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魔王が運ぶはフェアリーレン  作者: 和水ゆわら
二章 竜人の国 ドラテア
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百四話 世界を喰らうもの

 三首を空へ掲げた、厄災の獣の遠吠えが、小さな世界に響く。魔竜の魔力で閉ざされたその領域の空気は、あまりにも重い。半端な魔力の保有者では、立つことさえもできないであろうそんな場所に、世界の守り手は立つ。

 その守り手の小さな体を獣は静かに見据えていた。視線は彼女を警戒しているような張り詰めたものでは無く、獲物を品定めする捕食者のもの。


「……本番だ、始めるとするか」


 その視線に早まる鼓動を胸に当てた手のひらで自覚しつつ、メレフはほぅっと小さくため息を吐く。彼女が恐怖を感じていないと言えば、嘘になるだろう。魔竜である彼女でさえそう感じさせる圧力が、暴食の厄災(ベルゼブブ)にはあった。ただ、それでも――


「余以外には、やれぬのだ。余が逃げるわけにはいかんのだ……!」


 僅かに震える足を大地に叩きつけ、その動きを無理やり止める。怖いから逃げる、敵わないから無理……そんな我儘を言える立場に彼女は居ない。そんな場所はとうの昔に通り過ぎていた。指を曲げ、軽い音を鳴らしながら自身の魔力を練り上げていく。


黒き夜空は(ワールド・オ)余の世界(ブ・メレフ)


 二人を閉ざす檻は、メレフの魔力で創られたもの。故に、その環境の操作権は彼女にある。数秒もしないうちに、彼女らの上空には広大な魔法陣の刻まれた偽りの夜空が開かれ、幾つもの星が瞬いていた。

 前触れなく変わった場の空気に、獣は低い唸り声で威嚇の態度を見せる――が、そんなものでメレフは止まらない。


「……はっ」


 短く吐かれた呼吸と共にその身を縮めたかと思うと、彼女は爆発的な加速を伴って地を蹴った。彼女の魔力によって創られた領域による、全ての能力の底上げが付与されたその速度は、先ほど厄災と相対していた時のものを遥かに上回る。

 瞬く間に、彼女の小さな体は強大な厄災の眼前に躍り出ていた。自身の背丈の倍はある頭部に左腕を突き出し、凝縮された魔力の塊を、そこへ浮かべる。


「極大魔法 超新星(スーパーノヴァ)


 メレフは間髪入れず、右腕に握った戦鎚を()()に打ち付けた。それにより引き起こされるは、一発の魔力の炸裂。光はなく、ただ衝撃のみが一帯を駆け巡る単純なもの。しかし、単純ながらその一撃は圧倒的な出力を誇っていた。強大な獣の体躯など、お構い無しに弾き飛ばす程に。


「……暴食の厄災、貴様はここで狩る。姉上は返してもらうぞ」


 魔竜と厄災の激突、その先手を取ったのはメレフだったと言えるだろう。現に獣の首の一つ、先の炸裂をモロに受けた一番右の頭は抉れたように消失していたのだから。

 無論、彼女がそんな絶好の機会を逃すはずが無い。言ってしまえば、先の一撃は獣がメレフを侮っていたから――油断していたからこそ決めることのできた大技である。それが決まったことで少々心に余裕が生まれたか、彼女の口角が僅かに上がっていた。


「次は無い、ここで潰す……!」


 軽やかに大地に降り立つとほぼ同時に、メレフは一切の迷いなく、その足に過剰なまでの魔力を込めて大地を蹴った。

 おそらく、二度とここまで恵まれた状況を作り出すことができないだろう。本人が、それは一番分かっている。故に、その攻め手に容赦などは存在しない。


黒竜砲(ネグロラカノン)!」


 体勢を立て直さんと前足を着いた獣の頭上……メレフの開いた星の瞬く夜空に刻まれた魔法陣が、命を受けて動き出す。そこから解き放たれたのは、空間全域を包み込むほどに太い、闇色の光線だった。


「ガァッ――!」


 当然、獣にそれを回避することは出来ない。跳躍虚しく光線に飲み込まれたそれは、抵抗のためか魔力を放出しながら絶叫を一体に響かせていた。


暴食蛇(グラトニア・オロチ)!』


 地の底から響くような声が鳴ると共に、厄災の魔力が蛇のように姿を変え、自身を襲う魔力へ噛み付く――が、それが魔力を喰らうよりも、光線の威力が上回っていた。

 (トニア)が扱いきれていなかった、暴食の厄災最大の強みであるその権能――それは、自身に向けられた魔力を飲み込むことで自身のものとし、同じ魔力の主導権を一定の期間自分に上書きする、まさに世界を喰らう力。そんな法外の力へのメレフの回答こそが、この魔法であった。


「暴食の厄災! 食えるものなら、食い尽くしてみろ!」


 ――暴食の権能は、放たれた魔法を喰らい尽くさぬ限り発動しない。記録にも残っていない、誰も知らないただ一つの弱点を、自ら封印したメレフは知っていた。

 厄災が喰らうことができないほどに魔力量が飽和した魔法を撃ち込み、それを継続し続ける。それがメレフの答えだった。言葉にしてしまえば生一本なことではあるものの、実現できる存在はそう居ないだろう。


「――我 闇の魔竜なり」


 自分の光線に厄災諸共焼かれながら、メレフは静かに言葉を紡ぎ始めた。襲いくる魔力の重さは変わらないはずだが、不思議とメレフへのダメージは無い。自身の魔力だから、だろうか。


