二十二話 天才と鬼才
「いらっしゃいませ。今日は公務ですか?」
「悪いねマスター。今日は飲めないから、また今度来るよ。奥、入っても良いかな」
ピースキア外れの小さな酒場で、アンジュとそこのマスターがそんな話をしていた。酒場の奥の重い扉をマスターが押し開け、アンジュがその中へ足を踏み入れる。リリムとメアも、その後ろに続いた。扉の奥に続く階段は、リリムには昨日よりも気持ち暗く感じられた。
「暗いね」
魔物のメアや半魔のリリムからすれば真っ暗でも夜目は効くのだが、人間のアンジュからすればそうはいかない。彼女は足元に落ちていた瓦礫を拾い上げ、灯りの入っていないランタンを創り出した。小さな炎の球も同時に創り、その中へ入れる。小さな光で足元を照らしながら、長い階段を下って行った。
「……嫌な雰囲気」
最下層に辿り着いた頃、アンジュは小さく呟いた。彼女なりに何かを感じ取ったのか、リリムにはアンジュの顔色は少し悪く見えた。ちょうど目の前にある、青い扉のように。昨日と同じように、メアが軽くその扉に触れる。しかし、昨日とは違ってその扉が開くことは無かった。
「やっぱり……あの人がいないと開かない仕組みなんです」
メアが申し訳なさそうに言う。
「構わないよ、別に開けられるから」
にこやかに、アンジュはそう答えた。彼女の右の手のひらが、ラピスラの扉に触れる。そこから扉が崩壊し、無数の欠片へと姿を変えた。錬金術も、元は魔力を使うもの。故に、魔力を封じるラピスラという石を造り変えることなど、普通はできない。リリムはそこで初めて、アンジュの実力の片鱗を垣間見た気がした。
クロートの研究室へと足を踏み入れる。至る所に紙切れや本が散らばっているのは変わらない。いや、むしろ昨日のリリムの戦闘のせいで余計に散らばっているだろうか。とにかく、ただただそこは荒れていた。ふとアンジュが振り返り、リリムへ言う。
「リリムちゃん、ちょっと頼まれてくれる? 今回のって結構な事件だからちゃんと記録しておきたいんだよね。だから、リリムちゃんなりに重要そうなもの探してみてくれないかな」
憶測ではなく、しっかりとクロートの行動の目的に確信を持てる物などを探しておいて欲しいと、彼女の意思をしっかりとリリムは理解していた。
「分かりました。任せてください」
彼女の返答を聞き、アンジュはメアと共に研究所の奥の方へと進んでいった。それを見届けると、リリムはアンジュ達とは反対の、本が無造作に並べられた棚の列の方へと進む。一番端の、壁にぴったりと押し付けられた本棚の前で、リリムは足を止めた。なんとなく、ここの中にありそうだという勘を頼りに、一冊の黒く、厚い本を手に取った。それは本というよりは、クロートの何かの研究の記録が几帳面にまとめられたノートのようなものだった。流しでざっと目を通すも、彼の目的を証明できるようなことは書かれていない。
「そもそも本当にあるのかな……」
目的を証明するものなど、リリム達の予想から生まれたもので、実際にはそんなものは存在しないのかもしれないという、マイナスな考えが頭をよぎる。もしもそうだったらただただ彼の記録を全部把握しただけになるなと、リリムは苦笑いを浮かべる。仮にクロートの目的がアンジュを見返したいというものなら、一体過去に何があったのかが気になる。それをさっき城で話そうとしていたのだろうか。さっき取り出したノートを本棚に戻し、また一冊、別のノートを手に取って目を通しながら、リリムはそんなことを考えていた。
しばらくの間、リリムのその作業には進展が無かった。動きがあったのは、一つの本棚をすべて見終えた時のことだった。
「なんだこれ……」
その本棚の一番下の段の背板に、リリムはなにか違和感を覚えていた。その段に並べてある分厚いノートたちを一度すべて取り出してみる。すると、その背板は不自然に、小さな穴が開いていた。何かがあると、彼女の勘が告げていた。本棚を少し動かして、その背面にある壁を露わにする。その壁には僅かな魔力の残滓が感じられ、背面の穴にちょうど重なる位置に、穴が開いていた。周辺の壁を軽く叩くと、音が響く。それはその中に空洞があることを示していた。本来は何か手順を踏んで開く隠し扉のようなものに思えたが、面倒だと判断し、リリムはその壁を一発蹴り、破壊した。
「さてと、何かないかな?」
中の空洞は思ったよりも狭く、小さな机とその上にくすんだ白色の、分厚いノートが置かれているだけだった。それに手を伸ばし、中を覗く。
メークラの月 八日
今日は先生から出された最終試験の実験が少しだけ進んだ。いつも違う方法で錬金すると、昨日までは全く動かなかったのに、しっかりと命が宿っていた。順調に進んでいると先生は言っていた。嬉しい。
どうやら、クロートの日記のようだった。一日の様子が短い文章でまとめられている。この中になら、彼の目的は書かれているかもしれない。あの少し狂っているような様子でもしっかりと日記をつけていれば、の話だが。一日一日の文は短いと言えども、かなりの分厚さがある。リリムは自分の瞳に、魔力を少し纏わせた。パラパラと、速くページをめくる。それでも内容を把握するための、瞳への魔力だ。日記も後半に差し掛かってきた頃、リリムはページをめくる手を止めた。
