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百三十六話 鮮血の共犯者

 ――月が明るく輝く夜空の下、金属同士が打ち付けられたような甲高い音が響く。招待されたはずのリリム=ロワ=エガリテを襲う凶刃と、それを守る番犬との攻防が、薔薇の咲く教会の門前で繰り広げられていた。


「――クソッ、この犬マジで強いんだけど……!」


 自身の背丈並みの刃を何度も阻まれた襲撃者が、ポツリとそう零す。その顔には、明確な苛立ちが含まれているように見える。


「お褒めに預かり光栄ですね」


 そんな彼女とは対照的に、キアレ・ウルフェリルは心底落ち着いた声色でそう告げる。氷の爪をその腕に纏い、獣のように低く構えたまま。しかしその両目はしっかりと、襲撃者の一挙手一投足を見据えていた。


「余裕です、って感じね!」


 先のキアレの発言に触発されて、襲撃者たる少女の魔力が膨れ上がる。怒りによって魔力を引き出した彼女の瞳は、琥珀色から潜血のような赤々とした色へと変化していた。


「キアレ、お相手は本気みたいだけど、大丈夫かしら?」


 爆発的に増加した魔力を目に、リリムは従者へ問う。ただ、その声色に一切の心配は含まれていない。


「勿論です」


 主からの問いに、忠犬は二つ返事で答える。


「ただ、あちらも本気な以上こちらも抑えては礼儀がなってはいませんので……少々下がっていただけますか、リリム様」

「分かったわ。手早く終わらせなさい」


 キアレの望み通り、リリムは少しだけ、戦場から身を引く。彼女がキアレの間合いから出た瞬間、一帯の温度が一気に下降し、空気が凍てつく。外界に影響を及ぼすほどの強烈な魔力は、紛れもない強者の証明であった。


氷狼礼装(ボレアス)


 低く構えたままのキアレの頭部に、狼を模した金青の兜が形成される。


「っ……何、それ」


 突如顕現した獣を前に、少女は一瞬――ほんの一瞬だけだが、怯んでいた。一秒程度の、小さな隙は、狼が獲物を仕留めるには十分過ぎる程に長い。

 少女がその異様さに全身の筋肉を張った頃には既に、獣の爪は動いていた。


「氷華・狼爪葩(ろうそうのはなびら)


 大地を掠め、真っ直ぐに凶爪は振り上げられる。それを引き金に、軌跡をそのまま延長したように、極低温の氷が地を駆け巡る。


「っは……」


 ()()に宿る異質な魔力に、少女が気づいた時にはもう遅い。大地を蹴り、逃げようとした彼女の足先を氷の端が捉える。そう大きくない彼女の体表を、凍てつく氷が駆け巡らんとしたその瞬間。

 ――チリン、と澄んだ鈴のような音色が教会の門前を通り抜ける。それは今まさに狩られていた少女のものでも、もちろんキアレのものでもない。


「何者……」


 新たな邪魔の乱入を警戒し、キアレは少女を凍てつかせながら臨戦の態勢を崩すことはない。そんな彼女のピンと張られた耳にもう一度、チリンと音が届く。同時に、氷に囚われたはずの少女の姿は消えていた。


「よかった、間に合った……」


 ()()代わりにキアレの視界に姿を見せたのは、襲撃者とは別の少女――と、その腕の中に抱えられた襲撃者。敵意剝き出しだった少女とは対照的に、乱入者たる彼女はとても穏やかな空気を纏っていた。端的に言えば、キアレにも、リリムにも一切の敵意を抱いていなかったのである。


「キアレ、納めて。恐らく彼女は敵じゃないわ」


 遠くて戦闘を見守っていたリリムが三人の間にふわりと舞い降りながら、従者へそう告げる。


「……承知いたしました。リリム様がそう判断するのであれば」


 短く吐息を漏らし、キアレは魔力の武装を解く。両手の爪が消え、魔力が収まる――その段階に合わせて、周囲の気温も少しずつ元通りに上がっていった。

 リリムがふと目線を乱入者の元へ移すと、彼女に抱えられていた襲撃者はその体を解放されていた……が、不満そうに遠くを眺めるだけで、つい先ほどまで溢れていた敵意はすっかりと身を潜めていた。


「誠に申し訳ございません、リリム=ロワ=エガリテ様ならびにその従者様。同僚のジゼルが大変ご迷惑をお掛けしました。不夜城を代表し、彼女の代わりに深く謝罪申し上げます」


 乱入者が、腰を深く曲げて驚くほどに丁寧な言葉でそう告げる。

 淡い桃色の髪を高い位置で二つに結んだ彼女の容姿は、襲撃者と同じくメイド服ではある。だが比べるとスカートは短く折られていたり、所々に小さなリボンが増えていたりと、リリムには少なくとも正しい着こなしには見えなかった。


