二十四話 不穏の始まり
「……そういうことがあって、私はお姉様の妹になったって訳なんですよ」
リリム達がクロートの件の後始末に向かっている頃、キャロルとディアナは、街の北へと向かっていた。『自由組合』なる場所へ行くために。その間に、キャロルは自分とリリムの少し奇妙な関係の始まりをディアナから聞かれて、彼女に話していた。
「なるほど……キャロル様も結構大変なことを経験していらっしゃるのですね……」
そんな話をしている間に、二人は街の最北端にある、少し大きな建物へと辿り着いた。中からはがやがやと話し声が聞こえてくる。ディアナに入るように促され、その中へと足を踏み入れる。そこは大きな酒場のようになっていて、あらゆる種族が居た。壁には無数の紙が乱雑に張られており、それには依頼が書かれている。
「ここが自由組合です。簡単に言うと便利屋のようなものですよ。やってほしいことを依頼すれば、ここで騒いでる方の誰かがこなしてくれる……といった感じですね」
キョロキョロと辺りを見渡すキャロルに、ディアナが説明する。
「おいおい、ディアナ姐さんじゃないか。こんなところに何の用っすか?」
二人に、眼帯をつけた屈強な人間の男が話しかけてきた。キャロルは驚きのあまり固まっている。対照的にディアナは笑顔でその男と話していた。
「今日はアンジュ様のご友人の依頼をね。テクニさんは居る?」
「テクニの兄貴なら……今日は見てないっすね。この前誰かと口論してたみたいなんで、何かあったのかもしれないっす……」
ディアナは少し考えるような素振りを見せて、すぐに彼に対して小さく頭を下げた。
「情報ありがとう」
「構わないっすよ。ディアナ姐さんには恩義があるので」
男はそう言うと、酒場へと消えていった。
「……初めての方は苦手ですか?」
ディアナからの問いに、キャロルは頷く。
「どうしても苦手で……すみません」
そんなことを言う彼女を、ディアナはぽんぽんと撫でた。
「大丈夫ですよ、私も居ますし。少しずつ慣れていきましょう」
彼女に連れられて、キャロルは自由組合の奥へと進んでいく。突き当りに、小さなカウンターがあった。ディアナがそこに居る女性と何か話しているのを、彼女は大人しく待っていた。
「お待たせしました。今日ここに来たのはリリム様に協力してくれると思うお方に心当たりがあったのですが……」
さっきディアナが男と話していた、テクニという人だろうか。
「その口ぶりだと、やっぱり居ないんですね……」
ディアナは頷いた。
「いつも彼は、ここに来ない時は毎回連絡があるそうなんです。ですが今日は連絡されていないとのことで……直接会いに行ってみませんか?」
ディアナからの提案に、キャロルは頷く。賛同したというよりは、そうする以外には方法が無いというのが正解だった。二人は自由組合の建物から出ると、その近くにある地下への階段へと向かった。その先には地下街が広がっていた。水路だらけの街の下とは思えないほど広大なものが。
地下街は地上と同じように、たくさんの人でごった返している。ただ、キャロルにとってはどこか嫌な雰囲気の場所だった。おそらく精霊術師が故に感じられる、僅かな空気の澱みから。
「かなり複雑な道のりですので……はぐれないよう気を付けてくださいね」
「大丈夫ですよ、そんなに幼く無いですから」
すみません、と少し笑いながらディアナが言う。二人が奥へと進もうとした時、キャロルが何かを感じた。急に立ち止まり辺りを見渡すキャロルの様子にディアナは気づいたようだった。
「……どうかしましたか?」
「誰かが苦しいって言ってます」
不意にキャロルは走り出した。さっき向かおうとした方向とは反対方向へと。人ごみをかき分けながら、地下街を駆け抜けていく。苦しむ声が、助けを求める微かな声が、精霊術によって研ぎ澄まされた共感覚に流れ込んでくる。
キャロルは地下街の入り組んだ路地の中で、それを見つけた。若い半鳥人の青年だった。鳥の翼となっている両腕は血で真っ赤に染まり、背中を右肩から腰にかけて切り付けられたかのような深い傷が刻まれている。腰のあたりに、蜘蛛を模った装飾品を身に着けていた。
「だ、大丈夫ですか?」
そばに座り込み、少し震える声を掛ける。青年は答えることは無く、浅く荒い息をしている。大丈夫ではないだろう。
「……今治します。来て、純水の精霊」
羽衣のようなものを纏った、女性の魔人がキャロルの傍に現れた。
「どうしたお嬢……この半鳥人の治療か?」
「うん。吾輩のできる精霊術じゃこの傷は治せないから、力を貸して」
言葉は落ち着いているが、精霊には彼女が焦っているのが見て取れた。そんな彼女をなだめるように額をパチンと弾く。
「任せな」
