四十一話 新たなる出会い
随分と長い時間、リリムは迷宮を飛んでいた。通り抜けた後に激しい衝撃波が発生するほどの速度で。ただひたすらに、急いでいた。
「リリム様、少し、待ってください……」
隣を、空間を繋いで移動していたディアナが、息を切らしてそう言った。その言葉に、リリムの足が止まる。彼女のことを何も考えていなかった自分を恥じつつ、詫びる。
「ごめんなさい……どうしても不安で……」
「あの急に発生した魔力ですか……?」
聞き返すディアナに、リリムは頷く。彼女らの居た場所よりも少し深層に、キャロルとトニクの魔力を感じていた。それが一度激しい魔力に包まれたかと思うと、その片方の……キャロルの魔力がほぼ感じ取れないほどに小さくなっていた。それがリリムにとって、不安でたまらなかった。それが彼女の足を急がせていた。
「貴女は私の従者では無いから……こうしましょう」
肩で息をするディアナの背、肩甲骨の辺りを両の手のひらで触れる。ディアナの背に、彼女にぴったりの蒼い翼が形作られる。少し戸惑うような素振りを見せながら、その翼をはためかせ、ゆっくりとディアナはその場に浮かんだ。
「そのまま、あとは走るのと同じです」
そう言ってリリムはディアナの手を引き、通路を翔ける。その支えを借りつつ、二人は進んでいた。
しばらく進み、下層へと続く階段を発見したところで、リリムは一度速度を落とした。そこに、今探している二人が居たから。
「お、魔王様」
「トニクさん、無事で良かったです」
トニクの背後から、吾輩も無事だよと自己主張するキャロルも居た。彼の背からぴょんと飛び降りた元気そうな姿を見て、ようやくリリムの中から不安が消える。一度、リリムは大きく安堵のため息をついた。
「一旦状況整理しましょっか。そっちで何があったのか教えてくれる?」
四人は一度、手短に互いに起こったことを共有した。その中で、お互いの戦った相手が共に鍵を持っていたこと、それと同じ主人に仕えているらしいことが、リリムの中で少し引っかかっていた。ただそれをこの場で発言することはなく、自分の中に閉じ込める。変な発言をして、自分以外に変に不安を与えるのは……という判断からだった。
「ひとまず、下層へ行きましょう。どうやらリズ達も合流できてるみたいだし」
長い階段を、リリム達は下り始めた。底は見えず、吸い込まれるような暗闇に続く階段を。
少しの時間の後、リリム達は特に何もなく階段のそこにたどり着いた。そこからは長い一本道が伸びており、その突き当たりに、まるで世界が違うかのような、明るく広い部屋があった。
「あ、やっと来た!」
部屋に足を踏み入れると同時に、リリムへと飛びつく影が一つ。リズに軽く対応しながら、リリムの意識はその部屋に存在する、魔法陣の描かれた巨大な扉と、その前に立つ竜人族へと向けられていた。
「貴女がこの方達の主人で、間違い無いですか?」
探るような言葉に敵意が無いことを確認し、身に纏っていた魔力を一旦解く。
「そうね。間違い無いわ」
竜人族の門番が、リリムの眼をじっと覗き込む。
「……強い。それほどの実力があれば大丈夫でしょう。鍵をお渡し下さい」
そう言ってニコリと笑う門番に、リリム達がそれぞれ四つの鍵を手渡す。門番がそれを受け取ると、大きな扉に空いた四つの鍵穴に丁寧に刺していく。全てを刺し終えた門番が扉に触れると、そこに刻まれた魔法陣が、ガラスが割れるかのように壊れた。
「あ、そういえば貴方の名前は?」
門番へと向けて、リリムが尋ねる。綺麗な瞳を真っ直ぐに向けて。
「ありません」
「無いわけないでしょう。貴方、相当強いもの」
しつこく聞くリリムに、門番は少しの間をおき、彼女に追求を止める意思が無いことを確認してため息をついた。
「私の名はアルテア。メレフ・アペレース様直属の配下のうち、最強です」
彼は静かにそう言った。また出た、メレフという名前。気にかけておくべきだとリリムは判断した。
彼に中へ入るように促され、リリム達一向は大きな扉の中へと足を踏み入れる。中は明るく、ただっぴろい空間。その空間の中央に、一人の男がいた。綺麗な黒髪を短く整えた、若い男。背丈はトニクよりも少し大柄で、そに背丈に似合うがっしりとした筋肉を持っている。男はその背丈よりも二回りほど大きな鎚を何かに叩きつけ、それがカーン カーンと耳障りのいい乾いた音を何もない空間に響かせていた。
「親方!」
トニクがその巨人へと駆け寄ると、彼もその存在に気がついたらしく、鎚を振るう手を止めた。眼を守るために装着していた眼鏡のようなものを外し、額にかける。そこから覗く黒い瞳には、鋭い眼力が備わっていた。
