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百十六話 風流れる帰路

 竜人の国ドラテアを飛び立ち、かの国とエガリテの道中に横たわる広大な海の上を、一羽の青き鳥がゆっくりと飛んでいた。


「随分のんびりと進むのだな、リリムの事だから全速力で帰る……などと言いそうなものだが」


 その背に乗る魔王一行の中で()()()()最年少の人竜が、ふかふかの羽毛に体を預け、そう呟く。


「コレデモ ゼンソクリョク!」


 その呟きに、青い鳥――パランは抗議の声を挙げる。十名を乗せて尚余裕のある巨体から放たれたその声は、軽く空気を震わせるほどの大きさだった。


「そう気を悪くしないで。このペースで良いから、安全飛行でお願いね」


 怒っているのか、ほんの僅かに揺れの増した鳥の背で、彼を宥めるようにリリムは告げる。日の光を反射してキラキラと輝く髪を、ギムレットの手によって結わえられながら。


「……リリムガ ソウイウナラ」


 少々不貞腐れたような声を漏らしながらも、彼の背で感じられた微弱な揺れは完全に消失を果たした。快適この上ない飛行と、それを引き立たせる陽気は、まるで彼女らの勝利を祝福しているかのようだった。


「――よし、できた。久しぶりでも案外上手くいくものだね」


 ギムレットの手によって、リリムの銀髪はどこかの令嬢化のように上品に編み下ろされていた。


「昔はキャロルにやってあげてたんですか?」

「そうだね。大きくなってからはちゃんとするようになったけど、昔のあの子はそういうのに全く無頓着でさぁ。あんなに可愛いのに、勿体ないよね!」


 自身と瓜二つの容姿を持つ妹をべた褒めするその様にどこかおかしさを感じつつ、リリムは取り出した手鏡で、整えられた自分の髪を満足そうに眺める。


「あぁどうしよう……もうすぐ会えるんだぁ。どうだろう、久しぶりに会って私の事分かんないなんてことないよね? もしそんなことがあったら私は……」


 誰に答えを聞くまでも無く、彼女はただただ発散するように声を出し続ける。ただ自分の気が向くままに一方的に話し続けるその様は正に猫を体現していた。


「まぁ安心しな。話を聞いてる感じ、アンタ達かなりの仲良しだったんだろ? そんな奴らがちょっと離れたくらいで分かんなくなるわけがねぇよ。滅茶苦茶に時間経ってるアタシが保証するさね」


 そんな彼女を宥めるは、同じ姉という立場であるベル。


「それにそんなそっくりな見た目なのに、分かんないなんてことないでしょ。あったらびっくりだよ」


 トニアもその意見に同調するように続く。


「大丈夫、だよね?」


 二人からの言葉を聞いてなお、腰から伸びる尻尾を不規則に揺らしながら、ギムレットは不安を拭いきれないようにか細い声でそう呟く。きっとこれは、どんな言葉を掛けられたとしても完全に晴れることはない、彼女の心に渦巻く曇天なのだろう。


「ギムレットさんはキャロルお姉ちゃんのお姉ちゃんだから……お姉ちゃん呼びでもいいかなぁ?」

「お、お姉ちゃん……私が……?」


 そんな彼女の様子を一切意に介することなく、持ち前の明るい声でトニアは笑う。


「……ふふ、トニアちゃんが良いならそう呼んでくれたって構わないよ!」


 ただその陽気さは、一種の才能でもあった。


「その場合、私はどの立場になれば良いのかしら?」 


 自身の持ちえないその才に少し羨ましさを抱きつつ、彼女らの会話にリリムは参加してみる。一応今は上からリリム、キャロル、トニアの順に姉妹となっているはずである。


「個人的にはお姉ちゃんが一番上であってほしいかなぁ。一番頼りになるし」

「それって私は微妙に頼りにされてないってこと?」

「別にそういう訳じゃぁ……!」


 トニアを膝上に抱き、頬を両手で押しつぶしながらそんな会話を繰り広げる二人の姿は、平和そのもの。

 自分の戦いは、こういった何気ない日常の一幕の為にあるんだ、とリリムは人知れず小さなため息を吐いていた。


「その場合、ギムレット様が上妹様、キャロル様が中妹様、トニア様が下妹様になるのでしょうか……」


 自然とリリムの隣に座り込み、二股の尾を振りながらキアレは呟く。冗談交じり――に聞こえて、恐らく彼女は真面目に考えていることをリリムは知っていた。


「私のことは変わらないのね」

「勿論です。リリム様はリリム様。私の大切な主人でありますから」


 何気ない問いに対しての、一切の迷いも存在しない即答に少々驚きながらも、彼女が自分の従者であってくれて良かったと、静かな笑みを魔王はその顔に湛えていた。


「それにしても、中妹様は大丈夫だったでしょうか……」


 キャロルの名が出たことで何かを思い出したのか、キアレは唐突にそんなことを口にした。


「……あの子がどうしたの?」


 聞こえてしまっては、何があったのか気になるというもの。リリムは完全に無意識でそう問うていた。


「実はリリム様がドラテアに向かってから、私は国造りの為に色々と準備を行っていたのですが、途中でパラン様に呼ばれて慌ててドラテアに向かったんです。その際に合切を中妹様に任せてきてしまったので……」

