見えない思惑
「…………貴女は……何故、そんなにもローザフィア様を皇后にしたいのですか……?」
喉の奥が引き攣って掠れた声が出た。
フォルモント夫人は、皇后になることが幸せなのだと信じているのかもしれない。せめてそうであって欲しいと、見えない感情に縋るように期待する。
「つまらないことを聞くのね。妹に勝つために決まってるじゃない。私の娘が皇太子の唯一の妻となれば、皇妃に陛下を取られた性悪で不憫な妹に思い知らせてやれるわ。」
私が皇后なら陛下の愛を勝ち取って皇妃なんて追い出してやれたのにね、と夫人は嘲笑を浮かべた。
「そうね、そういう意味でも皇太子と親密って噂の娘を罪人にするのは正解ね。半分平民の卑しい女を警戒する必要はないと思うけれど、念には念を入れるべきだわ。」
叩きつけられた現実と、踏み荒らされた数々の地雷。
執着しているのは皇后の地位か、己の妹に対してなのか。目の前にいる歪んだ女性は、結局娘の幸せなど考えていないのだ。ましてや貴族らしく家のためですらない。
淑女教育も攫われた恐怖も、ローザフィア様に抱く悪感情でさえ、湧き上がる衝動を抑える枷にはならなかった。
「自分の欲を満たすためだけに、娘を利用して……ニーナまで巻き込んで……!何のためにローザフィア様が長年努力してきたと思っているの!母親として最低だわ!自慢したいなら自分の力でしなさいよ!!」
怒りに任せて声を荒らげ、はあはあと肩で息をする。言いようのない悔しさがこみ上げて視界が滲んでいく。
これで夫人の行いが露見すれば、ローザフィア様の道は閉ざされるのに。せっかく最後の一線は越えないでいてくれたのに。
「な、なによいきなり……!それの何が悪いの!自分の持ち物を自慢して何がいけないの!攫われてきた身のくせに生意気なのよ!!」
逆上した夫人は扇子を振り上げた。
当たってなんてやるものか。ギラギラと目を光らせる夫人を睨み返しながら、向かってくる扇子を止めるべく手を伸ばす。
だが、ずっと成り行きを見守っていた彼が夫人の動きを奪う方が早かった。扇子ごと夫人の手を覆い、その腰に腕を回す。
「いけませんよ、公爵夫人。貴女のような女性が手を上げてしまっては。さあ、もう確認もお済みでしょう。危ないですから暗くなる前にご帰宅なさってください。」
彼は夫人の耳元で囁き扉の方へエスコートをした。
既婚者相手に随分距離が近い。夫人は彼の色香に当てられ、嬉しそうに頬を染めている。
……貴女のような女性って、褒めてないよね?
彼を平民と侮っていた夫人の変わりようと、彼から発せられた偽りの甘い声に呆れて私の頭も冷えてきた。
「あら、貴方ってよく見ると整った顔してるわね。予定をずらせと指図された時はどうしてやろうかと思ったけれど、言う通りにして良かったわ。ユングフラウへ罪を被せるには理想的な日だもの。平民にしてはやるじゃない。」
夫人は尊大な口調で彼を褒めると、もう帰るから後は宜しくねと言い残して上機嫌で部屋を出ていく。
出入り口まで見送った彼は深い溜息を吐いた。
「お嬢様……」
ソフィーが心配そうな声を上げて背を擦ってくれる。その温もりに甘えて、されるがまま身をすり寄せた。縋るように侍女服の袖を掴み、その肩に顔を埋める。そうしなければ絨毯の上に崩れ落ちてしまいそうで。
沢山の優しい人に囲まれて育った私は、憤怒の念に駆られることに慣れていなかった。
「さて、もういいかな。」
暫くの沈黙の後、疲労の滲む声で小さく呟いた彼はウィッグとカラーコンタクトを外した。それを使用人に手渡してから再び扉を閉める。
本来の色に戻った彼に息を呑む音が頭上から聞こえた。
「ミーティア。大丈夫かい?」
夫人に向けたのとは違う、甘さのない優しさに満ちた声が耳に届いた。しかし誘拐犯に気を許せるはずもなく、身分を隠さなくなったシルヴァン様にどう対応していいかも分からず、はいと答えるしか出来ない。
ソフィーから離れない私に、彼は近づこうとはしなかった。
「……調べて分かったことだけど。フォルモント公爵は皇后陛下の幼馴染で、長い間片想いしていたそうだよ。」
「え」
突然告げられた内容に驚いて顔を上げる。
