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百十九話 並び立つ

 新生エガリテ国、その上空。


「……本当に、信じられない景色ね。目を疑っちゃうわ」


 眼下に広がる、無数の建物が立ち並ぶ景色を軽く眺めて、魔王リリム=ロワ=エガリテはそんな言葉を零していた。

 彼女がこの国を空けていたのは、たった五日間のみである。その時間は、エガリテがここまで発展するには余りにも短いと言っても良い期間である。


「お姉様がドラテアで頑張ってるんだろうから、そんなお姉様に驚いて貰いたくって……その反応を見るに大成功みたいで嬉しいな」


 キャロルは無邪気な笑顔をその顔に浮かべて、関心と困惑半々のような表情のリリムへそう言葉を返す――もう一人の姉の膝の上で、大人しく抱きしめられて。


「とは言え、吾輩はそんな大したことはしてないんだよね。せいぜい疲れてるみんなの気遣いをしたり、簡単なお手伝いをしたくらい。ここがこんなに大きくなったのはひとえにテクニさんとリズちゃんとトニクのおかげかな」

「なるほど、さすがはアンジュさんが推薦してくれたパシフィスト最高の技術者とその弟子ね。それにリズも手伝ってくれたと……助かるわ」


 ふふ、と上品な笑顔を浮かべつつ、リリムは自身の右手の中指に嵌められた青色の指輪を眺める。その視線に応えるように、前触れ無く指輪は淡く輝き出した。


「私、頑張ったんだよ! 途中でリリムの為に戦いに行ったりもしたし、凄く疲れたんだよ?」


 元気な声と共に、指輪からかの精霊は姿を現した。


「ありがとう、なんだけど……」


 淡く輝くリズの体を眺めて、リリムは困惑していた。


「……どうかした?」


 彼女の視界に映ったリズの姿は、一言で言ってしまえば痛々しい、といえるものだった。

 右肩から左腰にかけて傷跡のようなものが走り、魔力で形作られているはずの腕と足は形を保てず、不安定に揺れていた。


「……私の為に、戦いに?」

「そっか、リリムは寝てたもんね。こっそり頑張って戦ったんだよ……まぁ、手も足も出ずにやられちゃったんだけどね」


 照れくさそうにそう笑うリズの、目元の隠された表情の裏には、悔しさがあった。

 彼女が戦った相手は伝説の存在、七大魔竜が一角。言ってしまえば手も足も出ないのは当然なことと言っていいのだが、理屈と感情は切り離せる者は非常に少ない。彼女も多数派の一人であった。


「……私のせいで、そんなに傷ついて。ごめんね、リズ」


 先程まで自分の国の変わりようによって引き上げられていたリリムのテンションが、一気にしおらしく縮み込む。

 まるで花火に付いた火が消えてしまったかのように、リリムはすっかり静かに、俯いてしまった。


「……はぁ」


 代わりに聞こえたのは、リズの大きなため息だった。


「やっぱり、リリムは優しいね。私達……いや他は知らないけれど、少なくとも私はリリムのせいだなんて思わないよ? 全部自分の判断でやったこと、だもん」


 彼女の言葉に、リリムの顔が上がる。


「あの日、私は自分から戦いに出たの。誰かに強いられた訳でもなくて、自分から……どうしてかって、言われたら……リリムのためになりたかったから」


 両手を組んで考えながら、リズは言葉を並べていく。


「でも、それでも……」


 彼女の言っていることは、リリムはとうに分かっている。酔狂な夢を抱く自分の為に、皆はついてきてくれるのだと。


「私の、為か……」


 ざわめく心を落ち着かせるようにリリムは深く息を吸い、肺に目一杯空気を溜め込んでから口を開く。


「……私が嵌められたりしなければ、誰も傷つくことはなかったもの。私のせいよ」


 告げるリリムの言葉の中身は先刻と変わっていない。ただ表情が違っていた。そこに込められていた意思が。


「だから次は失敗しない。私のせいで誰かが傷つくのは、嫌だから」


 ――リリム=ロワ=エガリテは、王に向いた性格では無い。強さも、優しさも持ち過ぎている。人の上に立つには、致命的なまでに冷たさが無い。

 しかしそれは、彼女が()()()()()であった場合の話。


「誰かが傷つくというのなら、せめて一緒に戦う上でそうありたい」


 彼女は()()()()()であるべきなのだ。民と共に国を歩む王ーーかつて、父がそうあったように。


「もちろん、誰も傷つかないことが一番よ。けれど今の私にはそれを実現させられないから。だから皆には助けてもらうわ。改めてよろしくね」


 リリムは自身の顔に、弱々しくも芯のある笑顔を浮かべて一行へ告げる。誰もそれに対して、反意を見せる者は居ない。それほどまでに彼女は人の心を掴んでいた。


「ソロソロ オリル?」


 パランが会話が落ち着いたことを察したのか、それともそんなことは考えておらずただの偶然か――兎も角、背に乗る主に対してそう問う。


「……そうね。ドラテアからここまでの長い距離をありがとう、パラン」


 会話を繰り広げている間に、いつの間にか一行を乗せた青き鳥は新生エガリテの中央――空を衝くほどに高く聳え立つ王城のすぐ近くまで来ていた。

 リリムからの礼を合図に、パランは体のバランスに見合ってない小さな羽をパタパタと動かし、ゆっくりとその高度を落としていく――数秒の間を挟み、柔らかな擬音が聞こえる程に一度跳ねてからパランはエガリテの大地に降り立った。


