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魔王が運ぶはフェアリーレン  作者: 和水ゆわら
二章 竜人の国 ドラテア
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百十四話 生きる資格

 リリム=ロワ=エガリテが目を覚ましてから、時間にしておよそ半日が経過した頃――月が綺麗に輝く夜の、ドラテア王城の一角。


「……しょうがないのだけれど、少々退屈ね」


 ベッドの縁に腰掛け、艶やか銀髪に大きな窓から差し込む柔らかな光を反射させながら、彼の魔王は静かに、そうぼやいていた。

 ふと部屋の端に置かれたソファに視線を向けると、そこには彼女に忠誠を誓う従者が横たわり、小さく寝息を立てている。


「私の代わりに色々やってくれたのね、お疲れ様」


 キアレを起こさぬように軽く羽ばたき、全くの足音を立てずに彼女のすぐ傍へとリリムはその姿を寄せる。従者の顔を覗き込めば、そこに浮かんでいたのは安心したかのような穏やかな寝顔であった。

 そっと手を伸ばし、優しく彼女の頭を撫でるリリムの姿は、背後から差し込む月光も相まって聖母のように美しい。


「相変わらず頼りになる私の従者。大好きだよ……」

「勿体なき、お言葉……です……」


 瞼を揺らし、僅かに開かれた琥珀色の瞳に主の姿を映しながら口から漏れた、非常に柔らかな声が決して狭くない部屋に鳴る。


「ごめんね。起こしたかしら」

「いえ……平気、です」


 眠気に包まれ、普段は凛とした雰囲気を纏う彼女からは想像できないような油断した姿は、一重にリリム=ロワ=エガリテといいう主への信頼を現すものであった。


「眠れませんか……? 私で良ければお話にお付き合いを……」


 上体を起こそうとしたキアレの肩を抑え、その必要は無いと制止する。


「平気よ。そんなに疲れてる貴女の休息を邪魔するほど私は我が儘を言うつもりはないわ。ゆっくり休んで、明日からまた頼りにさせてもらうわね」


 本音を言えば、リリムだって先のキアレの提案を受け入れたくはあった。ただ眠っていた二日間の間代理を務めてもらった――どころか、わざわざ彼女をエガリテから足を運ばせる程に心配をかけたことをリリムは分かっていた以上、それを許すことはできなかったのである。


「眠り過ぎたみたいで、どうにも眠れないの。少し夜風に当たってくるから、キアレは疲れを取って。いつもありがとう。大好きよ」

「……承知致しました。休ませていただきます」


 数度の瞬きの後、キアレの琥珀色の瞳は瞼に隠され、ほぼ同時に穏やかな寝息が再び、静寂に満ちた部屋に僅かな音をもたらす。


「本当に、ありがとう」


 一度従者の頭を撫で、部屋に月光を差し込ませる大きな窓の前に立つ。軽く押して窓を開くと、その先に配置されたバルコニーに足を運ぶ。

 元々夜に強い魔族であったことに加え、二日間眠ってしまっていたこと――なにより、彼女が普通の存在から離れていっていることが現在リリムが眠れない大きな要因だった。


「ちゃんと元通りになったのね。良かった」


 リリムの視線の奥に見えたのは、既に寝静まってはいることを除けば、活気のある昼と同じ姿の街。聖杯の力によって――リリムの手で美しさを取り戻したドラテアであった。


「……誰かと思えば、眠り姫様か」


 ふと、そう遠くない場所からそんな声が聞こえて、リリムはその発生源へと顔を向ける。


「貴女は……」


 他の部屋に繋がる程に長く広がったバルコニーの端に置かれた、二人掛けのベンチに()()は居た。

 腰まで伸びる長いブロンドヘアに、目尻の高い翡翠色の瞳。引き締まったメリハリのある体はリリムより二回りほど大きく、もし街を歩いていれば目を奪われる者は少なくないであろう、美人という形容が相応しい()()()の女性。


「奇遇さね、こんな時間に。眠れないのか……って、まぁあれだけ寝てりゃ眠くならないのも当然か」

「ベルの方こそ、こんなに月が高く昇っているのに眠らなくて良いのかしら?」


 自身の名付けた名前で彼女を呼び、歩み寄りながらリリムは問う。


「昔から――そうさね、アタシがあんなバケモンになる前からそう長くは寝られない体質らしくてな。眠くなるまでこうして夜風に当たってるのさ。静かで落ち着くからな」


 若干儚げな顔を浮かべる彼女の眼の下には、目立たないよう薄っすらではあるが隈が浮かんでいた。当然、善意の塊であるリリムがそれに気が付かないはずがない。


「……なにか、眠れない理由があるの? 私で良ければ聞くけれど、話してくれたりするかしら?」


 お節介が人の形を持ったかのような彼女が、隣に座りながらそう尋ねるのは、当然のことだったと言っていいだろう。


「まさか、そう言われるとは思わなかったさね……まぁ、アンタになら話しても良いか。少し吐き出させてもらうさね」


 並んだ二人の前髪を夜風が撫で、長く綺麗な髪が靡く。彼女らを、静寂の帳が包み込んでいた。

 それを打ち破ったのは、ベルの小さなため息。リリムは特に何も言わず、静かに耳を傾ける。


「アンタはアタシを……えぇっと、厄災って言うんだったな。あれから解き放ってくれた。まずそれは感謝してるさね。ありがとう」


 感謝の言葉にリリムが返すは優しい笑顔。彼女がベルを救ったのは前提としてメレフとの約束があったから――とは言え、優しき魔王はきっと、魔竜との約束がなくとも彼女のことを開放していただろう。


