友人の望む場所 ※ニーナ視点
陛下のご厚意により、ティアと私は客室で一泊することになった。
ルーカス殿下は公務のため城に残り、ウィルフリード様は生徒会の仕事で学園に戻っていった。彼は別れ際、ティアに「自分の気持ちに正直にね」と告げていた。もしかして彼も私と同じように気づいているのかも。
案内された客室は恐ろしく豪華だった。ここを一人で使うなんてと落ち着かない気持ちのまま、城の使用人に着替えを手伝ってもらう。
公爵家のお屋敷から持ってきてくれた、ティアのお母様が昔着ていたドレス。制服で登城していた私にそれを渡してくれた時「私のだと身長の問題で合わなくて」と流行遅れを謝る彼女にとんでもないと首を振った。こんな質の良さそうな美しいドレス、借りられるだけでも恐れ多いというのに。
身支度を終え、いつでも来ていいよと言われていた客室の扉を叩く。
ソフィーに通して貰うと、正装から普段着のドレスに着替えたティアはソファーに深く沈んでいた。いつも作法をきっちり守っている彼女のそんな姿は滅多に見られない。
対面に座るよう促されたので腰を下ろし、紅茶を受け取った。甘い香りのする蜂蜜入りミルクティーはティアのお気に入りで、ソフィーの心配が伝わってきた。
起き上がったティアはそれをゆっくりと飲み、ふっと口元を緩ませた。それでもカップの中身をぼうっと眺める瞳には葛藤があって。
少しでも気持ちを吐き出した方が楽になれるのではないか。どうかいつも一線を引いている彼女の本心を聞かせてもらえないだろうか。そう思ったら口を開いていた。
「ねえティア、どうして保留にしたの?シルヴァン様と婚約したくないのでしょう?」
その直球な質問に、彼女は持っていたカップを揺らした。中身が零れそうになるのを慌ててソーサーに戻しながら、話すべきか逡巡しているようだった。
やがてふふっと笑って私の質問に頷いた。
「そうね、シルヴァン様とは婚約したくないわ。やっぱりニーナは今日の話を最初から知っていたのね。」
肩を竦めた彼女に勝手なことをしてごめんねと謝ると、「それで心配してきてくれたのよね。ありがとう」と笑ってくれたのでほっとする。それから一度きゅっと唇を引き結んだ後、私の願いを叶えるように吐露してくれた。
「私ね、ずっと思っていたの。皇族方に贔屓にされすぎているって。」
その穏やかな口調のぼやきに驚く。
ティアが皇族方に溺愛されているのは知っている。それは皇后陛下が設えたという寮の部屋からも、今回の打診からも伝わってきた。ルーカス殿下もアルドリック皇子殿下も彼女をとても大切に想っているのは直接見たから分かる。
皇族の親戚で、こんなに可愛くて実力もある令嬢を可愛がるのは当然だと思った。彼女もいつも嬉しそうに笑っていたから、そんな風に思っているなんてまったく気づかなかった。
「今回のことも、私の意思が優先されると聞いて悩んだ。国のためには婚約を受けるべきなのにって。色々と優遇されている私が、嫌な婚約から逃げるために皇太子妃候補になるなんて。ずっと努力してきたローザフィア様に失礼だって。」
本当はこんなこと思っちゃ駄目なんだけど、と苦笑する彼女はきっとどこまでも優しくて気遣い屋なのだろう。そして多くの人が彼女を認めているにも拘らず、自分に自信が持てていない。
「でも叔母様、……皇后陛下から、資格のない令嬢を候補にはしない。履き違えないようにしなさいと叱られて。皇帝陛下からも、ルークお兄様次第で正式な婚約者にする気があるのだと聞いて。真に望んでくれているのだと思ったら……ずっと見えなかった道が開けた気がした。」
静寂の中でぽつりぽつりと流れていく呟きには、歓喜と当惑が内包されていた。
自分で気づいているのだろうか。“逃げ”なんて言葉には嵌まらない想いが彼女の中にあることを。
