エピローグ
「はい。これで完璧です。今日の主役に相応しい、誰もが見惚れる美姫になりましたよ。」
背後から最終調整をしていたソフィーが、私の肩に手を置いて褒め称えた。照れ笑いをしながらお礼を言い、鏡の中を見る。そこには公爵家の侍女総掛かりで整えられ、驚くほど変身した自分の姿があった。
磨かれた白い肌は薄く色付き、青い瞳を縁取る睫毛は長い曲線を描く。品を損なわない程度に施された化粧は、童顔の少女を大人の女性へと変えていた。
複雑に結われた髪はサイドで纏められ、星の花の髪飾りが華やかさを演出する。お揃いの首飾りと耳飾りは顔のラインをすっきりとさせ、ダイヤと真珠の組み合わせがさり気なく美しい。
先日公爵家に届けられた、皇室の象徴であるロイヤルブルーのドレス。グラデーションの入った生地は下へ向かうにつれ淡くなり、幾重にもレースが重ねられた裾部分は白。全体に程良く散りばめられたストーンは星のように煌めく。ピンクゴールドのネイルが施された指には婚約指輪が填められている。
どこからどう見ても“皇太子の婚約者”な姿に喜びを感じると同時に、気が引き締まった。
「お嬢様、おいでになったようですよ。」
扉の前に移動していたソフィーから迎えが来たことを知らされる。再度鏡で全身を確認してから部屋を出て、転ばない程度に玄関ホールへ急ぐ。
先に出迎えていたお兄様と立ち話をしている彼を見た瞬間、時が止まった。視線が釘付けになり、挨拶も忘れて立ち尽くす。
一目でペアだと分かる、ロイヤルブルーのグラデーションが入ったジュストコールと白のトラウザーズ。細部まで拘った銀糸の刺繍は身体の動きに合わせて煌く。
シンプルに巻かれたクラバットを彩るのは、ドレスのお礼に贈ったコーンフラワーブルーサファイアのブローチ。さらさらの髪は綺麗にセットされて、前髪は上げられている。
視線に気付いたルークがこちらを向き、私の姿を捉えると大きく目を瞠った。次第に緩んでいく眦と、甘く微笑んだ口元。18歳を迎えた彼の色香はとどまることを知らず、胸を打ち抜かれる。
ルークはわざわざ私の所まで足を運び、視線を絡ませたまま綺麗だと何度も囁いた。2人で皇室の馬車に乗ってからもそれは続く。お互いしか目に入らない私達を、お兄様が呆れたように、けれど安堵したように見送っていたことに気付くことはなかった。
「皇太子ルーカス・ヴィルヘルム・フォン・シュテルンツェルトと、精霊の愛し子ミーティア・レニャ・フォン・シュテルンブルーメの婚約が成立したことを、ここに宣言する。」
本日の夜会は精霊の愛し子のお披露目を兼ねた、皇太子の婚約記念パーティーだ。皇帝陛下によって行われた発表は大きな拍手を持って受け入れられ、会場中が祝福ムードに包まれた。
大勢の人が私とルークに挨拶するタイミングを計る中、周囲に譲られるようにして現れたのは隣国フルラージュの第二王子殿下。つまり、シルヴァン様の実の弟にあたる方だ。
「ルーカス皇太子殿下、シュテルンブルーメ公爵令嬢。この度は、ご婚約おめでとうございます。私はフルラージュ王国第二王子、ユベール・オリヴィエ・ド・フルラージュ。国王と王太子に代わりご挨拶申し上げます。」
シルヴァン様と同じディープグリーンの髪とヴァイオレットの瞳だが、印象はまったく異なる。短い髪はさっぱりと整えられ、柔らかい印象を与える二重の目が生気に満ちている。シルヴァン様が彼を可愛がるのも分かる気がした。
「我が国へようこそ、ユベール殿下。本日は夜会へのご参加、感謝します。今後も帝国と貴国フルラージュ王国の永き友好を願っております。」
「お目にかかれて光栄です、王子殿下。御祝いとても嬉しく思います。」
私達の友好的な言葉を聞き、彼の瞳に安堵の色が広がった。さすがと言うべきか、それと気付かせないよう一瞬の小さな変化だったが、内情を知る彼としてはやはり緊張していたのだろう。この場で多くを語ることは出来ないが、今の遣り取りだけでこちらの意図は伝わるはず。