「……やぁっと帰ってきた。」


 王城の前、彼女らが舞い降りた広場には三人、王の帰りを待っている者が居た。最初に口を開いたのは、リリムの数少ない親友にして、小さな妖精女王。


「ただいま、アイネ」


 帰還した魔王はパランの背から飛び降りながらそう告げる。明るい笑顔を浮かべるアイネに、リリムの頬も自然と緩んでいた。


「おかえり、お疲れ様。またいっぱい人捕まえて来たねぇ。流石は私の見込んだ魔王様! カリスマ、だね」

「ふふ、そんなに褒めても何も出ないわよ。私が居ない間、何もなかったかしら?」


 リリムの問いに、アイネは自信満々といった感じで首を縦に振る。


「問題なし、リリムの為に色々この国の基盤を考えてみたりしたんだ。レウスさんの意見を参考にしてさ。だから後で目を通してみて」

「分かったわ、ありがとう」


 小さな体をぐーっと反らし、胸を張って告げる彼女に礼を伝え、リリムは出迎えてくれた三名のうち、アイネ以外の二人の方へと向き直る。そこに居たのは元パシフィストの技術者、テクニとその一番弟子トニク。


「おつかれさんだ、リリム様」

「おかえり、魔王様」


 大きな体躯をリリムに合わせて屈ませ、二人は王の帰還を歓迎していた。


「まさか戻ってきたらこんなに街の形ができてるなんて思わなかったです。流石はお二人ですね。ありがとうございます、そちらこそお疲れ様です」


 驚愕をプレゼントしてくれた二人に、リリムはぺこりと頭を下げる。


「なぁに、大したことはしちゃいないさ。俺たちはやることをやっただけだな」


 親指を立て、爽やかな笑顔と共にテクニはそう告げる。特に相変わらず背丈よりも大きな鎚を携えて。


「こんだけ広げられたのはリズちゃんの力が一番大きい。途中で魔王様の為にっていなくなっちまったけれど、今日までこっちに残ってたら倍は発展できてたと思うぞ……まぁ、まだ国としては骨組みになるんだろうが」


 テクニに続き、トニクも言葉を繋げていく。確かに、彼らが作ってくれたのは新生エガリテの骨組みの部分と言えるだろう。実際無数に建物は立ち並んでいるものの、この街には人の気配がない。

 ただそれは当然のことではある。全てをゼロから始める国造りとなると、住んでくれる人を探すことは大きな壁になるだろう、とリリムは思っていた。


「本当にありがたいです。骨組みだけでも、私だけじゃ造ることはできなかったでしょうから」


 改めて、リリムは二人に深く頭を下げる。


「リ、リリム! あんたなんてバケモノ連れて来てんのよー!」


 彼女らの会話になんの前触れもなく飛び込んで来たのは、怒っているようにも聞こえるアイネの叫び声。それに誘われるようにリリムは声の元へと視線を向けた。


「バケモノとは失礼だな……リリム、この小娘はなんだ?」

「小娘じゃないし! 私はアイネ・エイヴリー! これでも魔王なんだから、もっと丁重に扱ってよ!」


 彼女が見たのは、魔竜の二本の指で首根っこをつままれ、じたばたと抵抗するアイネの姿だった。


「……その子は私の友達よ。悪い子じゃないから仲良くしてあげて」


 クスリとした彼女の微笑みに合わせて、アイネの体はメレフの指から解放された。


「やっぱり闇の魔竜は暴君なのね……! びっくりしたわ……」


 自由になった体で、アイネはリリムの頭の上に当然のように座り込みながらそう文句を言う。


「あら、魔竜なのは分かるの?」

「分かるよ、私たち妖精みたいに人とは違う魔力なうえであんなに桁外れの魔力量は魔竜しかありえないもん。この魔王様はなんて人捕まえて来てるんだか……」


 頭痛でもしてきたのか、眉間に皺を寄せてアイネは黙り込んでしまった。


「はは、言われておるぞリリム。確かに魔竜を手懐けるなぞ今までどんな記録にも残ってないだろうから」


 そんな様子を見て、当事者であるメレフはさぞ愉快そうに笑う。


「そうね、でも私はこれからもそうあっていくわよ。型に嵌ったような生き方じゃ私の夢は現実に降りてきてくれないもの」


 胸を張って、リリムはそう宣言する。今の彼女はただ、長い時を彷徨ったメレフが――それにつられたか周りの皆も――笑っているのが、心の底から嬉しかった。

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