「……なぁ魔王様、アタシは生きてても良いのか?」


 リリムを見据え、絞り出すような声でベルは魔王へ問う。肯定して欲しくも、否定して欲しくもあるように彼女には聞こえた。


「それはまた、どうしてかしら?」


 ――故に、彼女は否定も肯定もまだしない。


「アタシは、厄災だったんだ。暴食の厄災(ベルゼブブ)ってのは、山ほどの命を奪ったバケモンだったんだろ? 他人をそんだけ苦しめておいて、自分はのうのうと救われて生きるなんて資格があんのかって、思っちまって」

「……そういうことね」


 リリムは改めて、こんなにも真っ直ぐな人が厄災にならなければならなかったのかと憤りを感じずにはいられなかった。

 ベルを見上げていた顔を足元に落とし、答えを探すように目線を辺りに走らせる。無論、それを見つけるのは他人ではなく彼女らなのだが。


「私のこの言葉が正しいのかは分からない、ということを念頭に置いて聞いてほしいのだけど、ベルがそう考えているのなら生きる資格が無いなんかじゃなくて、むしろ生きるべきだと私は思うわ」


 ベルは、迷ってリリムに導きを求めたのだ。ならばたとえ手探りであったとしても導を指し示さなければならない。そう彼女は考えていた。


「生きるべき……?」

「そう、生きるべき。貴女は奪った命の為に死のうとしてる。けれどもそれは、貴女が奪ってきた命に対しての償いにはならないんじゃないかしら?」


 そもそもリリムにとっては、暴食の厄災とベルは全くの別人。厄災の罪を彼女が背負う必要など無いはずであった。だが既にベルの心はその領域を超えている――故に、彼女はそのことを口にすることは無かった。ただベルが求めるであろう答えを告げていく。


「私は思うの。死ぬことは償いじゃなくて、罪から逃げているだけなんじゃないかって。本当に償う方法は、今は思い浮かばないけれど……生きて、見つけるべきだ、ってね」


 リリムが言葉を告げる度に、ベルの迷っていた瞳に光が灯されていく。顔も儚げな表情から、少しずつ明るいものへと。


「貴女は償いを考えられる程に、自分を責めてしまう程に優しい人。だから、生きる資格が無いなんて言わないで欲しい」

「アタシが、優しい……かな?」


 ベルの問いを肯定するように、リリムはたっぷりと時間をかけて頷く。


「生きてて、良いのか?」

「もちろん。貴女に死んでほしいなんて酷いことを思う人がどれだけ居るのかは分からないわ。だけど――」


 ベルの眼前に、リリムはこれ見よがしに二本の指をピンと立てた右手を見せつける。


「少なくとも二人は、貴女に生きて欲しいと思っている人がいる事を知ってほしい。このうちの一本は、私」


 そう微笑みながら、二本の内一本の指を曲げる。


「……そしてもう一本は、貴女の大切な妹よ」

「そっか……そうだな……」


 もう一本の指をリリムが曲げ、ぱっとリリムが手を広げた時には、ベルは満面――とまではいかないものの、先程までとは違って明るく笑っていた。


「ありがとな、魔王様」

「こんなので良いのなら、どういたしまして。いい笑顔で笑うじゃない」


 内心、リリムはほっと胸を撫で下ろしていた。思うがままを言葉にしてしまったが故に、これで良かったのか不安だったからだ。だがそれは杞憂だったのだ、と。

 月光と星光、二つの明かりが差し込む中、並んだ二つの影の内片方が少しだけ傾く。


「……今日は、しっかりと眠れそうかしら?」


 寄りかかってきた自分より大きな体を優しく受け止め、リリムは心底優しく語りかける。


「おかげさまで、な……少し、このままでもいいか……?」

「もちろんよ。後でベッドには連れていってあげるわ」


 体格差を考えれば絶対に逆ではあるのだが、ベルはリリムにゆったりともたれかかり、呼吸をゆっくりと、落ち着かせていく。


「おやすみなさい、ベル。満足するまでゆっくりとお眠り」

「ありがと……リリム……」


 小さく呼ばれた自身の名にクスリと微笑み、預けられた大きな体を翼で柔らかく包み込む。決して寝心地は良いとはリリムには思えなかったが、きっとベルにとってはどんな寝具よりも柔らかく、安心する場所であっただろう。


「貴女は厄災なんかじゃ、ないんだからね」


 ぽつりと告げられたリリムの言葉を聞いていたのは、微睡に沈むベル自身と、二人を見守る月光だけだった。

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