四話 絶望運ぶ悪意
花畑の中心に、リリムは眠っていた。自分の従者に体を預けて。キアレはというと、延々と花の飾りを作り続けていた。この花畑は少し不思議で、花を摘んだとしてもすぐにまた蕾がつき、花が咲く。何かしていかないと落ち着かない、根っからの従者であるキアレには延々と作業ができるこの環境は嬉しかった。
「ん……うぅ……」
空が夕焼け色に染まるころ、リリムが目を覚ました。瞼を何度もぴくぴく揺らして、眠気を振り払おうとしているようだった。
「人魔族は夜に強い種族だったのでは?」
少しいたずらっぽくキアレが言う。
「夜に強いと寝なくても良いはイコールじゃないでしょ……寝られるなら寝るわよ」
瞼をごしごしと擦りながら、少しムッとした表情でリリムが答える。その視線は、キアレの隣にできていた、花飾りの山に向けられていた。
「またやってたのね。毎度のことながら作りすぎよ」
その量は凄まじく、リリムの背丈よりも大きい山ができあがっていた。いつもここに来ると、この山ができる。リリムにとっては慣れっこ。でも指摘せずにはいられない量だ。よいしょっっと言いながら勢い良く立ち上がる。そのまま何も言わず、花畑の入口へ向かう。その後ろを、キアレが追いかける。長い洞窟を抜け、来た時とは違って、滝の裏から伸びる細道から滝を抜ける。
「……なんでしょう」
キアレが短く呟いた。同時に、リリムも何かを感じ取ったようだった。
「キアレ、エガリテまで最高速で」
そう言われるのが分かっていたように、狼の姿に変わったキアレが、リリムが乗るのを待っていた。軽い身のこなしでリリムが乗ると同時に、凄まじい勢いで駆けだした。太く逞しい四肢で大地を蹴り飛ばし、風に乗るように駆けだした。草原に差し掛かったころ、その走る前に立ちふさがるように、巨大な蛇のモンスター、毒吐蛇がとぐろを巻いていた。
「なんでここに……」
リリムの疑問はもっともで、王都周辺の草原には、通常危険なモンスターは出ない。
「突っ込みます」
なぜここに居るのか。そう考えているリリムに、そんな言葉が聞こえた。毒吐蛇が二人に向かって威嚇するのを全く意に介すことなく、そのまま真っ直ぐに飛び込む。
「喰らいなさい、氷狼牙」
毒吐蛇が一瞬で氷漬けになり、キアレの体が衝突した勢いで砕け散る。
「あんなものに気を取られている暇はありません」
静かに、冷たく言い放つ。だがもっともでもある。リリムはキアレの言葉の通り、一旦は考えないようにした。小高い丘がリリムの視界に映った。そこを越えれば王都が見えてくる。丘の頂上で、キアレの足が止まった。
「嫌な予感、的中……」
丘から見えたのは、少し崩れた壁の内側から、黒い煙の上がる王都。異国からの襲撃だろうか。状況が分からない以上、行ってみるしかないようだった。
「キアレ、行こう」
リリムの言葉が震えていた。その言葉に含まれる感情が、怒りなのか悲しみなのか。それはリリム本人でさえも分からないことだった。王都の南にある城壁の門から、二人は中へと入った。二人を待ち受けていたのは、武装した人間。その武装の所々には白い王冠の印が刻まれていた。
「大層な歓迎ね。敵意があるなら容赦しないわよ? 生憎、今の私は怒っているの」
その理由は、王都の現状だった。建物は崩れ、燃えている。その燃える街を彩るように――最悪な彩りだが――至る所に飛び散る血の跡。極めつけは、倒れて、呼吸の動きさえも感じることのできないエガリテの民の姿だった。
「魔物は粛清。魔物に加担する人間も同罪。断罪せよ!」
武装した人間たちのリーダーのような男が、そう宣言する。リリムはそれを、この国への敵意と受け取った。
「魔倉庫・抽出」
黒槍を虚空から取り出すと同時に、人間の軍勢に飛び込む。一騎当千、という言葉が、今の彼女を表すのに一番都合が良いだろう。まるで嵐のように、軍勢を蹂躙していく。瞬く間に、千を優に超していたはずの軍勢は、彼女によって全滅させられた。
「覚悟しろ!」
上空から、三人の騎士がリリムめがけて飛んでくる。先程の軍勢よりは強いということがリリムには感じ取れた。
「氷華・鉄仙」
しかし、その騎士は氷で作られた、植物の蔓に巻かれ、そのまま氷漬けにされる。
「リリム様……」
能力の主は、言葉に詰まっていた。何を言えばいいのかわからないといった感じだった。
「キアレ、あの十字架を持つ人間が居たら容赦は必要無いわ。ひとまず、手分けして生き残っている人を探しましょう」
「しかしリリム様、お一人では……」
自分を心配してくれているのだろう。しかしリリムは、あくまでも手分けすることを提案した。
「手分けしたら、生き残っている人への処置も多くできるでしょう。合理的に行きましょう」
