十二話 再開
夜も更けてきた頃。リリム一行は、エガリテ跡地から離れて、妖精の森の奥深くにいた。この森の中心にある大木の中に。キャロルとトニアの二人は、巨木の中に部屋があるのを物珍しそうにきょろきょろ見回していた。
「……後先考えずに国を消したから何をすればいいか分からないと」
リリムから現状を聞き、少し呆れたような顔をして、オベイロンがため息をついた。
「全く返す言葉が無いわね」
悪びれることなくリリムが返す。
「そうだな……まずは住居と食料確保が大事じゃないか? そして国を創ってくれる仲間を集めるって感じだろ」
オベイロンの言葉に、リリムが頷く。
「住居、食料確保は俺たちに任せろ。リリムは持ち前の明るさで仲間を集める。分担した方が良いだろ」
その提案自体は悪いものでは無い。それどころか、むしろ妖精達が手伝ってくれるならリリムにとってはありがたいことだった。ただ、仲間を集めると言うことに検討がついていなかった。
「隣国に行くのはどうでしょう? あの国の王なら手助けしてくれるでしょうし」
悩むリリムに、キアレが助け舟を出す。リリムははっとしたような顔をして指を鳴らした。
「ただ、その前に会わせたい奴らがいるから東の森に行ってくれ」
リリムはオベイロンに言われた通りに、妖精の森東に存在する紅い葉の森、夕焼けの森へと足を向けた。妹二人とキアレはというと、オベイロンに手伝って欲しいと言われ、それを了承したためそちらに居る。一人で森を歩くことなど、リリムにとってはかなり久しぶりのことだった。
「キアレと出会う前ぶりかしら」
彼女はふと、十年ほど前のことを思い返す。森の中で傷だらけだった、まだ幼い従者のことを思い出すと、懐かしかった。ただ、彼女がそうやって過去を振り返り感傷に浸ることを、何者かが許さなかった。夕焼けの森の中心にある、少し開けた場所に差し掛かった頃、リリムは足を止めた。そっと目を閉じ、周囲に漂う魔力の違和感を探す。彼女はここで、確かに異常を感じたのだ。三人か、四人か。明らかに自身に敵意を持った魔力が存在していた。人数がはっきりとしないのは、同じようで少し違う魔力がたくさんあることと、もやがかかったような巨大な魔力があるから。それ以外の一つ一つの魔力自体は、大したことない。量で言えば、名無しの範疇ではあるが、数が分からないのは不安材料ではあった。
「誰か知らないけど、私に攻撃してきた瞬間、あなたたちを敵とみなす」
そう宣言し、大剣を構える。それを合図にしたかのように、戦闘の火蓋が切って落とされる。先手を取ったのは、待ち伏せしていた者達。木の影から、同時に五つの影が飛び出す。それは真っ白で、人間と同等の大きさを持つ蜘蛛だった。
「大きすぎでしょ……」
少し引き気味でリリムが呟いた。彼女の手が一瞬ぶれる。それと同時に、空間に無数の斬撃が放たれる。リリムを中心に、彼女を守るように展開されたそれは、襲い掛かってくる巨大な蜘蛛たちを刻んだ。
「……っ」
リリムを白い煙幕が包んだ。先程刻んだ蜘蛛が連鎖的に爆発し、そのすべてが煙のようにふわふわとしながらも、嫌に粘り気のある煙幕を遺していた。見たことのない現象に直面し、リリムの思考と行動に一瞬の空白が生まれた。それを察知してか、空から一つ、リリムに飛び込む影があった。蝶々を模した仮面を被っている人間、それ以外は特筆すべき特徴のないそれはリリムのすぐ目の前まで踏み込むと、彼女の顔面めがけて渾身の蹴りを放つ。しかしそれはリリムに届くことなく、目の前で止まった。何かに阻まれるかのように。
「代われ!」
その言葉が聞こえると同時に、襲撃者は大きく飛び退いた。木の陰に走りこむと同時に、入れ替わりでまた蝶の仮面を被った――先ほどと違って今度は竜人族だが――襲撃者が槍を構え、リリムとの距離を詰めてくる。決して攻撃することはなく、距離を詰める。あと五歩程で手の触れる距離まで近づいた時、襲撃者が力強く大地を蹴った。
「激流槍!」
彼の持つ槍が水に包まれ、その水がドリルのように渦巻く。それをそのまま、リリムへと突き刺した。轟音と激しい水飛沫が立ち、この場に居る全ての者の視界が閉ざされる。それが収まって目の前の世界を目にした時、竜人族の襲撃者は死を悟った。
「良い武器と良い技じゃない」
襲撃者が突き出した槍を、リリムが片手で、つまんで止めていた。押し込んでも、引いてもそれが動くことは無かった。良い武器と技と称賛するリリムの左眼は、宝石のように美しく、そして狂いそうなほどに不気味な紅色に輝いていた。
「隙ありです!」
