十話 二人の妹?(下)
廃墟を三人で散策していく。駆け抜けても良かったはずの場所なのに、丁寧に全てを見ていく。というのも、キャロルが誰かいる気がすると言ったのが事の発端だった。
「キャロル、本当に誰かいるの?」
「居ると思うんだよね……」
「まぁ、私たちの中で一番そういうのに敏感なのはキャロル様でしょうし、もう少しだけ探してみましょう」
キアレの言う通り、三人の中ではキャロルが一番そういうことに気づくことができる。精霊術師というものは、周りの命の流れなどにも敏感になってしまうものなのだ。それ故に、彼女の直感をないがしろにすることはリリムには出来なかった。
先程の戦闘がおきた荒野からは結構な距離を進んで来ていた、ある寂れた酒場の跡地に、それは居た。リリムよりもずっと幼いであろう少女が、壁にもたれかかって、死んだように静かに座っていた。いや、座っていたというよりは、気を失っているのがたまたま座っている体勢だっただけか。
ボロボロの服を着て、金色の髪はくすんでボサボサ。全身の皮膚が焼けたかのように爛れて、見ているだけで痛々しかった。生きているのか、死んでいるのかは傍目には分からない。微かな呼吸の動きと、彼女が纏う魔力だけが、彼女の命の炎がまだ灯っていることを告げていた。
「あ……ぅ……」
微かに、何か言葉を発していることが分かる。内容までは聞き取れない。
「大丈夫だよ、すぐ治すからね」
リリムが少女に触れる。温かな光が少女を包んで、傷を癒していく。爛れた皮膚が治り、健康的な小麦色の肌になる。くすんだ髪もある程度はきれいになった。少女が、瞼を開く。宝石のように綺麗な、深紅の瞳がそこには収まっていた。
「大丈夫?」
リリムの質問に、少女はこくりと頷いた。
「私はリリム。あの猫がキャロルで、お姉さんがキアレよ。あなた、名前はある?」
少女は首を横に振る。名無しの割には、魔力が大きいなとリリムは感じた。
「なにがあったのか分かる?」
キャロルが会話に入ってくる。
「……分かんない」
少女が初めて言葉を発した。甘く透き通った綺麗な声だった。
「旅人のお兄ちゃんに、飴玉を貰ったんです。お姉ちゃんと一緒に。それを食べたら急に意識を失ってしまって……」
「目が覚めたらここだったと」
彼女の言葉の続きをキアレが績ぐ。その言葉を否定せず、少女は頷いた。
「とりあえずここから離れよっか」
リリムの言葉に、全員が同意する。キアレが狼へと姿を変える。リリムも当然のようにその上に乗る。少女は少し怯えていた。
「大丈夫だよ、キアレさん優しいからとって食べたりしないよ」
少女の手をつないで、キャロルがキアレの背に乗る。背中に乗る三人を気遣いながら、キアレが走り出した。少女は始めは驚いているようだったが、少ししたら慣れてきたようで、笑顔を見せていた。廃墟を走り抜けていく間に、リリム達は少女にこの国はどんなものだったのかを聞いた。ここは、元々人間の治める小さな国だったのだと言う。魔物は暮らしていないが、旅人として訪れることは結構あったらしい。さっき少女が言っていた、『飴玉をくれたお兄ちゃん』もその一人で、悪魔族のようだったと、少女は言った。
「ずっと気を失っていたってことは、あの化け物のことも分からないのよね」
「化け物……?」
リリムの思った通り、あの化け物について少女は全く分かっていないようだった。
「何も無い。気にしないで」
何も分かっていない彼女にそれを説明して、何か不安を与えるのは良くないだろうとリリムは判断し、話をここで止めた。小さな国、とは言っているが一国なのには変わらない。廃墟を抜けていくのにはかなりの時間がかかった。廃墟を抜けた頃には、日は少し傾きだしていた。
「誰か居る」
キャロルがそう言った。一度、キアレが足を止めた。
「ちょっと遠く。集落みたいな感じで人が集まってる」
そう言ってキャロルは指を指す。その方向に向かって、再びキアレが走り出す。空がもっと傾き、夕焼け色に染まる頃、いくつかの建物が見えてきた。木で作られた柵に囲まれた、小さな集落のような場所。たくさんの人の気配がする。人々もリリムたちがやってきたことに気が付いたようで、人間が数人そこから出てきた。キアレたちに少し待っているように言って、リリムが単身そこへ向かう。変に人数を増やして面倒なことになっては困る。絶対に手を出さないようにと言いつけて。
「あの、ここは……」
「壊れた国を見たでしょう、その生き残りよ」
リーダーのような気の強そうな少女が、ぶっきらぼうにそう言った。彼女の目つきは鋭い。廃墟で助けた少女にどこか雰囲気が似ていた。
「それで、魔物が何の用?」
明らかに、敵意丸出しだった。
「まだ生き残ってる子がいたから連れてきたのよ。そんな嫌わなくても良いじゃない」