あまり襲撃者も強くはなさそうだから、と付け加えようとして、リリムは言葉を止めた。リリムの知っている、四つの魔力が一か所に集まっていたことを感じたから。その一つは、リリムの大嫌いなもの。残り三つの魔力が、少しずつ小さくなっているように思えた。雷の魔力を纏い、高速でリリムは飛び去った。キアレは、主人の命通りに、王都で生き残っている者を探すことにした。
王都の外れの小さなカフェに、リリムの探す魔力の持ち主はいた。魔法力試験の時に、リリムと出会った三人組と、そこでリリムに敗北したダスト。この四人が、ここで戦っていた。いや、戦いではなかった。ダストが一方的に、三人組をいたぶっているだけだった。もう人間の少女も、蜘蛛人の少女もぐったりとして動かない。竜人族の少年が、彼女たちを身をもって庇っていた。だがそれも、もう限界に近かった。
「もう終わりかぁ? もう少し頑張ってみろよ、男だろ?」
ダストの右腕から、雷光が走る。少女たちに向かったそれを、竜人族の少年が割り込んで、受ける。限界に近い、ではなく、彼の体はもう限界を越えていた。膝から崩れた彼を、リリムの小さな体が受け止めた。
「よく頑張ったね、今治してあげるから」
右腕から、淡い青色の光が瞬き少年たちを包み込む。三人組の傷が塞がっていく。竜人族の少年を、少女たちの隣に休ませて、リリムはダストの方へと向き直った。
「名持ちが名無しを虐めて楽しい?」
三人組は、名を持っていない、名無しだった。名前は、その持ち主の魂のあり方を決めるもの。この世界では、名前があるのか無いのかでそもそも圧倒的な格差があった。そして、名持ちは名無しに比べて、圧倒的に数は少なかった。
「楽しいぞ? 弱い奴らが苦しむのとか大好きだからな」
まだ一日も経っていないのに、リリムと自分の差を忘れたのか、悪びれることなくダストは言い放った。リリムの感情が爆発した。怒りが彼女を支配していた。溢れ出す魔力が、暴風のように吹き荒れる。ダストに向けられたのは、魔法や技ではなく、純粋な拳による殴打。まだ未熟とはいえ、魔王の魔力を纏う殴打は、一撃打ち込む度にダストの形を歪めていく。百発は優に超えただろう。リリムの乱打が、そこで止まった。もうダストの原型は残っておらず、ただの肉塊と化していた。血の滴る自らの腕を見て、激情はここまでさせうるのかと、リリムは恐れた。
「あなたたち、大丈夫だった?」
三人組に、今何が起きたのかをリリムは聞いた。しかし三人の答えは、よく分からない、だった。急に、人間がこの街に襲撃し、全てを奪っていったと言う。
「そっか、ひとまずあなたたちだけでも生きてて安心した……」
その安心は、一瞬しか続かなかった。ダストだったもののすぐそばに、人間の騎士が立っていた。純白の鎧を身に纏う、白髪で青目の青年。リリムに一切気取られることなく、いつの間にかそこに居た。
「死んでしまいましたか……まあ彼は良いでしょう」
そう呟き、青年はリリムの方へと向き直った。鎧と同じ、純白の剣を腰から抜くと、刹那リリムのすぐ目の前まで距離を詰めていた。その時になって初めて、リリムは彼の魔力の強大さを感じた。それは、普段規格外と称される彼女でさえも、一瞬『死』が頭によぎるほどだった。槍を思い切り振り払い、間合いをとらせると共に、三人組を掴んでカフェを飛び出す。
「キアレ! この子達連れて逃げなさい!」
リリムの魔力の爆発を察知して、近づいてきたキアレに三人組を渡す。
「しかしリリム様」
「速く!」
言葉を遮り、リリムが命令する。ただならぬ気配を感じ取ったのか、キアレはそれに大人しく従った。狼の姿で、背に彼女らを乗せて走り去る。そのすぐ後に、ゆっくりと青年がカフェから出てきた。
「なぜ追わなかったのですか。貴方なら私が逃げる前に切り捨てることなど造作もないはず……」
少しでも彼のことを知りたかった。リリムにとって、あまりにも彼は恐怖だった。彼は会話に応じるつもりがなさそうで、リリムのすぐそばに踏み込む。さっきと同じ。今度は距離を取るのではなく、捌く。彼の剣撃に、槍を被せていく。一度、青年が剣を思い切り振り下ろした。避けられるはずの速さだった。なのにリリムの体は思ったように動かなかった。反射的に受け止めようと構えた槍ごと、リリムの右腕が斬られた。
「ぁぐっ……」
リリムを違和感が襲う。普段なら避けられないはずがない速度だったし、勝つことはできない差があるけれど、ここまで一方的にされるとは思えない。極めつけに、能力が使えず、腕が治らない。その違和感は、一つの結論にまとまった。青年の固有魔力が、能力の封印のようなものなのだろう。勝ち目はもう、リリムには無い。ならばせめて、痛手を与えて撤退させることが、リリムにできることだった。
「穿て……魔王闘技『神槍』」
全てを、折れた槍に乗せてバカ正直に突っ込む。青年は剣を構えて、受け止める気だ。
「……見事」
それは青年の防御を突破し、右肩に深々と突き刺さった。燃え尽きたように、リリムが倒れる。遠ざかる意識の中に、リリムは自分を呼ぶ声と、一度の斬撃音を聞いた。