十六話 主と従者
「いやぁ……ほんとにごめんね? なんせ最後に会ったの五年くらい前だし……魔力の雰囲気も全然違うし……ちょっと怖い魔力だし……」
申し訳なさそうに、アンジュはそう言った。今リリムたちは、先程出会った酒場を後にして、城へ向かっているところだった。
「気にしなくて良いですって」
先程から、この会話を何度も何度も繰り返している。その様子を、二人から三歩ほど後ろでキャロルは見つめていた。そうこうしているうちに、いつの間にか三人は城まで辿り着いていた。
「……今日は一体何をなさっていたのですかね?」
城の門の前に、一人の女性が立っていた。アンジュとは対照的な、青色の髪と瞳を持つ、凛とした雰囲気を纏う女性。スラリと背の高い彼女の姿を認めると、アンジュは少したじろいだ。
「い、いや……ね? その、私だって羽を伸ばしたいと言うか……」
「そういうのは真面目に職務をこなしている方がやるものです」
彼女の冷静な言葉に、アンジュは項垂れる。
「全く、アンジュ様にお会いしたい方がいらっしゃったと連絡があったと言うのに……」
「あ、それこの子達。私それ迎えに行ってたの」
「さっき連絡あったんです。朝からどっかふらふら行ってたアンジュ様がそれを知っているはずがないでしょう」
叩けば叩くほどに粗が出てくるのでは無いだろうか。観念したのか、アンジュは素直に彼女に対して謝罪。怒っているのか、彼女はそれを無視して、リリム達の前に立った。
「いらっしゃいませリリム様とその側近様。私はディアナ=ブロッサム。アンジュ様の側近でございます。お迎えの準備はできていますので、どうぞ中へ」
先程までの、アンジュとの友達のような柔らかい雰囲気から一転、丁寧に、毅然とした態度でディアナはそう告げた。彼女の案内に従って、城の中に入る。
リリムとキャロルが案内されたのは城の中庭に作られた、小さな、そしてお洒落な吹き抜けの建物だった。ディアナ曰く、ガゼボという名前の建物らしい。しっかりと手入れのされた綺麗な庭園に、卓に置かれた紅茶の香りがよくあっていた。リリムはそこの椅子に腰掛けて、キャロルはその庭園をディアナに案内されながら見て回っていた。
「うちの庭、綺麗でしょ」
ボサボサだった髪を整え、髪と同じ紅色のスーツを身に纏ったアンジュが、自慢気にそう言った。
「まぁ手入れしてるの私じゃないけど」
付け加えられたその一言で、賞賛しようとしたリリムの気持ちは一気に失せる。そんなことを意に解することはなく、アンジュはリリムの対面の椅子に座った。
「とりあえず……災難だったね。本当に生きてて良かった。このタイミングで来たってことは、うちの国に助けて欲しいんだよね」
少しの沈黙の後、アンジュはそう言った。リリムは静かに頷く。
「リリムちゃんのお父さんにはお世話になったし。リリムちゃんは大事な友達。断る理由は無いね。私を含め、パシフィスト全てが君に力を貸すと約束するよ」
そう言って、彼女は懐からスキットルを取り出して、中身を喉に流し込む。満足そうな顔をして、そのまま、また言葉を続けた。
「ねぇねぇ、リリムちゃんの権能見せてよ」
リリムの頭の中に、たくさんの疑問符が浮かぶ。権能を見せてよと言われても、それが何なのか全く分からない。腕を組んで、一旦深く考えてみる。リリムが結論を出すよりも先に、アンジュが助け舟を出す。
「急に言ってごめんね。権能って言うのは、魔王だけが持つもう一つの固有魔力みたいなものだよ。普通は目覚めるまで五年くらいかかるの」
「……だったらなんで聞いたんですか」
不服そうなリリムの頭を、アンジュがわしゃわしゃと乱雑に撫でる。存外嫌なものではなく、リリムは大人しく撫でられていた。
「ごめんごめん。リリムちゃん天才だからさ、もしかしたら……って思っただけだよ」
天才と言われるのは、元々は気分の悪いものではなかった。ただ、その言葉をかけられて、リリムの胸はぎゅうっと締め付けられたようで、息が荒くなる。
「私は天才なんかじゃ……天才だったら……エガリテだって……っ」
体を震わせ、語気を荒げて否定しようとした彼女の口を、アンジュがそっと抑える。
「落ち着いて。リリムちゃんは天才だよ。天才だからって失敗が無いわけじゃないんだよ。踏み出していけてるから大丈夫。自分を責めちゃだめだよ」
オベイロンにあの時言われて、分かったはずだったのに、また自分自身を責めていた。揺れ動く彼女の心は未だ幼いことを、アンジュはよく分かっていた。彼女の励ましで落ち着きを取り戻したのか、リリムの体の震えは止まっていた。
