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脱却への一歩


 私とお兄ちゃんが落ち着いた頃、5人はテーブルを囲んで座っていた。貴族が大半とはいえ身内同士。堅苦しくない平和な挨拶の場となるはずだった。


 ルークが改まった態度で、私の婚約者候補だと名乗るまでは。


 不意打ちを食らったお兄ちゃんは、瞬きさえ忘れて笑顔のまま固まった。同じ身の上として同情したらしいお兄様が懇切丁寧に説明した結果――


「確かに良縁なのでしょう。しかし日本人の感覚ではどうしても年齢的に早すぎると思ってしまって。それに重婚は、あちらでは違法でしてね……」


「ご安心ください。もし、仮に、婚約が成立したとして。こんな天使を蔑ろにして皇妃を娶るなどと馬鹿げたことを言い出した場合は、我が公爵家が完膚無きまでに潰しますから。当然、泣かせた時もです。常に目を光らせておきますよ。」


「心強いお言葉です。今の未依に貴方のような兄がいてよかった。」


 シスコン2人が瞬く間に意気投合してしまったのである。


 彼らは一見和やかな笑みを浮かべているが、会話の内容が反逆罪に近い。


「皇妃を娶るなどあり得ない。泣かせるつもりもない。」


 冷静に答えているルークの口元はやや引き攣っていた。私は熱を持った瞼をニーナに魔法で冷やされていて動けないので、はらはらしながら見守るしかない。ちなみに私には魔力温存のため魔法禁止令が出されている。


 ルークの返答に満足したらしい2人は、やがて妹自慢合戦(どちらも私なのに)を始めてしまった。


「ティアは使用人にも分け隔てなく接するので支持が高い。その愛らしい笑顔は癒し効果が抜群で、まさに我が家の天使です。」


「未依だって天使です。おかえりなさいといつも笑顔で俺を出迎えてくれたのですよ。仕事の合間にはよく美味しいコーヒーを入れてくれて。1日の疲れなど簡単に吹き飛びます。」


「ぐっ、それは羨ましい……」


 不毛な会話に呆れた目を向けていると、ソフィーがお茶の用意をするために近付いてくる。この場の機密性を高めるには私の侍女の方がいいだろうからとルークが許可を出し、公爵邸で待機中だったソフィーが登城したのだ。


 テーブルに並べられたスイーツを見て、お兄ちゃんがはっと息を呑む。覚えていてくれたことが嬉しくてはにかんでしまうと、懐かしそうに目を細められる。


「これをもう一度食べられるなんて思いもしなかった。」


 クリームの甘さを抑えた、餡子入り苺ショートケーキ。家出前には何度も作った、お兄ちゃんのお気に入り。


 昨日、せっかくならと駄目元で一時帰宅をお願いしてみたところ、ルークは必要ないと意味深に笑った。そうして案内されたのは、仮住まいをさせてもらっている皇太子妃部屋の近く。明らかに個人用の、お菓子作りに特化した真新しい厨房。


 深く問うのは藪蛇になりそうだったので止めて、ありがたく使わせてもらった。


「……美味しい。昔よりも、更に。」


 一口食べたお兄ちゃんは相好を崩した。幸せだと言わんばかりの表情とその言葉に、また泣きそうになってしまう。夢を叶えたような達成感があり、あの頃の自分が報われた気がした。


「よかった。嬉しい。」


「ふふ、ティアが拘っていた餡子はお兄さんの好みだったのですね。公爵邸でもよく作っていたんですよ!ティアのお師匠もその腕前を誇らしそうにしていました!」


 ニーナは自分のことのように胸を張って言った。学園に入る前はよく厨房まで付き合ってもらっていたから、ニーナは公爵家の料理人達とも仲が良い。


「ははっ、そっか。こちらでも頑張っていたんだね。さすが俺の妹だ。」


 お兄ちゃんはそんなニーナに明るい笑顔を向けた後、私を褒めてくれる。


 餡子を作ったのは自分が食べたいからだったけれど、無意識にこんな時を想定していたのかもしれない。せっかく専門学校で学んだのに、一度も披露できなかったから。そう思うと本当に幸せな時間だ。



 お茶が終わり、ルークとお兄様は公務に戻っていった。ニーナも気を使って退出し、お兄ちゃんと2人になる。夜にはまた落ち合う予定だ。今夜のことを考えてしまい寂しさが胸を過るが、今は見て見ぬふりをした。


