百三十七話 密約
教会の一室、小さなティーセットが置かれた机に座り、魔王は眼前の吸血種を見据える。白と黒、相反する色のスーツを身に纏う、真祖の吸血種――ミア=ラミアミア=ラピスラズリを。
「では改めて。ここへ来てもらった目的を整理するとしようか」
湯気の湧き立つティーカップを口へ運びながら、真祖はそう提案する。長いまつ毛を持つ瞼を片側だけ開き、リリムとその従者へ視線を向けながら。
「嫉妬の厄災の器となってしまった方、ミアさんの娘さんを助ける為、ですよね?」
ジュエリアから聞いた情報を口にし、リリムはそれ以外の発言をしなかった。
「その通り。魔王殿が助力してくれるのならば、今回の計画で懸念していた点も解決できそうで安心しているよ」
初めて姿を見せた時から崩れない、穏やかな笑顔を変わらず浮かべたまま、彼女はゆっくりとティーカップを降ろす。今度は両の瞳をしっかりと開いて。
「では計画を伝えるが......これを聞かれた上で『やっぱりやめた』は無しだ。それは約束してくれるかな」
「余程道理から外れていない限りはありませんが.......もしそうなったら、どうしますか?」
リリムもリリムで、いつもの調子を崩すことなく、ある一つの疑問を投げかけてみる。
「そうなったら、魔王殿とキアレ殿を相手しなければならないね......骨が折れるどころの話ではないな」
問いかけに答えるミアは、苦笑いを浮かべていた。
「あくまでも骨が折れる、私と対峙しても負けはしないと?」
リリム=ロワ=エガリテは、二つの国を巻き込んだ騒乱を経て、自身の強さを自覚していた。最強にして比類するものの無い、頂点たる強さを。
だからこそ彼女の先の質問はその強さを盾にした脅迫に近い。
「まさか。魔王殿を相手にできるほど驕ってはいないさ」
口元を隠し、ミアはクスリと息を漏らしながらあっさりと降参を告げた。
「ただ、可愛い娘たちが扉の向こうで聞き耳を立てているようでね。あまり格好悪いことは言えないだろう?」
彼女の言葉と共に目線が向けられたのは、部屋の入り口を閉ざす扉ーーより厳密に言えばその裏側で潜められた、二つの息。ミアのその視線に含まれていた感情を、リリムはよく知っていた。
「……ジゼルちゃんに、ジュエルちゃんでしたっけ。本当に大切なんですね」
「あぁ。とても大切な家族だとも。吸血種故、長生きは当然しているが精神的にはちょうど魔王殿の肉体年齢相違ないハズだ。余裕ができたら仲良くしてあげて欲しい」
ミアが彼女らに向けていたのは、リリムが父に向けられていたものと同じ『慈愛』であった。あまりにも美しく、同時に儚い尊ぶべき感情が、確かにそこにあった。故に、リリムは一つの決断を下す。
「分かりました……話が脱線してしまいましたね。それに加えて少々試すような質問をしてしまい、申し訳ありません」
リリムは、ミアを信用することにしたのである。無論、主人がそうするのであれば彼女の従者は何も意見を述べることはない。
「……はて、なんのことかな」
リリムの謝罪に対して、ミアの口から帰ってきた子はそんな返答と悪戯っぽい笑み。どこまでも柔和な彼女の態度に感謝しつつ、リリムは椅子の上の自分の姿勢を今一度整える。
無い胸を張り、両手は揃えた膝の上。小さな頃から身に染み付く上品な所作で、彼女は聞く姿勢を作り上げていた。
「では改めて。此方の娘を――アラディアを救うために考えている段取りを共有させてもらう」
ミアが口を開くと同時に、そう広くはない机の上に深紅のシミがいくつか浮かびあがる。
「まず、アラディアは知ってのとおり嫉妬の厄災の器となっている」
そのシミの一つに彼女の指先が振れた途端に、そこから同じく深紅の人形が創り上げられる。
「この方が、アラディアさん……」
長い髪に、美しい流し目を備えた、修道服を身に纏う女性の人形を確認し、リリムはミアへと一瞬視線を向ける。
「そうだね。血が繋がっているわけでは無いが、少し似ているだろう?」
「確かに、目元の雰囲気だったり、立ち姿の雰囲気が似ていますね」
きっと彼女らの間には一緒に過ごした長い時間があるのだろう。血が繋がってなくとも時を過ごせば似てくると聞いたことがある気がするな、などと考えながら、リリムはミアの話に耳を傾ける。
「有羽族の街の奥底で、アラディアは今眠っている。遠い昔に心ゆくまで暴れた後でね」
ミアがそう告げた瞬間、机の上のシスターの足元から異形の触手が無数に伸び、その姿を飲み込む。まるで蛸の足のような、どこか海産物を彷彿とさせる触手に呑まれたそれは、瞬く間に厄災の名に恥じぬ、名状しがたき獣の姿へと変性していた。
