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星空に愛を


 騎士に送られて部屋に帰ってきた私は、ある一つの決意をする。


 問題は移動手段だったが、この力があれば可能なのではと考えたのだ。言いつけを破ってしまうことに罪悪感はあるものの、私だけ守られて休んでいるのはもう耐えられない。



 部屋の前には騎士が数名常駐しているが、室内は基本的に一人だった。もしソフィーがここにいれば全力で阻止されていただろう。


 皇城の侍女を呼んでシンプルな便箋を用意してもらう。書き置き用なのでデザインを凝る必要はない。


 一応はすぐに戻ってくるつもりだが、その前に誰かが訪ねてきて不在が発覚する恐れもある。誘拐されたばかりで無用な心配をかけるわけにはいかない。



『教会に行ってきます。  ミーティア』


 見る人が見ればこれだけで伝わるだろう。短い文をしたためてテーブルの上に置く。近くにあった猫のアロマストーンを重しにした。


 ごめんなさいと誰もいない空間に呟いて、一度深呼吸をする。この方法が駄目ならば他の手を考えなくてはならない。


 窓の前に立ち、真っ黒な空を眺めながら胸の前で手を組んだ。緊張と微かな不安を抱きつつ、目を閉じて強く祈る。


 “どうか、私を教会に連れて行ってください。”


 魔力を込めた祈り方などよく分からないが体は覚えていたようで、そう時を置かずに閉じた視界の先が青く光った。次いで空間が揺らぎ、身体が浮遊感に包まれる。平衡感覚も失われ、まるで床に足がついていないみたいだ。


 初めての感覚に戸惑いながら身を任せていると、次第に違和感が和らいでいった。青い光も落ち着き、足もしっかりと地を踏み締めている。



 成功した……?


 ゆっくりと目を開けて周囲を見回す。そこは、この数ヶ月ですっかり見慣れた教会の前。この場所も空の光は失われていたが、私を迎え入れるかのようにポーチには明かりが灯っていた。


「本当に来れちゃった……」


 改めてこの力の凄まじさに愕然とする。なぜ祝福の乙女は虐げられる前にこの力で逃げなかったのかと疑問に思った。


 まあ転移など前世の世界を知らなければ思い付かないのだろう。それに自分の為に力を使うこと、皇室から逃げることに抵抗があったのかもしれない。



 あまり時間をかけてはいられないと頬を叩き、両開きの扉を押して中に入る。


「よかった、ここは星が消えていないのね。」


 天井には星空が一面に広がっていた。星の下は力が増幅されるような気がする。


 真ん中に敷かれた絨毯の上を歩き、祭壇に近付く。奥に描かれた壁画を見て、これは偶然ではなかったのだなと気がついた。


 星の精霊が慈しみ、抱えて守っているもの。星の花(ブルースター)と流星。これが今の私を指すのか、シュテルンブルーメ公爵家に嫁いだ祝福の乙女を指すのかは分からない。


 しかしあの歌の中で、星の精霊は星空――皇室とシュテルンツェルト帝国を見守っていた。祝福の乙女の愛が消えないようにと願っていた。


 ならば今起きているこの現象はきっと、シルヴァン様の言葉を受けて少しでも気持ちが揺らいだ私の責任。


 どんなに努力しても皇太子妃には、ルークの隣には立てないかもしれないと疑って絶望した私の。


 しかし今は、まったく別の気持ちだった。現皇室にも帝国にも罪はない。悪いのはすべて――。



 祭壇より少し手前で膝をつき、頭を垂れる。願うのはひとつだけ。たとえそれで魔力が尽きようがどうでもよかった。少しでも早く復旧して、シルヴァン様とローザフィア様の罪を軽くしたかった。


 私を愛してくれた家族。受け入れて見守ってくれた皇室。背中を押してくれたニーナ。後悔するなと忠告してくれたカイ。


 アル、レオン様、フェリクス様。ソフィーにフランツ、ヤン。公爵家の皆。クルト。フライハルト商会の商会員達。街の人々。


 沢山の人の顔が浮かんで笑みが零れる。みんなみんな大切で、愛しくて。


 その中心にはルークがいて。彼の隣には人ひとり分の空間があった。



 “どうか帝国に光を。星空を愛で満たしてください”



 祝福の乙女の愛を消してしまわないように。ルークがこれから守っていくこの国に、幸せが訪れますように。



 体内から魔力が一気に溢れ出ていく。今までにない魔力が失われていく感覚に、大量の汗が流れ落ちた。思ったよりも消耗が激しい。徐々に身体が重くなるのを感じながらも、ぐっと堪えて祈り続ける。


 一度で終わるならその方がいい。


 やがて眩い光が教会内に充満し、星空へと吸い込まれて消えた。それを合図に、ふっと身体から力が抜けてその場に倒れ込む。しまった、もう帰還する力が残っていない。


 せめて効果を確認したくてうっすら目を開けると、仰いだ空に星がひとつ流れた。


『君の愛、届いたよ』


 深い眠りが押し寄せる頭に響いたのは、ハープの音色ように繊細で透き通った声だった。




  ◇◇



 懐かしい夢を見た。



 温もりを感じさせるクリーム色の邸宅前。小学生の女の子がひとり、所在なさげに立っていた。まだ小さくて頼りない手でインターフォンを押すと、さらさらした黒髪の清楚なお姉さんが出迎える。