「い、いえ。平気ですが……」


 故に、その姿と発言との差にリリムは少々面食らっていた。


「私はミア・ラミアミア=ラピスラズリ様の従者。名をジュエルと申します。ミア様の命により、お二方をお迎えに上がりました」


 顔を上げ、ジュエルと名乗る少女はにこりと笑みを見せる。やはりその表情には一切の敵意は無い。


「ほら、ジゼルもちゃんと謝って」

「……分かったよ」


 ジュエルに背中を押され、襲撃者――ジゼルと呼ばれた少女もまた、腰を深く曲げる。ただその姿はジュエルとはすっかり対照的だった。


「本当に招待されてるとは思わないし……失礼しました、ごめんなさい……」


 口をとがらせ、はっきりとしない声で謝罪を口にする彼女の姿は、拗ねた子供のようだった。


「そう謝らなくてもいいですよ。私もキアレも完全に異物でしょうし、きっと主の為に必死だったんでしょう?」


 一人、絶対的な忠誠を誓う存在が居てくれるからこそ、リリムにはジゼルの気持ちも、その存在のありがたさも分かっていた。同じ目線の高さの彼女へ、リリムは優しく笑顔を見せる。


「……謝った。これでいいでしょ」


 一瞬目を合わせたかと思うと、ジゼルはそっぽを向いてジュエルの背中へと隠れてしまった。その姿にジュエルは口の端から笑みを零していた。


「はいはい。次からはちゃんと命令と事実確認するんだよ?」

「分かったから。今回はホントに反省してる……」


 そう言葉を交わす二人の姿はとても仲が良さそうで、ジュエルの言葉遣いもすっかり砕けていた。きっと、こちらが素なのだろう。


「それでは、案内致します」


 その言葉と共に、ジュエルがリリム達の方へと向き直る。彼女が懐から水晶を取り出し何やら魔力を注ぐと、教会の扉に刻まれていた魔法陣が消失し、客人を迎え入れる。


「お邪魔します……」


 思いがけない騒動に巻き込まれながら、リリムは月下の薔薇教会に足を踏み入れるのだった。


   ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇


 門をくぐってすぐ、リリムの視界に飛び込んで来たのは屋根の高い広い空間――この教会の聖堂だった。最奥には高い屋根にちょうど収まるほどの大きさの像が建てられており、壁や柱には美しい装飾と綺麗なステンドグラスの窓が配置されていた。


「……凄く綺麗。拠点と言うだけあるわね。丁寧に整備されて、この場所への愛を感じるわ」


 ジュエルの後を追走しながら、リリムはそう所感を口にする。


「そう言っていただけると、ミア様もきっとお喜びになります」


 誰かに聞いてもらう気も無かったので、返答があったことに少々肩を跳ねさせたりしながら、リリムは聖堂を進む。彼女が案内されたのは、規則正しく並べられた教会椅子(チャーチチェア)の最前列。


「どうぞ、お座りください」


 そう促され、リリムはゆっくりと腰を下ろした。そのすぐ傍に、彼女の従者は静かに佇む。木製にも関わらず、柔らかな座り心地の椅子に、彼女が感心していた時のこと。


「ミア様、リリム様をお連れしました」


 虚空へ向けて、ジュエルがそう呼びかける。直後、どこからともなく無数の蝙蝠が表れ、リリムの眼前で黒い塊を創り出す。

 そこから一瞬紅い光が拡散する。直後には蝙蝠の群れは消え、代わりに一人、すらりと背の高い――キアレと同程度はあるだろうか、濃い葡萄酒(ワインレッド)の長い髪を束ねて肩の前に垂らした女性が現れていた。


「こちらの手違いで少々面倒ごとに巻き込まれてしまったろう。すまないね、魔王様にキアレ殿」


 白黒を基調に、紅いラインがアクセントのように入ったスーツを着こなした淑女が、リリムの手を取りそう告げる。


「改めて自己紹介させてもらおう。此方はミア=ラミアミア・ラピスラズリ。ここから少し離れた場所にある不夜城の主にして、真祖の吸血種(ヴァンパイア)だ。よろしく頼む」


 髪色と同じく深い色を持つ瞳を揺らし、ミアは穏やかな笑顔を見せる。


「吸血種、ですか……?」


 ただリリムには、その笑顔に同じものを返す余裕は無かった。さも当然のように告げられた吸血種という言葉に、彼女は驚きを隠せずに居たのである。


「そうだが……もしかしてまだこの時代に吸血種が生き残っていること驚いたかな? 確かに絶滅したと言われているだろうからね」


 ミアの言葉に、リリムは何度も頷く。絶滅させた男を知っているからこそ、あの男が見逃すなど彼女には思えなかったからこそ、驚きが深かったのである。


「確かに此方と此方の仲間であるジゼルとジュエル、あと一人しか純血は生き残っていないし、混血を含めても吸血種を絶滅させる原因となった存在を除いて吸血種はもう居ないからね。所謂絶滅危惧種というものだ。お友達に自慢できるかもしれないね」


 冗談めかして言いながら、ミアはリリムの隣へと腰掛ける。


「いいリアクションをしてくれるね。可愛らしい魔王様だ。良い関係を築かせてもらいたいところだね」

「……こちらこそ、よろしくお願いしますね、ミアさん」


 思わぬ存在ではあったが、彼女がリリムにとって協力する相手なのは変わらないのだった。

 


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