あの件で、シルヴァン様は自身の狙い通り王太子の座から下ろされることになった。当然ながら留学も中止。
ユベール殿下が次の王太子に内定しているが、フォルモント家の事件との関連を疑われないために公表はまだされていない。今夜も国王陛下と王太子殿下の代理として参加している。現在シルヴァン様は病気療養中という設定だ。
殿下は私とルークにのみ聞こえるよう小声で、
「先日、初めて兄の本心を聞くことが出来ました。貴女のおかげです。」
と告げてくれる。言いようのない喜びを私の胸に残して場を後にする彼は、すっきりした顔で笑っていた。
次に声をかけてきたのはアルだった。
「婚約おめでとう、兄上。ティアも、よかったな。」
「……ああ。ありがとう。」
「ありがとう。将来はアルとも家族になれるのね。嬉しいわ。」
大切な幼馴染のお祝いに満面の笑みを返す。
彼は私が拐われたとき現場まで飛び出そうとし、お兄様の調査にも協力してくれたと聞いている。もう二度とこんな心配かけんなと泣きながら怒るアルに感動し、思わず抱きつこうとして怖い顔をしたルークに止められたのは記憶に新しい。軽率な行動だったと反省した。
「……家族として迎え入れてはやるが、絶対おまえを義姉とは呼ばないからな。」
「ええ!どうして?」
「どうしてもだ!まあ兄上を幸せに出来たら、……そのうち考えてやるよ。」
「分かった、頑張るわ!」
アルは相変わらずルークを深く慕っているようだ。それに比べたら私の気持ちなんてまだ足りないと思われているのかもしれない。アルに認められるにはより一層の精進が必要だろう。
燃えた目を挑むようにアルへ向けていると、ルークは私とアルの頭に優しく手を置いた。
「俺は今も十分幸せだ。弟にも婚約者にも恵まれているのだからな。」
子供のころ私とアルの喧嘩を仲裁してくれたときのように、二人同時に撫でる。目を見開いたアルは硬直し、やがて擽ったそうに身を捩った。こんな場で子供扱いは止めろと拒否されたルークは苦笑しすぐに手を離す。
「そっか。……よかった、本当に。」
ぽそりと呟いたアルの目は微かに潤んでいる。それを隠すように背を向け、またなと足早に歩いていった。そんなアルから少し離れた位置に、2年前の園遊会で知り合ったリリー様の姿がある。話しかけたいのか、様子を窺っているようだ。アルにも素敵な出会いがあればいいな。
一通りの挨拶をこなし、夜会の中盤。少し休憩しようと立ち寄ったドリンクスペースの近くに、見慣れた顔が集まっていた。
「あ!ティア!!殿下も。」
私達を見つけて嬉しそうに笑ったニーナと、彼女を囲うお兄様とレオン様、フェリクス様。ただでさえ目立っていたその集団に私とルークが加わればかなりの注目が集まる。
「殿下、ミーティア嬢。ご婚約おめでとうございます。」
「ありがとうございます、レオン様。先日の件も本当に感謝しています。」
私は知らなかったのだが、ユングフラウ領に向かう道中、レオン様達近衛騎士が警護にあたってくれていたらしい。護衛対象を守れなかった彼らが表立って罰されることはなかったが、騎士団長による厳しい叱責と重い指導を受けたと聞いた。
彼らもまさか王族クラスの魔力の持ち主が実行犯になるとは想像もしていなかっただろう。
迷惑をかけたことを申し訳なく思いつつも、騎士団内部のことに口出しは出来ない。せめてもと、必死になって探してくれて、シルヴァン様の屋敷に乗り込んでくれたことに対するお礼を言う。
「……もうあのような失態は二度と繰り返しません。近い将来、我ら近衛隊の主の一人となる貴女を、騎士として生涯お守りすることを誓います。」
真っ直ぐな眼差しを向け、その場で片膝をつき騎士の礼を取るレオン様に周囲が沸き立つ。
