§ 1―14 逃れられない浄化
「ハッ!」
飛び起きる。急いで後頭部を人差し指と中指で触れる。頭がある……。恐る恐る手のひらでも確かめると、頭部の硬さとモサモサと絡まる髪の感触は確かにある。しっかり感じた背中の鈍痛も無くなっている。制服を染めていた濁った赤色も、あの匂いも、まるで何も無かったかのように消えていた。
最後に見た光景を思い出し、目を丸くする。
「水無月さん!」
慌てて周りを見渡す。巨岩と枯れ木と荒地が広がり、項垂れている学生たちが岩に寄りかかっている。100m程先には、見覚えがある古びた神殿が見えた。夕日に照らされ、白から黄色味がかった色になっている。
首を振り、周辺を見回すが彼女の姿は見つけられなかった。彼女の白い髪はよく目立つ。
横に落ちている刀を拾い、立ち上がる。先ほどまでの怒りもすっかり消えていた。その代わりに、彼女が消えてしまったのではと、ただただ心配する気持ちになっていた。
とりあえず、廃村に続く鉄格子の扉に行ってみようと思った。何の根拠もない。彼女もここに戻ってきているなら、また、先を目指そうとするはずだから。
神殿を見ると、建物の裏側のようなので、石畳の道を目指し神殿方向に歩き出したとき、あの鐘の音が聞こえてきた。
グアァァーン……。グアァァーン……。
いくつもの青ざめた声が上がり、数人が俯いた顔を上げて、周りを気にしだす。すぐに蓮も思い出す。ミノタウロスと恐怖と痛みを……。
遠くで上がる悲鳴が聞こえ出す。2つ、3つ……。聞こえてくる場所が増えていく。そして、一番近くに聞こえた声の先の真後ろに振り返る。
昨日と同じように、ハルバードを持つ化け物が、まさに蹲っているメガネの男子高校生の頭部を吹き飛ばしていた。咄嗟に眉をひそめる。
昨日は腹を貫かれ、ついさっき、頭をゴブリンにかち割られた。その痛みと恐怖が蘇る。貫かれるのは嫌だが、このまま、殺されて、殺されて、殺されて、殺されて……。何も感じない。心が痛むことない日々を迎えたいとも思う。そのために、マンションから飛び降りたのだから。
刀を持つ腕の震えは止まったが、力も入っていなかった。剣道部にいたときの経験から、向かい合った相手に対して、背を向けて逃げるという選択肢は思いつきもしない。ただ刀を相手に向けて、構えているだけの姿勢をとる。
「グガアァァァ!」
周りの学生を殺しながら、近づいてきたミノタウロスは、蓮を見て唸り声をあげる。目の前に立つ蓮に、生意気だと言わんばかりに、ハルバードを上から叩きつける。
しかし、蓮は後ろに身体3つ分下がり、斬撃を躱す。それに苛立つように、また唸り声をあげる。今度は下がっても躱せないように、長いハルバードを蓮に向かって突き立てる。だが、蓮はその刺突を右に体を捌き躱す。
何度も振るわれる斧槍は悉く空を切る。殺されてもよいと思う気持ちが、恐怖を麻痺させ、蓮を冷静にさせていた。それとは逆に、殺される痛みを拒絶する思いが、自然と攻撃を避けることに集中させる。
そこにもう1体のミノタウロスが参戦する。蓮はちらっと後ろを確認し、同時に振り下ろされるハルバードを、今度は前に飛び込み、相手の懐に入る。そのまま体を変え、後ろに回り込み距離をとる。
怒り狂い、吼えながら2体のミノタウロスは交互に斧槍を振るう。しかし、蓮は後ろに下がりながら避け続ける。
横薙ぎされたハルバードを大きく後ろに下がり躱したとき、背中に何かが当たった。身の丈を遥かに超える岩だ。これ以上は下がれない。相手が振りかぶるところで前に出ようとする。
そのとき、後ろの岩を貫いた斧槍が、そのまま、蓮を背中から突き刺さした。
蓮は意識を失う直前に、後ろを見た。そこには、右の角がないミノタウロスが、歪んだ笑みを浮かべていた。