少し怯えた声で、リリムの背後から声がした。槍を抑えたまま振り返ると、そこにはお馴染みの蝶の仮面を被った人蜘蛛の少女が居た。右手には大きな宝珠のはめ込まれた杖を握りしめて、呪文を唱える。
「炎と水 相反する二つの力よ 敵を穿て 双月の光」
杖の先から紫色の巨大な魔法弾が放たれる。同時に、先ほど姿を消した人間の襲撃者も飛び込んできた。思い切り地面に拳をめり込ませると、一瞬土煙が巻き上がる。その煙の中から、魔法弾を握りしめた人間が飛び出してきた。土煙を巻き上げたのは、これを確実に命中させるためのカモフラージュ。リリムの口からは、思わず称賛の言葉が零れていた。
「見事ね。短い時間でかなり強くなってるじゃない。ただ……それじゃあ私には届かないわよ。 断絶の壁」
リリムは彼らの正体に気づいたようだった。彼女が指を鳴らすと、目の前の空間にひずみができ、元に戻る。言葉の通り、彼女の元に攻撃が届くことは無かった。人間はリリムを通り過ぎ、その手に持っていたはずの魔法弾は消えていた。
「さてと、わざわざこんなことして何のつもりかしら。出てきなさい、アイネ」
そうリリムが言うと、三人の仮面がぴょんと飛び、光の粒になった後……小さな妖精の少女になった。
「はーい! 魔王アイネ・エイヴリー、呼ばれて参上!」
リリムが手を差し出すと、アイネと名乗った少女はそこに座り込んだ。名前が同じことでわかる通り、彼女はオベイロンの妹である。そして彼女もまた、魔を極めた王の一人であった。
「キアレちゃんに任された三人、しっかり治療して鍛えてあげたよ。三人とも才能あって羨ましいねぇ」
才能があるという言葉に、三人は少し照れているかのような素振りを見せた。
「それでね、この子達、リリムに名前つけて欲しいんだって。私がつけてあげようかと思ったんだけど断られちゃった」
三人のキラキラとした視線が、リリムに集中する。リリムからすれば断る理由は無いし、相も変わらず彼女を慕ってくれているのが嬉しかった。まずは、人蜘蛛の少女の前にリリムは立った。
「なにか名前の要望はあるかしら?」
赤子をあやすかのような、甘くて優しい声でリリムが少女に問う。少女は恍惚の表情を浮かべ、リリムを見つめる。
「ありません。リリム様から戴けるのならばどんな名前でも」
彼女の額に手を当て、リリムが呟く。
「貴女はフィーロ。紡ぎ手という意味よ。よろしくね」
人体と蜘蛛の体の境界のあたりの腰を深く曲げ、フィーロが礼をする。リリムは次に人間の少女の前へ。
「貴女はどう?」
少女は静かに首を横に振った。少しだけ考える素振りを見せて、リリムは彼女に名を与える。
「貴女はレイ。優しい光であって欲しいから」
レイが方膝を地に着き、最敬礼の姿勢をとる。
「ありがとうございます。この命、リリム様に尽くします」
言葉や動きが、自分の従者そっくりだなと、リリムは感じた。最後に、竜人族の少年の前に立つ。少年に二人と同じことを問うたが、答えは同じ。リリムからの名前なら何でも良いだった。
「アル……」
アルト、という名を渡そうとして、リリムは良い淀んだ。流石にエゴが過ぎると、そう感じたから。彼の名を継ぎ、彼のような騎士にと思ったのだが、何も知らない彼にそれを背負わせるのは良くないだろうという理由もあった。
「……貴方はリーディア。みんなをまとめるリーダーになって頂戴」
「はい、頑張ります!」
元気のいい返事を聞いて、リリムは安心した。
「リリム=ロワ=エガリテの名において、汝達に名を与える……」
リリムがそう唱えると、三人の魔力量が跳ね上がる。その隣で、満足そうな顔をアイネが浮かべる。
「私の思った通り、三人とも磨けば光る原石だったんだよ!」
確かに、アイネの言っていることは正しい。三人とも、強い。そこらの名持ちくらいとなら、戦っても負けることは無さそうなくらいだ。ただ彼らがここまで強くなったのは才能とは別の理由もあるだろうと、そんな顔をアイネがしていた。
「流石はアイネ……とでも言ってほしい顔かしら?」
「いくら良い原石でも磨き手がよくなきゃ最大限輝けないもん。もっと褒めてくれて良いんだよ?」
彼女は満面の笑みを浮かべていた。しょうがないなと、リリムは彼女を褒める。彼女たちにとっては、いつものことではあった。
「でも、ありがとう。貴女のおかげでこの子達は助かったから」
感謝を伝えると、アイネが一瞬固まった。
「ば、このくらいなんでも無いわよ!」
勢い良く言って、アイネはどこかへ飛び去ってしまった。それを見届けると、リリムは三人の方に向き直る。
「よろしくね」
リリムの言葉に、三人とも勢い良く頷いた。エガリテの再建は、ようやくスタートラインである。