微笑みを浮かべながらも突然のことに内心うろたえていると、ルークが私の腰をぐっと引き寄せる。耳元で「許すと言ってやれ」と囁かれ、顔が火照りそうになるのを耐えて頷いた。
「許します。……貴方方の働きに期待しています。」
「はっ!」
レオン様は再び深く頭を下げ、ルークの許可を得てゆっくりと立ち上がった。黙って横で見ていたフェリクス様はお祝いの言葉を告げた後、ルークに「失礼します」と声をかける。
何のことか分からず訝しげな表情をするルークの前で、フェリクス様は私の手を取った。美しい動作で腰を下げ、手の甲に口付けを落とす。
「私も皇太子殿下の側近として、将来の殿下の伴侶である眩しい君に感謝と忠誠を。」
吸い込まれそうになる美しい色違いの双眸が軽く伏せられる。お芝居のような絵になる光景と意外性に衝撃を受け今度こそ固まった。
私の腰を抱いたままのルークをちらっと見上げると、口元が微かに歪んでいる。微笑もうとして失敗したような微妙な表情だった。さすがの彼もこれは想定外らしい。
「あ、りがとうございます。これからも宜しくお願いしますね。」
真顔で頷いたフェリクス様はレオン様を連れ立ってその場を辞した。以前は鬱陶しがっていたはずの多くの視線を背に集めて。
誰もが茫然と見送る中、お兄様とニーナが笑いを堪えながら話しかけてきた。今ならば皆の関心が逸れているから、少し気を抜いて話しても問題なさそうだ。
「ルーク、顔が引き攣っていますよ。あれくらいのこと、余裕を持たなければ。」
「……分かっている。」
「ふふ、二人ともかっこよかったね!ティア、本当におめでとう!」
「ありがとう、ニーナ。」
ニーナには既に報告しておめでとうと言ってくれているが、何度聞いてもお祝いの言葉は嬉しい。彼女がいてくれたからこそ私はこの気持ちを認めることが出来たのだ。
2人の貴公子の誓いが素敵だと楽しそうにはしゃぐニーナに、お兄様は意味深な笑みを向けた。
「ニーナ嬢はレオンのように逞しい騎士が好きなの?それともフェリクスのような美しい魔法士の方かな?」
「可愛いティアが好きです!」
即答だった。ニーナ、嬉しいけどそういうことじゃないと思うよ。
そう思ったのだが、お兄様はますます笑みを深めた。これは何か企んでいるときの顔だ。
「ああ、そっか。ニーナ嬢はティアの隣に立ちたいのだったね。隣と言えるかどうかは分からないけど、限りなくティアに近い場所にいられる方法があるんだけどどうする?」
「是非教えてください!」
「簡単なことだよ。シュテルンブルーメ公爵夫人になればいい。」
「……え」
「大丈夫。もう父と母に話は通してあるし、ユングフラウ子爵の了承も得ている。皆快諾してくれたよ。後は貴女が頷けばいいだけ。ルークも婚約したし、年齢と身分の順でいったら次の婚約は僕だと思わない?」
「え?……え、ええ?あの、み、身分差がありすぎます……」
「その身分差を乗り越えてティアの隣に立ちたいんだよね?ニーナ嬢は優秀だし魔力量も多い。我が家の使用人からも気に入られているし、十分公爵夫人としてやっていける能力がある。それは貴女自身の力だ。」
「で、でも……」
「僕と結婚すればティアの義姉だよ。立場的にも身分的にもティアの近くにいられる。どう?」
「う。そ、それは魅力的な……!」
笑顔で追い込んでいくお兄様と、逃げようとしながらも躱しきれず餌に釣られるニーナ。私達は一体何を見せられているのだろう。
お兄様、いつの間にか綺麗に外堀を埋めていましたね。強引なのに脅したりはせず、その上でニーナの重視するポイントを的確についている。
よくよく思い返してみれば、ユングフラウ子爵家の使用人やクルトの家庭教師を斡旋したのはお兄様だ。ローザフィア様の報復を恐れ、子爵家のガラス事業を一時的に公爵家の庇護下に置いたのもお兄様の主導。学園でも2人は一緒にいることが多い。更にお父様とお母様、子爵様の了承も取っているとなれば――
