道中の出来事
今回は少し短いです。
「ソフィー、これはちょっとやり過ぎではないかしら。」
「そんなことはありません。長距離移動は疲れるのですから。それよりお嬢様、馬車でくらい本を手放してください。」
眉をしかめたソフィーに読んでいた本を取り上げられる。彼女らしくない強引な行動に、これはもう逆らわない方が賢明だなと思い取り返すのは止めた。
本の代わりにまた新たなクッションを押し付けられる。私の周囲にはすでに大量の柔らかいクッションが鎮座していた。このまま埋められそうな勢いだ。
夏の長期休暇が始まり公爵家に帰宅した私は皇太子妃教育にお茶会、夜会の出席と忙しい日々を送っていた。おかげで大人達相手にも知名度と評判はかなり上がっている……と思う。しかし家族達は活動的すぎる私を心配しており、こうして何かと世話を焼きたがる。
現在はかねてより約束していたニーナの領地に遊びに行く移動中だ。ソフィーと御者、数人の護衛に付き添われて出発し、皇都を出て数時間が経った。
ユングフラウ子爵領は、皇都から馬車で3日かかる距離。公爵領は1日かからないので、私にとっては初めての長旅になる。
ルークに前世を話した日。ふらついた私を受け止めてくれた彼に、問答無用で保健室まで連れて行かれた。授業を休む程ではないと訴えたのだが、付き添われて自分で歩くか抱き上げられて運ばれるか、どちらか選べと言われて諦めたのだ。
学園に常駐している医師によって過労と夏バテと診断され、険しい顔をしたルークの眼力に負けた私はその日一日ベッド上での生活を余儀なくされた。
お兄様にも笑顔でしこたま怒られて反省したが、最も効いたのはお母様の一言。これ以上痩せると胸が育たなくなるわよ、という恐ろしい呪いの言葉だった。
ソフィー経由で伝えられたそれに、週に1度は放課後の勉強を休むことを決めた。
「公爵領の反対側はこんなに緑が多いのね。子爵領は自然が豊かで、綺麗な湖や滝もあるのですって。それに職人通りにはガラス工芸品が沢山並んでいるそうよ。きっと歩くだけでも楽しいわ。」
だんだんと長閑になっていく風景を眺めながら、ソフィーに目的地の魅力を伝える。
皆にお土産を買って帰らないと。ついて来たがったのにお父様に皇城へ連行されていったお兄様の寂しそうな顔を思い出してくすりと笑う。最近は落ち着いてきたように感じていたけれど、やはりお兄様はお兄様だったな。
そうだ、ついでに新商品のアイデアを考えてみよう。せっかく初めての場所に行くのだから、個人的な視察をしてみるのもいいかもしれない。子爵様にお願いしたらガラス工房や孤児院なんかも回れるだろうし、災害の爪跡がまだ残っているようなら何らかの形で支援を――
「お嬢様。今、視察や商会の仕事をしようなどと考えませんでした?」
「え!」
低い声で投げ掛けられた質問に体がびくりと跳ねた。それを見たソフィーが呆れたように溜め息を吐く。
私の有能な専属侍女は主人の思考まで読み取れるらしい。
「このご旅行は休暇なのですよ。お嬢様のお立場もお気持ちも重々承知しておりますが、もう少しご自分を労ることを覚えてくださいませ。」
「わ、分かってるわ。ちゃんとニーナと一緒に観光を――」
その時、馬車が静かに停車した。おかしい、休憩を予定している街はまだ先のはずだ。
ソフィーと共に首を傾げていると、扉の外から護衛の声が聞こえてくる。
「お嬢様、申し訳ございません。少々お待ちください。どこかの家の馬車が立ち往生していて道を塞いでいる為、護衛の一人が状況確認に向かっております。」
「分かったわ。事情を聞いてあげて。」
確認を終えた護衛によると、その馬車は車輪が溝に嵌まって動けなくなっているとのことだった。見通しのよい道なので人が近づけばすぐに分かる。少しくらい場を離れても問題ないだろうと、護衛を一人だけ残して後は馬車を持ち上げる手伝いにいかせた。
暫く待つと、残っていた護衛が扉を叩いた。しかし返事をしても用件を伝える声が聞こえてこない。訝しく思っていると、程なくして扉が外から開かれた。
許可も取らず扉を開けられたことに違和感を覚えたが、そこに立っていたのは間違いなく我が家の護衛だった。彼は昔からよく私に付いてくれている人なので安心して問い掛ける。
「マルク、何かあったの?勝手に扉を開けるなんて貴方らしくないわ。」
「……ご無礼をお許しください。」
マルクは突然馬車の中に足を踏み入れ、懐から小さな布を取り出しさっとソフィーの顔に当てた。見知った相手に油断していたソフィーはろくな抵抗も出来ないまま崩れ落ちる。
「え!ちょ、ちょっと何してるのよ!」
まさか、何かの薬品なんじゃ……。どうしてマルクがソフィーを。
慌てて立ち上がり、マルクに詰め寄る。
「ご安心ください。眠っているだけです。」
そう告げた彼は硬い表情でじっとしている。ソフィーを眠らせておいて、それ以上何かすることなく私にも手を出すことはない。
意味不明な行動をするマルクに気を取られていた私は、扉の外から近づいてくる気配に気付かなかった。
「一体どういうつもり――っ!」
後ろから伸びてきた手によって、ソフィーと同じように布で鼻と口を覆われる。息を止めて必死に抵抗するが、反対の腕で体を抱えられて動けない。
その腕が魔力に覆われているのを見て、私を抱えている人物が認識阻害魔法を発動していることを感じ取る。余程の相手でなければ星眼持ちの私にその魔法は効かないから、見えるのは当然だろう。
でも腕だけでは男ということしか分からない。気配に気付いてさえいれば!
こうなったら魔法で攻撃するしかない。ソフィーを傷つけないようにしないと――
カチャンッ
後ろの男は腕を一度外し、片手で器用に何かを私の手首に取り付けた。その瞬間、魔力が遮断されて魔法が発動出来なくなる。
「んんっ!」
なにこれ!と声を出そうとしたのがいけなかった。はっと息を吸ってしまい、ツンとする匂いが鼻の奥に広がる。
次第に意識が遠のいていき、目を閉じる間際に見えたのは。
眉を下げたマルクの申し訳なさそうな顔と、どこかで見覚えのあるブラウンの髪だった。