芯のある声で彼女はそう言うと、キャロルの背に触れ小さな魔法陣を刻む。そこから彼女へ水の魔力を分け与える。キャロルの瞳が透き通るような青色に染まり、両腕の手のひらに淡い光が集まる。青年の傷にその手で触れながら、魔力を注ぎ込んでいく。
「お嬢、大丈夫か?」
青年の傷が治るのと比例して、キャロルの顔色が段々と悪くなってくる。彼女に力を貸しながらも、その様子を精霊は心配していた。ただ、その質問にキャロルは答えなかった。いや、答えるほどの余裕が無かったというのが正しいだろうか。彼女は黙々と、青年の傷を治し続けた。
しばしの静寂が、騒々しい街の路地裏を包んでいた。傍から見れば短い時間なのだが、精霊にとっては途方もないほどに長い時間に感じた。
「はぁ……」
キャロルが一度、大きくため息をついた。青年の傷はまるで何もなかったかのように綺麗に治り、深紅色に染まっていた両腕の翼も、曇り無き純白色へ変わっていた。彼女が立ち上がろうとした瞬間、足が縺れてバランスを崩す。それを見逃すことなく、精霊は彼女の腕を引き、立ち直らせた。
「お嬢、大丈夫か? 相当苦しそうな顔だが……」
「そんなことないよ、ちょっと疲れただけだから」
口ではそうは言っているが、実際は相当な負担が彼女にはかかっているようだった。キャロルがその場に座り込み、ゆっくりと深呼吸する。
「私が直接回復できればお嬢にこんな負担かけなくて済むのにな……すまないね」
「大丈夫だって。それに、精霊は他に干渉できないのは精霊術の基本じゃない」
心配そうにキャロルの顔を覗き込む精霊に、彼女はにこりと笑ってみせた。
「いつでも呼ぶんだよ、お嬢。私たちはいつでもお嬢の味方だからね」
主人の笑った顔を見届け、純水の精霊は空気に溶け込むように消えていった。それと入れ替わるように、軽やかな足音が路地裏に近づいてくるのをキャロルは聞いた。
「はぐれないでくださいってさっき言ったばかりじゃないですか……」
足音の主が、キャロルのすぐ目の前に軽やかに降り立った。彼女は両腰に手を当てて、幼い子供を叱るる親のようにキャロルの顔を覗き込んだ。
「すみません、その人があんまり苦しそうだったんで……」
「まぁ、別に怒ってないですよ。理由があるのは分かってましたし」
そう言って、ディアナが手を伸ばす。キャロルがそれを握ると、勢い良く引き寄せられる。その勢いに乗せて、彼女はぴょんと立ち上がった。少しだけさっきよりは楽で、足元もふらつかない。
彼女がトントンと軽くステップを踏み、大丈夫なのを確認していた時のことだった。
「ん……ここは……?」
半鳥人の青年が目を覚ました。瞳は少し揺れていて、自分の現在の状況を把握できていないのだろう。
「……こ、ここはパシフィスト王都の地下街です。貴方が血まみれで倒れてて、その……」
少し早口にキャロルが言う。頭の中では言いたいことはまとまっているのに、いざ口に出そうとすると、舌が思ったように動かない。これ以降、言葉が口から出てこない。息が詰まって、苦しい。
「大丈夫、落ち着いて話しましょう」
彼女の背に、ディアナが優しく触れる。その温かさを感じ、キャロルは一度深く息を吸った。
「……貴方がここで血まみれで倒れているのを見つけました。一体何があったんですか?」
今度は詰まることなく、頭の中をそのまま言葉につなげることができた。キャロルの質問に対し、青年は少し考えるような素振りを見せた。今度はディアナが別の質問。
「その蜘蛛の飾り、貴方テクニさんのところの人ですよね。彼、今どこにいるか分かります?」
その質問に、青年ははっとしたような表情を浮かべた。
「……そうだ、助けを呼びに戻ってきたんだ。テクニの親方を助けなきゃ」
「落ち着いて、状況を教えてください」
取り乱しそうになった青年を、ディアナが宥める。その手腕をみて、すごいなとキャロルは関心していた。青年は少しずつ――まだ少し焦りが感じられたが――状況を説明してくれた。
テクニは元々技術屋で、国内外問わずたくさんの仕事が舞い込んでくる。その仕事の一つに、彼は違和感を覚え、その仕事を断った。するとその仕事の依頼主が、テクニの徒弟の数人を拉致したために、彼らの解放を条件にテクニはその依頼を現在行っている。その拉致された徒弟の一人がこの青年で、傷は解放される直前につけられたものである、というのが彼の話を要約したところである。
「見ず知らずの貴女たちに頼むのは自分勝手だと思います……ですがどうか、親方を助けるのに力を貸していただけませんか?」
「良いですよ」
青年からの頼みを、ノータイムでキャロルは承諾する。
「困ってる人は放っておけないです。それに、テクニさんに私たち用があるわけじゃないですか」
もう少し考えて、と言いたげなディアナも、一応納得したのか何も言う事はなかった。青年は二人に深く頭を下げると、一旦彼女たちをテクニの拠点へと案内した。




