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魔王が運ぶはフェアリーレン  作者: 和水ゆわら
二章 竜人の国 ドラテア
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百七話 発散

「――!」


 つい数秒前まで立っていた場所は、遥か視線の彼方。攻撃を受けたことを知覚する間もなく、セレスティア・クローリーの体は地面と平行に弾き飛ばされていた。


「が、っぐぅっ……」


 翼を広げ、吹き飛ぶ勢いを殺す間もなくそのまま、セレスティアの体は大地に激突した。


「く、そ……!」


 地面を跳ねると同時に剣のような尻尾を岩盤へ突き刺し、多少強引にだが勢いを殺す。普段なら自然に勢いが収まるのを待ち、そこから体勢を整えていただろう。ただ今はそんな悠長なことをしている暇は無かった。なぜなら――


黒き雷(ノワール)の戦乙女(・ヴァルキリー)


 ――感情に身を任せる魔王が、憤怒を雷としてその身に纏い、彼女の元へとゆっくり歩みを進めていたが故である。魔王がその足を大地に触れさせる度に、天より落つる黒雷が空を引き裂く。彼女の頭上にゆったりと浮かぶ強大な獲物(神聖剣)は、彼女の視線と同じくセレスティアを捉え、淡い光を放っていた。


「……化け物、が」


 刃を握り直すと同時にセレスティアの口から漏れたのは、そんな短い言葉。原初の七大魔竜である彼女も、この世界で見れば十分化け物という称号が相応しい。

 だが彼の魔王はそんな彼女から見ても、まさに化け物と呼べる桁外れの魔力を、圧をその身に携えていた。


「光の魔竜 セレスティア・クローリー」


 一瞬の膠着の後、リリムの左目が妖しく煌めいた。何かが来る、そうセレスティアが身構えた時には既に、幽夜に瞳の残光を走らせながら、魔王は行動を終えていた。


「――それは高潔にして慇懃。世界のために命を擲つ憧憬の英雄」


 ほぼ筋力はなさそうに見える細い腕が、自身の体躯を一回りほど上回るセレスティアの、鱗に覆われた首を左手で掴み、持ち上げる。その一連の動作は音も、認識も置き去りにした上で行われていた。


「がぁ……ぅ……ぐ……!」


 急所を守るために生えている筈の竜鱗を嘲笑うかのように、その上から魔王の指はセレスティアの喉にギリギリと食い込む。呼吸は、人智を超えた存在である魔竜に必要なものではない――が、辛うじて生物である以上気管を締め上げられるという事は、強烈な息苦しさを感じるのは彼女でも一緒であった。


「この世界の子供の多くは、一度は貴女に憧れを抱くそうよ」


 溢れる感情を逃がすためにか、腰から伸びる竜尾を大地に何度も叩きつけながら、酷く悲しそうにリリムは自身の手の先で、動きを奪われた蜥蜴へと告げる。


「っ……ぁあ!」


 眩い魔力を纏った純白の刃が、行動を縛られた状態でも正確に、リリムの首筋目掛けて振り抜かれる。彼女の言葉に対してのセレスティアの答えは、魔竜の斬撃であった。


「――今まで七度、世界を襲った厄災全ての討滅で力を振るい、人々を導いてきた為政者の鏡のような存在だもの。憧れるなっていう方が難しいわよね」


 だがそれも、魔王リリム=ロワ=エガリテには当然のように届かない。魔力の炸裂の直後、セレスティアの視界に映ったのは、首筋に触れた刃によって長い銀髪を衝撃で揺らされこそすれ、透き通る肌にかすり傷一つ付けられていない彼女の姿。


「……私だって」


 ぽつりと言葉を吐き出すと共に、リリムの左腕に魔力が籠る。そこから、動作の()()()を一切感じさせる事なく、セレスティアの体を真上――空へと放り、()()()()()神聖剣で遥か高くへと打ち上げた。


「私だって貴女に憧れていたのに……!」


 一瞬脳裏を過った、本人も何に引き起こされたかわからない違和感を振り払い、翼を広げてリリムも夜空へと飛び立つ。蹴られた大地が深く窪ませながら飛翔し、彼女が対象に追いついたのは、雲を数度突き抜けた上空。


聖なる黄金の剣(カリバーン)!」


 自身に迫る魔王へ、セレスティアは純白の直剣――竜装(ドラゴソウル)と呼ばれる魔竜の神器に全身全霊を込めて、真っ直ぐに振り下ろす。解放されるなり即座に反撃に移ったその判断力と、それに付いていける肉体は、流石と賞賛するより他ない。

 但し、今回に限っては相手が悪い。普段のリリムならまだしも、現在の彼女は体の内から溢れる灼熱に身を震わせているのだから。


「黙りなさい」


 正確に振り下ろされた刃を、リリムは右手で掴む。そのまま彼女が手首を軽く捻ると同時に、ガラスが割れるような甲高い音が響いた。


「……なん、だと……?」


 その音に、セレスティアの瞳は大きく見開かれていた。まぁ、無理も無いだろう。渾身の一撃を軽々と受け止められただけでなく、魔竜の出力にさえも耐えうる神器を、まるで紙切れを引きちぎるかのように真ん中からへし折られていたのだから。

 その一瞬の硬直を、魔王は見逃さない。握った刃を投げ捨て、そのまま彼女のこめかみを広げた指で掴む。直後、頭蓋を襲った激痛にセレスティアは驚愕から意識を引きずり戻されていた。


「魔王闘技 星堕としの烈撃(レーヴァテイン)