「公爵夫人もそれを知っていた。あれほど敵意を燃やす理由はそこにもあるのではないかな。公爵は妹を妬む夫人を元々好きではなかった。公爵が冷たいから夫人の怒りは更に妹に向かう。そして公爵はそんな夫人をますます嫌っていく。見事な悪循環だよね。」
「……」
それを淡々と語るシルヴァン様の顔には何の感情も浮かんでいなかった。調べた割には興味がなさそうだ。
皇城でフォルモント公爵と会った時にやたらと皇后陛下を気にしていたのは、想いを寄せていたからだったのか。娘を冷遇する理由にはならないけれど。
「さあ、今日はもう休んだ方がいい。後で食事を運ばせよう。侍女にも別の部屋を用意している。」
最後の言葉にピクリと反応した私はソフィーの袖を掴む手に力を込めた。
シルヴァン様の狙いが私を娶ることで、この屋敷も彼が用意したのなら好待遇も頷ける。でも私から離れたらソフィーがどんな扱いを受けるか分からない。
「安心して欲しい。別とはいえ隣だし、夫人はもうここには来ない。僕も使用人も、君達に危害を加えないと約束するよ。部屋から出してあげることは出来ないけど。」
「どうして、ですか?私にはシルヴァン様のお考えが理解できません。私を攫ったところで、帝国に隠したまま王妃になどなれないではないですかっ……!」
「……色々と疑問はあると思うけど、話は明日にしよう。もう夜になる。」
シルヴァン様はソフィーについてくるよう促した。しかしソフィーは鋭い目で見ただけで動かない。彼は困った顔をしたが、無理やり連れて行くことはしなかった。
「ソフィー、行って。」
「でも、お嬢様を一人にするなんて!あの方はお嬢様に求婚されたのですよね?もし何かあったら……」
ソフィーは彼に聞こえないよう声を潜めた。ソフィーの言いたいことを察して首を横に振る。
「シルヴァン様は女性に乱暴を働くような方ではないと思うから。」
夜会でのダンスのリード。日常的に甘い言葉を囁きながらも迫られなかったこと。別の部屋があるにも関わらず、ソフィーと一緒に寝かされていたこと。今も近づいてはこないこと。
それに、夫人が言った言葉。シルヴァン様は私を守ってくださったのだ。それが正攻法ではないにしても。
完全に信用したわけではないが、彼がただの女好きではない、根は優しい方なのだと頭の片隅では理解している。
ソフィーは渋々彼を追って部屋を出て行った。間を置かず部屋の鍵が閉まる音が聞こえる。
程なくして侍女が食事を運んできた。慣れない長時間移動と諸々のショックで食欲などあるはずもなく、軽く口をつけただけで気分が悪くなってしまい下げて貰う。湯浴みを勧められたが手伝いは断った。一人きりの入浴はかなり久しぶりのことだった。
用意されていた夜着を身につけ、ベッドの上で膝を抱える。窓のない空間は酷く息苦しい。
溜め息を吐きながらサイドテーブルの上を見やると、そこには見慣れた品々が置かれていた。
手を伸ばしその内の一つを手に取る。蓋を開ければ、優しい音色が鳴り響いた。
きらきら星。
シルヴァン様から侍女を通して渡されたのは、私にとって馴染みのあるフライハルト商会の商品だった。
アロマストーンから控えめに漂うフローラルの香りは私のお気に入り。オルゴールだって今では改良されて曲が増えているのに、流れたのは思い入れの強い初期の物で。
シルヴァン様の気遣いを感じ取り、無性に泣きたい気持ちになった。
お兄様、お父様、お母様。
ニーナ。
……ルーク。
今頃、心配してるだろうな。
眠らされたのは昼過ぎ。もう捜索は開始されたはず。
公爵夫人に雇われた男達が見つかればユングフラウ家が疑われるけれど、皇室もお父様達もそれだけで判断するとは思えない。絶対にフォルモント家に辿り着いてくれる。
問題は、シルヴァン様の思惑だ。
明日少しでも多くの情報を聞き出すと決めて、オルゴールを開いたままサイドテーブルに戻す。窓がない分、せめて音だけでも星を感じていたかった。
魔法が使えなければ助けを待つしかないことを情けなく思いつつ、ベッドに入ってシーツを被る。不思議と祈る気にはなれない。
浅く短い眠りを繰り返しながら、朝が来るのを待った。




