一話 魔王の卵
陽光が差し込む、昼下がりのとある建物の一室。そこに、この物語の主人公は居た。蝙蝠のような翼を背に、竜のような尻尾を腰に持つ、人魔族の少女、リリム=エガリテ。綺麗な銀髪を陽光で煌めかせながら、すやすやと寝息を立てていた。首元につけた小さな首飾りが、静かに輝く。
彼女の周りには、彼女と同じ服を着た者が何人か居た。それらは獣の耳がついている人間だったり、逆に人間のような体型の竜人だったり、何も特徴のない人間だったり。いくつもの人種の生徒がいる学校のようで、講義が行われているようだった。
「……それで先々代の魔王であるラルカ様が、人間と魔物の共存を目指してこの国『エガリテ』を創られました。聞いてますか、リリムさん」
講師の耳長の妖精の女性から声をかけられて、リリムは目を覚ました。
「は、はぃ……」
「いくら貴女がエガリテの王女であるとはいえ、講義はちゃんと聞いてください」
バツが悪そうに、リリムは肩をすくめた。同じ講義を受けている彼女の友人達が、笑っていた。
「リリム、ノート後で見せてあげるね」
隣に座る、白い翼をもつ有羽族の少女が、リリムにそう小さく声をかけた。
「ありがと、カル」
その少女の名は、カルというようだ。リリムも小さく礼を言って、それからは静かに講義を聞いていた。だが、やはり彼女にとって自分の親族の話は退屈なものだったのだろう。彼女の意識は、また温かい日差しに包まれて遠のいていった。
しばらく後。講義が終わった部屋から、リリムとカルは出てきた。眠そうに目をこすりながら歩くリリムを、あははと見守りながらカルが後ろから付いてくる。
「相変わらず歴史の講義は眠たそうだね」
そのカルの言葉に、リリムは口を尖らせる。
「だってさぁ、歴史の講義って言ったって私のひいおじい様とおじい様のお話なのよ? 何度もお父様から聞いたからつまらないもの……」
しょうがないよねと、カルは笑う。コロコロとしたカルの笑い声に、リリムがつられて笑う。城のような学校から出て、二人は街を歩いた。街は陽気に包まれて、誰もが笑っている。行き交う人々は、教室と同じように沢山の人種が入り混じっていた。ただ、誰もが笑顔で、幸せな雰囲気だった。リリムは、この国が大好きだった。誰もが心の底から笑っているこの国のことが。カルは、小さな頃から彼女の親友であった。国を継ぐ立場にある彼女のことを、ずっと応援していた。
「そういえば、今日はキアレさんは? いつも学校終わったら迎えに来てるのに」
「いますよ、カル様」
急に後ろから声をかけられ、カルは短く悲鳴を上げた。
「カル様、驚かせてすみません。リリム様、買い物に少し手間取ってしまい、遅れました。申し訳ありません」
綺麗な蒼髪に、琥珀色の瞳、そして狼のような耳と尻尾を持つ、ミニスカートのメイド服を着こなした女性だった。キアレと呼ばれた彼女は、リリムに静かに礼をした。
「それで遅れてたのね。大丈夫よ。買い物お疲れ様」
リリムにそう言われ、キアレが顔を上げた。三人は他愛もない話をしながら、街の真ん中にある巨大なお城へと向かった。
「おじさん、リンゴ三つください」
「あいよ、300ロルな」
金貨を三枚出して、カルが屋台から赤い果実を三つ買う。その二つを、リリムとキアレに手渡した。
「ありがと」
「ありがとうございます」
他愛ない話をしながら、三人は歩いて行った。
「今日も学校お疲れ様、リリム、また明日ね!」
城の門の前で、カルがそう言ってリリムに手を振る。リリムも、カルに大きく手を振り返した。
「うん、また明日!」
カルは、パタパタと翼をはためかせ、飛び去った。振り返ると、竜人族の門番がリリムに声をかけた。
「おかえりなさいませ、リリム様、キアレ様。今日もお疲れ様でした」
「うん、アルトもお疲れ様」
門番は硬い動作で、丁寧に敬礼をした。リリムは城に入ると、真っ直ぐに奥の書斎へと向かった。
「リリム オカエリ」
少し高い片言の言葉で、声がした。リリムが声の方に目を向けると、青い小さな鳥が、自分の足で分厚い本のページをめくっていた。その鳥が、リリムに向かって言葉を発していたのだ。
「ただいま、パラン。いい子にしてた?」
リリムが手を出すと、そこにちょこんとパランは乗った。
「イイコシテタ シズカ二 ホン ヨンデタ」
リリムの手のひらをとことこと歩き回りながら、パランが言った。その言葉にリリムは頬を緩ませ頭を撫でる。しばらくすると、パランは彼女の手のひらから、本の上へと戻って行った。リリムも、本棚から一冊、分厚い本を取り出して読み始めた。特に何の会話も無く、時間は過ぎていった。
