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百二十九話 翼の主

「――で、そこで俺がビシッと言ってやったわけよ。確かにコイツは可愛いけど、れっきとした男だしカッコイイ奴なんだぜ……ってな!」


 世界最高峰、エドマ山頂上。そこに広がる街、チエーリアの街の中をリリム=ロワ=エガリテは歩いていた。つい先程出会った一人の女性――エリル=シュトルムと、雑談を繰り広げながら。


「なるほど、格好いい人ですか……」

「あ、信用してねぇな? シルフはやる時はやる、すげぇカッコイイとこがあるんだぜ?」


 山の天気のように、彼女らが行っていた雑談のテーマはコロコロと変わっていた。今現在はこの国の案内人、シルフ=テンペストを褒めちぎるような内容であり、それを離すエリルの表情は他の雑談を行っている間よりも楽しそうであった。


「い、一体いつの話をしてるんですか……」


 一方で、唐突に褒めちぎる対象とされたシルフの方はというと、たまったものではない。少女にまで見間違えるような整った顔立ちを僅かに紅く染め、エリルへと苦言……というよりも照れ隠しだろうか、勘弁して欲しそうにそんな言葉をぼやいていた。


「いつって……確か十年位前のことだったか? 思い返すと懐かしくなってくるなぁ。お前はあの頃から変わらず、可愛いけどカッコイイ奴だって俺は思ってるぜ」

「はいはい、分かりましたから……」


 舗装された石畳を歩きながら、シルフはエリルの言葉に呆れたように呟く。やめてほしそうな雰囲気を出してはいるが、シルフの本心自体は不快には思っていないようにリリムには見えた。


「まぁ何が言いたいかっつーと、俺の友達は最高の奴なんだってことだ。四大貴族当主の残りの二人も、若干癖はあるけど良い奴なんだぜ。もう一人はもうすぐ会えるから、楽しみにしといてくれよ」


 ――雑談を繰り返すなかで、リリムは現在何処へ向かっているのかという目的を半ば忘れかけていた。何でもシルフとエリルが言うには、彼女が招待された儀式……迎神の儀を取り仕切る者へと会いに行くというのが、今の一行の目的であった。


「リリム様に招待状をお送りされた方……一体どんな方なのでしょう」


 リリム達を見守るように、キアレは数歩後ろを歩きながらそんな独り言を漏らす。

 既にリリムがチエーリアに足を踏み入れてから、そこそこの時間が経過していた。到着した頃には僅かに残っていた夕焼けも完全に消え、空にはすっかりと星が瞬き、彼女らの来訪を歓迎していた。

 既に彼女らは四つに区分けされたこの街のうち、外から三つのエリアは通り抜けおり、最も中央に位置する区域であるエリアトルメンタへと足を踏み入れていた。


「この街のど真ん中に風神様を迎える祭壇が造られててな、そのすぐ近くにこの街で一番大きな家があんだよ。そこに住んでるのが()()()だぜ……っていうか、もう見えて来てんな」


 シルフから案内人の役目を半ば強奪しながらエリルがそう告げる。確かに、リリムの視界には既に明らかにサイズの違う豪邸が目に入っていた。


「目的地はすぐそこなのは分かってもらえたな。じゃあもう少しだけ歩こうぜ」


 エリルが親指でくっと豪邸を指差し、一足先にエリルは歩き始める。もちろんリリム達も、その後ろへとついて往くのだった。


 少しだけ空白の時間を挟み、一行は目的地である豪邸へと辿り着いた。すぐ近くに来たリリムも思わず見上げてしまうほどに美しい装飾が施された建物のすぐ目の前には、一人の女性が佇んでいた。腰の辺りまで伸びる艶のある金髪を結んで肩から流した、美しい装飾の施された白を基調にした丈の長いワンピースを身に纏う、エリルと同等の背丈を持つ糸目の女性が。

 その人物はリリムらの姿を認めると、指を揃えた手のひらを淑やかに振り、彼女らの来訪を歓迎しているようだった。


「……お、まさかわざわざお出迎えか? ニア、お前が自分から出てくるなんて珍しいじゃねぇか」

「えぇ、確かに(わたくし)自ら誰かを出迎えることなどほぼやったことがありませんからね」


 おっとりとした雰囲気を身に纏う彼女へと、エリルはカラッとした笑顔で話しかける。どうも二人はかなり親密であるように見えた。その様子から、リリムはその女性が何者なのか、なんとなくではあるが理解していた。