 だが彼女が抵抗するよりも速く、リリムのとった行動は飛翔の方向転換――大地へ向かっての墜落であった。


「正気か、貴様ァ……!」


 突如襲い来る重力と、額を締め上げられることによる痛みに喘ぎながら、セレスティアはそう悪態を吐く。背後の翼をはためかせ、何度勢いを殺そうとしても、全くと言っていいほどに速度は落ちない。それどころか加速していく一方であった。


「貴女に――」


 更に速度を増しながら、彼女は一度、強く奥歯を嚙み締めた。


「貴女なんかに正気を問われたくなんかない!」


 口から飛び出した怒号と共に、空より飛来した二人はそのまま、大地へと激突する。その衝撃は星墜としの名に恥じず、正に隕石が落ちてきたのかと錯覚するほどの大気の揺れを引き起こし、底の深い大穴を作り上げていた。


「がは……ごほっ……」


 その大口の底で、辛うじてセレスティアは意識を保っていた。既にその身を守るために纏っていた鎧は九割がた砕け散っており、残っていたのは右肩と胸部の一部分のみ。傷ついた鱗に覆われた素肌を露わにしながら、口から血の塊を吐き出していた。


「……そこまでボロボロになっても死なないなんて、頑丈ね。世界を守る魔竜様ってところかしら」


 弱り切った姿を見せる彼女に、リリムはひどく冷たい視線を向けていた。そこに、メレフやフリートには向けていた魔竜への敬意は一切存在しない。もう彼女は、セレスティア・クローリーを光の魔竜と認めていなかった。


「ただ、生きているなら丁度いいわ。私が知っているだけでも、貴女は少なくともこの国を壊し、私の仲間を傷つけた。重い罪を貴女は犯した」


 拳を強く握りしめながら、告げる魔王の足元から、穴の底全体を包み込む、広大な魔法陣が描かれていく。そこに何かしらの脅威を感じたものの、セレスティアにはそこから逃げる余力は残されていない。


「禁術 全てを裁く(アノタート・)公正なる審判(ディカスティリオ)


 魔王が作り上げたのは、外界から隔絶されし空間。断頭台(ギロチン)と、瞳を塞いだ女神の像に囲まれた魔力の領域。


「罪は、裁きを受けなければならない。でも貴女のような存在を裁ける者は、居ない」


 聞かせる気が無いのか、小さな声で告げる領域の主の言葉になぜだか激しい悪寒を感じ、セレスティアは痛む全身を跳ね起こし、ふらつく足取りで脱出を図る。


「――被告は、審判官の許可なく法廷を退出することを禁ずる」


 勿論、それをリリムが許すはずもない。彼女の足元から魔力の籠った鎖が伸び、既に満身創痍と化したセレスティアの四肢を縛り、動きを奪い取る。そこには僅かな慈悲も、容赦も存在しない。


「一体、何をするつもりだ……っ」


 完全に牙を抜かれ、無力化された竜が吠える。その体は巻き付く鎖によって領域の中央へと引き寄せられていた。


「この術式は遥か昔、至る国で裁判が成立するまでに使われたもの。成立した後は、その強制力と慈悲のなさから忘れられた術式……だけど、貴女にはぴったりでしょう?」


 縛り上げられたセレスティアの体は、更に鎖に引き上げられ、文字通り領域の中央――上空に浮かぶ魔法陣へと張り付けられていた。


「貴女を裁ける者は居ない。ならば私が、()()に幸せを奪われた者に代わって、その罪を裁く」


 リリムの口から毅然と発された宣言に、セレスティアの額に青筋が走る。その勢いのまま、彼女は大声で叫ぶ。


「人の子が魔竜を裁くなど……神にでもなったつもりか!」


 人を自身より下とみる傲慢な言葉が、リリムの失望を更に加速させていく。


「違うわ。私はただ怒っているだけ。神になったつもりなんてない。貴女が勝手に魔竜から悪魔へと堕ちただけよ。思い上がるのも甚だしい!」


 その体から溢れ出した荒ぶる魔力が、リリムの背後に立つ、目を隠し天秤を握った女神の像へと吸収されていく。


断罪(アナフィオラ)!」


 彼女の声で目を覚ましたように、像の目隠しが外れる。同時に、ゆっくりとその口が開かれた。


『告げる。我が名はテミス。またの名をユースティティア。不変なる掟の主である』


 全く感情の籠っていない像の声は、どこか形容しがたい不気味さを纏っていた。その声で、淡々と言葉は連ねられていく。


『公正なる審判の元、汝に裁きを与える。被告、アンラ・マンユ』

「――え?」


 掟の擬人化の口から零れたのは、セレスティア・クローリーでは無く、何も知らない者の名前だった。


「……テミス、止まって」


 主の命に従い、天秤を掲げようとした像の動きが止まる。それを確認しながら、彼女は思考を駆け巡らせていた。

 確かに、うっすらとした違和感はずっと、リリムの中にあったのだ。例えば、魔竜程の力がありながらわざわざこの国から潰そうとしていたこと。例えば、いくら錬金王が強かったとて、伝説の存在である彼女が充分以上に足止めされていたこと。そして――


「……神聖剣が、力を纏っていたこと」


 魔竜には、神聖剣は効力を発揮しない。それをリリムは、昼の闘技大会で知っていた。それなのに――いや、それに意識がいかない程に、彼女は激情に駆られていたのだろう。


「――お前は一体、誰だ!」


 リリムの少し震えた叫び声に、磔にされた、セレスティア・クローリーを名乗る者の口角が、不気味に上がっていた。

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