十九話 強大な力と代償
「やる気満々みたいだけど、何のために君は戦うんだい? 別に君にはメアの為に戦う義理はないだろうに」
確かにリリムにはメアのために戦う義理は無い。
「まぁ確かにそうだけど、私はお節介だからね。目の前で死なれるのは困るし、助けてって言われたら助けてあげたくなっちゃうわけ」
その答えを聞いてクロートは笑った。嘲笑に近い、ばかにしたような笑い声。
「ほんとにお節介みたいだね。そして馬鹿だよ。メアなんかの為に死ぬのだからね!」
クロートが足元に散らばった紙切れを拾い上げて千切り、リリムに向かって飛ばす。それらはリリムの足元に落ちると同時に、小さな虫の群れへと変わる。一瞬激しい嫌悪感に襲われたと同時に、リリムが足元を炎で薙ぎ払う。今、リリムが考えていることはクロートの固有魔力と権能。恐らく固有魔力は先ほどから多様しているもので間違いないだろう。触れた物体に命を宿すといった感じの能力だと、そうリリムは考えていた。権能は、メアが地面に押し付けられていたあれだろう。リリムの固有魔力があるとはいえ、能力が効かないというのが権能にも通用するのかが分からない。故に警戒するべきだろう。
「もっと君の力を見せてくれ。全部出し切ってから死んでくれよ?」
実験対象を観察するかのように、楽しそうにクロートが言い、ポケットから五種類の宝石のようなものを投げ飛ばす。その全てが異形の化け物へと姿を変える。炎 水 風 土 雷の五つの大きな魔力をそれぞれが纏っている。それらを見てうなり声を上げるメアに、リリムは向き直りその頭を優しく撫でる。
「大丈夫だよ。戦おうとしなくても」
メアの体には、特に目立った外傷は無い。それでも彼の足は震えていた。肉体的ではなく、精神的な摩耗が大きいだろう。背後に迫る化け物たちに全く目を向けることなく、メアのことをずっと、柔らかく細い腕で、優しく撫で続けた。
「リリムさん危ない!」
化け物のうちの一匹。紅の狼らしきものが、リリムへと跳びかかった。その牙がリリムに届く瞬間に、彼女の背後から水の槍が放たれる。それは正確に狼の眉間を撃ちぬいた。それにも関わらず、狼はまた立ち上がった。
「大魔法 五紋の魔弾」
改めて、リリムが化け物たちの方へ、五種類の魔法弾を無数に放つ。五匹の化け物は、その魔法弾に削られ、跡形もなく消えてしまった。
「五属性使い……! メアと同じ、いやそれ以上か。実に良い。メアの代わりとして欲しい!」
メアのことを道具としか思っていないようなその言葉に、リリムの怒りは大きくなる。リリムの双眸は。まっすぐとクロートのことを見つめていた。
「君を是非とも、僕の道具にしたい。だから君は最高傑作で相手しよう!」
クロートが赤子の像に触れると、その像が割れ、中から濁った灰色の何かが這い出てきた。それはリリムの背丈の三倍ほどの大きさはあろうか。頭のない土人形といった感じだった。
「負のエネルギーを凝縮し、僕の手で命と名前をつけた最高傑作『メノス』だ。実際は少し目標量よりも少ないが……まぁ誤差だ」
刹那、リリムの視界がぐらりと歪んだ。不意に鈍い衝撃に襲われて、リリムは初めて自分が攻撃を受けたことを理解した。リリムの体が宙を舞い、本棚を貫通して壁に激突する。その衝撃で地下空間は一度、大きく揺れた。
「っ……いったぁ……」
息つく暇もなく、メノスはリリムのすぐ目の前まで迫っていた。大きな、歪な拳がリリムに向かって振り下ろされる。その拳が触れる瞬間、リリムの左目が閃いた。メノスの巨体が、不自然に浮かび上がる。その腹部のあたりに、リリムが足をめり込ませる。しっかりと形を保っていた巨人の体が歪み、右腕が内側から破裂する。リリムの蹴りの衝動で、負のエネルギーが形を保てず溢れ出したような感じだった。
「イダイニグイニクイイダイ!」
顔は無いにも関わらず、はっきりとした大きな声でそう聞こえた。追撃しようとしたリリムの腕が止まった。それをメノスが左腕で掴み、投げ飛ばす。リリムが飛ばされ、着地した先はクロートのすぐそばだった。彼の怪しい顔が、きゅうっと歪む。
「リリム=ロワ=エガリテ、頭を垂れよ」
リリムの脳裏に一瞬よぎった、地に押しつけられるメアの姿。しかし、リリムの身にはなにも起こらない。
「どうしてなにも起きない……? 僕は君の名前を確かに呼んだはずだ!」
クロートの声には明らかな焦りが含まれていた。
「名前を呼ぶのと……自分の近くにいるのが条件かしら? ずいぶんと不便な権能ね。まぁ、その権能じゃあ私の自由を縛れないってことよ」
