのであれば話は別。軽い地震を引き起こすほどの衝撃が辺りに走っていた。ただ相対するはリリム。その衝撃を真正面から受け止め、黒竜の巨体を持ち上げ叩きつける。
「ぐぅっ……」
自分で体を地へ打ち付けるのと、リリムの膂力から放たれる速度で叩きつけられるのとでは全く衝撃が違う。その証拠が、黒竜のあげた呻き声だった。
「白雷撃」
地に叩きつけられた黒竜へ、右の拳に白き魔力を纏わせての強烈な一撃。その目にも止まらぬ速度に、白く輝く魔力は空間へと一瞬光を残す。まるでそれは雷が闇の中に落ちたかのようだった。
「ぐ……があっ!」
一瞬怯んだと思えばそのままお返しと言わんばかりに首を伸ばし、リリム目掛けて魔力の塊を放つ。互いの間に距離はなく、発射から着弾までの時間の差も無い。リリムが防御魔法を発動する余地もなく、強烈な魔力が彼女を襲う。このまま受け続けるのはまずいと、リリムが大きく飛びのく。
彼女が着地し、その視線を黒竜へ戻したとき、それは既に体勢を立て直していた。腹部へと刻まれた先程のリリムの攻撃による傷には、濃い魔力と闇が纏わりついていた。
「……油断したとは言え、か……魔族の娘よ、名乗るが良い。貴様の名は、余の記憶に留めておくに値する」
黒竜の言葉は、リリムのことを見下しているのには変わりないが、彼女のことを認めているように聞こえた。
「私はリリム。リリム=ロワ=エガリテ。この世界を変える魔王よ」
「ふむ。この世界を変えるか。随分と大きく出たな……魔王リリムよ。余は原初の七大魔竜が一角。闇魔竜メレフ・アペレース。貴様との戦いは至極愉悦である。その力をもっと見せてみよ!」
あの小さな少女の本質がこれなのだろうか。それとも、人間の姿になっているときは人格が変わっているのか……まぁ、恐らくはリーデルの魔力のせいで種としての本能が搔き立てられているのだろうが。ただそんなことは今は良い。リリムが気にしていたのは、黒竜が自身を『原初の七大魔竜』と言ったこと。『原初の七大魔竜』は皆が知っている、伝説のような、御伽噺のようなもの。フリーデンが生まれた頃、全ての種族の祖となり、少しの間世界を治めていた七頭の竜のことだった。ただそれは遥か昔の出来事であり、リリムが……というより今を生きる人々の中では、七大魔竜達は皆、人知れずその長い命を終えたというものが常識だった。
「……まぁ生きてても不思議じゃないか。人知れずだから誰かがその死を見たわけじゃないし。にしても、ちゃんと名前もあるのね」
そんなことを呟きながら、リリムの中で一つの結論が出た。今までは、殺すのではなく戦闘不能にすることが目的であったが故に、どうしても手加減しなければならないと心のどこかで感じていた。ただ、相手が伝説の存在であると言うのならば、手加減する必要も無いだろうと。それが嬉しかった。
「黒き夜空は余の世界」
あの柱を落とした時のように、空間に夜空が形成される。前回と違うのは、その空には幾つもの綺麗な星が瞬いていたこと。夜空が開かれるのと同時に、メレフの纏う魔力の量と質が跳ね上がる。それは伝説の存在という称号に負けることのないもので、並みの者であればその場に立つこともできないだろう。圧倒的、絶対的な強者なはずのリリムでさえも、一瞬足が竦むほどだった。
「……私の模倣との戦いがなければ、勝てなかったかもしれないわ。さすがは伝説と言ったところね」
自分と相対する運命であったあの機械人形に感謝しつつ、リリム自身も魔力を解き放つ。その魔力は、妖しく煌めくその左目は他のどの存在よりも異質だった。
「……貴様の魔力、一体何だと言うのだ。一体、何者だと言うのだ!」
リリムの魔力解放した魔力は余りにも強大で、もはや感知することができないほどになっていた。魔力を感知できる限界量を、とうに超えているのだった。
