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今度こそ笑顔で


「――決めた。婚約を受けることにする。」


 決意のままに宣言すると、悩んでいたのが嘘のように気持ちが晴れた。あるべき場所に納まったような、そんな充足感さえある。


 ルークが好きだ。私を信じて優しく見守ってくれるところ。駄目な点はちゃんと指摘したり叱ったりしてくれるところも。家族や友人想いで、時折見せる素の表情が愛しい。強引な様で、案外臆病な人。


 許されるなら誰よりも側にいたい。好きな人を支えたい。ニーナが言うように、そんな複雑だけど単純な想いが理由になった。


「今の私がいるのは、“好き”を教えてくれたお兄ちゃんとお姉ちゃんのおかげ。辛かった思い出はとっくに上書きされて今も昔も幸せだと思えるし、これからもっと幸せになってみせる。だからもういいんだよ。お姉ちゃんにもそう伝えて。」


 始まりが同情でも負い目でも、差し伸べてくれた手の温かさが偽りだったとは思わない。


 かつての私は優しい小さな世界に甘えて、やっと手に入れた愛にただ取り縋るだけだった。虚勢を張って広い世界に飛び出しても、根底にあるのは許しを乞うことで。あの時ああしていたら、もっと周りを見れていたらと後悔は尽きない。


 だけどごめんね、ありがとうと言葉を重ねるより、とびっきりの笑顔で手を振ろう。2人に非はない、気にしていないなんて言っても平行線だろうから。


 彼らにとっても私にとっても、これが過去からの解放と卒業になる。


 心からの笑みを向けたとき、傾いた日が窓から差し込んで2人の間に線を作った。伸びていく光線は植物の葉についた水滴に当たり、きらきらと輝かせる。


 お兄ちゃんは眩しそうに目を細めてこちらを見据えた。別離の寂しさを飲み込むように大きく息を吸い、返されたのは力強い笑み。


「ああ……分かった。俺も負けていられないな。」


 異世界転生や転移なんて荒唐無稽な話、信じてもらえないかもしれない。でも前を向いたお兄ちゃんの想いは伝わるだろう。今のお姉ちゃんの気持ちが分からない以上、一緒になってと無責任に言うことは出来ないが、願わくば両者にとって満足のいく未来であればいい。


 お兄ちゃんは憑き物が落ちたような、すっきりした表情で筆を取る。キャンバスをなぞる、意識を張り巡らせた指先にもう迷いはなかった。




 ◇◇



 同日夜、人目を忍んで訪れたのは清冽な空気に満たされた教会。


 どれだけ惜しんでも別れの時はやってくる。一緒に過ごしたのはたった1日だ。長引けば長引くほど離れ難くなるのは分かっていたため、初めから決めていたことだった。自然と繋がれている手に誰も何も言わない。


「神秘的な場所だよな。突然飛ばされて、外国人の女の子が目の前で寝ていたのには本当に驚いた。」


 お兄ちゃんは教会内をぐるっと見回して楽しげに笑う。ルークをちらっと見てから身をかがめ、私の耳元へ顔を寄せた。


「その後すぐ現れた彼は、息を切らしながら一目散に未依を抱き上げていたよ。素性の分からない男から引き剥がしたかったんだろう。随分愛されてるね。」


 とっておきの内緒話を披露するように小声で囁き、嬉しさから頬を染めた私をニヤニヤと眺める。揶揄ったなという妹の恨めしげな視線をにこやかに躱し、見送りに来てくれた彼らに目を向けた。


「お世話になりました。丁重に保護して頂き感謝しております。」


 繋いでいた手を離し何事もなかったようにお礼を言うのを見て、してやられたと思う。最初に揶揄ったのは寂しさを募らせる私の気を逸らすためだったのだろう。最後は笑顔でという意思表示。


 姿勢を正したお兄ちゃんは、まずニーナに声をかける。


「ニーナさん。妹に貴女のような友人がいてくれること、嬉しく思います。これからも仲良くしてやってほしい。」


「はい!こちらからお願いしたいくらいです!お気をつけてお帰りくださいね。」


 ニーナは太陽のような瞳を輝かせて淑女らしく礼を取った。そういえば友人を紹介できたのは初めてのことだ。少し照れくさい気持ちになる。


「ウィルフリードさん。俺の役目は貴方に託します。どうか、これからも未依の笑顔を守ってください。」


「元よりそのつもりですが、改めて引き受けましょう。しかしどんなに遠く離れても貴方はティアの兄なのです。役目は終わりではありません。愛妹の願いは何が何でも叶えなくては。」