ニーナはもう、本気になったお兄様からは逃げられないと思う。もちろん彼女の気持ちが最優先で、いざとなれば口出しさせてもらうが。ニーナが嫌がらない限り、私はお兄様を応援したい。
2人の邪魔をしないようそろりそろりと後退りをしていると、ルークがおかしそうに笑った。
「この間に行くか。そろそろダンスの時間だ。」
「ええ、そうね。」
その言葉通りにダンス開始の合図が送られてきたので、ルークとダンスフロアに上がる。今日の主役として一番に踊るのだ。
フロアの中央に立ち、明るいシャンデリアの下で向かい合った。腰に手を回され、もう片方の手を組み合わせる。その広い肩に片手を添えれば、馴染みのあるワルツが流れた。
会場中の注目を浴びているのに不思議と緊張はなく、ただルークと共に踊れる喜びと高揚感が湧き上がる。
ステップを踏むべく足を踏み出せば、コンッという楽しげな音が響いた。フロア全体を使って大きく回る。
初めてルークと踊ったときのように、気負うことも集中出来ないということもない。言葉はなくても微笑み合い、お互いがこの一時を楽しんで音楽に身を委ねる。
「まったくウィルの奴はいつから企んでいたんだ。」
「驚いたけど、私は嬉しい。お兄様が大事な女性を見つけられた。ニーナと姉妹になれるなら、ぜひ口説き落としてほしいわ。」
「まあそうだな。せっかくあのウィルがティア以外に興味を示したんだ。その相手がティア信奉者なのだから、らしいといえばらしいがな。」
「きっかけはそうでも、ちゃんとニーナ自身に惹かれたのだと思うわ。とても可愛い、魅力的な女性だもの。」
「ティア以上に魅力的な女性はいないと思うが?今も会場中がおまえに夢中だ。さっきの件といい……俺の側近のくせに、レオンもフェリクスも油断ならないな。」
腰に添えられた手に力がこもる。抱き締めるように身を寄せ、踊りにくいはずなのに優雅にステップを踏む。拗ねた口調の文句が降ってくるけれど、彼はそんな状況にも満足して楽しんでいるのだ。
「ルークの伴侶として認めてもらえたってことでしょう?これほど幸せなことってないわ。」
苦手な視線すら今だけは心地良くて、幸せで幸せで、足取りも声も弾む。ドレスに散りばめられた星が弧を描く。
ずっと自信がなかった。“未依”は平凡な妹だから。“ミーティア”だって身分が高いだけの妹キャラで、ヒロインを守りサポートする存在でしかなくて。そんな2人が融合しても妹以外なれないのだと予防線を張った。抜け出そうと抗っていたくせに、本当の意味で自分を信じることはしなかった。
自立することが贖罪で、妹でいるのが私の役目。矛盾を抱えて雁字搦めになった心を、気付かないよう奥に隠して。だけど殻に籠もっていた私を、外から叩き呼び掛けてくれた人達がいる。
守り、支え、掬い上げ、受け入れて。
殻を破り外に出て、迷子になりそうな私を、沢山の手が導いてくれた。
帰らないといけない場所も、背を押さないといけない人の存在にも、気付くことができた。
「……長らく咲かなかったブルースターにも花言葉がある。『幸福な愛』『信じ合う心』――蕾は開いてきている。幸せはまだまだこれからだ、ティア。」
曲が終わる。会場に向け礼をして、ルークは私の手を再び取った。盛大な拍手が鳴り響く中、私を抱き寄せて額に口付ける。そんな彼の甘い行動に驚愕の声と黄色い悲鳴が上がった。
「愛している。幸せになろう……皆で、一緒に。」
“幸せにする”という言葉より、何倍も大きな愛の形。
「私も愛してるわ。」
星空に愛を、幸福を。星空を導く為政者と共に歩く、パートナーとして。
星の花はこれからも咲き続けるのだから。
これで完結です。
皆様からいただいたコメントやブックマーク、評価等がとても励みになり、初めての作品を無事書き終えることが出来ました。
最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございます。