無条件で言葉を聞いたものにその事象を強制させるなんて固有魔力を持っていた奴もいたなと、思い出しかけてリリムはそれをやめた。彼女の背後に、メノスが迫る。
「オマエノゼイ! イタイツライ コロズ!」
さっき弾けた右腕はいつの間にか治っており、そこにエネルギーを集中させているのか、右腕だけが明らかに肥大化していた。
「ごめんね。せめて苦しまないように……」
大剣を取り出し、縦に振り下ろす。その軌跡に、飛ぶ斬撃と魔力の波が放たれる。メノスがその斬撃の異常性に気が付いた時には、もうその巨体は両断されていた。いや、もはや両断とは言えないほどに斬撃に飲まれて消えてしまっていた。残っていたのは、肥大していた右腕の一部分だけ。その右腕も、内側から破裂してしまった。その右腕に蓄えられたであろう負のエネルギーは、そのまま空気に溶け込むように消えてしまった。
「メア、僕に力をよこせ!」
リリムがメノスを斬ったその短い時間で、クロートはすでに行動を起こしていた。力をよこせと命じられたメアがクロートの胸に、深々と淀んだ触手を突き立てる。側から見れば、クロートの権能をメアが乗り越えたように見えた。だがそれは、大きな間違いだった。
「あぁ……実にいい気分だ……」
クロートを中心とした、魔力による衝撃波が引き起こされる。彼の一番近くにいたメアは、煽られるままに吹き飛んだ。あわや壁に激突する寸前で、その小さな体をリリムが受け止めた。リリムの腕の中で、メアは呼吸を荒くしていた。彼からは、全く魔力を感じなくなっていた。さっきので魔力の全てを明け渡してしまったのだろうか。不便な権能などと侮っていたが、案外強力なものであるらしい。
「まさかメノスがあんなにあっさりやられるとは思わなかったが……まぁいいだろう。僕が君を殺せば、君のその強さを手に入れられる。問題無い」
どうやらクロートは既に、リリムに勝てる気でいるようだった。慢心からか、攻撃を仕掛けてはこない。ならばそのうちにと、リリムは指を鳴らした。
「ヨンダ?」
それに呼応して、どこからともなく小さな鳥が現れた。全身を包む羽毛は綺麗な青色で、見る者の目を奪ってしまいそうなほど。それはリリムの肩に留まった。
「パラン、この子の治療と、巻き込まないように守ってあげられるかしら」
「マカセテ」
パランが肩から飛び立つと、メアの体もリリムの腕からふわふわと浮かび上がる。彼らはリリムの背後に回った。
「そんな鳥一匹程度で、守れるなんて甘く見られたものだね」
クロートがそう言うと同時に、パランたちのすぐ側の壁が、獣の群れへと姿を変える。それらはわずかに、あの濁ったエネルギーを纏っているように見えた。唸り声を上げ、獣が彼らへ飛びかかるのに対し、リリムはなにもしなかった。勝ち誇ったような笑みを、クロートは浮かべていた。しかしその笑みは、一瞬で崩れてしまった。手のひらに収まる程度だったはずの青い鳥は、純白の毛並みと巨躯を持つ熊へと姿を変えた。彼が咆哮を上げると、獣の群れは瞬く間に氷に囚われてしまった。
「魂変幻の獣ヲ アマクミルナ」
今度はフカフカの毛を持つ羊へと姿を変え、その毛の中にメアを取り込んだ。その様子を見たクロートは、呆気に取られているようだった。
「一体何なんだ……実に興味深い……!」
ただそれでもなお、彼の瞳で燃え続ける狂気は消えていなかった。彼が腕を伸ばすと、そこからあの濁った触手が伸びる。その矛先は、パラン。だが彼に届く前に、リリムはその触手を切り刻んだ。
「貴方の相手は、私」
やはり、クロートはメアの固有魔力まで使えるようになっているようだった。無数の触手と、固有魔力に生み出される獣たちを無双しながら、リリムはクロートとの距離を詰めていく。クロートも距離を詰められると不利なのは分かっているようで、逃げながら戦っていた。焦っているようにも見えた。
「喰らい尽くせ 健啖の口」
リリムの足元の床が、大きな口へと変わる。それを躱そうと大きく飛び上がったところを、三つの大きな口のついた、もちろん負のエネルギーを纏った芋虫のような何かが襲った。
「邪魔よ」
翼をはためかせてそれを躱し、一箇所にまとまったそれらを、しなる竜の尾で弾き飛ばした。そのままに、クロートとの距離を詰める。大剣を構え、切り上げようとした瞬間の出来事だった。
クロートの背から、大量の濁った流動体が溢れ出した。一瞬でなにかを感じたリリムは、数歩飛び退く。それは瞬く間にクロートを呑み込んだ。負のエネルギーの集合体たるそれは、さらに大きくなっていく。あっという間に、さっきまでクロートだったはずのものは、メノスと同等の大きさを誇る、濁った灰色の狼のような獣へと姿を変えていた。




