主犯と実行犯
「うう……」
重い瞼を持ち上げると、見慣れない天井が視界に飛び込んできた。
「お嬢様!目を覚まされましたか!」
聞き慣れた声がしてそちらを見る。ソフィーがほっとした顔で私を覗き込んでいた。
「え、何。ここどこ?」
ぼんやりと霞む頭は、まだ状況を把握しきれない。
「申し訳ありません、私にも分からないのです。起きたのも先程で……」
雑な質問に答えてくれたソフィーの表情は暗い。
ひとまず体を起こそうとすると、優しく背を支えてくれた。ふわりと肩に掛かったストロベリーブロンドの髪を見て、そういえば自分はミーティアだったなと思い出す。相当記憶が混乱しているらしい。
私が横たわっていたのは上質なベッドだった。清潔で柔らかいシーツがかかっている。
周囲を見渡すと、客人用と思われる部屋にいることが分かった。テーブルやソファー、ドレッサー等最低限の家具が揃っており、その質の高さから裕福な貴族の屋敷だと推測する。扉はいくつかあるが、残念ながら窓がない。出入り口と思われる扉は鍵がかかっていて開かなかった。
「……誘拐されたのよね。それにしては待遇が悪くないけれど。」
私もソフィーも縛られたりはしていない。
問題は、この腕に填められている腕輪だ。試しに引っ張ってみたが外すのには鍵が必要なようで、力を入れてもびくともしなかった。どういうカラクリかは分からないけれど、魔法が使えなかったのは間違いなくこれのせいだと思う。このままでは伝達魔法で助けが呼べない。
「……なんでマルクが。」
痛む胸を押さえながら、小さな声で呟いた。
長年護衛として仕えてくれたマルクが公爵家を裏切るなんて思えない。意識を失う前に見えた、あの表情。まさか誰かに脅されて?
「ごめんなさい、ソフィー。巻き込んでしまって。」
俯いてぐっと拳を握り締めた。
この部屋の質、私を眠らせた魔力持ちの男性。主犯は間違いなく貴族だ。となると身代金目的という線は薄い。
考えたくはないけれど、思い当たる理由はひとつだった。
「お嬢様が謝罪される必要なんてありません!私がお嬢様をお守り出来なかったのがいけないのです。」
「ううん、仕方ないわ。マルクがあんなことをするなんて誰も思わないもの。」
一時的に護衛を一人にする指示を出したのは私だ。
立場上こうなる可能性はいくらでもあったのに、考えが甘かった。
「これからどうしよう。」
魔法が使えないのが痛い。せめて窓があれば外の様子を確認出来るのに。
頭を抱えたその時、出入り口の扉が叩かれた。すぐに解錠する音が聞こえて、警戒したソフィーが私の前に立つ。
誘拐犯もノックはするんだ。どうでもいいことに関心しつつも、緊張で身を硬くする。相手の姿が見えるようソフィーの後ろから顔を覗かせた。
静かに扉が開き、現れたのはブラウンの髪を持つ男性。
おそらくこの人が私を眠らせた――
「………………え?」
「やあ。目が覚めたみたいだね。」
軽い調子で手を挙げるその男性に、ソフィーが威嚇する。止めなければいけないと思うのに、私はその後ろで呆然と立ち尽くすしかなかった。
「貴方は何者ですか?何故このようなことを。」
ソフィーは怒りを無理やり押し込めたような低い声で彼に尋ねた。ソフィーだって怖いはずなのに、自分が前に出て私を守ろうとしてくれている。
「そんなに怒らないで、美しいレディ。」
「は?」
人の神経を逆撫でするようなことを言われ、ソフィーは更に激高する。気持ちは痛いほどよく分かるが、これはまずい。ソフィーは案外短気な性格だ。
「何をふざけて――」
「待って!」
たとえ誘拐犯だろうと、状況も分からないまま彼相手に暴言はあまり良くない。後ろからソフィーの腕を軽く引っ張って止める。
「お嬢様?」
「それ以上言っては駄目。下がっていて。彼は私に話があるのよ。」
「ですが……」
眉を寄せて不安そうにするソフィーに、大丈夫だからと笑いかける。それでも心配なようで、私のすぐ後ろで待機した。
彼はいつかと同じ平民のような格好をしていた。眼鏡はしていないけれど、ブラウンの髪にグレーの瞳、黒子の消えた目元。
「今の貴方は、名も無き平民でしょうか。」
敢えて礼をしないまま問い掛けると、目を細めた彼はふふっと面白そうに笑った。
「そうだね。愛しい君を生涯の伴侶にと望む、ただの男さ。」
「では誘拐の主犯、そして実行犯でもあるということで宜しいのですね。」
そちらが身分を隠すのなら、礼儀を弁える必要はない。冷たく言い放つと、彼は悲しそうな顔で肩を竦めた。
「とりつく島もないな。まあこの状況では無理もない。お察しの通り、君を眠らせたのは僕だよ。だけど主犯は別にいてね。」