「あ? こんなとこまでわざわざ何しに来やがった。もしかして助けに来たとか言うつもりかぁ?」
少し乱暴な言葉ではあったが、その中には彼なりの感謝と照れ隠しが含まれているように感じられた。こんな雰囲気なのはどうやらいつもの事であるらしく、トニクはそれを意に介することも無かった。
「そうだよ、親方を助けに来たんだ。それと、親方への新しい仕事も見つけて来たんだ」
トニクはそう言い、リリムの方を指差す。親方――つまりテクニの瞳が、小さなその魔王へと向けられる。品定めするかのようにまじまじとリリムを見つめた後に、テクニはようやく言葉を発した。
「嬢ちゃん、何者だ? 馬鹿みたいに強いなぁ……」
「あ、私はリリム=ロワ=エガリテと申します」
リリムの自己紹介を聞き、テクニは一度額に手を当てて考え込む。一体何を悩んでいるのかとリリムは思ったが、それを知る術を――持ってはいるが――使うつもりにはなれなかった。
「リリム……アンジュの姉御の親友様か。よくあの人が話してたから知ってはいるが、確かお偉いさんだろ? そんな子が俺に何の用があると……?」
それを聞き、さっきの様子は記憶を遡っていたのだとリリムは理解した。そしてそのままに、何故彼に協力を仰ぐ必要があるのかを伝える。それはつまり、幾度目になるかはもう数えていないが、エガリテにあったことを説明するのと同じだった。ただ、もう彼女にとっては何の苦労でも無いのだが。
「――と言うわけで、テクニさんへと協力を仰ごうと思ったわけです」
説明を終え、リリムはトニクの顔を見る。彼は、整った顔をくしゃくしゃにして、泣いていた。その状況にどうすれば良いのか分からず、リリムはあたふたしていた。その行き場のない腕をトニクが勢いよく掴んだ。
「俺より幼いってのにそんなこと経験して……辛かったよな、是非俺の力を使わせてくれ」
震えた声でトニクはそうリリムへと頼み込む。頼むのはリリムだったはずなのに、いつの間にか立場が逆転しているようだった。それに少し苦笑しながらも、彼女は当然その願いを受け入れる。
「俺はテクニ。ただ技術があるだけの、巨人族の若造だ。リリム様の下でこの力、存分に震わせてもらうぜ」
白い歯を見せるほどにはにかみ、テクニは大きな鎚を肩に背負いながらそう宣言する。それを盛り上げるかのようにぱちぱちと手を叩くリズに、そこら一帯の雰囲気が柔らかくなる。
「そういえばテクニさん、さっきは何をなさっていたのですか?」
ディアナからの質問。確かに、一定のリズムで鎚を叩きつけるあの行為は一体何を意味していたのか、リリムだけでなく、その場にいる全てが気になっていた。テクニの口から発される言葉を、全員がそわそわと待っていた。
「……さぁ?」
気の抜けた答えに、リリム達は思わず、がっくりと肩を落としていた。なんでもテクニが言うには、悪魔族の少年に、キャロルがパシフィスト地下街で助けたあの半鳥人の身柄を解放する代わりにこれをやるように言われていたらしい。その行為の意味も、理由も知らされるこの無いまま。ただ教えられたのは、あの行為には相当の技量が必要なことだけだったらしい。それならば知らないのもしょうがないかと思いながらも、リリムの中で引っかかる。
悪魔族の少年……それは十中八九リーデルのことだろう。プラドーラを崩壊させ、テクニの身柄を拘束してまでこの国でやろうとしていた事への当てのない予想が彼女の思考を支配していく。リーデルは逃げたが故に、その『やろうとしていた何か』は失敗しているとリリムは考えた。正確には、失敗しているだろうと思い込むことにした、なのだが。
「……様、リリム様」
リリムの思考の集中度合いは、ディアナの呼ぶ声への返事をしばらく遅らせるほどだった。自身を呼ぶ声にふと我に帰ると、他の者達が指示を待つかのような様子でリリムを見ていた。小さく詫びながら、これからのことを考える。
ひとまずは、二つの目標のうちの一つ、『テクニを解放する』は達成である。ただ、もう一つの方が厄介だ。この迷宮から、元のプラドーラの祠まで戻り、そのまま王城跡地へと向かう。その後でアナト・テリスの二人の父親である、プラドーラ国王の洗脳を解く。全て上手くいけば、それで終わりだ。
「それじゃあ、最後の大仕事やろっか」
リリムの言葉に、その場にいる全ての者の士気がぐっと上がる。ただその時は誰も知らなかった。直後、彼女と伝説が相対することなど。