「彼女の居た場所と、エリルと親しそうな様子から察することができると思いますが……彼女こそが、この街の公務を纏める存在、ニアミィナ=トルメンタです」


 シルフはリリムへと、その淑やかな女性を手で示しながら紹介する。会話に花を咲かせる二人を横目にしながら。

 それが聞こえたのか、ニアミィナの目線がふとリリムへと向く。何かを思い出したかのように、彼女はそのままリリムの前へと歩み寄っていた。


「つい今、シルフ君が紹介してくれました。(わたくし)、ニアミィナ=トルメンタと申します。この国の公務を取り仕切っていますの。この国に住む人からは、ニアミィナを縮めてニアと呼ばれています。ようこそ、風神様の造りし街チエーリアへ。リリム様、お待ちしておりました」


 丁寧な自己紹介と共に、ニアミィナはスカートをつまんで淑やかな一礼を見せる。


「リリム=ロワ=エガリテと申します。今回は父の代理として、迎神の儀に馳せ参じた次第です。まだ至らぬ点も多いと思いますが、よろしくお願いします」


 リリムも思わず、反射的に腰からの一礼を返していた。

 互いに顔を上げると共に視線が合い、ほんの一瞬静寂が生まれる。


「……よく、私のことを知っていましたね」


 ()()を破ったのは、リリムだった。

 つい先ほど、ニアミィナはリリムのことを名前で呼んだ。リリムは見ての通り、今自己紹介をしたというのに。彼女はそれが気になってしょうがなかったのである。


「あまりにもアンプル様がお話されていた子通りでしたから。あの方、いつも娘のことを自慢して止まらなかったんですよ?」

「……お父様、が」


 それは、リリムの中で合点が行く答えであった。同時に、決して少なくない切なさをその胸に抱かせるものでも。


「――しかし、貴女が迎神の儀にいらっしゃるとは……あの噂は本当だと認めるしかないのですね」

「あの、噂?」


 ぼやくようにニアミィナの口から零れた言葉の端を捕まえて、リリムは問いかける。自分が関係ないことではない――むしろ、自分が聞いて聞いておかなければならないことな気がして。


「エガリテについての噂です。(わたくし)はあの国が大好きでしたから、認めたくはなかったんですが……どうやら、認めざるを得ないようですね」


 エガリテが滅びたという話は、やはり少しずつ、尚且つ噂のような形でははあるものの広まっているらしかった。

 ニアミィナの発言に胸の奥が締め付けられるようなものを感じながら、リリムは軽く下唇を噛む。どれだけの時間が経っても、彼女の心の奥底に燃える『何もできなかった自分』への悔しさは、一切勢いを衰えさせていなかった。


「リリム様は、まだ十六歳でしたよね」


 ニアミィナからの問いかけを、頷きという形で肯定として返す。


「……その惨劇を背負ってなお、よく立ち上がりましたね。貴女のような境遇を経験すれば、普通は折れても不思議じゃない――というよりも、折れない方がおかしいと言っても過言ではありませんから」


 そう、普通は彼女のように立ち上がることなどできるはずがないのだ。それだというのに、魔王リリム=ロワ=エガリテは決して足を止めることなく、揺らぎながらも立ち上がったのである。その理由は、一つ。


「生憎、私は普通じゃありませんから」


 爽やか――とは言い難い、どこか思うところのありそうな苦い笑みを浮かべながらも、リリムはすらりとした胸を張って宣言する。


「どうやら、そのようですね。その強さ、感服の一言です」


 どこから取り出したのか、ニアミィナは扇子で口元を隠しながら上品に微笑みを見せていた。


「この迎神の儀には、各国の権力者もそこそこご参加頂いています。開催は数日先ではありますが、その間は是非チエーリアでゆっくりと過ごされてください。そうですね……シルフ君、宿泊施設の手配お願いできる?」

「勿論です。リリムさん、キアレさん、少々お待ちくださいね」


 ニアミィナから命じられたかと思うと、シルフは背負った翼をはためかせ、どこかへと飛び去ってしまった。


「そんなことまで、ありがとうございます。ニアミィナさん」

「いえいえ。(わたくし)が招待した以上、やって当然のことですから」


 相も変わらず、ニアミィナは微笑の姿勢を崩さない。


「もう一度言いますが、(わたくし)はエガリテが本当に大好きだったんです。故に、リリム様に協力できることがあれば、私は手間を惜しみません。何かあればご相談ください。それと――」


 礼を告げようとしたリリムの口を、ニアミィナの何か言葉を追加するような声が遮る。


「よろしければ、ニアミィナではなくニアとお呼びください」


 そう告げる彼女の微笑は、少し照れくさそうになっていた。


「……はい。ありがとうございます、ニアさん!」


 頼まれてしまった以上、リリムにとってはそう呼ぶより他は無い。少し距離が縮まった気がして、彼女としても願ったり叶ったりであった。


「それでは改めて。是非チエーリアでごゆっくり過ごされてください」


 ニアからの言葉に、リリムは笑顔を返していた。

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