百十八話 風に流れる招待状
人猫族の姉妹の微笑ましい再会を済ませて、リリム達一行を乗せた青き鳥は、発展したエガリテの上空をふわふわと漂っていた。
「――じゃあ、紹介するわね」
おもむろに告げられたリリムの言葉に、キャロルの背筋がピンと伸びる。そのまま彼女は何かを思い出したかのように移動したかと思うと、リリムの背に隠れるように座り込んでしまった。
「この子はキャロル。ギムレットさんと、私の妹。見ての通りちょっと……いやかなり……極度の人見知りだけど、信じられないくらいいい子だから仲良くしてくれると嬉しいわ」
もう一人の姉の背に隠れたまま、キャロルは小さく頭を下げる。つい先ほど、ギムレットとの再会をあれほど元気に喜んでいたとは思えない程に彼女は小さくなってしまっていた。
「よ、よろしくお願いします……」
小さくなったまま、キャロルはいつもの大人しい雰囲気を小さな身に纏い、姉の背に隠れたまま挨拶を口にする。
「逆にみんなの方も紹介していくわ。まずあの銀髪の御大さんがギムレットさんの精霊としての契約主のアガレスさん」
リリムからの紹介に合わせて、アガレスはにこりと微笑んで見せる。
「前評判の通り、ギムレット嬢と正に瓜二つですな。よろしくお願い致します、キャロル様」
彼が忠誠を誓うのは、リリム=ロワ=エガリテである。ただ主の妹であるならば、その忠義はキャロルにも向けられたとて何ら不思議ではない。
「あの隅っこの方で遠くを見てる鬼人族のお兄さんがトーヤ。刀使いの強い人よ」
「強いなどと評されるにはまだまだ道半ば、私には過分なお言葉です」
彼はそう謙遜して見せるが、ドラテアでの騒乱はあくまで相手が魔竜と言う天上の存在であっただけであり、トーヤは紛れもなく強者である。
「それで貴女のことを見て何故か目を輝かせてる金髪の女の子がリルフィンで、それを制止してる黒髪の子がエウレカ。どちらも素直な良い子よ」
紹介されるや否や、リルフィンがエウレカの制止を振り切ってリリムに――もとい背後に隠れるキャロルに対して詰め寄る。
「ね、ねぇっ……撫でても大丈夫……?」
「……だそうよ、キャロル」
少々息を荒げながら問うリルフィンに対し、おっかなびっくりではありながらもキャロルは頷いた。
「ありがとう、失礼します……」
耳がペタンと倒されたキャロルの頭を、リルフィンの手が、つい先ほどまでの興奮気味な声色とは打って変わって優しく撫でる。
「かわいぃ……! よろしくね、キャロルちゃん……!」
一人歓喜の声を上げるリルフィンを見て、エウレカはというと小さくため息を吐いていた。
「……よろしくお願いします、キャロル様」
そのまま彼女は親友に少々呆れたような目線を向けながら、キャロルへ頭を下げる。やはりこの二人の性質はまるで真逆と言っていい。
「うん、よろしく……」
キャロルの、くすぐったそうに身震いする様を見かねてかエウレカがリルフィンを捕獲し、引き剝がす。
「うぁ……猫ちゃん……」
「もう十分でしょ、キャロル様に迷惑だよ」
親友に窘められて、リルフィンはすっかりと鎮静化してしまった。
「申し訳ございません、この子極度の猫と可愛いもの好きで……失礼致しました」
「ううん、平気だよ……エウレカちゃんに、リルフィンちゃん、二人ともよろしくね、あと――」
初対面だったが故に緊張していただけであり、キャロルは特段撫でられるのが嫌いなわけではない。寧ろ優しい撫で方ならば好きと言っても良い。
「な、撫でたかったらいつでも言って……?」
キャロルのお眼鏡にどうやらリルフィンの撫で方はかなったらしい。先の発言はその証左と言えるだろう。彼女の申し出に、リルフィンはさぞ嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
キャロル達の会話がひと段落着いたのを見て、リリムは一行の紹介を再開するべく口を開く。
「最後はさっき貴女を助けてくれた二人。まずは大きい方がベルよ」
紹介に合わせて、ベルは眩しい笑顔を浮かべる。
「よろしくな、可愛い猫ちゃん」
自身の膝上にトニアを抱き抱えて告げられた言葉の調子は非常に明るく、彼女の性格をそれだけで現しているようだった。
「一応ベルは元厄災ね。ただ今はもう厄災ではないし、何ならそれとは真反対と言っても良いくらいに良い人よ」
「――へ?」
リリムの口から告げられたそんな言葉に、キャロルは目を白黒させていた。確かに姉の口から零れた言葉は、キャロルにとっては余りにも突拍子の無いものであり、困惑交じりの反応になってもなんらおかしいことではない――寧ろ自然な反応であると言っても良いだろう。
