本当に救われたいのは
シルヴァン様がソフィーを伴って部屋を訪ねてきたのは、翌日のお昼前だった。
対面に座った彼は暇潰しにと言って本を数冊差し出した。他にも希望があれば受け付けると言われてげんなりする。本当にここから出す気はないらしい。
「ただ今日は天気が荒れていてね。極力希望に添うようにはするけど、時間がかかるかもしれない。」
「家に帰して頂ければそれでいいのですが。」
睡眠不足な頭では礼節を弁えることも出来ずジト目で答えると、無言で綺麗な笑みを返された。仕方なく本を受け取って表紙を確認する。
「……フルラージュのお菓子レシピ?」
詩集や伝記本、恋愛小説等の間に挟まれた異色のタイトルに驚き、つい凝視してしまう。
「フルラージュに興味を持って貰おうと思って。」
悪びれずそんなことを言う彼に渋い顔を向ける。お菓子に釣られて嫁ぐと思われているのだろうか。私は彼とお茶をしたことすらないというのに。
そんな私の考えを察したのか、君の甘い物好きなんて学園中が知っているよと笑われる。
「まあそれは半分冗談だ。他国のレシピ本なんてそう出回らないから、お菓子作りが好きな君に喜んで貰えるかなと思っただけだよ。」
半分は本気なの?心外なんだけど。
…………って、ん?
「その情報はどちらからでしょう。私がお菓子作りをすることは限られた人しか知らないはずですが。」
「君の護衛。マルクって言ったっけ。昨晩渡したアロマやオルゴールの好みも彼から聞いたよ。彼は君を崇拝しているようだ。」
「はい?」
確かにマルクならば知ろうと思えば知れる機会はある。でも崇拝されるほど彼に何かした記憶はなく、首を傾げるしかない。大体慕っている相手の誘拐に協力する理由がさっぱり分からない。
「マルクはフォルモント夫人ではなく、貴方が?」
渡された本を脇に寄せて本題に入ろうとすると、シルヴァン様は少し待ってと私を止めてソフィーに紅茶を入れてくれと頼んだ。ソフィーはやや戸惑った顔をしながらも慣れた手つきで作業に入る。
二人の前に紅茶が置かれソフィーが離れたのを確認したシルヴァン様は防音魔法を展開させた。訝しげに見る私に、内緒の話だからねと人差し指を口元に当てる。
「君が特別な存在である証を見たと、僕が言ったことは覚えている?」
「…………確か夜会でそのようなことを。」
目線を左上に向けて必死に記憶を辿る。その後の方が衝撃的だったので、特異性云々については記憶の片隅に追いやっていた。
答えるまでに時間を要した私にシルヴァン様は苦笑した。
「本気にしていなかったみたいだね。実はそれをマルクも見てるんだって言ったら少しは信じてくれるかな。君と公園で出会った時のことだ。」
マルクは私につくことが多いので、あの街歩きの日も傍にいたはず。シルヴァン様とマルクの接点はそこだったのか、とほんの少しだけ納得した。
「僕とマルクは、慈愛に満ちた表情で歌っている君が青く光り輝いているのを見た。目を閉じていた君と、反対側を警戒していたもう一人の護衛は気付かなかったようだけど。」
「青い光?」
教会でのフェリクス様の言葉が思い起こされた。あの時は歌ではなく祈りだったけれど、同様の現象で目撃情報が3人ともなると見間違いだと切り捨てることは出来ない。
そういえばフェリクス様から聞いたルークが口外を禁じていた。どう見ても不自然すぎるのに、皇太子としての命と寒さのせいで私は考えるのを放棄してしまったのだ。
「マルクはその神々しさが忘れられず、元々慕っていた君を崇拝した。だから彼は君が皇室から不当な扱いを受けていることが耐えられないんだよ。それならばいっそ隣国で王妃になるべきだと思うくらいには。」
真剣な目をした彼は、自分のことなのに話についていけない私を射抜いた。
神々しいも不当な扱いも私からは程遠い言葉だ。なんの冗談だと笑い飛ばしてしまいたいのに、私の視線は彼に縛り付けられたまま。
「ねえ、皇室はなぜ僕の申し出を蹴ってまで君を皇太子妃候補にしたと思う?」
「それは……」
貴族達の声が高まったから。――これはシルヴァン様と婚約すれば解決する話だった。
皇室が私を認めてくれたから。――友好国との縁繋ぎ以上の価値が私にあるとは思えない。
ローザフィア様の資質が疑問視されたから。――新たに候補を立てるとしても、それが絶対に私である必要はない。
私の意思を優先してくれた。――外交にも力をいれている両陛下が国の利を捨ててまで?
