十五話 いざパシフィスト
空を衝くほどの高く強大な城壁に包まれた、荘厳なる王国パシフィスト。エガリテと同じで、どんな種族でさえも分け隔てなく認め、共存する国。そこは全ての国の中でも、最も平穏と言ってもよい国だった。その平穏を保つための管理ももちろん、どの国よりも丁寧だった。今は、城壁の切れ目、巨大な門を頭として、長蛇の列ができていた。入国審査を受けるための列が。
「次の方どうぞ」
そんな声が聞こえるたびに、少しずつ、列は進んでいく。その列の中に、リリムたちは居た。ニコはいつの間にか居なくなっており、二人は特に中身のない会話をしていた。そんな時のことだった。
「ねぇねぇ君たち、ちょっといいかな」
キャロルの肩にポンと手を置いて、若い男が二人に声をかけた。その後ろに、様々な種族の若い男が集まって、一つのグループを形成していた。男が声をかけたのをきっかけに、ぞろぞろとそれはリリムたちのそばに近づいてきた。
「どうせ待ってる間暇でしょ、俺たちとちょっと遊ばない? 順番来たらそこで終わりで良いしさ」
張り付いたような、噓くさい笑顔で男はそう言って、グループの中にある馬車を指さした。それは六人ほどが乗れるような小さな小屋がついているもので、二人の返事を聞く前に、男たちは無理矢理彼女たちを連れていこうとした。
「や……ぇ……」
知らない人に触れられて、完全にキャロルは委縮してしまっていた。嫌だと思っているのに、抵抗する力が入らない。その時、その手をはたいて、リリムがキャロルを抱き寄せた。
「……うちの妹に触らないで」
不快感を露わにして、リリムが男たちに向かって言う。辺りの空気がピリつき、一触即発な雰囲気になる。彼女の異様な雰囲気と魔力に、男は唾を飲み込んで言った。
「……痛い目に会いたいってことで良いんだな」
あっという間に、リリムを男たちが取り囲む。全員がそれぞれ武器を持ち、力づくでリリム達を従わせようとしているのか、彼女たちに対しての敵意を剝き出しにしていた。
「痛い目、ねぇ……」
静かに、リリムがため息をついた。一人の男が、彼女に向かって斬りかかった。一瞬、彼女がキャロルを上空へ放り投げる。斬りかかってきた男のその刃を、片腕でつまんで受け止め、そのまま捻り、折る。折った刃の欠片を、そのまま男の右肩に投げ飛ばす。魔王の魔力を纏ったそれは、男の右肩に深々と突き立てられた。その間、五秒にも満たない。落ちてきたキャロルを丁寧に受け止め、リリムが男たちを一瞥し短く一言。
「次は?」
その声は恐ろしいほどに冷たかった。それは、守られているはずのキャロルでさえも思わず怯えてしまうほどに。それを察知したのか、リリムが小さく、ごめんねと呟く。彼女を一旦自分の腕の中から降ろす。その間にも、一分の隙も存在しない。ただ、男たちも彼女にやられたままでは引き下がれないという、無駄なプライドによって、刃を下ろすことは出来なかった。たとえ彼女に敵うことはないと分かりきっていたとしても。
「やっちまえ! こっちは何人居ると思ってる!」
先程、刃を突き立てられた男が叫ぶ。確かに、人数で言えばリリムが圧倒的に不利である。リリムとキャロル二人に対し、男たちは二十人はゆうに超える。戦いは質よりも量。戦略も何もない戦いならば、人数で圧倒すればまず負けることはない。男たちが次々と、リリムに襲いかかる。
「数的有利、即ち勝利と思わないことね。脳撃衝」
彼女を中心に、半径五メートルほどの衝撃波が発せられる。それにあてられて、男たちは動けなくなった。白目を剥き、口から泡を吹き出して、気を失って倒れていた。敵の脳を直接揺らし、意識を奪う戦闘魔法。なるべく穏便に済ませたいリリムにとって、一番使いやすいものだった。
「人見知りも、不便なものね」
キャロルの頭をポンポンと撫でて、リリムがそう言った。
「ありがとう、お姉様」
妹からの礼に対して、気にしなくていいよと、リリムはそう返した。この騒ぎを聞きつけてか、大きなリュックサックを背負い、帽子を深く被った人間の少年がやってきた。
「パシフィスト治安維持部隊所属、クロアと申します。これは一体……」
クロアと名乗った少年が、辺りに倒れる男たちと無傷のリリムを見て、困惑したような表情を浮かべていた。キャロルが、簡単に今起こったことを説明する。するとクロアは帽子を脱ぎ、深く頭を下げた。
「遅くなってしまい、申し訳ありません! 今回は貴女方が無傷だったからまだ良かったですが、もし酷い目にあっていたらと思うと……」
きっとこの子は真面目でいい子なんだろうなと、そうリリムは感じた。