「嫉妬の厄災の姿自体は、此方も見たことはない。伝承に残る姿ではこういった感じらしい」
話を進めながら、ミアの指先が別の血痕に触れる。
「やはり厄災と言うだけあって、この子自体も相当な戦闘能力はあるが、今回此方が最も警戒を向けているのは嫉妬の厄災ではない」
彼女が指を鳴らすと、指先が振れていた別の血痕が形を成し、一羽の鳥となる。長く目立つ尾羽の束に、頭部から伸びる冠のような飾り羽根を持つその姿は、見るからに普通の存在ではないことをリリムへ感じさせていた。
「……これは?」
「この神鳥の名はシルフ・フリューゲル。あの有羽族の街に居たならおそらく名前は聞いただろう? あの街を創り上げた『風神様』であり、原初の七大魔竜が一角、風の魔竜そのものだ」
その名を聞き、リリムは一度深く息を吸う。厄災がらみの問題である以上、七大魔竜が関わってくるのは必然と言ったっていい。冷静に考えれば分かることではある。
「魔竜を相手取る必要がある、ということですよね」
世界的に見れば、魔竜は正義とされる存在である。いくら理由があるとはいえ、それを相手取るということ、即ち正義とぶつかるということが、リリムの背へグッと押しかかる。
「……あぁ。アラディアを救うまでのそう長くない時間ではあるが、此方達は魔竜の敵になる。もっと大げさに言えば世界を敵に回すようなものだが、平気かな」
「世界を、敵に……」
一瞬跳ねた心臓を抑え、リリムは一度目を閉じる。ミアの言う通り、そう長い時間ではない。厄災の器を救うということは、同時に厄災そのものを鎮圧することと相違は無い。リリムは一度、暴食の厄災の器を救う偉業を成し遂げている。今回も、それと同じで丸一日もかからない。彼女もそれは、頭では分かっている。
「……リリム様、平気ですか」
小さな背を震わせる主を見かねて、キアレは声をかける。
「平気よ。ただ、少しだけ待って欲しいの」
――分かっていても、彼女には覚悟の時間が必要だった。それを理解してくれているのか、ミアは特にそこへ言及することは無かった。
「……ねぇ、キアレ」
「どうしましたか、リリム様」
背後に立つ従者へ声をかけながら、リリムはゆっくりと目を開く。
「一つ、お願いをしても良いかしら」
開かれたリリムの目線の先は、机の上に置かれたティーカップ。そこに注がれた液体の、揺れる水面を彼女は眺めていた。
「私と一緒に、世界の敵になってくれるわよね?」
どうやら、彼女の中で覚悟が固まったらしい。つい先ほどまでの姿とは打って変わって、はっきりとした声で自信満々に魔王は告げる。
「勿論です。貴女が命ずるなら、私は何者にでもなりますよ」
キアレの答えを自分の中で反芻し、リリム=ロワ=エガリテは顔を上げた。その瞳の奥に、一切の揺らぎはない。
「お待たせしました。続きをお願いします」
「あぁ。続きだね」
そんな彼女の顔に、ミアは満足そうに笑みを浮かべる。静かに指を鳴らした彼女の手の中にはいつの間にやら一枚の手紙のようなものが握られていた。
「今回此方が狙うタイミングは、迎神の儀の真っ最中とする」
「堂々としてますね……」
「そう、堂々とやらせてもらうよ」
リリムの零した声を拾い上げ、ミアはさらに話を進める。
「迎神の儀の最中に、嫉妬の厄災の封印を解く。当然そんなことをすれば大混乱は必至だろうね。風の魔竜殿も出てくるだろう。そこで魔王殿の出番というわけだ」
「混乱の鎮圧を、ということでしょうか」
リリムからの問いに、ミアは首を横に振る。
「そこまで丸投げはしないさ。風の魔竜の足止めを此方が行い、魔王殿にはアラディアの対処と、解放をお願いしたい」
「……逆だと思っていましたが、私が厄災の相手を?」
今度は先程とは逆に、ミアの首は縦に振られる。
「無論、できるのであれば此方が直接助けたかったさ。けれども此方は厄災の器から厄災を剥がす方法を持ち得ていなくてね。ただ魔王殿は違うだろう? できることはできる者に託す、適材適所というものだよ」
「なるほど……他の混乱はキアレ達に任せるという認識でいいでしょうか」
「そうだね。何か気になる点、提案はあるかな。互いの連絡役は今夜にでも、そちらへ遣わせる」
チラリと上げられたミアの目線にも、リリムと同じく何かが燃えていた。
「いえ。現時点では特に思い浮かびません。全力を尽くさせてもらいますね」
「よろしく頼むよ、魔王殿」
窓から差し込む月の明かりが、二人を静かに照らしていた。