「大変で潰れてないか……ってことかしら?」


 意思を汲み取ったリリムの要約に、キアレは頷く。


「帰ったら労わってあげないとね。それと……」


 親指で自身の中指を丸めて引き、ピンと解き放つ勢いで軽く従者の額を弾く。


「一体、何を」

「帰ったらすぐ働くつもりだったんでしょう? 貴女、昔から根を詰め過ぎよ」

「……それは」


 何か言い返したそうな表情を浮かべながらも、キアレはそれ以上言葉を発することはなかった。

 頭部の犬耳を倒し、腰から伸びる二本の尻尾を垂らした姿には反省の色が見て取れる。


「……別に悪いって言ってる訳じゃ無いのよ。実際貴女の働きには凄く感謝してるわ。けれど、私は貴女にも少し休んで欲しいなと思っているの。無理をされて倒れられたりしても大変だし……もっと、自分を大切にしてちょうだい」


 すっかり意気消沈してしまった彼女の頬を、小さな優しい手で撫でながら自身の思いの丈をリリムは告げる。


「肝に銘じておきます。適度な休息を、ですね……」

「そうね。こう言ってはいるけど私だって貴女に心配をかけてない訳じゃ無いもの。お互い様、少しずつ頑張っていきましょう」


 両名それぞれが抱く心配は、過剰かもしれない。だがそれは紛れもなく互いへの想いがその形で表れているものでると言えるだろう。

 特段喧嘩などというわけではないのだが、何とも言えない静かな時間が一瞬、その場を包み込んでいた。


「ねぇねぇリリム様、エガリテってどんな場所?」


 そんな空気を払拭するためか、それともただ単純な好奇心か――声の主の性格的にほぼ後者だろうか。高く結んだ金髪を揺らしながら、エウレカはリリムにそう尋ねる。


「どんな場所、どんな場所か……」


 突然のそんな質問に一瞬答えを見失い、腕を組んでかの魔王は黙り込んでしまった。


「……し、質問が唐突過ぎるよリルフィンちゃん」

「あはは、どーしても気になっちゃって。そんな真剣に悩まれると思わなかったからさぁ」


 相変わらず手綱を握り切れてないエウレカからの窘めの言葉に返ってくるのは、リルフィンのあっけらかんとした声。

 答えを待つ彼女の前髪を、潮風からにおいの変わった大気の流れが撫でていた。


「どうなるかは、今の私には分からないわ。まだ国と呼ぶには足りないものが多すぎる。だから目指す先の話をするなら、私はエガリテを笑顔で満ちた国にしたい。種族も分け隔てなく、住む人みんなが笑ってられるような国。そこから、世界にそれが広がっていけばいいな」


 自信と不安、相反する二つの感情を抱いて、リリムは笑顔でそう答えた。


「いい夢じゃん。エウレカがついて行きたいって決めるだけあるね」


 白い歯をにっと見せ、リリムの手を半分無理やり握り、ぶんぶんと振りながら彼女はその夢を肯定していた。


「そう言ってもらえて嬉しいわ、ありがとう」


 言葉はあっさりしているものの、彼女の内心は深く安心していた。この夢を荒唐無稽だと思っているのは他でもないリリム自身なのだ。彼女の僕という立場になったとはいえ、元は他人であるエウレカがそう言ってくれるのは、リリムにとって自信となりえるものであった。


「……見えて、来ましたね」


 海を越え、広い川沿いに飛んでいた青き鳥の背で、エウレカはそう告げた。


「見えて……?」


 その言葉に、リリムは違和感を抱いていた。

 十分近づいてきたとはいえ、まだエガリテまではそこそこの距離がある。大した建造物も無いはずのあの国が見えるはずもないのだ。


「……嘘、でしょ」


 エウレカの視線の先を追ったリリムは、喉の奥から出す言葉を見失ってしまった。


「――どれだけ、やったのよ」


 リリム=ロワ=エガリテを絶句させる要因となったのは、遠くからであろうとはっきりと肉眼に映るエガリテの姿――空を衝く巨城を中心に組み上げられた街の姿であった。

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