二十九話 不吉、襲来
キャロルと、アナト達兄妹を囲んでいた炎の壁はいつの間にか鎮火していた。更地の真ん中に、キャロルは座っていた。頭を一度空っぽにして、静かに眠る兄妹の姿を眺めていた。
「あの技、私の使える技の中でも結構強い方なんだけどなぁ……」
光の雨を受けて尚、気を失う程度で済んでいる二人に、感心していたのだった。
「お兄……ちゃん……」
微かな声でそう言うテリスの体を、キャロルは背負った。その体は本当に中身が入っているのかと思う程に軽く、何も背負っていないようにキャロルには感じられた。軽い体を、アナトの隣に下ろす。筋肉質ではありながらも、細い腕で、彼女は兄の手をぎゅっと握った。
「お嬢、止めは刺さないのか?」
青き羽衣を纏う女性の魔人が、いつの間にかキャロルの側に立っていた。
「刺さないよ。刺す理由が無いし」
先程まで、命のやりとりをしていたのにも関わらず、相手を殺す理由が無いと言うキャロルの言葉を聞き、純水の精霊は少し呆れていた。
「甘過ぎやしないかい? 生かしておく事の得なんてある?」
「いいでしょ別に」
少しムッとして、キャロルが言い返す。
「この子達は吾輩よりずっと幼いからさ、まだやり直せるはずなんだよね。善悪の判断もできないような環境で育った子達なんじゃないかな……」
恐らく二人は、長寿な種族の小人と耳長の妖精の混血児だろう。外見通りの年齢かと言われれば些か疑問が残るし、他人の命を奪っている以上、やり直せるやり直せない以前の問題なのでは無いかと、純水の精霊は考えていた。
「お嬢がそれで良いなら私も何も言わないけどさ」
ただ、それを伝えたところで主人の意思が変わる事のない者であることを、純水の精霊はよく知っていた。ゆったりとした動きで兄妹の側に座り込むと、二人に手を伸ばし、傷を癒していく。キャロルとの戦闘で刻まれた痛々しい生傷も、今までに背負ってきた、自然には治らないであろう傷跡も、全てを治していた。その様子をキャロルは見ながら、静かに感謝していた。
もう少しで完全に治療が終わる、と言ったところで純水の精霊は手を止めた。
「どうしたの?」
不思議そうに、キャロルがその顔を覗き込んだ。彼女は少し、迷っているような顔をしていた。
「お嬢、戦闘準備。時の精霊神様を降ろしていたけど……魔力は残ってるかい?」
「別に大丈夫だけど、急にどうしたの」
純水の精霊は、その質問に答える前に兄妹の傷を完全に治した。その二人の胸の辺りに、純白の魔法陣が浮かぶ。彼女はそこに手を触れた。その手をゆっくりと引くと、魔法陣から何か真っ黒な塊が引き出されてくる。直前まで一点の曇りもない純白色だった魔法陣が、少しずつ漆黒色に染まっていく。魔法陣が、光のない夜空のように真っ黒に染まったところで、黒い塊は純水の精霊の手によって完全に引き出されたようだった。彼女はその二つの塊を、少し遠くへと放り投げた。
「この子達は私が護る。お嬢、私が必要ならすぐに行く」
放り投げられた塊は、異質な魔力を纏っていた。そこから距離を取るように、兄妹を抱えて純水の精霊は距離をとった。キャロルが見つめる先で、二つの塊は人の形へと変形していた。いくつもの頭を持ちながら、その表情は読み取れない。いや、最早顔自体が無いと言う方が正しいだろう。
「……ささっと終わらせちゃおうか」
まだ戦えるとはいえ、連戦はかなり消耗するもの。早く終わらせて少し休みを挟まねば、ディアナ達に追いつけないとキャロルは判断した。
「リーデル様のために、彼らと同じように、傀儡人形になると良い」
全くと言って良いほど抑揚のない声で、黒い人形の片割れが言った。どうやらアナト達兄妹は、この人形達に操られていたらしい。
「あの子達から出てきたなら聞いてたんじゃないの? 吾輩はお姉様の下にしかつかない」
キャロルが言い返した瞬間、二つの人形は動いた。左右から彼女を挟み込むように攻撃を仕掛けてくる。人形達の攻撃は、はっきり言って遅く、避けるのは容易なものだった。いや、それはキャロルが避けるのに集中していたからかもしれない。人形達の腕からは、底の知れない自信を感じていた。キャロルの勘が、その攻撃に当たるなと、そう言っていたのだった。
「付き合ってバカを見るのは吾輩かな……」
一旦冷静になり、キャロルは軽い足取りで人形達から離れた。大砲を装備し、躊躇することなく魔力を放つ。遠くから一方的に、キャロルの攻撃が命中し続ける。
「ご主人、私の技使って!」
いつの間にか、彼女のすぐ隣に、緑色の髪を持つ少女が立っていた。風は吹いていないのに、彼女の長いコートはゆらゆらと揺れていた。
「いくよ、暴風の精霊」
暴風の精霊が、キャロルの大砲に手を触れる。彼女の魔力が、大砲に注ぎ込まれていた。キャロル自身も魔力を乗せて、それを放とうとした瞬間のことだった。