「リリムちゃんは国のトップになるんだから。背負い込んじゃだめだよ。私みたいにゆるくいかなきゃ」
彼女の軽薄な物言いと態度から若干、それはそれでどうなんだとリリムは感じた。それでも現に彼女は国のトップとして信用されているし、その考えは大事なのかもしれない。
「だからってゆるすぎるのはどうかと思いますよ」
二人の会話に割って入って来たのは、呆れた表情を浮かべたディアナ。
「……まぁ、息抜きは大事って話?」
誤魔化そうとしたアンジュの頭を、ディアナが手に持ったトレーで、ポコンと軽く叩く。主と従者以前に、気を許しきっている友人のようだった。その様子が微笑ましくて、何も言わずにリリムはそれを眺めていた。
「……どうかした?」
「仲良いなぁって」
その言葉に、二人の動きが一瞬止まる。
「私にも、私のこと大事にしてくれる従者がいるんです。でも、二人みたいに砕けた感じじゃなくて……変に気を遣わせてるんじゃないかって」
何も言わず、ディアナがアンジュの隣に座る。そのまま、彼女は口を開いた。
「断言しましょう。多分リリム様の従者様は気を遣ってなどいませんよ。きっとその従者様はリリム様を大事に思っているだけかと」
「私に気を遣ってくれないのは大事に思ってないってことー?」
茶々を入れてくるアンジュを、また軽くトレーで叩く。少ししょんぼりしたような感じで、アンジュは庭園の方へ出て、花を見ているキャロルの元へいってしまった。こういう話はディアナの方が得意だと彼女は判断したのだろう。
「きっとその従者様はリリム様が大好きなんだと思いますよ。その気持ちが、気配りという形で出ているんだと思いますよ。好意をどうやって表すかって、難しいですからね……」
そう言って、ディアナは少し黙り込んだ。きっと、ディアナの好意の表れがさっきの砕けた関係なのだろう。そう思えば、自分の心配など杞憂だなと、リリムはそう感じた。それでもやっぱり、心は少しモヤモヤしていた。
「まぁ、気になるなら一度思い切って聞いてみるのが一番だと思いますよ」
「そうですね……ありがとうございます」
リリムの返事を聞いて、ディアナは優しい顔で微笑んでいた。その様子は頼れるお姉さんといった感じで、アンジュには失礼だが彼女よりもよっぽど国の統制ができそうな感じだった。アンジュよりも年上なのだろうか。今度暇な時にでもそっと聞いてみようかなと、リリムは思った。
「話終わった? 私戻っても大丈夫?」
少し遠くから、アンジュのそんな声が聞こえる。会話に入るのを我慢していて、うずうずしているようなそんな声だった。ディアナがため息をついて、リリムの方に向き直って一言。
「アンジュ様と、どうか仲良くしていただけると幸いです」
丁寧に一礼して、ディアナがその場を後にする。入れ替わるようにアンジュがやってきて、さっきまでディアナが居た場所に座った。
「……ディアナ、変なこと言ってないよね……?」
庭園から摘んだ花を咥えて、その甘い蜜を吸いながら、少し心配そうにアンジュが聞いた。
「別に変なことは言ってませんでしたよ……美味しいんですかそれ」
食べてみなよと、新しい花をアンジュが手渡す。試しにちょっと蜜を吸ってみると、甘酸っぱくて、少し癖になりそうな味だった。
「エガリテに力を貸すって言ったけど、具体的にどうすればいい?」
おもむろに、アンジュが口を開く。リリムは少し考えた。住居と食料確保はもうできているし、今のエガリテに必要な物を。
「エガリテに居住してくれる人を集めたいんです……国として成り立つためには、国民って大事なことだと思います」
「そうだね。その口ぶりだとその他はある程度準備できてるって受け取って良いかな? 国民を集めるとしたら……明日、この街にある『自由組合』っていう場所に行ってみると良いよ。そこに居る、テクニって名前の人が多分承諾してくれると思うな。私からも一言伝えておくし。今日は泊っていくと良いよ」
さっきとは雰囲気の違う、凛としたアンジュにリリムは少し驚いた。丁寧に、真面目に対応してくれるアンジュは、やっぱりちゃんと一国の王なんだなと、そう思い直した。
ディアナが待ってましたというように、リリムに手招きする。それに付いていくと、城の一角の、綺麗に整えられた部屋についた。ふかふかのベッドが二つ並んでいて、その片方には既にキャロルがうとうとと眠りかけていた。まだ日は沈み始めたばかりだが、眠くなるのが早いなと、でもゆっくりするのも悪くないなと思い、リリムは静かにその隣に寝転んだ。自分が思っているよりも疲れていたみたいだ。リリムの意識は、静かに深い眠りに落ちていった。