マハラの月 二十八日
先生の元に、錬金術師志望の、人間の小さな女の子がやってきた。真っ赤で綺麗な髪と眼を持つ、美しい子だった。八歳だと言っていたが、自分のところに挨拶をしに来た時にはとても丁寧で大人びていると感じた。しばらく共に学ぶのだから、少しでも仲良くなっておこうと思い、異国の『カメラ』とかいう道具を創ってあげた。それを渡した時の顔は、年相応の可愛らしい顔だった。あまり錬金術は人間向きではないものなのに、よく選んだなと、彼女を応援しようと思った。
時期と、描かれている風貌的にこの少女は、アンジュだろうか。アンジュとクロートの接点は、リリムが想像していたよりもずっと深い物なのかもしれない。そう考えながら、リリムはまた日記のページをめくった。しばらくは、何気ない日常を描いている様子だった。次に彼女の目に留まったのは、先ほどのものから四年程経った頃の日記だった。
ティラの月 十六日
アンジュが明日から錬金術を、座学だけではなく本格的に実践してみることになったと言っていた。普通なら二十年はかかるはずの座学をたった四年で終わらせるとか、ハッキリ言っておかしいだろうと思った。僕は確か、座学は十年くらいかかったはずだ。先生は僕を天才と呼んでいた。ならばアンジュはどうなるのか。まぁ、正直なところ座学よりも実践の方がはるかに大事だし、明日の様子を楽しみにしよう。
ティラの月 十七日
今日はアンジュの錬金術の実践を見た。素直な感想としては、異常とも言えるほどにハイレベルだ。先生から出された課題は、小さな家を創ってみろだったというのに、彼女が創り上げたのは城だった。普通の錬金術師見習いなら、大きなものを創ればその重さで自壊してしまったり、どこか歪んだりすることが多いのだが、彼女の創った城はそんな予兆は全くなかった……先生は、アンジュのことを『鬼才』と称した。僕もその呼称がぴったりだと思う。彼女には僕よりも断然才能があった。
十六日の日記はアンジュの才能への驚きと、軽い嫉妬が、十七日の日記には素直に、アンジュの才能を称賛しているような感情が見て取れた。日記に書かれていることから鑑みるに、恐らくクロートの性根はいい人なのだろう。何があそこまで彼を歪めてしまったのだろうか。リリムは更に日記を読み進めた。何かを感じたのは、そこから三年ほど経った頃の日記。
アンディラの月 一日
アンジュが最終試験を始めることになった。先生がそう言ったとき、思わず噓だろ? と口から言葉が出ていた。だって錬金術を始めてたった七年で、錬金術師の階級の最上位、『大公錬金術師』への認定最終試験を始めるなんて、有り得ない。普通はそのレベルに到達するのに、座学二十年、実践で百年程経験を積むというのに。錬金術が人間向きではないのはこのためだ。僕でさえかなり時間がかかったというのに、彼女は悠々と自分と同じステージにまで辿り着いた。課題は僕と同じ、成功者はゼロの『人体錬成』だった……正直なところ、彼女が恐ろしい。もしかしたら、世界で数人しかいない最上位にたどり着いてしまうのかもしれない。負けていられない。
クロートの文章に、焦りが見えた。ここがきっかけのようにリリムには見えた。そして恐らく、その二か月後の日記こそが、彼を歪めた原因だと思えた。
サンティラの月 十一日
アンジュが『大公錬金術師』の爵位を受け取った。彼女の人体錬成は、完璧だった。彼女とは対照的に、綺麗な青色の髪と瞳を持つ少女を、アンジュは創ってしまった。おまけに普通の人間のように成長していくらしい。意味が分からない。彼女の才能が憎かった。人間の癖に、僕よりも先を歩かれるのは嫌だ。どうすれば良いだろうか。いっそのこと、何かに巻き込まれて死んでしまえばいいのに。僕のほうは……まだ完成しそうにない。
この日を境に、日記は読めなくなっていた。ぐちゃぐちゃな文字で、何が書いてあるのかが分からない。そしてそれすらも、最後の方のページには書かれていなかった。
補足説明 ○○の月について
作中で解説する機会が見当たらないので、ここで解説させていただきます。
この世界は、現実世界と同じく十二か月で一年周期が流れています。これはこの世界に、十二柱の神がこの世界を創ったという伝承が存在するからです。
一月 クビラの月
二月 ヴァジュラの月
三月 メークラの月
四月 アンディラの月
五月 アニラの月
六月 サンティラの月
七月 イダーラの月
八月 パーイラの月
九月 マハラの月
十月 チドラの月
十一月 チャドルラの月
十二月 ヴィカルラの月
となっています。これを使って時系列を表したりはしませんが、あぁ、こんな感じなんだねといった程度で把握していただけると幸いです。
読んでいただき、ありがとうございます。