リリムが手招きすると、少し慌てながら少女がキアレのそばから走ってきた。リリムの方ではなく、気の強そうな少女のそばに近づく。
「お姉ちゃ……」
「来ないで化け物!」
その少女の手を、彼女は振り払った。そのうえでの、化け物という発言。
「あなた、この子の姉じゃないの……?」
その発言を聞いて、気の強そうな少女の目つきが変わる。さっきまでよりも鋭い。
「笑わせないで……こいつは国を滅ぼした化け物なのよ! 妹だなんて思いたくない!」
彼女の言っていることが、リリムには理解できなかった。あの巨大な化け物が、この小さな少女なはずがない。
「お……ねえちゃん……?」
「私のことをそう呼ばないで!」
そう叫んで、少女のことを目つきの悪い彼女が突き飛ばした。その瞬間乾いた破裂音がして、少女の右腕と、その直線上に存在する集落の建物が、消える。
「は……?」
少女の顔に浮かんだのは、なにが起こったのか分からない、というような表情だった。無理もない。リリムにさえ、微かにしか見えなかったのだ。妹と同じく名前が無いはずの彼女に、見えるはずがない。突き飛ばされた瞬間、少女の腹部に黒い口が浮かび上がり、そこからまっすぐに闇が放たれて、全てを飲み込んでいた。
「ひっ……」
自分の状況を理解したのか、気の強そうな少女が短く悲鳴を上げる。助けた少女はというと、何が起きているのか把握できておらず、きょとんとしていた。周りの大人たちが、一斉に近くにあった棒や石を握る。リリムではなく、少女に悪意が向けられる。
「あう……う……」
助けた少女が、頭を抱えてうずくまった。大人たちが、握りしめたものを少女に向けて投げつける。それを、リリムが前に立ち、魔力の壁で守る。
「あなたたち……なんでそんなことできるのよ! あなたたちと同じじゃない……ただちょっと力が抑えられていないだけの。それなのに化け物、化け物って!」
リリムの叫び声も、大人たちには届かない。彼らは口々に、出ていけ化け物だとか、俺たちの平穏を壊すなだとか、口々に叫んでいた。リリムは、もう彼らが自身の言葉を理解してくれるとは思わなかった。怖いとは思わなかった。極限までの恐れや怒り、抑えきれない感情は人を歪めることを知っていたから。動くことのできない少女を抱きかかえて、翼をはためかせて飛び立った。
遠くからその様子を見ていたキアレとキャロルが、その後を慌てて追いかける。キアレが全力で地を蹴り、自分に出せる限界速度で走る。激しく揺れるその背中に、キャロルは必死でしがみつく。でも、リリムとの距離は縮まらないばかりか広がっていく。追いつけない。
「キアレさん、一旦落ち着こう。どっかで追いつけるはずだよ」
その一言で、少し速度を緩める。彼女の言う通り、追いつけるタイミングを伺いながらキアレは走った。
綺麗な湖のほとりに、リリムはふわりと舞い降りた。それと同時に、腕の中の少女を離す。
「リリムさん……」
少女は心配そうに、言葉を発した。リリムの体は、少女が触れていた部分が食いちぎられたように酷い怪我をしていたから。リリムの浅い呼吸が静かな湖畔に響く。
「心配そうな声出さないの。ちょっと痛かっただけ」
傷は、すぐに治っていた。それを見て、少女は安心した顔をした。しかしその表情はは一瞬で崩れた。
「私、生まれてきたのが間違いだったんです……化け物なんだ……誰も私を望まない……お姉ちゃんも……」
悲観そうに叫ぶ少女を、リリムが思い切り抱きしめた。
「そんなことない。望まれてない人なんて居ない。私が、あなたが生きることを望んでる」
少女の魔力が、リリムをまた傷つける。そんなことを全く意に介すことなく、少女の額に手を触れて唱える。
「リリム=ロワ=エガリテの名において、汝に名を与える。トニア=グラトニー。それがあなたの名前」
名を持った少女、トニアの魔力が落ち着き、リリムを攻撃することを止める。
「ありがとう、お姉ちゃん」
トニアがそう言った。
「お姉ちゃん……?」
リリムに聞き返され、トニアがハッとする。
「ご、ごめんなさい。リリムさん凄く優しくて、その……お姉ちゃんみたいだなって……」
自分はそんなに姉のような雰囲気があるのだろうか、と少し悩んだが、まあ良いかとリリムは思った。
「トニア、私たちと一緒に来る? 少し大変だろうけど……」
「行きたい。私、リリムさんについていく」
リリムの誘いに、トニアは元気に頷いた。
「あと、お姉ちゃんでも良いわよ。妹が一人増えるくらい構わないわ」
リリムからすれば、一日の間に二人の妹ができてしまった訳だが、まあどうでも良かった。月が昇りだした頃、キアレとキャロルが追い付いて来た。事情を説明すると、二人は疑うことなく信用してくれた。四人で、綺麗な湖畔で星を見ながら夜を明かした。その星は、リリムにとってとても綺麗に見えた。