「安心するさね、取って喰ったりしねぇから」
相変わらず笑顔を浮かべたまま、ベルはキャロルにそう告げる。
「……はい、よろしくお願いします」
諦めたようなため息を吐いて、キャロルはぺこりと頭を下げた。
「次にこっちの小さいのがメレフ・アペレース。ベルの妹で、かの七大魔竜が一角、闇の魔竜様よ」
「……あぁ、そう。魔竜様」
リリムからの紹介に、キャロルはもう一度大きくため息を吐く。それはベルの紹介に対する困惑交じりの反応とは一転した、言ってしまえば地味な反応であった。
「……なんだ、思ったより反応が薄いな? 余はもう少し驚かれるものと思っておったが」
それを目の当たりにして、メレフは些か不満そうな声を漏らす。
「もう厄災の方もいますし、よくよく考えればお姉様ですから。もう誰を連れて来たって何もおかしくはない……というか……」
肉球のように柔らかな右手で眉間を抑え、キャロルは改めて深いため息を吐いていた。
「ふむ。確かに言われてみればそうやもしれぬな。リリムのことだし、一々賑やかな反応していては疲れてしまうか……」
キャロルの意見に、メレフは納得したように何度も頷く。
直後、彼女ははっと何かを思い出したようにキャロルに詰め寄っていた。
「お前の姉、思ったよりも破天荒よな……見たところ振り回されそうな性格だし、苦労しておらぬか?」
「……全然。寧ろ楽しませて貰えてます。何よりも好きでついて行っていますから」
「小さな声で一体なんのお話をしてるのかしら?」
こそこそと話す二人に、腰に手を当てたリリムが言葉を投げつける。もちろん内容は聞こえているが、聞こえないふりをしている方が面白い――そう彼女は考えたようである。
「いや別にな? そんな大した話などしておらぬよ、ただお前は思ったよりも元気な奴だよなとういう話をだな? そうだろうキャロル?」
同意を求めるメレフの声に、キャロルは何度も深く頷く。
「……ふふ、それならいいわ」
人見知りのキャロルがメレフとしっかり打ち解けている様子を確認して、リリムは口元を隠す上品な笑みを浮かべていた。
「さて、そろそろ――」
不意に、何かが空気を切り裂く音がリリムの耳に届く。刹那、彼女の視界に、手のひらサイズの鳥が一羽、高速で飛来した。
「……一体どうしたのかしら」
リリムの眼の前で小さな翼を必死に羽ばたかせる小鳥の足首には、一通の手紙のようなものが括りつけられていた。
「これは私に?」
リリムが問うと、肯定するように小鳥は上下に大きく体を揺らす。
「失礼します」
キアレが手を伸ばし、主の代わりに小鳥の足首から丁寧に手紙を取り外すと、そのまま彼女は封をゆっくりと開いた。
主よりも先に軽く目を通し、見せても大丈夫な内容かどうかを手早く彼女は確認していたのである。
「どうやら有羽族の――風神の統治する国、チエーリアからのようです……読み上げますね」
「お願いするわ」
一度喉を鳴らし、声の調子を整えてからキアレは口を開く。
「拝啓、親愛なるエガリテ国王殿。今年もまた、風神様をお迎えする儀式の時期が近づいて参りました。つきましては是非エガリテ公にも迎神の儀に是非とも参加していただきたいと存じます。ご多用中、誠に恐縮ではございますがご来臨の栄を賜りたく、謹んでご案内申し上げます――」
キアレの落ち着いた声で、手紙に綴られた言葉が読み上げられる。リリムは静かにその声に耳を傾けていた。
「なるほどね。いつの予定かしら」
「五日後だそうです。向かわれますか?」
従者は丁寧に手紙――もとい招待状を畳みながらリリムへ問う。
「お父様に向けて出された招待状でしょう。恐らく周りの国にはエガリテの現状は広まってないのね。それも伝えなきゃいけないでしょうし、再興にも、私の夢の為にも悪くない機会だと思うから行くわ」
リリムは特に迷う素振りも見せずにそう答える。なんら表情を変えない彼女とは対照的に、キアレはどこか不安そうな表情を浮かべていた。
「どうかしたのかしら?」
不思議そうな顔で、リリムはキアレへ問う。
「……また、何かに巻き込まれるのではないかと心配で。あの国には私の妹も居たはずですし……」
「今回は貴女にもついてきてもらうつもりよ。それなら心配もないでしょう?」
主の提案に、忠犬は一転してぱっと明るい笑みを見せる。
「お任せください。リリム様のお傍で、しっかりと守らせていただきます」
二本の尻尾を大きく振りながら、キアレはそう胸を張って宣言する。
「五日後ね……チエーリアなら一日前にここを出れば余裕を持って間に合うでしょうし、それまではゆっくり英気を養う事にしましょう」
次の目的地をチエーリアへと定め、束の間の休息をリリムは過ごすのであった。