「……っはい、必ず。」


 2人はきつく握手を交わした。そのまま大きく頷いたお兄ちゃんについ目が潤んでしまう。


 お兄様は幸せになれと言っているのだろう。お兄ちゃんは約束を破る人ではない。もう大丈夫だと改めて思うことができた。


 手を下ろしたお兄ちゃんはルークの方へ向き直り、殊更真剣な表情で口を開く。


「皇太子殿下。……いえ、敢えてルーカスさんと呼ばせて頂けないでしょうか?」


「ああ。構わない。」


「ではルーカスさん。遠い地で、2人が温かい家庭を築けることを願っております。未依を、ミーティアを宜しくお願いします。」


 娘を送り出す父親のように深く深くお辞儀をする。貴族や皇族の立場など関係なく、ルーカスという個人に私を委ねた。それは間違いなく、昼間は言わなかった結婚の同意。


 ルークは胸に手を当てて礼をする。隙のない優雅な仕草で、誓いを立てるように最上の敬意を示した。


「俺のすべてを以て貴方の期待に沿おう。」


 一片の迷いもなく是と答える。もうひとりの兄ではなく、覚悟を決めた凛々しい男性の顔で。こんな時を迎えられるなんて夢のようだと、感激で胸が詰まった。


 お兄ちゃんは満足げに頷いて笑う。お兄ちゃんを安心させられたことも、ルークが受け入れてくれたことも嬉しくて堪らない。私も国や皇室、ルークだけでなく“家族”を全力で守っていこうと決意を固めた。



「さて、……未依。そろそろ頼めるか?」


「……うん、大丈夫。」


 私は祭壇の方へ向き、数回深呼吸をした。胸の前で手を組んで目を閉じる。祈りというよりも、星の精霊に伺いを立てるように。


『願いを聞き届けてくださり、ありがとうございました。おかげでもう一度笑い合うことが出来ました。どうかお兄ちゃんを元の世界へ返してください。』


 そう願うことに躊躇はない。寂しくないとは言わないが、お兄ちゃんの居場所も幸せも日本にある。


 体内を巡る魔力に意識して強く願うと、魔力が吸われてお兄ちゃんの方へ飛んでいく感覚がした。目を開けて見ると、お兄ちゃんの身体が青い光に包まれている。


 精霊の返事はなくても、成功したのだなと分かった。


「お兄ちゃん……」


 お兄ちゃんは初めて見る現象に目を瞠り、両手を見つめている。思わず名を呼ぶと、思いの外小さく頼りない声が出た。それでもお兄ちゃんは問題なく聞き取れたらしい。光ったままの身体で私を抱き締める。


「きっとまた会える。――幸せになれ、未依。」


「っうん。お兄ちゃんも!」


 さよならではない。そのことに安心して、またねと満面の笑みを向ける。その瞬間、お兄ちゃんの姿は跡形もなくすうっと消えた。最後に見た表情は家を出たときとは全く違う、幸せそうな優しい笑顔だった。



 光が失われ、教会内に沈黙が落ちる。お兄ちゃんの居た場所を見つめてももう何もない。けれど先程の笑顔も名を呼ぶ声も、すぐ近くにあるような気がする。過去の傷ついた顔はもう思い出せなくなっていた。


 今度こそ、笑ってお別れが出来たね。


 気付けばルークが隣に立っていた。肩に腕を回して抱き寄せられる。そのまま身を委ねて目を閉じると、押し出された滴が頬を伝う。横から感じる温もりに、とめどなく零れ落ちていく。もう我慢しなくていいと思うと止まらない。明日から歩き出すから、今日だけ泣かせてほしい。


 お兄様とニーナの姿はいつの間にか見当たらない。静かに涙を流しながら動かない私に、ルークは何も言わず気が済むまで寄り添ってくれていた。


 夏期休暇が終わり学園が始まっても、ここへ来ることは当分ないだろうなと思った。





 翌日、シュテルンブルーメ公爵邸に一枚の絵画が飾られた。公爵家の高級感を損なわない、品の良い額縁に収められている。周りのプロの物と比べてもまったく見劣りがしない。


 満開の星の花を背に座り、光を浴びて微笑むミーティアがそこにいた。


 繊細さと大胆さを併せ持った色調。優しい幸福の中で佇む凛とした姿には、内に秘められた強さがある。画家の特徴だった夢のような儚さが消え、豊かな愛情と未来を感じる作品だ。


 数年後には嫁入り道具として、皇城へ移動することになる。その頃にはきっとこの絵のように、星の花の蕾は美しく咲いていることだろう。



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