「へぇ、僕の人形、見つかっちゃったんだ」
背後からそんな声がした。振り返ると、すぐ近くに一人の少年が立っていた。真っ黒でねじれた二本の角を頭に生やし、真っ黒な翼と尻尾を持つその容姿から推察するに、悪魔族だろうか。キャロルは無意識のうちに、唾を飲んでいた。纏う魔力は別格に大きく、そしてなによりも恐ろしい。
「リ、リーデル様……」
この少年が、アナト達の言っていた——正確には彼らを操っていた人形達の言っていた——リーデルという者らしい。彼はキャロルには興味を持たず、人形達の側に歩み寄っていた。彼が手のひらを人形に向けると、それらは小さな黒い塊となり、そこに吸い込まれていった。
「全く使えない奴ら……君が俺の人形見抜いたんでしょ。近くに精霊居るし、君精霊術師か。しかも相当強力な精霊も使役できてる。面白い子だな」
改めて、リーデルはキャロルに興味を示したようだった。
「わざわざこいつらに力分けてあげてよかった。おかげで君みたいな面白い人に会えた」
「……どういう意味ですか」
キャロルが聞き返した途端に、リーデルは目を輝かせた。自分のやったことを自慢したがる子供のように、純粋な瞳だった。
「この国の王様に少し力を分けてあげたんだよ。暇潰しってやつ? まぁそれだけじゃ何も起きないから、少し洗脳してあげたよ。耳長の妖精は居なくても変わらない、むしろ叛逆を企てているってね。それとおまけに王様の子供二人に、俺の固有魔力をかけてあげたんだ。摩訶不思議人形館って言って、俺の魔力で駆動する人形を取りつかせて操る能力でね」
「もういいです! 気分が悪い……」
まだまだ語り続けようとしたリーデルの言葉を、キャロルが遮った。彼女は心の中で静かな怒りを燃やしていた。無垢な、幼い兄妹を汚した存在が目の前にいる。この意味のない内乱を引き起こした黒幕が。部外者のキャロルだが、彼の行いは許せる者では無いと判断した。
「もしかして僕と戦うつもり? 君に戦う理由なんてあるの?」
合理的な理由は、彼女には無い。ただ、一つの国を踏み躙ったリーデルが許せなかった。それだけだ。
「豪風砲」
先程魔力を注ぎ込んだ大砲から、暴風が吹き荒れる。その風の塊は、リーデルの届く瞬間に全く同じ風に当たって消失した。
「僕も精霊術師なんだよね。良いじゃないか。楽しめそうだ」
彼の肩には、凛々しい顔つきの鳥が止まっていた。リーデルと同じような、不気味な魔力を持つその鳥が甲高い鳴き声をあげると、激しい気流が巻き起こる。キャロル達もそれに、同じ気流をぶつけて対抗する。
「……ご主人、大丈夫?」
暴風の精霊が、そう心配そうに言った。今のところ、キャロルとリーデルの戦闘は互角である。今のところは。ただ、リーデルは確実に魔力の底を見せてはいないし、キャロルは万全と言える状態では無いのだ。
このまま続ければ、ほぼ確実にキャロルに限界がくる。そしてその限界は、さして遠いものでは無さそうだった。名前を持つ精霊の顕現には、かなりの魔力を消費する。今日に入ってから、幾度も大精霊を顕現させている。もう普通の精霊術師なら、魔力を完全に消費しきっていても何もおかしくは無かった。
「来い、業火の僕」
リーデルの呼び声に応じて、どこからともなく蛇の尾を持つ狼が現れる。それと同時に、激しい炎が狼の足元から吹き上がり、キャロルへと襲いかかる。彼女がそれを躱す為に動こうとした瞬間、突然に大きな水流がその炎を飲み込んだ。
「お嬢、大丈夫かい?」
「ありがとう、純水の精霊。正直大丈夫じゃない」
珍しく弱気な彼女を見て、純水の精霊は今の状況が相当不味いものであるということを察した。
「へぇ、君も同時顕現できるんだ。なかなかそれできる精霊術師居ないんだよね。やっぱり、僕の人形にならない?」
未だにリーデルは、キャロルの勧誘を諦めていない様子だった。
「なりません」
彼女の強い意志を、その短い言葉から察したようだった。もうこれ以上は何を言おうと彼女の意思は変わらないのだということを。
「じゃあ、死んどくか」
一瞬で、空気が変わった。リーデルの纏う魔力が、どんよりと重くなる。本気で、キャロルを潰しにきていた。
「……みんな、来て」
胸の前で手を合わせ、祈りを込める。今彼女が顕現させられる精霊全てを、その身に宿す。脳を直接かき混ぜられるような頭痛が、彼女を襲う。魔力切れが近いことを示していた。
「この一撃で、全てを。精霊究極魔法始まりの大樹の怒り」
彼女の背後に、光り輝く大樹が現れる。そこから、純白の魔法弾が放たれた。直線上にある全てを飲み込み、リーデルへ目掛けて直進する。
「マジかよ、とんでもないもん撃つじゃん」
リーデルは、すうっと闇に消えるように居なくなっていた。
魔法弾が走った後のプラドーラの街は、半分ほど完全に消失していた。その荒野に居たのは、静かに息をするキャロルだけだった。