彼がそう言った時、廊下の方から派手なヒールの音が聞こえてきた。その音はこの部屋の前で止まると、乱暴に扉が開かれる。
「何よ、起きてるじゃないの。おまえ、さっさと教えなさいよね。」
無遠慮にずかずかと入室してきたのは、黒髪を派手に結い上げた、ローズレッドの瞳を持つ女性だった。豪華で妖艶なドレスを身に纏い、傲慢な態度で彼に接している。
彼は女性に向かって、申し訳ありませんと一礼した。一貴族に頭を下げる彼に、驚愕の眼差しを向けてしまう。
ふんっと鼻を鳴らした彼女は、私を足の先から頭のてっぺんまでじろじろと観察するように眺めた。
「全然大したことないじゃない。ローザフィアの方がよっぽど美人だわ。」
不愉快そうに眉を顰めた彼女のその言葉に確信する。
「フォルモント公爵夫人ですね。」
「ええ、そうよ。不本意ですけれどね!あの女さえいなければ今頃皇后と呼ばれていたわ!」
夫人は狂気をはらんだ目で虚空を睨む。
叔母様がいないからといって、夫人が皇后になれたとは限らない。叔母様が選ばれたのは、家柄だけでなく能力や魔力量が優れていたからだ。
「私の代わりにローザフィアを皇后にするつもりだったのに。貴女が突然出て来たりするからいけないのよ。」
「だから私を攫ったのですね。このことをローザフィア様はご存知なのですか。」
彼が現れるまでは正直なところ、ローザフィア様の仕業なのではと疑っていた。彼がここにいたことでその線は消えたと思ったのだけど。
「計画は知っているわよ。最初は裏稼業の男に襲わせるか売り飛ばすかしようと思ってたのだけど。貴女、運が良いわね。隣国の大貴族が貴女を娶りたいと言っているそうじゃない。攫うなら協力するから主人に引き渡せと、そこの平民が提案してきたのよ。」
持っていた扇子で彼を差す夫人の言葉に目を丸くする。
彼は大貴族に雇われた平民を装って近づいたらしい。皇城の夜会には出席しないと噂のフォルモント夫人は、隣国の王太子の顔を知らなかったみたいだ。
……外務大臣の妻でそれは問題なのでは。
何故彼は公爵家が誘拐を企んでいると知っていたのだろう。それに彼ならばフォルモント公爵家の力に頼らなくても、私を攫う方法くらいいくらでもある。もしかして、主犯を別に仕立て上げることで罪を着せようと?
「……」
彼の意図を考え込んでいると、夫人は私を憎悪の瞳で見つめた。
「その星眼、本当に不愉快だわ。どうせなら身も心も傷つけてやりたかったのに。」
「……先程、計画はと仰られましたよね。その言い方であれば実行は公爵夫人の独断ということになりますが、露見した場合ローザフィア様を巻き込むとは考えなかったのですか。」
「こんな状況でも平然としちゃって。あの生意気な女にそっくりだわ。」
忌々しそうに舌打ちした夫人は、扇子を広げて口元に当てた。
「あの子、最近やる気が感じられないのだもの。計画は中止しましょうなんて言い出すし。だから私が導いてあげないといけないでしょう?それに露見するはずがないわ。ユングフラウ家の犯行だと偽装しているもの。」
「なっ!」
聞き捨てならない言葉に目を見開く。
「ユングフラウの名で裏稼業の者を数グループ雇って貴女を襲うよう命令してあるわ。そのどれかが貴女を攫ったのだと皇室は考えるでしょうね。まあこの平民が失敗した時の保険でもあったのだけど。」
私としてはどちらでも良かったわと高笑いをあげられ、カッと頭に血が上った。こみ上げてきた怒りに体をわなわなと震わせる。
「何故そんなことを!子爵家は無関係ではないですか!」
「だってあの家の娘がムカつくんですもの。平民の血が流れている下位貴族の分際で特殊眼持ちなんて。それでもローザフィアを通して協力させてあげようとしたのに、断るなんてあり得ないわ。」
私の怒気を含んだ問いかけに、夫人は何でもないような顔をして語った。あまりにもくだらない理由に唖然とする。
「協力させようとした……?」
「友人に裏切られれば、貴女にダメージを与えられると思ったのよ。まあいいわ。ユングフラウ家が罪人となれば、ミーツシリーズの評判も落ちるでしょう。」
つまり夫人は、私を陥れる手段としてニーナを利用したのだ。ふと、研究棟の前でへたり込んでいたニーナを思い出す。元気の無い様子も。
まさかあれはローザフィア様に逆らって、脅されていたの……?
でもそのローザフィア様も、計画を中止させようとしていたと言った。ニーナを誘った後に気が変わった?いや、そもそもニーナに協力させようとしたのは夫人で、ローザフィア様は夫人に言われて動いただけ。
皇城でのローザフィア様の悲しそうな顔が頭に浮かぶ。
目の前が真っ赤に染まった。




