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百三十四話 伏魔

「まさかこんなにすぐお会いできるとは思ってもみませんでしたわ!」


 穏やかなチエーリアの街に響く、はつらつとした印象に残る声。商業区域、エリアオラージュを、リリム=ロワ=エガリテは思いがけない再会を果たした友人と共に散策していた。


「私だって、たった数日しか経っていないのにまさか別の国で再会するなんて予想外でしたよ。偶然ってあるものですね」


 そう告げるリリムの顔は、とても明るかった。微笑みを浮かべる彼女に対して、ともに歩く友人――ジュエリア・ラピスラズリも笑顔を見せる。それは比較的穏やかなリリムのものとは正反対と言えるような、とても明るいものだった。


「どこかオススメの場所ってあったりします?」

「出来れば案内したいところですが私のほうも今朝この国に到着したばかりでして……」


 そう差のない身長を並べて、他愛もない話をしながら二人のお嬢様は街に足跡をつけていく。別々の家庭で育ったが故に細かい所作に違いは出るものの、彼女らからは隠し切れない上品さが漏れていた。

 適当にあてもなく、ただただ商業区域に存在するいくつかの店を適当に巡っていく。書店の本に目を輝かせたり、スイーツに舌鼓を打ったりと、言ってしまえば何気ない日常のようなもの。ただそれだけの時間は、リリムにとっては失われてしまったものであり、心底嬉しいものだった。


「そういえばリリム様は何故チエーリアに? 時期的に予測すれば迎神の儀でしょうけれど、そんな正当な予想が的中するような方とは私、思っていないのですが……」


 少々人気の減った横道に逸れた頃、ジュエリアがクレープを口に運びながら、そうリリムへ問う。同じ甘味に味覚を刺激されながら、リリムは一度ガクッと肩を落としていた。


「私を一体どんな人だと思ってるんですか……」

「それは……」


 リリムからのため息混じりの指摘に対し、都合が悪そうにジュエリアは黙り込む。


「は、破天荒と言いますか……私が直接見たという訳ではありませんけれど、ドラテアを救ったとして話題になっていらっしゃいましたし……色んな意味で枠には収まらない方なんだなと思っていますよ!」


 ジュエリアの口から綴られた言葉は探り探りなものだった。おそらくリリムを傷つけたり、失礼な物言いが無いように気を遣っているのだろう。


「……そうですか。確かにドラテアを救ったのは噓ではないですけど……まさかそんな話題になっているとは……兎も角、私がここに来た理由は迎神の儀に参加するためで合っていますよ。特に変わった理由でもありません」


 自分が話題になっていることに少々驚愕しつつ、リリムはジュエリアの質問に答えていた。彼女がこの国を訪れた理由は、言葉通りに特に変わった理由ではない。言ってしまえば、流れに身を任せていたらこうなった――というようなものである。


「逆に、ジュエリアさんは何故ここに? ドラテアからここまでは結構な距離がありますし、そうそう気軽に移動できるものでもないでしょうし……」


 リリムの中にふと、そんな疑問が浮かぶ。規格外の彼女とは違い、少なくともリリムの知る限りは普通の存在であるジュエリアには国を跨ぐ移動は大変ではないのかとリリムは思っていたのである。


「確かに大変でしたわよ。ただ目的がありますから、そうも言ってられないのですわ」

「目的ですか。差し支えなければ聞いても?」


 胸を張って宣言するジュエリアに、興味津々、といったような声色でリリムは問う。その奥底には、興味の他にも友人である彼女のことを知りたいというものがあったのかもしれない。


「大おばあさまからの依頼ですの。なんでも、この国には嫉妬のやくさ――」


 ジュエリアの声がそこまで形を持った直後、彼女の口から発声が奪われる。リリムのしなやかな右手の指がジュエリアの喉元を抑え、近くの壁にその体を押しつけて自由を奪っていたのである。


「リ、リム……様っ……?」

「厄災、ですって?」


 友人の口から聞こえた言葉を復唱しリリムは自身の左手に魔力を集める。一点の濁りなく、白く輝く光の魔力を。


「……リーデル、まだこの子の中に居るのなら今すぐに消えなさい……!」


 大気が揺らぐほどの魔力を伴って、リリム=ロワ=エガリテは告げる。その声は、どこか震えていた。彼女の中にあったのは、ドラテアでの記憶――あの悪魔に乗っ取られたジュエリアの姿だった。厄災という単語に、そんな記憶が重なってしまい、リリムの体は突き動かされるように行動していたのであった。