「答えは出ているの。でもあと一歩、踏み出す勇気がないのよ。皇室に望まれたからではなく、シルヴァン様との婚約が嫌だからでもない確かな理由を自分の中で見出せないと前に進めないし、ローザフィア様とも向き合えない。それに――」
彼女は言葉を止めて私をまっすぐ見た。それに?と聞き返すと、ううん、と首を振られる。何かを気にしている様子に疑問を抱いたが、話したくないのなら無理には聞かない。
ティアは周りを気遣うあまり、自分の想いを押し殺している。
甘え上手なのに遠慮がち。そうやってわざと気づかないふりをするから道を見失って。進める場所がないから、彼から逃げ出すことで今の自分の立ち位置を守ろうとしていた。
でも今、道が開けた気がしたと言っていた。あと、すこし。
私にその背中を押すことができたら。
「ウィルフリード様って素敵な方よね。優しげな顔立ちで頭も良くて、エスコートは完璧。細かい気配りもできて、何よりティアのことをいつも見てる。ちょっと怖い時もあるけど、深い愛情を持っている方だわ。」
その突然の話題変換に、ティアはきょとんとした顔になり目を瞬かせた。けれど気を悪くした様子はなく、私の言葉に同意するように頷く。大切な兄を褒められて嬉しかったのか、ふわっと笑ったその表情はとても可愛かった。
「そうね。過保護だけど、その分愛情は深いと思うわ。私の大好きなお兄様よ。」
「アルドリック殿下は可愛らしい方よね。初めて会ったときは嫌われてるのかと思ったけど、ただお兄様が大好きなだけだったわ。」
「アルはヤキモチ焼きなの。だからルークお兄様が気にかける相手に対しては意地悪なところもあるけれど、根はとても優しいわ。」
アルドリック殿下のことを話すティアは楽しそうで、ふふっと悪戯っぽく笑った瞳からは友愛や親愛が見て取れた。
「レオンハルト様は真面目な所が格好良いし、フェリクス様は努力を欠かさない優秀な方で、指導も上手。2人のことはどう思う?」
「レオン様は誰にでも丁寧な所が素敵よね。以前私も助けてもらったわ。後は弟さん想いの優しいお兄様。フェリクス様はその通りだと思うけれど、案外優しくて天然って印象の方が今は強いかな。あれで愛想が良かったらとんだ人たらしになりそう。」
二人とは過去に何かあったのか、思案するように首を傾げた後で苦笑した。それでもある程度の信頼を置いているらしく、表情からも言葉からも悪感情はまったく感じられない。
「じゃあカイ様は?あの落ち着いた態度が大人っぽくて魅力的よね。二人って元々仲良しだったけど、学園に入ってから更に親密さが増した気がするわ。」
「カイ?」
ティアはカイ様の名前を出した途端、不思議そうに首を傾げた。何故カイを?と眉を寄せて呟くのが聞こえる。
先程までとは全く違う反応に戸惑う。しかし疑問を振り払うように首を振って、真面目な顔で私の問いに答えてくれた。
「カイは大人だわ。茶目っ気たっぷりで人を揶揄うくせに、包容力もあって。それに肝心な所は外さないの。色々と……とても、感謝してる。」
笑顔とは言えないくらいの、綻んだ口元。複雑さを含ませたその言葉からは、少なくとも尊敬と深い親しみが感じられた。
そんな感情を向けられるカイ様に少し嫉妬してしまう。入学する前は仲の良いビジネスパートナーといった様子だったのに、学園で見る二人には壁を取り払ったような空気感があった。
他人が入り込めない、愛とは違う何か。それは彼女が他者と一線を引いている部分にも繋がるのではないだろうか。
悔しい、と思う。
でも今はそんな場合じゃない。私はカイ様とはきっと違う方向から、彼女に入り込もうとしているのだから。
「――ルーカス殿下は?」
話の流れからこの方の名前が出るのは分かっていたはずなのに。ティアは一瞬、私の口からその名前が出るのを恐れていたかのような、怯えた表情で固まった。
「高貴な方なのに気取っていなくて、すごく面倒見がいいよね。ティアが脚立から落ちたのを颯爽と助けたところなんて格好良かったわ。ダンスに誘った時も王子様みたいだと思ったし!って、まごうことなき皇子様だったわね。」