「いらっしゃい。来てくれてありがとう。」


 優しい笑みを向けられると、ふんわり春の香りがした。お姉さんは無愛想な女の子を自室に案内し「ちょっと待っててね」と声をかけて出て行く。


 女の子は失礼にならない程度に部屋を見渡し、壁に掛けられた絵画に目を留める。柔らかいタッチで描かれた桜並木を背景に、お姉さんらしき人が幸せそうに微笑んでいた。


「お待たせ!」


 戻ってきたお姉さんはジュースとケーキが載ったトレーを抱えている。それをじーっと凝視していると、お姉さんは嬉しそうな顔をした。


「当たった!未依ちゃんは絶対にスイーツ好きだって思ってたの。って、ただの勘なんだけど。」


「別に好きでは」


 女の子が言いかけた時、くうっと小さく音が鳴る。発信源であるお腹を押さえて気まずそうに目を逸らした。


「そっか、ごめんね。でも残すのは勿体ないから、嫌いでないのなら食べてくれると嬉しいな。」


「…………食べないなんて言ってません。」


 促されるままケーキを口に運んで平らげる。手を合わせて御馳走様でしたと言うと、お姉さんはにこにこと笑っていた。女の子はお姉さんを警戒した目で見て、子供らしくない淡々とした口調で尋ねる。


「どうして私を呼んだのですか。」


「未依ちゃんとお話してみたくて。」


「私に兄のことを聞いても時間の無駄です。何も知らないし、そもそもあんまり会わないので。」


 このお姉さんも兄のことを探りたいのだと思い、突き放すように告げる。


 男性も女性も、大抵の人はこれで「可愛くない子!」と吐き捨てて去っていく。諦めの悪い人も中にはいるが、嘘をついていないと分かると「期待外れだった」と勝手に失望して離れていった。だから初めからそう言っているのに。


 いつもなら「ご馳走するから家においで」と言われても「忙しいので」とお断りを入れる。それだって嘘じゃない。でも今回は避けられなかったのだ。だってこのお姉さんはお隣さんだから。両親と交流のある家のお姉さんに何度も何度も誘われれば頷くしかなかった。


「そうじゃなくて。未依ちゃんの好きな物とか、普段何をしてるのかとか、学校では何が流行っているのかとかを聞きたいな。」


「…………あの人じゃなくて、私のストーカー?」


 この時の女の子は、その言葉の意味を正しく理解していなかった。しつこく声をかけて情報を集める嫌な人、というような認識でしかない。


 物好きな、と引いた目を向けられたお姉さんはショックを受けた顔をした。


「す、すとーかー…………そうかな?これはそうなるの?え、どうしよう。」


 口元に手を当てて悩み出したのを見て、嫌な人じゃなくて変な人だ、という感想を抱く。けれどなぜだか警戒心は少し和らいでいた。ついには頭を抱えて悶々とし始めたお姉さんを観察していると、意を決したように口を開く。


「あ、あのね!私は未依ちゃんと仲良くなりたくて。お話したり、一緒にお出かけしたり。それで、あわよくば未依ちゃんの笑顔が見たいって……!」


 お姉さんはしどろもどろに説明し、自らが発した最後の願望にハッと口を押さえた。


「ええっと。だから、その。笑ったら絶対可愛いのにって思ってて……あ!今が可愛くないって言ってるんじゃなくて!」


「フォローはいらないです。『可愛くない顔でへらへら笑う暇があるなら勉強しろ』と言われてるから。それに予定いっぱいだからお出かけなんて出来ません。また習い事が増えました。」


 苦しげな女の子の言葉にお姉さんは驚かず、悲しそうに眉を下げるだけ。


「勉強には息抜きが必要だと思うの。だから疲れたと感じたときはここに来て。美味しいケーキを用意しておくね。ご両親には、分からないところを教えてもらいに行くと言えば大丈夫。」


「……??息抜きしてる暇ない。私はあの人と違って出来の悪い子だから。」


 成績が悪いのは努力が足りないからだ、もっと頑張りなさいと言う両親の教えに従わないといけない。それなのにどうして休めなんて言うのか。反対のことを言われて混乱した女の子の言葉から敬語が抜けた。


「未依ちゃん」


 お姉さんは女の子の体を両腕で優しく包み込んだ。抱き締められたことなどない女の子は目を丸くして硬直する。


 お姉さんからふわっと漂う控えめな香りは、やっぱり春のように甘い。


「未依ちゃんはいつもすごく頑張ってるよ。だからせめて一人くらい、あなたを甘やかす人がいてもいいと思う。」


 女の子は劣った自分を褒めてくれる人の背におずおずと手を回し、いつの間にか縋っていた。



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