「リリム、様……! いったん、話を聞いてください、ませ……!」


 そんな落ち着きのおの字も無いリリムに対して、ジュエリアは震えた声で懇願するように言葉を絞り出していた。完全に自由を奪われ、抵抗する素振りを見せないその姿勢に、燃えあがったリリムの意識が急激に冷まされていく。


「……違うの?」


 リリムは答えを求めるつもりのない問いを投げかけながら、深紅の左目を輝かせて、ジュエリアの()を真っ直ぐと覗き込む。そこには彼女が嫌悪する悪魔の姿など、一切写っていなかった。


「ご、ごめん、なさい……!」


 リリムの高まりに高まりきった魔力が霧散すると同時に、彼女の腕からジュエリアの体が解放される。魔王の瞳に宿っていたのは、後悔。湧き上がる感情を抑えきれず、冷静に立ち回ることのできない幼い自分への嫌悪だった。


「はぁっ……落ち着いて、くださいましたか……?」


 その場にへたり込んで喉元を抑え、軽くせき込みながらジュエリアはリリムへ言葉を投げかける。その声は途切れ途切れではあるものの、怯えてはいなかった。


「……はい。本当にごめんなさい」

「いえいえ、何も考えずに厄災なんてワードを出してしまった私が悪いですわ……」


 ジュエリアは衣服を整えながら立ち上がり、すっかり小さくなってしまったリリムに対してにこりと優しく笑いかける。


「今回は事故! ということで……聞いていただけますか?」


 ふぅっと息を吸い、確認するような目線を向けるジュエリアに、リリムは頷きを返す以外の選択肢は残されていなかった。


「私がこの国に来た理由は、この国に眠る厄災の為、なんです」

「厄災が、この国に……」


 リリムは、まさかこの国でも厄災の言葉を耳にするとは思っていなかった。だからこその先程まで動揺していたと言っていい。今までの案内人は誰もそんなことを見せる素振りも無かった――そこに関しては、リリムの客人という立場を考えれば当然と言えば当然なのだろうが。


「厄災は、器に宿ることがあるという事実をご存知でしょうか?」

「はい。今まで何度か目にしてきましたので」


 暴食の厄災(ベルゼブブ)色欲の厄災(アスモデウス)、それぞれの器であるトニアとギムレットが自身の身内に存在する以上、リリムがそこを疑うつもりは無い。そしてその話題を出してきた――何故この国に来たのかという理由が、リリムには分かった気がした。


「この国に眠る厄災は、嫉妬の厄災(レヴィアタン)。私自身が面識があるわけではありませんが、その器にあたる人物が私の大おばあさまにとって、とても大切な存在らしいのです。なんでも、義理の娘なんだとか……」

「その人を開放したい、もう一度会いたいということですよね」

「そうですね。大おばあさまが仰るには、『漸く準備が整った』とのことでして、厄災を開放した上で被害も抑える自信があるそうなんです」

「なるほど……」


 静かに腕を組み、リリムは何か考え込むような素振りを見せる。ジュエリアの言葉を全て信用するのであれば、家族と引き離された者が再会を望むという当然の欲求であり、そのために周到に準備を済ませているということ。ならばそこに文句の付け所はない。寧ろ――


「……それ、私もお手伝いさせてもらったりできますか?」


 それに手助けしたいと思うのがリリム=ロワ=エガリテという存在なのである。


「わ、私は構いませんけれど……大おばあさまが何と仰るのか……」


 思いがけない提案に少々驚いたように目を見開きながら、ジュエリアはリリムへ言葉を返す。


「構わないよ。寧ろ手助けしてくれるならありがたい限りだ」


 ふと、彼女らのものではない声が二人の頭上から鳴った。確認のために上げたリリムの視界に映ったのは、一羽の小さな蝙蝠の姿。

 その蝙蝠はパタパタと翼を羽ばたかせ、リリムと目線を合わせるためか眼前へと高さを調節すると、礼をするように頭を軽く下げていた。


「少々手が離せなくてね。このような姿での初見になることを許して欲しい、可憐な魔王様」

「大おばあさま、聞いていらっしゃったんですか?」

「無論。ジュエリアは良くも悪くも何をするか分からないときがあるからね」


 当然のように発される蝙蝠の声はとても柔らかなものだった。


「……先程も言ったが、手助けしてくれるのかな」

「はい。ジュエリアさんが言っていたことが全て事実だと仮定するのなら、ですが」


 リリムの答えを聞き、蝙蝠は喉の奥から薄気味の悪い鳴き声を上げる。


「なるほど、十分だよ。此方はミア=ラミアミア・ラピスラズリ。此方の目的と行いが事実かどうかは魔王様自身の目で確かめてくれ」


 キキキと高い蝙蝠の鳴き声が、まだ日の高いチエーリアの街に鳴るのだった――

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