「そんな貴方が謝ることでは無いでしょう。悪いのはこの人達なわけだし」
リリムからそう言われて初めて、クロアは顔を上げた。
「そう言っていただけると嬉しいです。パシフィスト、楽しんでいってください」
もう一度深く礼をして、クロアは男たちの側に駆け寄った。彼が手を触れると、男たちはみるみる縮んで、手の中に収まるほどになってしまった。それを丁寧にリュックに詰めると、そのまま壁を越えて、街の中に消えていってしまった。
「つ、次の方どうぞ!」
大きな声で呼ばれて、リリムは初めて自分たちの番が回ってきたのだと理解した。いつの間にか彼女の前の列は全て、審査を終えていたようだった。
「名前と入国の目的、自身を証明できるものの掲示をお願いします」
凛とした雰囲気を纏う、赤髪の女性がそう言った。
「リリム=ロワ=エガリテ。目的はアンジュさんに会いに。証明できるものは……これでもいいかしら?」
名前と目的を述べて、リリムは自身の首飾りを外し、女性の方へ差し出した。紅の水晶の中に、銀で作られた鳥が封じ込められている、小さく綺麗な首飾りを。女性はそれを見るなり、目を見開いて、固まってしまった。
「……どうかしました?」
キャロルが不思議そうに尋ねたところで、赤髪の女性ははっとして、少々お待ちくださいと言った後に、奥の方へ引っ込んでしまった。少しすると、大きな丸眼鏡をかけて女性は戻ってきた。その目で、じっくりと首飾りを見つめる。
「はい、大丈夫です……アンジュ様には連絡しておきます。リリム様、ごゆっくりお過ごし下さい。」
彼女の態度が急によそよそしくなったなと、キャロルは感じた。彼女はそのまま、手振りで進むように促す。二人はそのままに、街の中に足を踏み入れた。
広い湖の中央の島にある、巨大な城。そこを中心に、蜘蛛の巣状に広がる街。街の至る所には水路が走り、渡し守がボートを浮かべている。此処こそが、平和の国パシフィストの王都。
「お姉様、さっき何見せてたの?」
その水路に浮かぶボートに、リリムたちは揺られていた。キャロルからの質問に、首飾りを見せながら、リリムは話す。
「これはエガリテの国宝よ。赫翡翠っていう珍しい素材で作られた首飾りで、曽祖父の代から受け継がれてるの。売れば一つの国の資産程度はゆうに吹き飛ぶわね。結構有名な物みたいよ?」
そんな貴重なものを普通に持ち出して良いのかと思ったが、リリムが持っているのが一番安全かという結論にキャロルはたどり着いた。これを見せたからこそ、リリムが本人であることを証明できたし、さっきの赤髪の女性の態度の変化にも説明がつく。ちょうど会話を終えた頃、ボートは止まった。そこから少し歩くと、人の多い広場に出た。
「今日私たちが来た目的は、アンジュ=アトメント……この国のトップに会いに。ただ、彼女と確実に会えるのは夕方以降なのよ。だから、少し観光でもしましょ」
キャロルはよくそんなこと知ってるな、と思いつつ、姉の意見には賛成だった。というわけで、二人はぶらぶらと、ピースキアの街を巡った。
「本当にいろんな種族の人がいるんだね」
キャロルがそんなことを言う。リリムからすれば珍しいことでは無いのだが、やはり別の国に暮らしていると多種族の共存は珍しいものなのだろう。小さな酒場の前を二人が通りかかった時、店の中からよく聞き取れない怒号が聞こえた。反射的に、リリムはその扉を開けていた。
「私だって頑張ってるのに! あの子厳しいよ!」
扉を開けた瞬間、そんな叫び声が聞こえた。酒場の中には客は女性一人しかおらず、その客が浴びるように酒を飲みながら、酒場の店主に愚痴を激しくこぼしている様子だった。ぼろぼろのフードを被り、綺麗な紅色の髪はボサボサに乱れて、同じ色の瞳には涙がいっぱいに溜まっている。
「……何者」
リリム達の姿を認めると、その女性は立ち上がり、椅子に立てかけられていた片手剣を握る。怒っているような、警戒しているような感じだった。酔っているにも関わらず、隙はない。先の問いにリリムが答える間もなく、女性はそのまま切りかかって来た。即座に大剣を呼び出し、受け止める。その剣圧は重く、受け止めたリリムの足が酒場の床板にヒビを入れる。
「待って、アンジュさん! 私です、リリムです!」
その声を聞くなり、彼女の剣から力が抜ける。そしてそのまま、リリムの顔をまじまじと見つめる。納得したような表情を浮かべて、そのままリリムを抱きしめた。その瞳からは、涙が溢れている。
「ごめん、ごめんね……良かった。また会えて良かった……」
コロコロと表情を変える彼女こそが、リリムの会うはずだった人物。アンジュ=アトメントである。