リリムが一冊本を読み終えた頃、書斎の扉が開いた。扉を開けたのはキアレ。黒く、そして長い槍を持って、そこに立っていた。
「リリム様、今日は魔法力試験があるのですが……準備しなくて大丈夫ですか?」
彼女の言葉に、本棚に手を伸ばしたリリムの動きが一瞬止まった。
「え、今日だったっけ?」
「はい、今日の夜からです。この時間まで何も言わないということはお忘れなのでしょうと思っていましたよ」
リリムが、深くため息をついた。魔法力試験とは、十六歳になったときにすべての国で行われる試験である。この世界は、基本的には実力主義。たとえ人望があろうと、強さがなければ誰かの上には立てない。それ故に、次代の魔王となる彼女にとって、この試験は自分の力を見せるいいチャンスなのだった。
「あとどのくらいで始まるの?」
「あと一時間程で集合時間です。場所は学校ですので慌てる必要はないかと」
まぁ、早めに行って損はないだろう。その考えの元、リリムは会場へと向かうことにした。本棚から一冊適当に本を取り、キアレから黒槍を受け取り城を出る。本を読むのに夢中になって、いつの間にか日は沈み、すっかり夜になっていた。街の往来には、昼と比べると少し少なくはなっているが、それでも沢山の人がいた。昼と同じ、活気に満ちている。
「リリム様、試験頑張ってね!」
緑鬼の子供が、リリムにそう声を掛けた。それをきっかけにしたかのように、街はリリムを応援する声に包まれた。当の本人はというと、少し恥ずかしかったが、この街全体に大切にされていることを感じて心を弾ませていた。
「みんな、ありがとう」
そう呟くと、リリムは歩く足を速めた。どうしても恥ずかしくて、早くあそこから離れたかったのだ。元々大した距離はないうえに早足だったために、すぐに学校へとついた。入り口で受付を済ますと、いつもの教室とは反対の方へと案内された。彼女は教室以外をあまりうろつかないため、初めて行く場所だった。行きついたのは、小さな個室。
『それでは、ここで知識試験です。参加者全員が知識試験を終えたら実技試験ですので、頑張ってください』
部屋の中に入ると、どこからかそんなアナウンスが聞こえてきた。
『知識試験は簡単な問題です。アナウンスされた問題に合わせて回答してください』
リリムが首を縦に振ると、問題を告げるアナウンスが流れ始めた。
『問一、この世界に存在する魔法の属性は、大きく分けていくつあるか。また、それを全て答えよ』
「炎 水 風 土 雷 光 闇の七つ。基本的に一人一族性。光と闇を使うのは難しく、使用者は少ない。それ以外にも、派生した属性もいくつか存在する」
淀みなくリリムが答える。アナウンスは特に反応することなく出題を続けた。
『問二、人間と魔物の共存を目指す国はどこがあるか』
「ここエガリテと、隣国パシフィスト。こちらは魔物の王、あちらは人間の王が収めている」
『問三、エガリテに一番近い国はどこか』
「妖精の森ワーグナー。エガリテの領土内に国がある」
この世界で生きていれば、迷いなく正解できるような問題が半分、そしてある程度の知識があれば解けるものが四分の一、残りは難問、というような問題分布だった。リリムは特に迷う事も悩むことも無く、淡々と問題に答えていった。
『最終問題です。問百、未来とは何か』
ここまで全くつまらなかったリリムが、言葉を出すのを躊躇った。どう答えるのが正解になるのか、それを彼女は迷っていた。未来という言葉の意味を問うようにも、受験者の考えを問うようにも聞こえた。少し考えて、リリムは答えた。
「責任。私が未来を切り拓くから、それには大きな責任があるもの」
少しの静寂。その後、アナウンスがなった。
『百問中百問正解。流石です。特に最終問題は貴女の立場と覚悟がよく伝わりました。実技試験は中庭で行われます』
事前に録音しておいたものではないのか、と関心して、リリムは個室を後にした。窓から中庭を見ると、ちらほらと人影が見えた。結構早く来たのに、もう終わってる人もいるんだなと考えながら、中庭に出る。リリムのほかには二人ほどが、もう中庭に居た。
「実技試験は全員が揃うまで開始できないので、お待ちください……」
特に仲のいい知り合いがいるわけでもない。そのためリリムは本でも読んで時間を潰すことにした。
「魔倉庫・抽出」
彼女がそう唱えると、虚空から一冊、並の厚さの小説が現れる。簡単な収納魔法だ。中庭の隅にある大きな木に上り、枝に腰掛けて彼女は本を開いた。静かな夜はリリムの気分を落ち着かせた。夜空に浮かぶ月は、少し欠けていた。