 程良い広さの温室を談笑しながらのんびり歩く。人払いがされているため変な噂が立つことはないだろうが、一応ソフィーが入り口で控えてくれている。


 楽しい時間はあっという間で一周し終えると、最後にブルースターの前で足を止めた。


「これが未依の花……。写真でも見たことがあるけど、小さくても存在感があって可憐で、とても似合うよ。」


「そう言ってもらえると嬉しいな。私のというより、祝福の乙女の花だけど。」


 お兄ちゃんはしゃがみ込んで愛おしそうに蕾を撫でている。それをやや後方で眺めながら、私は切り出すタイミングを窺っていた。大切なことをまだ聞けていない。


 2人でいる今が好機なのになかなか踏み出せないでいると、お兄ちゃんは立ち上がって振り返る。


「未依がいい人達に愛されているようで安心した。」


 そう言ったお兄ちゃんは何故か笑顔ではなく、緊張で顔が強張っていた。その様子に首を傾げる。


「これで俺も前へ進めそうだ。未依、頼みがある。」


「何?私に出来ることなら何でもするよ。」


「もし用意が可能なら。――未依の絵を描かせてくれないか。」




  ◇◇



 画材の準備はそう難しいことではない。ここは皇城。芸術家が滞在することも多いらしく、日本の物とも遜色ない道具が揃う。


 私は蕾のままのブルースターを背に座り、少し離れた位置で筆を動かすお兄ちゃんを見つめていた。時折こちらに向ける眼差しは真剣そのもの。


 もう手は震えないのだろうか。久しぶりの絵のモデルが私でいいのか。そんな私の心配を余所に、イーゼルの前に座っているお兄ちゃんは素早く、それでいて丁寧に描いていく。


 初めて目にするその姿は、約10年ぶりとは思えないほど様になっている。


 沈黙が続いたが、暫くして余裕が出てきたのか口を開いた。


「未依は、あのルーカス殿下が好きなんだね。」


「えっ……!」


 昨日も似たようなことを、しかも本人から言われたばかりだ。そんなに私は分かりやすいのかと、羞恥で頬が染まっていく。


「なんで……」


「これでも兄なんだから、見ていれば分かるよ。さっきはああ言ったけど、未依が幸せになれるなら俺は祝福する。」


 お兄ちゃんは少しだけ寂しそうに、でもとびきり嬉しそうに微笑んだ。それを見て、先程まで躊躇していた言葉がするりと口から飛び出す。


「お兄ちゃんは、幸せ?」


 過去の話を聞いて、2人の間にあった蟠りは消えたはずだ。けれど私が死んでからのこと、今のお兄ちゃんのことを私はまだ何も知らない。


「ルークにまだ返事が出来ていないの。ニーナのおかげで自分の意思を貫くと決めたはずなのに怖くて。……許される気がしなくて。」


 怯えの正体がはっきりと見えるわけではない。ただ、お姉ちゃんの言葉が胸に刻み込まれている。真実という鋭い刃で貫かれた感覚は、そう簡単に忘れられるものではなかった。


 温もりも甘えも家事の基礎も、色んなことを教えてくれた人との、糸が切れる瞬間。


 お姉ちゃんは元凶の私に何も言わず距離を置いていた。再会してからも内心はどうあれ笑ってくれた優しい人に、鋏を渡したのは他でもない私自身。


「春香は、泣いていたよ。」


 穏やかな声が耳を打つ。まるで大切な宝物を抱き締めるように、お姉ちゃんの名を紡いだ。


「……え」


「未依の葬儀で、私のせいだって泣いてた。叔父さんにも泣いて謝られたよ。俺が未依に会いに行こうとする度に止めたことを。『妹の自立を見守るのも兄の務めだろう。いい加減過保護を直せ』ってね。正論しか言ってないのに、相当悔やんだみたいだった。」


「っお姉ちゃん……叔父さんも……」


「ただ俺も当時の記憶はあまりない。仕事以外は何もする気がおきなくて、遺品をぼんやり眺める日々だ。でも、半年くらい前からかな。『幸せになって』って未依の声が毎朝のように聞こえてきて。本物だと疑いもせずに、何度も未依を探した。実はそれからなんだ。健康的な生活を送れるようになってきたのは。」


 お兄ちゃんの嘆き様を聞いて、胸がじくじくと痛む。


 半年前といえば学園に入学した頃だ。教会でのお祈りが届いていたの?


「そして数ヶ月前。葬儀以来会ってなかった春香と未依の墓の前で再会して、今更ながらに謝ったんだ。妹の為なんてかっこつけて申し訳なかった。夢を諦めたのは俺の弱さが原因だったのだと。」


 それを聞いたお姉ちゃんは、真っ青な顔で崩れ落ちたらしい。


 お姉ちゃんは両親の私に対する冷遇も、私が擦り切れそうになっていたことも知っていた。


 お兄ちゃんに伝えなかったのは、虐待までされているとは思わなかったからと……夢の為に努力する時間を邪魔したくなかったから。


 しかし結局、後から知ったお兄ちゃんが絵を恐れるようになってしまった。それを克服するために、お兄ちゃんの心を守るために必要だったのは、私の幸せを見届けること。


 そうとも知らずに私を責めて兄妹を喧嘩別れさせたと理解したお姉ちゃんは、


『未依ちゃんの苦しみを放置した私に、そんな権利なかったのに』


 とお墓の前でお兄ちゃんと私に泣きながら懺悔した。それからも何度も会っているが、かなり憔悴した状態だとお兄ちゃんは語った。


「……自分から何年も拒絶しておいて、虫のいい話なのは分かってる。結局未依のことも守れなかった俺に、こんなことを思う資格はないけど……」


 お兄ちゃんは一度筆を止め、想いを馳せるように窓の外の空を見た。昔は気付かなかった、気付こうとしなかった糸は、あの頃と変わらない鮮やかな色を保ったままで。


 お兄ちゃんが何を言いたいのか、手に取るように分かった。


 ――ああ、縁はまだ切れていなかったのだ。私も、お兄ちゃんも、おそらくはお姉ちゃんも。同じ場所で、同じ理由で立ち止まっている。


 ならばもう、迷子は終わりにしよう。彼らから背を向けて、私が一番に足を踏み出す。妹キャラ脱却のその先に、大切な人達の幸せが待っているのなら。


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