「伝説の七大魔竜が一角、闇の魔竜メレフ・アペレース……気合い入れなさい。死にたくないのなら」
右腕に魔力を纏わせ、それを軽く振りぬく。その振りぬいた腕がの勢いに乗り、魔力だけが空間を飛ぶ。技でも何でもない、ただの魔力の波動。それが、メレフの頭部のすぐ隣を掠め、虚空へと消えた。直接触れたわけでは無いのにも関わらず、彼女の頭部の表面、鱗が数枚巻き込まれて剥がれ落ちていた。
「少し難しいわね……次は当てるわ」
言葉の通りに、リリムがもう一度構える。
「黒咆哮」
今度はそれに対し、メレフはを放つ。避けることができる速度ではないと、そう判断していた。実際その判断は正しく、リリムの右腕より放たれた魔力は、漆黒の魔力波と激突し、激しい衝撃を引き起こしながら消失した。
「黒竜砲」
反撃の時間と言わんばかりに、メレフも攻撃を仕掛けていく。夜空に大きく刻まれた魔法陣から、巨大な魔力の光線がリリム目掛けて落ちる。黒い雷を纏いながら放たれたそれは、周囲の魔力を吸収しながら太く、強くなっていく。リリムはそれを躱す素振りすら見せなかった。
「……流石に少し痛かったわね、やっぱり慢心は良くないか」
少し痛い、と言いながらも、メレフの一撃に巻き上げられた砂埃から姿を現したリリムには、傷一つついていなかった。強いて言うならば、少し髪型が乱されていた程度だろうか。
「無紋の魔弾」
属性を込めていない小さな、しかし無数の魔力弾をリリムが右手から放つ。小さな魔力弾にも関わらず、その威力は必殺に近い。
「宵闇の魔槍」
リリムの魔力弾に対し、メレフはというと、同じく魔法を発動させる。夜空から、無数の巨大な槍が落ちる。リリムの放った魔力弾に自身が触れることなく、その全てを叩き落とさんとしていた。
「黒き王の槍」
空より落ちる魔槍とは別に、魔力弾を叩き落す間自由に行動することができるリリムへ目掛けて、夜空から一本の巨大な槍を呼び寄せる。それ自身が一つの意思を持つ生物かのように、リリムを目掛けて飛行する。
「邪魔ね」
その穂がリリムに届くことはなく、彼女に触れた瞬間、彼女の魔力に存在を歪められ、崩壊する。それと時を同じくして、リリムの放った魔力弾はすべてメレフの魔槍に落とされていた。
「竜の鉤爪」
行動を制限する魔力弾を打ち落とし自由になったその巨体で、リリムの傍に飛来する。前足に備わる鋭い爪が黒い魔力を纏い、リリム目掛けて振り下ろされる。体を大きく捻って、それ目掛けて痛烈な回し蹴りをリリムは叩き込んだ。
「……死の魔力か、私みたいに耐性がなけりゃ死んでたわね」
リリムがその爪が纏う魔力を分析し、小さく呟く。
「当然のように効かぬかっ……」
明らかに動揺したような声がメレフの口から漏れた。それをリリムは待っていた。
「浄化の光」
実力は圧倒していながら、リリムがリーデルの魔力を解かなかったのには理由がある。リーデルの魔力が、メレフの魔力に守られていたから。どういう仕組みかはリリムの知るところではないが、メレフが落ち着いているうちは解くのに時間と手間がかかる。故に一度彼女を戦闘不能にしようとしていたのだった。
ただ、今のメレフなら話は別。動揺状態なら魔力を引き剝がすのは容易である。両手に光の魔力を込めて距離を詰め、メレフの頭部に、優しく触れる。そこから腕を引くと、それに引き寄せられるように黒い魔力の塊がメレフの内側から現れる。一切の躊躇することなく、リリムはそれを握りつぶした。
「感謝する……客人よ……」
敬意を含んだ言葉が聞こえた。その言葉の方へとリリムが視線を向けると、先程までそこに居たはずの黒竜は、少女の姿へと変わっていた。リリムへと短い感謝の言葉を述べるとともに、意識を失い倒れるその小さな体を、リリムは優しく受け止めた。