皇城へ召喚された日に説明を受けて納得出来たはずだった。でも改めて考えてみるとどこかずれているような、釈然としないものを感じて次々に打ち消してしまい言葉に詰まる。
「失敗したよ。君の重要性は理解していたつもりだったけど、皇室は君を懐柔しつつも程良く手放したいのだと思っていたのに。さすがに帝国から出す気はなかったらしい。」
「何の、お話ですか……?」
苛立たしげに足を組んだシルヴァン様は後悔しているようだった。
彼と私の皇室への印象が違いすぎて何か勘違いをされているのではと言いたいのに、頭を擡げてきた疑問がそうさせてくれない。
「ミーティア、君には特別な力がある。だからこそ皇室は元々君を皇太子妃にする気はなかった。いや、今もあるかどうか怪しいな。しかし僕が求婚したことで国を出て行ってしまうと恐れた皇室は、慌てて君を皇太子妃候補とした。王国の申し出を断るにはそれしかないからね。」
あり得ないはずの星眼。青い光。
それらがあっても私に国から出したくないほどの力があると信じたわけじゃない。だってこの世界のヒロインはニーナだ。でもそれを彼に伝えることは出来ない。
「もし……万が一、私に何らかの力があったとして。そんな令嬢であれば、普通は幼少から皇太子殿下の婚約者にするのではありませんか。」
「シュテルンブルーメ公爵家は準皇族のような扱いだ。君の父君と兄君は第二皇子に並び僅かながら皇位継承権を持っている。そんな家の特別な力を持つ令嬢が皇太子妃となれば……」
現皇室の立場が危うい。口には出さずとも彼の言いたいことは分かった。
「だからシルヴァン様は私が不当な扱いを受けていると思われているのですか。」
皇太子妃にすることも国から出すこともなく、甘やかすことで私を懐柔して飼い殺しにしていると。あからさまに言うのは憚られるほどの内容だ。
「そうだよ。今も君は振り回されて苦労してるじゃないか。競わせることで時間を稼いで僕が諦めるのを待っている。もしくは君が帝国の男と結婚したいと言い出すのを。その結果、君は襲われそうになったんだ。皇室が決めた唯一の皇太子妃候補とやらの家によって。」
「……フォルモント家のことは皇室の責任ではありません。」
皇室を擁護する私の言葉を聞いたシルヴァン様は皮肉げに口角を吊り上げた。
「優しいね、ミーティアは。でも昨日聞いただろう?フォルモント夫人が事を起こしたのは皇后陛下や公爵との確執が原因。そして夫人の動機は重婚制度にまで及ぶ。そんな女性の娘を唯一として増長させ続けた。となれば責任は皇室にあるんだよ。君はもっと怒るべきだ。」
皇室への不信感を全面に押し出す彼の言葉を聞いても怒りは湧いてこなかった。たとえ彼の言ったことが事実でも、皇室は国としての最善を尽くしただけ。
ちくちくと胸を刺す小さな痛みを散らすためにカップを手に取った。濃い鮮紅色の水面には悲痛を滲ませた情けない表情が映っている。視界から外して口をつけると、いつもよりやや苦い味が口腔に広がった。まるで一時的に痛みを忘れさせる薬のようだと思う。
「シルヴァン様は、これからどうなさるおつもりなのでしょう。」
他者が怒ってくれているのに同じ方向を向けない罪悪感から逃れたくて、カップをソーサーに戻しながら話題を変えた。
「君が口裏を合わせてくれればすぐにでも保護という名目で君を送り届け、婚約を皇室と交渉するよ。彼らが隠し通したい君の能力とフォルモント家の悪事、皇室の不手際を盾にね。」
「リスクが高すぎませんか。私がここから出た後にこっそり助けを求めたらどうするのです。」
「だから皇室の狙いを話したんだよ。今までの寵愛は君の機嫌を損ねたくなかったからだ。君は打算に塗れた人達が嫌いだろう?このままではずっと飼われ続けてしまう。僕は優しくて純粋な君をそんな目に遭わせたくない。」
愛する人を救いたいんだと甘さを含ませた声で囁き妖艶に笑う彼を見ても、違和感が拭えない。
一国の王太子がこんな私の気持ち頼りのお粗末な作戦を考えるだろうか。まるで、どちらに転んでも構わないというような。
「シルヴァン様は夜会の折『僕と同じような君に会えて嬉しかった』と仰いましたね。――本当に救われたいのは貴方の方ではないのですか。」
陰のあるヴァイオレットの瞳をじっと見つめながら尋ねると、彼は驚いたように大きく目を瞠った。