何よりも、それを受けて真っ赤になった彼女が可愛かった。
ぺらぺらと私が彼を褒めるとサッと怯えの色を消して、とても綺麗な笑みを見せた。喜びは伝わってくるのに、それ以外の感情は決して読み取らせない。
「ティアはどう?」
ごめんね。隠させてはあげない。
優しい彼女が拒否できないのを知っていて、無理やり暴いた。
「ルークお兄様は、…………小さな約束も想いも大切にしてくれて、いつも見守ってくれる。誰より信頼できる人。とても優しくて、あったかいわ。」
話すにつれて薄紅色に染まっていく頬。愛しさがじわじわと溢れていくように潤んだ瞳。言っていて恥ずかしくなったのか、照れたように俯いた。
ティアは根が素直だから。どんなに覆い隠そうとしても、こうやって話し出しさえすれば如実に現れると思った。それを薄々自分でも分かっていたからこそ彼を避けていたのだろうけれど。
「ふふ。気づいてる?今のティア、他の誰のことを話す時よりも一番可愛い顔をしているわ。ウィルフリード様は大好きなお兄様。ルーカス殿下は“お兄様”じゃなくて“人”。でもどちらもティアにとってはお兄様のはずよね。その違いは何?」
言葉の違いを指摘すると彼女は目を大きく見開いた後、迷うように瞳を揺らした。
やっぱりまだ何かを恐れている。その正体が掴めなくて歯痒くなる。
届きそうで届かない、自分ですら見えないような深い場所に隠された本心。せめて彼女自身がそれを見つけてくれたらいいのに。
今の私ではこれが精一杯なのかもしれない。
だけど認めたくはない。
私はソファーから立ち上がって、向かい側のティアのすぐ隣に座り直した。膝の上に重ねられていた手をそっと掬い取り、包み込む。
「ねえ、ティアがいたいと思う場所はどこ?隣にいてほしいのは誰?そんな単純なことでいいんだよ。きっとそれが理由になるから。」
気づいて。
懇願するように見つめると彼女は握られた手、私の瞳という順にゆっくりと視線を巡らせた。最後に思い詰めた顔で目をぐっと閉じる。
けれど次に開けた時には、その綺麗な瞳にしっかりと私の顔を映してくれた。
「もし。もしもよ。私がいたいと思う場所と貴女の望む場所が同じだったら。そしてその席が一つしかないとしたら。貴女はどうする?」
その例え話が現実になることはないだろう。でもきっと私じゃなくて、フォルモント様のことを言っているのだと思う。だから私はティアの立場だったらどうするかを考えてみた。
「戦うわ。正々堂々、恨みっこなしで。誰に何を言われても、自分の想いは貫き通したいもの。」
そう答えると、彼女は泣きそうな顔で笑った。
そんな時、部屋の扉が叩かれた。ソフィーが確認しにいくと、少しして「少々お待ち頂けますでしょうか」という慌てた声が聞こえてくる。
「お嬢様、皇太子殿下がお見えです。話がしたいから出てこられないか、と仰って。」
「――分かったわ。すぐに行きますとお伝えして。」
そう答えるティアは覚悟を決めたようだった。顔を強張らせてはいるが、極度の緊張のせいか瞳はキラキラと輝いている。
包み込んだままだった手を、優しい力でそっと引き剥がした。立ち上がり扉の方へ歩いていく。ピンと伸びた背中を眺めていると、くるっと振り返って私を見た。
「ニーナ、ありがとう。一緒に来てくれて、こうやって辛抱強く話を聞いてくれて。優しくて前向きで頑張り屋で、どこまでも真っ直ぐな貴女が大好きよ。貴女と友人になれて誇らしいわ。」
その零れるような笑顔に魅せられる。振り返った時に揺れたふわふわの髪が可愛らしい花に見えて。
扉の向こうに消えた後ろ姿に呟いた。
「とんだ人たらしは、ティアだと思うわ……」
私の一言に、彼女を一緒に見送ったソフィーが頷いてくれた。
私が望む場所は、ティアの隣だよ。