「闇に呑まれし世界に生まれ、七つの救いが一角、闇を司りし世界の守り手なり」


 彼女の喉の奥から言霊が溢れる度に、魔力の柱は色を深めていく。


「太陽が煌々と燃え 月が静かに光りし時」


 メレフは、その一撃で終わらせるつもりだった。もし失敗してしまえば魔力を取り込まれる――それは、彼女の敗北だ。それが、あってはならないのだ。


「星は暗天に輝き 天体は静かに回りゆく」


 ならばこそ、確実に一撃で仕留める。千載一遇、魔竜の力を完全詠唱で叩き込める機会を手放さぬようにと、詠唱を完成させていく。


「壊れゆく世界に 我は救いの光を授けよう」


 降り注ぐ魔力の中で、メレフの瞳が一度、煌めく。


魔竜(ディザイア)降誕(・ドレッド) 救いを告げし(ソーテーリアー)竜の息吹(ドラコプネウマ)


 メレフの詠唱に呼応して、夜空に浮かぶ魔法陣が輝きとその数を増し、完成した魔竜の力を解き放たんとした、その時――夜空に輝く魔法陣の全てが、消滅した。破壊されたのではなく、まるで()()()()()()()()()()()()かのように。


「は……?」


 理解不能な事象を目の当たりにして、メレフの動きは止まった。驚愕に見開かれたその視界に次に映ったのは、口角を歪めて笑ったような表情を浮かべる獣が、前足を自身へと叩きつける姿だった。


「ぁ、がふっ……」


 唐突に襲う質量の一撃に、メレフの体は放り投げられたゴミのように何度も地面を跳ね、転がった。


「げほっ……何故、消えた……!」


 血混じりの咳を何度も溢しながら、フラフラと立ち上がり、浮かんだ疑問を声に出す。

 当然、メレフは先程の魔法を発動させるつもりだった――何なら、既に発動させていた。だというのに、夜空の魔法陣は崩壊してしまったのだ。


「グル……」


 唸り声と共に振り抜かれる獣の強靭な前足を、痛む体で必死に躱しながらメレフは思考を巡らせる。


「いつ喰われた、余の魔力を喰らう機会など無かったはずだ……!」


 先の事象の考えうる原因としては、暴食の厄災がメレフの魔力を取り込み、魔法の主導権を得た――彼女には、そうとしか結論づけることができなかった。故にその脳内を支配していたのは、()()()()()()()()()()()である。


「考えろ、考え――」


 獣の爪がメレフの皮膚を掠める。敗北が、死が近づいてくる度に彼女の思索は透き通っていく……本当に喰らう機会など無かった? 否。確かに一度だけ、厄災は魔竜の魔法を喰らい尽くしていた。


「防御魔法が、悪手だったと言うのか……!」


 獣と姿を変える前、隙を作り出すために厄災の魔力を弾いた城を模る結界――それこそが、厄災が喰らい尽くしたメレフの魔法である。たとえ攻撃を伴わないものであっても、それは魔竜の力であることに相違ない。答えに、彼女は辿り着いた。


「……だとすれば、どう、しろと……言うのだ」


 ずっと力を込め、握っていた戦鎚が大きな音を立てて、メレフの腕から滑り落ちた。

 魔力でも、膂力でも勝ち目は無く、頼みの綱であった魔法も封じられた。優勢に戦いを進めていたのはどこへやら、完全な形成逆転。そしてそれを行ったのは最愛の姉を依代とした厄災……現実にシビアなメレフの戦意を――随分と長い時を戦ってきた強がりな少女の心をへし折るには、十分過ぎる要素だった。


「あぁ、なるほどな……ここで終わり、か……」


 言ってはいけないと分かっていた言葉を口にすると同時に、少女の動きは止まった。かといって獣がそれに手加減などする筈がない。一切の容赦なく、厄災の口から解き放たれた一発の魔力弾が、その体を吹き飛ばす。それを受けた瞬間、嫌な音が全身から小さく鳴った。


「……は、は……虚しい、一生で、あったな……」


 再び地面と何度も激突し、転がったその体はもう動かない。敗北を受け入れた――死を受け入れてしまったが故に、だろうか。彼女の頭は嫌にすっきりとしていた。


「世界の、為に……戦って、結局……最後まで……世界は、微笑んでくれんのか……」


 途切れ途切れに、彼女は独りそんな言葉を口から漏らす。ゆっくりと足音が自分に近づいてくる度に僅かに大地は揺れ、瞳から雫が溢れていた。


「頑張ったさ。精一杯、がんばった……長い間、な……」


 弱々しい笑顔を浮かべながら、少女は静かに目を閉じた。彼女の心の中に浮かぶ情景は、遥か昔。姉と過ごした、人の頃の記憶。閉じた瞼から涙を溢れさせ、強く唇を噛み締める。すぐ側に獣が迫っていることなど、もうどうでもいいかのように。


「また、会いたいよ……りり、む……助けて……!」


 終わりゆく命の灯火の中で、少女が最後に縋りついたのは友人の名。荒唐無稽な夢を思い描く、若くも強い一人の魔王。来るはずないと分かっているのに、口に出さずにはいられなかった。


「……待たせたわね、メレフ」


 ――その、直後のこと。

 祝福を告げる鈴のように綺麗な声と共に、結界が音を立てて崩壊した。

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